インタールード

「 三千と六百の夜を越えて、きっと、私に会いにきてね」


「あ、、あ、、う、、あ」



ーー月だけが照らす森の中で、少女とばけものは別れた。


「さようなら、わたしのおうさま」


ーー去って行く少女の背中に、追いつくことができなかった。


「あ、あああ、ああ、あ」


ーー力が欲しいとばけものは思った。


「あぎゅる、あゅる、ああるぃゆううううる」


ーーぼたりぼたりと、体から群れ蠢く蛆を落としながら


「ああ、るぃぃる、うるるぐるるる」


ーー這うように、もがくように、ばけものは山を降りていった。


「えぃえええぅええぃぶびびうぃぃぃぃいい」


ーー筋肉の腐った腕を動かすには、胴体を大きく揺らすしかない。


「ええええいいびぅぅぅるるるるばういいいいい」


ーー突き出た木の枝に、肉が引っかかり、剥がれ、そこに糞と血の虫がたかりまた肉を形作る。


「えええ、ぅぅぅええええびびびびびびぅぅぅ」


ーー草を、地に落ちた果実を、小さな花を踏みながら


「あ、ああ、ああ、ううう」


ーーばけものは七十八の夜を数え、目覚めた山を降りていった。



 その、哀れなる世界の異物は、然うして歩き出したのだった。

 這うような歩みで、三千の夜を数えながら。杖印国の盗賊の少女と出会い人の姿を真似ることを覚え、剣印国の隻腕の木こりから武器の振るい方を学び、金貨印国の公爵夫人から宛の亡くなった礼服を託され、彼ら全てと死に別れたその醜い怪物は、動きつづけた。


 そう、この出会いを一言で言うならば、きっととても陳腐で、安っぽい言葉にしかならないのだろう。

 世界のどこにでもあるような絶望を抱えたお姫様と、世界のどこにでもあるような絶望を抱えた王様が、唯、片割れに手を伸ばすように抗い、贖い続けた恋物語はーー



「あ、あ」


 礼服の上に纏った襤褸を剥がされながら、化け物は目の腐れ落ちたそのかんばせで確と求めていた人を捉えた。


「あぇぇぇぇいえあえあええおお」


 体の震えが止まらない。無性に身体を地面や其処らへ打ち付けたい衝動が、彼を襲う。


「おおぶおおおぉぉぉぃぃぃうっおぅぇおおうう」


 盛大な音楽も、彼を拘束しようとする者たちのことも、意識の埒の外だった。


ーー私をさらいなさい、蛇蝎の王様


求めていた声があった。求めていた呼び名があった。


「うぇえああああああああぶびえええいえいいいいいいいあうろろろろろろうぁおおおおおおるるるるるるぅぅぅるるるーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」



 今、彼らは寄り添うように、黒き城の広間にいる。

 城の周りには覆うような幾兆もの蝿。城から距離を置き、金貨印国側の山路に杯印国の軍勢。そしてーー



「準備ができました。団長」 

 金貨印国の王城では、夜どうし兵士たちの叫ぶ声が響いていた。陽炎騎士団の団長の命令により、城中の薪と油がかき集められていたのだった。兵士以外の使用人には総出で、布を巻いた薪を油に浸し即席の松明を作る仕事が与えられた。

「料理長がぼやいてましたよ。食用のボナ油まで持ち出しちゃいましたからね」

 副団長は笑いながら軍旗を降り、たかる蝿を払う。彼は過去に捕らえられた折右手の小指を切断され、武器が碌に握れないのだった。 

「そうか」

 短く、感情のない声。

 団長の後ろ姿を、副団長は然っと見つめる。ああ、この人はやはり変わってしまった。元々変わり者だったが火竜討伐からこちら、団員の前で兜一つ取らないではないか。

「これより真っ直ぐにあのばけもの元へと向かい、姫を奪還する」淡々とした、しかし妙に力強い団長の声が、陽炎騎士団全員に向けられる。「作戦は単純だ。諸君は杯印国の兵士に松明を配り、合図と共に点火」団員の一人が咳き込んだ。「次の合図でその松明を出来るだけ高く掲げ、城へと近づけ。蝿が火を避けるのであれば善し、そのままじわじわと包囲して行く。蝿が火に集うようであれば」

 前方が大きく張り出した、鳥のような奇妙な意匠の兜を纏うその戦士は、言葉を止めた。

「尚、善い。私が単身ばけものの元へと突撃する。諸君は一匹でも多く、蝿を城から遠ざけろ」



「あ、あ、あ、ああ」

「そうね、もうすぐ、いらっしゃるわ。あのかなしいすいしょうのきしが、いいえ……」

 姫は、猫の喉を撫でるように、彼女の呼ぶ王様の顎に指を這わせた。

「あの詩人の言葉を借りるならば、機械仕掛けの君が、もう直にーー」

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