第15話 『悪魔の正しい育て方』前編
いま、新たな命が、産まれようとしていた。
分娩台には、苦痛に顔を歪める女性の姿があり、白衣を着た者達が、さながら戦場のように動き回っている。
赤ん坊の泣き声が分娩室の外まで聞こえ、生命の誕生を果たし、感動の場面となるはずの分娩室だったが、予想に反して異様な雰囲気に包まれていた。
ママ
「ハアハア……あの……あたしの子供は……?」
荒い呼吸を整えながら、ただひとり事態を把握していない母親が「元気な男の子ですよ」という言葉が無いことに疑問を感じつつ、我が子の所在を探した。
産まれてきた赤ん坊には、障害があった。
赤ん坊には、純真無垢な瞳とは対照的にコウモリのような黒い羽根と、タンコブというには鋭い円錐の角が2つ、そして先端がスペードの形をした尻尾が付いていた。
赤ん坊
「オギャア! オギャアア!」
(訳:我こそは次期魔王と名高いマサルキア・デモゴルン! 人間どもよ、恐れ平伏すのだ!)
地の底から響き、聞くもの全てを震え上がらせるはずだったマサルキア・デモゴルンの叫びは、可愛らしい赤ん坊の泣き声にしかならなかった。
助産師
「し、しししっぽ!」
助産師がやっとの思いで目の前の蛇のような黒い尾について言葉を発しながら、恐怖のあまり後ずさり尻餅をつく。
医師
「あ……悪魔だ……この赤ん坊は人間じゃない! 殺すべきだ!」
マサルキア・デモゴルン
「オギャアアア! オギャアアアア!」
(訳:人間風情が! 我を殺すと申すか! 面白い、返り討ちにしてくれる!)
聴覚は正常に機能していたが、強気な思いとは裏腹に30センチ先すらぼんやりした視界の上、声帯と肉体のコントロールが上手く出来ず、外見を除けばどこから見てもただの赤ん坊だった。
今なら殺れると判断した医師が、医療用のハサミを構えて振り上げると、勢い良く降り下ろした。
ママ
「止めて!」
殺意の形相をした医師に気付いた母親が、赤ん坊を抱き抱え医師のハサミから我が子を守った。左腕から赤い血が流れシーツに落ちるが、痛みは感じていない。
マサルキア・デモゴルン
「オギャアアアアア!」
(訳:どけ! 人間の女! 我に逆らうとどうなるか身をもって教えてやるわ)
ママ
「どんな姿であっても、この子は私の子よ! 絶対に手出しはさせない!」
強い意志の宿る母親の眼光に気圧され、医師は正気を取り戻したかのように言う。
医師
「あ……ああ……私は何て事を……。申し訳ない、取り乱して怪我までさせてしまった。心からお詫び申し上げる」
母親はその時のことをこう綴っている。
「誕生を目前にして、それまでは男の子、女の子なんて言っていたけれど、いよいよとなれば、どっちでも良かった。五体満足ならば、と思う。当たり前だから、ぜんぜん不安は無かった。むしろ自信があった。欲しくて生まれた私達の子。9月14日、4590グラムの男の子。嬉しかった。主人の望み通りの男の子。とにかく大きな声で泣いたし、元気のいい子で、当然。と思ったくらい。私は病室に戻された。今頃、主人も喜んでいるだろうと思った。私は自分が果たした仕事を終えて、大満足で寝ていた。次の朝、主人が来てくれた。私は照れくさいような感じがした。院長から子供の事を聞いたのだろう『奥様の前では何もおっしゃらないように』と言われたんだろう、体にさわるから。生まれて4日目、2人そろって新生児室の子供を見る。紛れもない私達の子。異形な姿で、すぐわかった。私は胸があつくなって、頭がふらふらして、涙がこぼれてきた。私は、どうしていいのかわからなかった。とにかく悲しくて悲しくてしかたなかった。そのあと先生はいろんな話をした。今は全然覚えていない。あの時は、ただ夢中で、我が子の存在をいやが上にも知らされて、喜びとはほど遠い悲しみを感じた。私達の子供。紛れもなく、私達の。他人の子供と間違いたくても間違えようのない赤ん坊として、その存在の重さを現した。誰かが引き受けなければならない現実ならば、自分達が引き受けようじゃないか。きっと、世の中には、こういう事を引き受けなければならない人間や家族がいるものなのだろう。自分達が、みんなの分もがんばろう。何百、何千万人の中から、選ばれたのだから。主人は、事実を知ってから、しかもそれを気遣わせてはいけない、という2重の苦しみの中で、この数日をどう過ごしていたのであろうか。きっと私と同じ、どこか、誰も見てないところで、涙を流したのだろう。子供の親であることを、それが私たちに課せられた運命であるならば、子供を含めて、私たちのこの人生を、そこから1歩たりとも逃げることなく、この現実を引き受けようと。『隠さないで、育てようね』やっとの思いで、涙の中から私は、それだけを言った。これから大きくなるたびに、私たちも我が子も、壁にぶつかるだろう。何回も、何回も荒波に揉まれるだろう。手を差し伸べても届かないところへ、どんどん遠ざかって行くのだろう。それまでは、しっかりつかんで離すまい。誰よりも強い子にと、思う。まわりの人たちも、応援してくれるかしら」
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