第6話 帰路②

「何だろう。アレ」

「ん?」

 千里の指の先を追うと、遠くに小さな三つの影が見えた。

 夕日を背後に、上り坂の向こうから猛スピードでまっすぐこちらへ向かってくる三つの影。前を行く二つの影は自転車に乗っているらしく、滑るように走っている。その二つを追うように、残りの一つの影が驚くべき速度で爆走している。足の速さも凄まじいが、追跡者のサイズも他のふたつに比べて異様に大きい――

「千里。ゲートを用意しておけ」

「まあ、アレは黙って見過ごせないよね」

「…………」

 ちがう。自衛のためだ。

 そう反論しかけて、口を閉ざした。千里がその気なら、どのみち景佑がサポートしてやらざるを得ない。この場で何を言っても無駄だろう。

 景佑は制服のポケットから、急襲型ゲート・モデルD119通称〈イーグル〉を取り出して耳に装着した。この〈イーグル〉は立ち上がりの早さを特に重視して設計された特化モデルであり、景佑はその〈イーグル〉をさらに早く起動できるように調整していた。早さの代償はSI素子の制御しづらさと使用時間の短さであるが、景佑にとってはどちらも大したデメリットではなかった。

「ゲート起動。濃度調整OK。フィールド展開」

 二人の周囲に細かい光の粒が漂い、温かく点滅した。

 神醒術の初歩の初歩。

 SI素子の調節を行い、相方が神格を呼び出しやすい場を整える。八幡学園の神醒術科に通う学生なら誰でも行える所作に過ぎないが、景佑はこの基本動作を誰よりも早く、的確にこなすことに誇りを持っていた。こちらよりワンテンポ遅れてゲートを起動させた千里は、機嫌良さそうに「ふふん♪」と笑った。

「やっぱり景佑の隣りは快適だね!」

「いいから前を見ろ。油断してケガなんかするなよ」

「わーかってるってー」

 相手はもう顔が分かるほど近づいていた。

 前方の自転車に乗っているのは見知った小学生たちであり、恐怖で表情が歪んでいた。後ろの巨漢はどこの誰だか知らないが、学生服の上からでも分かるほど筋肉で膨れ上がっているくせに目だけは静かに据わっていた。

 ――アレはヤバいな

 景佑と千里はさっと目配せして交戦を決定した。

「行くよ! 春雷!」

 景佑がばら撒き、整えたSI素子が千里によって形作られ、雷を纏う一匹の鹿を生み出した。最新技術と人類の想いが合わさり実現した神醒術。その化身たる神格に意思は無く、人間の力を遥かに凌駕する。

「あっ、景兄! たすけて!」

「たすけて!」

 二人の小学生たちが景佑たちの脇をすり抜けた。

 事情は後で聞いてやろう。

 だが、今はまず目の前の障害を取り除こう。

「ぐぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんッ!!」

 雄たけびを上げながら巨漢が突っ込んできた。

 自分より巨大な相手に襲い掛かられ、景佑は凄まじい威圧感を受けたが、相方は違った。クラシカルな丸メガネの奥の瞳を爛々と輝かせ、威勢よく手を振り下ろした。

「春雷! やっちゃえ!」

 巨漢の前に立ちはだかった春雷が、立派な角で相手を正面から掬い上げた。

 小山のような巨躯が二メートル以上高く飛び、きれいな放物線を描いてから、ごしゃっと地面に衝突した。巨漢を投げ飛ばした春雷は涼しい顔でカツカツ蹄を鳴らしていた。

 これが人間と神格の力の差である。

 馬力、タフネス、破壊力……単純にあらゆるパワーの桁が違う。生身の人間がまともにやりあって勝てる相手ではない。地面に頭を打ちつけて血みどろになった巨漢は手で顔を拭いながら、ゆらりと起き上がった。

「神たるこの俺様の行く手を遮ることは万死に値する。正しき世界のためにも外敵は排除せねばならない。神に逆らう者には死を与えん。あのガキどもも、このモヤシどもも、一人残らずこの俺様がぶっ潰す……」

 薄気味悪い。

 ここまでやられていながら巨漢の顔には表情らしい表情がなかった。

 いっそのこと憤怒の表情でも浮かべてくれていれば、ここまで恐ろしくは感じなかっただろう。血まみれで静かに佇まれるほど気色悪い光景はない。どうやら頭の中身はぶっ飛んでしまっているらしく、余計に手におえない。

