第3話 恋する心は止められない
女性の名前は
初めて彼女を見たときの正直な感想は、人類が成し得た芸術作品の中で、これほどまでに完成された作品は存在しないと思った。
彼女を産み出したご両親には尊敬を通り越して畏怖すら覚える。世界一有名なネズミを生み出した偉大なる男に、勝るとも劣らない功績であろう。
美しさで競うならば、微笑んだ女性の有名な絵画や貝の上で誕生した有名な女神も、彼女の前ではただの絵にすぎない。
可愛さで競うならば、生後間もない赤ちゃんや愛玩犬と名高いチワワも、彼女の前ではただの動物に過ぎない。
俺は息を飲み、声も出ないほど感嘆し、美しい生声を聞かせてくれた神に心から感謝した。最後に聞いた音が彼女から発声されたものならば、2度と耳が聞こえなくなっても悔いは無い。
「明日持ってきます!」
「え? 読ませてくれるの?」
「あなたの望みとあらば、喜んでお持ちします」
「やったー♪ 楽しみだなー。星野くんは物語を書くのが好きなの? あたしは舞台役者を目指してるの。星野くんが書いた脚本を演じる、なんて事があったら、すっごく楽しそうだね! 一緒に頑張ろ!」
そう言って彼女は笑顔で飛び跳ね喜んだ。その弾けるようなおっ……笑顔を見るためなら、俺はどんなことでもやってやる。
俺の人生の目標は決まった。彼女の人生に少しでも多くの幸せをもたらすために俺のちっぽけな人生を捧げる。
彼女が相応しき男性と出会い、俺の存在が必要なくなるその日まで。
「大ちゃん、連れてきてくれてありがとう。俺はやるよ」
「マジで!? 俺の漫画の原作やってくれるの?」
「だが断る」
「よっしゃー! こころがいれば百人力……え? 違うの?」
「俺は月島さんのために物語を書く。それ以上でもそれ以下でもない」
ここは月島冬子さんという女神に参拝する為の施設なんだ。誰だダメ人間達の集会所なんて言ったバカは。この聖域……いや神域は後世に引き継いでいくべきなんだ。
ねぇ、そうでしょ? ウメさん。
俺がそう問いかけるようにウメさんの方を見ると、ウメさんは店の奥でなにやら探し物に夢中だった。
「どうしたんですか? そんなところを探しても夢や希望は出てきませんよ」
「梅田さん。私はね、暇じゃないんですよ。わかりますか? 期限までにちゃーんと振り込んでいれば、わざわざ私がここまで来ることも無かったんです。わかりますか? 私の部下達が何度もお邪魔して、それでも貸した金が返ってこない。だから私が来たんです。わかりますか? 待ってくださいじゃないんです。もうじゅうぶん待ったんですよ梅田さん。梅田さん! もう終わりにしましょう! 私は嫌なんです、催促するの! でも仕事だからしょうがない。私はね、やるときはやる男なんです。それでココまでのしあがった。やらせないでくださいよ、お願いします」
丸聞こえだった。
スーツの男は、あえて聞かせているのかもしれない。
「大賀さん、わざわざお越しいただいて本当に申し訳ない。もう少しだけ、お待ちいただきたい。どうか、この通りだ」
「土下座なんて止めてください見苦しい。そんな安っぽい事されたって共同経営者に持ち逃げされた金は見つかりませんよ。時間の無駄ですから、この生命保険にサインしましょう。それで今日のところは帰りますから」
店内は静まり返っていた。皆、視線は向けずとも成り行きは聞いていた。
月島さんが少し涙を浮かべながら「ココ、無くなっちゃうのかな……好きだったのにな……」と小さな声で呟いた。
「なあこころ、あれにサインしたらウメさん殺されちまうんじゃねーのか? 助けないと」
なぜ俺に言う。助けたいなら自分で助けろ。俺にそんな度胸あるわけないだろ。
「大丈夫だと思う、これでウメさんが死んだら犯人まるわかりじゃん、捕まえてくれって言ってるようなもんだよ。もし本当に殺すつもりなら他の人に聞かれないところでやらなきゃ」
俺は適当ないいわけで大ちゃんの心配を蹴散らした。触らぬヤクザにたかり無しだ。
「スゴイ! こころくん頭いい!」
大きな声で月島さんが絶賛するので、俺は後ろめたい気持ちになった。そして罰がすぐに訪れた。罰をもたらしたのは、他でもないスーツの男だった。
「そこの頭がいい人にアドバイスしましょう。世の中には色んな人がいて、我々が何もしなくても、自分から飛び降りたり、借金を返すために人を殺す人も大勢いるんです。わかりますか?」
「あ、はい。すみません」
身なりは普通で丁寧なしゃべり方なのに、反論を許さない凄味があった。
「……おや? これは面白いですね。お嬢さんは、ココで働いてらっしゃる?」
さらに、注意を引いてしまったばっかりに、スーツの男は月島さん気付いてしまった。
どう考えてもウメさんから金を取るより、月島さんを利用した方が儲かるのは明白だ。なんとしても、ヤツの関心を月島さんからそらさねばならない。
「あの! 提案があります! 」
俺は、なんの案も思い付いちゃいないが、突き進むことに決めた。それしか月島さんを守る術はない。
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