第8話 心の葛藤
ドリーマーズラウンジにて、俺が先日書き上げたばかりの物語を月島冬子さんが読んでいる。
俺の書いた文章を宇宙一魅力的な女性が真剣な眼差しで読んでくれている。
それは俺にとって最高のご褒美である。
いま月島さんの頭の中は、俺の作った世界でお、いっぱいだということだ。
現時点でこの作品を知っているのは、ここにいる二人だけ。他の誰も知らない共通認識がここにある。
「こころくん! 面白い! 初めての作品でこれはスゴいよ」
月島さんが興奮ぎみに褒め散らかすので、俺は冷静を装いきれず破顔した。
「月島さん、ありがとうございます。そう言ってもらえると自信になります」
「ちょっと、こころくん! そんな他人行儀な呼び方じゃなくて冬子でいいよー」
思わず自分が存在する場所が現世なのかを疑った。目の前で天使が微笑んでいるのだから仕方がない。
正直なところ、作品の出来映えに関して俺は納得していなかった。
今回の物語を書くにあたって一般的な文字数を調べてみたところ、ちょうど良い長さは2000文字だと書かれており、それに従ったら多くの謎を説明出来ないまま物語を終えることになってしまった。
「でも、これじゃダメなんですよ冬子さん」
「ダメ?」
「俺が書きたいのは、こんなもんじゃないんです」
「そっかー、じゃあ次はもっと面白い作品になるね!」
そんな俺と冬子さんの、リア充爆発しろと言われてもおかしくないやりとりを見ていた浦田さんが口を挟んだ。
「僕も読みたいなあ、その作品」
浦田さんが手に持っているのが刃物じゃない事を確認せずにはいられなかった。
俺の幸せを妬んで刺される可能性を否定できない。
「いいですよ!」
浦田さんが持っているのは先程まで執筆に使っていた万年筆だったが、断ったら眼球をえぐられるかもしれない。という被害妄想を振り払えなかった。
作品を様々な人の目に触れさせ、忌憚の無い意見を頂くのも必要なことだ。
問題は感想に対して俺の精神が病まないかということである。出来ることなら言いたい。声を大にして言いたい。俺は褒められて伸びるタイプであり、貶されるとへこみ、へこんだところからジワジワ腐っていくような奴なんです! と。
プロへと向かうこの道では避けては通れない罵詈雑言。人間の趣味嗜好は星の数ほどあり、自分の作品を好きだと言ってくれる人ばかりではない。
浦田さんが読んでいる間、死刑宣告を待つ囚人の面持ちで、自分の頭の中の懺悔室に入って今まで犯してきた蚊を殺した罪や地球から酸素を消費して二酸化炭素を増やしてしまった罪について懺悔した。
読み終えた浦田さんが顔をあげたとき、すでに俺は恐怖で真っ白な灰に燃え尽きていた。
「セリフの前に名前が付いているのは何?」
突然の詰問。
「わ、わかりやすいと思って」
なんで怒られなきゃいけない! 悪いことなんてしてないぞ!
セリフの前に名前書いちゃダメなんて法律無いだろ!
「でも普通どの小説読んでも付いてないよね、少なくとも僕は見たこと無い」
「そ……そうですね……」
今すぐ謝って店を出たいという気持ちが込み上げてきた。
むしろ若干出口に走りだしていた。
「実に面白いアイディアだね、まさにヤラれたーって感じ。気付けなかった自分が腹立たしいよ。思い返すと誰のセリフかわからない作品とかあったもんね。もしかすれば新機軸として定着するかもしれないね。だとしたら君が第一人者だ」
それだけ言うと、呆気に取られる俺を尻目に浦田さんは自分の席に戻ってカリカリと執筆を再開した。
予想に反して、ご指摘が無かった。
信じがたい事に賛辞まで賜り、おかげで惨事は免れた。
評価に値しないということか。
そうだよな。昨日今日書いた作品だしな。
でもなんだろうこの感情。
純然たる読者であった頃は、世に出てる作品をどこそこが違う、面白くない原因はあれこれだのと偉そうに言ってきたが、もっと良くなる可能性を秘めた作品だったって事だ。
当然のことながら俺の作品は、比較対象にすらなっていない。
どこを直すか?
全部だろ。
セリフの前に名前を書かないという基本的なことすら出来ていないんだ。
もちろん書いたときは、画期的な案だと自負していた。だがこうして実際に読まれて言われてみると何が正しいかなんてわからなくなってくる。
このままじゃダメだ。
風前の灯くらいはあった自信や勇気の炎が消沈してしまう。
「俺も読みたいなあ、浦田さんの作品」
「いいですよ」
浦田さんの作品が面白かったら俺は立ち直れないかもしれない。でもいまの俺には何が本当で何が嘘なのかわからない。
そもそも俺は絶対的に読書量が少ないし、好きな作家の作品しか読んでこなかった。
浦田さんの作品を読めば、何か分かるかもしれない。
正直な意見が相手の為になるのか。
傷付けない言葉が救いとなるのか。
未来のライバルを消すために、潰しておくのが自分の為か。
答えなど無いことはわかっているが、より納得のいく答えを見つけたい。
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