 ――クリアで静かで近づきがたい、か。

 なぜか事件直前のヌーの印象が景佑の脳裏を過った。

「景佑、これってひょっとして……」

 どうやら千里も同じことを思い至ったようだ。

「何だろうが関係ない。さっさと決めるぞ」

「う、うん! そう――」

 千里が口を閉じ終える前に、異変が起きた。

 男の右肩が瞬時に膨れ上がり、こちらが指示を出す間も与えずに、一瞬のうちに春雷の横腹を殴り飛ばしていた。何から何まで速過ぎて、二人は言葉も出せなかった。艶やかな毛に覆われた横腹に巨漢の腕が突き刺さっていなければ、現実だと認めがたい。

「スゥゥトライッキングゥゥゥ……」

 巨漢が腕から春雷を引き抜いて、地面に投げ捨てた。

 人間が……神格を……殴り倒した……

 ――そんな馬鹿な!

 しかし、春雷の受けたダメージのフィードバックは確かに景佑の横腹を痛めた。

「ぎッ……ぐ……」

「景佑!」

「大、丈夫……だ。それより、次、の、神格を……」

 片膝をついて崩れ落ちながら、それでも景佑は集中を解かなかった。

 神醒術士が二人一組で戦う理由は、神格を潰された際の隙を最小限に減らすためでもあるのだ。こうしてサポート役の人間がダメージを引き受けてしまえば、もう片方が特に苦もなく次の神格を顕現できる。

 あくまで教科書通り、基本に忠実に――

「か、景兄、もう逃げようよ!」

「逃げようよ! 逃げようよ!」

 背中を叩いてくる小学生に苦笑しながら、景佑は痛む体を無理やり立ち上がらせた。

「大丈夫だって。心配するなよ」

 こんな状態では逃げたところですぐに追いつかれる。それに、何といっても、あの自己中心的な竜巻女は決して引き下がらない。勝てるとか勝てないとかでは関係なく、無謀だろうが危険だろうが、構わず自分のやりたいようにやってしまうのだ。

 ――それに

 神楽坂千里はまだ奥の手を出していない。

 授業の演習では顕現できない切り札も、景佑のサポートのある今の状態なら呼び出せるだろう。景佑は赤い輝きを灯すSI素子を千里の周囲に展開させた。風の流れや他人の雑念が飛び交うなかで、この扱いの難しい〈イーグル〉でここまで安定した力場を維持するのはもはや曲芸レベルである。

 赤い粒子の渦の中心で、千里は髪を逆立てながら巨漢を睨みつけていた。

「よくも私の景佑を傷付けてくれたわね……」

「小娘風情が我が道を塞ぐな。俺様を誰と心得る? 俺様は神! 神なのだ!」

 巨漢は二メートル以上の身体を震わせた。

 ――マズイ。

 またあの一撃が来る。千里はまだ神格を顕現できていない。アレを呼び出すつもりなら、多少時間が掛かってしまうのも仕方ないが、そうは言っても敵は止まってくれない。仕方ない! 景佑は印を結びながら瞬時に地面を蹴って彼女の前に出た。

 巨大な鉄拳が目にも止まらぬ速度で飛んでくる。

「ふんぬぅううううううううう!」

「水鏡!」

 一瞬の間が明暗を分けた。

 巨漢の拳が景佑の前髪に触れるか触れないか。ほんのタッチの差で神律が発動した。景佑の身体の輪郭がぶれ、幻の如く掻き消えた。巨漢はそのまま腕を振るったが、手応えらしい手応えも無く、必殺の一撃は虚しく地面のアスファルトに穴をあけた。

「こっちだ。間抜け」

「ムッ!?」

 巨漢が振り返った先に、景佑は悠然と立っていた。

 再び鋭い鉄拳が振り下ろされたが、またもや何の感触もなかった。

「おいおい。どうした? お前の目は節穴か?」

 景佑は何事もなかったかのように元の位置に立っていた。

 これにはさすがの巨漢も目をわずかに見開いて困惑を露わにした。

「グッ! 神であるこの俺様を愚弄する気か!」

「神なら一発で当ててみせろよ。ポンコツ」

「貴様ッ!」

 余裕な態度は演技である。

 春雷からフィードバックされた痛みはまだ尾を引いており、〈イーグル〉の稼働時間もそろそろ限界が近い。無理すれば稼働時間を引き延ばすことくらい不可能ではないが、その後、何が起きるかは分からない。

 それでも景佑は自らの幻影を巧みに操り、巨漢の攻撃を凌いだ。

 耳に装着した〈イーグル〉が熱を帯びてきている。オーバーヒートだ。そう長くは持ちそうにない。景佑は横目でちらりと千里のほうを見やった。その隙が命取りだった。景佑が目を離したほんの数瞬の間に、巨漢はこちらの想像を上回る俊敏さで当たり構わず駆け回った。あまりの速さに、幻影が殴り倒されてから次の幻影を出すまでに、タイムラグが生じた。

 〈イーグル〉が限界を迎えてガリガリ雑音を立てた。

「そぉこかぁあぁあああああああ!」

「ちっ!」

 景佑は火傷しそうなほど熱くなった〈イーグル〉を巨漢に投げつけた。

 落ち着いた動きで巨漢は〈イーグル〉を叩き落とし、靴の底で粉々に踏み潰した。反射的に身構えた景佑の胸倉を掴み上げ、そのまま右腕一本で持ち上げた。

「神である俺様に盾突いた代償を支払ってもらうぞ」

「くっ、やっぱりバカだな」

「この後に及んでまだ減らず口を叩くか」

「神醒術士を捕まえたきゃ、まずはゲートを取り上げて口を塞ぐことだ。そうしないと、また神醒術で抵抗されちまうだろうが。それに、俺を掴み上げて何の意味がある? 俺を人質にでもするつもりか? どうせただ自尊心を満たすために、恐怖で歪んだ俺の顔を拝みたいがために、何となくでやっちまったんだろ。何が神だ。馬鹿馬鹿しい」

 べちゃっ。

 景佑の吐いた唾が巨漢の頬を汚した。

「キッサマァァアアッ!」

 ようやく巨漢の顔から無表情の仮面が剥がれ落ちた。

 これだけ時間を稼いだんだ。いい加減そろそろ間に合ってくれ。景佑の祈りに応えるように、激昂した巨漢の背後で、真っ赤な光が爆発した。肌に触れても痛みはない。神格を顕現させたときのSI素子の余波のようなものであり、ここまで可視化されることなど珍しい。

 巨漢は景佑を掴み上げたまま首だけ動かした。

「次から次へと……面倒な……」

「景佑を放して降参して! 今ならまだ軽傷で勘弁してあげるから!」

「とりあえず、傷付けはするんだな」

 思わず景佑はツッコんでしまった。

 もっとマシな台詞は思い付かなかったのだろうか。しかし、こんな状況でツッコんでいられるのは、景佑が千里のパートナーだからだろう。巨漢は鼻息も荒く、全身の筋肉を震わせながら目を鋭く光らせた。

「神である俺様には何人たりとも敵わない……だが、今度の相手は少し骨がありそうだ」

 無論、巨漢は千里のことを言ったわけではない。

 巨漢は千里の隣りに立つ神格に目線を注いでいた。

 燃えるような赤い肌をした異形の偉丈夫。鋼のような筋肉の上を図太い血管が脈打っている。白髪が逆立ち、怒髪天を突く。山伏のような服装の背中からは黒い翼が生えている。顔面から突き出た巨大な鼻を笑うことなどできそうもない。それくらいこの神格の周囲には張りつめた重い空気が漂っていた。身体の大きさで言えば巨漢よりやや小さいものの、全身から滲み出る闘気の質が違い過ぎる。

 ――呪文型超ド級天狗、サルタヒコ。

「今、神の手によって滅ぼしてやろう」

 巨漢は舌なめずりして、景佑から手放した。

 地面に背中から落ちた景佑はしばらく咳き込んでから顔を上げた。

「ズゥゥウオオオオオオオオオオ!!」

 ズズン!

 地響きが起きた。

 バケモノ同士ががっぷり四つに組み合い、足元のアスファルトに亀裂が走った。景佑は上着のポケットから予備の子供用ゲート〈スケアクロゥ〉を取り出し、即座に起動した。急襲用の〈イーグル〉に比べて遥かに遅い立ち上がりに舌打ちしたくなる。

 巨漢とサルタヒコはしばらく互角に組み合っていた。

 サルタヒコの能力は神律を使用してこそ意味があるのだが、千里は神格を操るだけで精一杯のようだ。顎先に溜まった汗を拭うことさえ忘れて、懸命にサルタヒコに指示を出している。ここは一刻も早く景佑がサポートしてやらねば……

 こちらの焦りを嘲笑うように、巨漢が肩を揺らして高笑いした。

「グワッハッハッハッハァ! これで終わりか?」

「そんっ、なことは、ないんだからね!」

 千里の息が少し乱れている。

 本来、サルタヒコは景佑のサポートなしで顕現できるような神格ではない。無理した分だけ彼女の脳に掛かる負荷は増していく。対する巨漢は、まだ余裕を残しているように見える。焦りで手のひらが汗をかいている。

「それではギアをひとつ上げるとするかッ! グワッハッハッハ!」

 巨漢の身体がもう一段階膨れ上がった。

 膨張した筋肉に、スラックスと学ランが内側から弾け飛んだ。ガズン! とアスファルトに更なる亀裂を刻み付けた巨漢の力に圧されたサルタヒコが、ジリジリと後ろへ押しやられ始めた。こんな生物が自分と同じ人間だとはとても信じられない。

「グオオオオオオオッ! ドゥッ! ドゥッ! ドゥッ!」

「くぅぅ……耐えて、サルタヒコ!」

「ガハハハハハ! 無駄だ無駄だ無駄だ! 神の前では天狗も無力なり!」

 高笑いを続ける巨漢の背後から、景佑が声をかけた。


「――それはどうかな?」


 巨漢が振り返るより先に、準備しておいた神律を発動させる。

「出力調整OK。対象確定。神律発動」

 手のひらにSI素子を集めて炎の刃を形成する。

「――神通力、鎌鼬!」

 巨漢の脳天目掛けて放たれた炎の刃は一直線に宙を飛び、狙いを過たず直撃した。

 炎の刃を形作っていたSI因子が火の粉を散らしながら四散する。ゲートによって人体に直接効果を与えられないようリミッターのかけられているため、本来は殺傷能力の高い神律であってもこうして気軽に打つことが出来る。

 まあ、効果はせいぜい目暗まし程度にしかならないが……

 SI素子の火の粉の中から顔を出した巨漢は、にたりと笑った。

「フッ、神律でこの神に通じるとでも思っていたのか?」

「お前はバカか? 神律が通じたらそれこそ人間じゃねぇよ。俺の狙いは別にある」

「……なに?」

 巨漢は眉を顰めた。

 たしかに、鎌鼬は相手にダメージを与えることなく終わった。だが、空中にばら撒かれた濃度の高いSI素子はどうなる? 本来即座に消えるはずの赤い粒子は未だに光を失うことなく宙を漂っている。

「千里。霊力吸収だ」

「まっかせろー! サルタヒコ!」

 千里がバッと腕を振るうと、サルタヒコの目が赤く輝いた。

 大気中に漂っていたSI素子が、天狗の赤肌に吸い込まれていく。SI素子を取り込むことにより、サルタヒコの身体がさらに大きくなった。

「なっ、なんだコレは!?」

 ぴくりとも動かなくなった相手に巨漢は驚愕の声を漏らした。

 神律を使えば使うほど、SI素子を取り込んでどんどんどんどん強化されていく。

 これこそサルタヒコの能力、霊力吸収である。

「まだまだ。これで終わりじゃないぞ」

 景佑は両手に新たな炎の刃を宿した。

 相手の敗因はいくつもあるが、やはり最大の失敗は一人で行動していたことだろう。

 二人一組は神醒術士の基本である。

「鎌鼬、鎌鼬、鎌鼬ッ! さらにダメ押しの鎌鼬ッ!」

「グッ、ムッ、ブハッ! グオオオッ!」

 神律自体に与えられるダメージは一切ないが、景佑が炎の刃を放つたびに天狗の力が増していく。最初は巨漢のほうが勝っていた腕力でさえ、一発、また一発と神律が重ねられていくごとに巨漢が追い詰められ、終いには地面に片膝を突くまで押し込まれた。

「やっちゃえ! サルタヒコ!」

 竜すら捻じ伏せてしまえそうなほどのSI素子を取り込んだサルタヒコが、憤怒の形相で巨漢を持ち上げ、振りかぶって地面に叩きつけた。地響きと共に砕けたアスファルトの破片が飛び交い、土煙が上がった。

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