幕間劇「水晶の騎士の誕生」
その赤ん坊は金貨印国のとりたてて変哲のない農民の家に生まれた。男の子だった。
泣き声がとても大きいこと以外は、取り立てて普通の赤ん坊と変わらなかったその子共に、変化が現れたのは彼が三歳の時だった。
その頃は夏が終わり秋へと移り変わる時期で、村の大人たちは皆収穫の準備に忙しく、彼の世話は同じ農村の子供達に任されていた。
一度泣き出すとなかなか泣き止まない彼をあやすために、村の子供達の中で一番年長の男子が彼を大きく頭上に持ち上げた時、泣きわめいている彼に雷が落ちた。
彼を持ち上げていた子供は泡を吹いて絶命したが、彼の方はピタリと泣くのをやめ、所々が焦げてしまったおくるみのなかで、声をあげて笑っていた。両親は大層心配したが、その後も彼は少なくとも身体的には健康にすくすくと育っていった。
まわりのものが彼に対して不信感を持ち始めたのは、彼が五歳の時だった。彼はその頃には両親以外と滅多に口をきかない寡黙な少年になっていた。村人が彼を見かけると、大抵一人ぼっちで河原や、森の奥深くで、地面に向かって石を投げていた。
彼を薄気味悪く思った村の餓鬼大将が、こっそりと仲間を集めて彼の後をつけてみたことがあった。
彼は地面に向かって石を投げた後で、石が落ちた場所で何かを拾い、村の猟師からもらったらしい売り物にならないような革袋へ入れ集めているようだった。
河原で石を投げては何かを拾い、森で石を投げては何かを拾っていた。その日も朝から夕方まで、ずっとそれを繰り返していた。
夜の闇と、橙の空が溶け合う頃、その少年は大きく膨らんだ袋の中身を上下に振って中身を整え、背中に負って河原へと足を進めた。餓鬼大将の一団は、足音をひそめたまま、彼の後を追う
村はずれの河原にたどり着くと少年は辺りの流木を拾い集めた。集めた木々を手早く格子状に組み立てると手をこすり合わせるような仕草をした。餓鬼大将達はその時気付かなかったが、それは高級品で本来こんな農村にあるはずのない燐寸(マッチ)に火をつける仕草であった。
流木で組み上げた即席の囲炉裏に火が起こる。煙は夜の闇に溶けて目立たなかったが、河原の大きな岩に隠れて様子を見ていた悪童達の処まで、木の燃える匂いが届いた。
餓鬼大将は隠れていたことも忘れて、慌てて彼のところへ駆け寄った。山火事は、山に住む人間にとって最も恐れるものの一つだった。
走り寄り、彼の肩を揺さぶりかけたところで、声が響いた。
「それ以上近づくな。祟られるぞ」
餓鬼大将も、取り巻きの悪餓鬼たちも、彼の声を聞いたのは随分と久しぶりの事だった。
それは五歳の子供の声とは思えぬほど、悪餓鬼達の心臓を揺さぶった。
随分と訛った響きの、小さな声だったが、餓鬼大将達は言葉の通り動けなくなっていた。
彼は周りの子供達を振り向きもせず、皮袋の中身を取り出して火にくべていた。火の勢いが弱くなると近くにあった流木を折って足し、囲炉裏の中をかき混ぜた。
痺れたように動けなくなっていた餓鬼大将が、ようやく口を開けるようになった。
「な、なあ、お前、何をしているんだ?」
彼の頭越しに火の方を見た餓鬼大将は、彼が何を燃やしているのかを漸く認識したのだった。
それは、皮袋が一杯に埋まるほどの、ねずみの死骸だった。
目を凝らすと、火の灯りに照らされたねずみの皮膚には、奇妙な薄緑の斑点が沢山広がっている。
彼は火の方を注視したまま、餓鬼大将に一言だけ答え返した。
「役割を果たしている」
†
少年の住む農村では、十五になると村の自警団に入る習わしであった。
村の近くの森は深く、野盗の隠れ家としてはうってつけだったし、杖印国との戦争の最中であったので、夜間の見廻りや戦闘の訓練は不可欠だったのである。
自警団の団員は農家の仕事が片付くと一度村長の家に集まり、支給される木刀とケール(大きな音の出る警笛)を受け取る。二人一組のバディが交代で村中を見廻り、其の間村長の家に残った者達で素振りや組手などの戦闘訓練をするのだった。
十五歳になった少年は、背丈こそ他の団員たちとそれほど変わらなかったが、毎日の農作業で日焼けした肉体にはしなやかな筋肉がつき、肩幅の広いしっかりとした体躯に成長していた。
農作業の休憩時間や、自警団での訓練の後などの自由な時間を、彼はほとんど石を投げて過ごしていた。木の幹や、古びた壁に石で印をつけ、離れた場所からその印に向けて石を放るのである。
彼の行動を他の村人達は当然不思議に思ったが、普段の農作業での働きぶりが真面目だった事と、彼が他の村人との交流を最小限に抑えるかのように寡黙だった事もあり、彼の石を投げる姿はすっかり村の風景の一部として定着していた。
自警団では団員同士があだ名で呼びあう慣習があり、彼のあだ名はその奇妙な行動から採られた《ロッソ(石ころ)》というものだった。
自警団で彼とバディになったのは、《赤髪》というあだ名の男だった。赤髪は、夕焼けのような長い髪をいつも束ねて揺らしている、そばかす顔のよく喋る青年だった。
秋の虫の鳴き声が響く畦道を、少年と赤髪は歩いていた。
少年は松明を持ち、少し前を行く赤髪を追っている。赤髪は鼻歌など歌いながら、手に持った木刀を振っていた。
「杖印国との国境あたりじゃあ、毎日ドンパチらしいけどよ」
赤髪が、前を向いたままぽつり、ぽつりと言う。
「この辺だと、全然そんな感じしねえよなあ」
二人は、夜の見回りをしている。見回りの最中は歩きながら、あまり喋らない少年に向けて赤髪が一方的に話し続けるのが常だった。
赤髪の言葉通り、少年たちの住む村において、一年前に始まった杖印国との戦争の影響はあまり実感されることがなかった。
広大な領土を誇る金貨印国の南側、杖印国との国境付近には、鉄資源の豊富に採れる山があり、その所有権を巡って始まった今回の戦争。その火の粉は国の北側、杯印国との国境近くの少年達の村までは、なかなか及ばないのだ。
兵站として常の年貢に上乗せされた農作物の徴収はあったが、水の恵み豊かな彼らの村は毎年のように豊作だったため、それ程不満の声もあがらなかった。
赤髪は、掛け声と共に勢い良く木刀を地面に振り下ろして遊び始めたので、後ろを歩く少年が葉音のように漏らした言葉に気づかなかった。
「……しかし、確かに国の戦力は南に集中しすぎている。北は、今や鼠達には格好のねぐらだ」
口を閉じて少年は空を見上げた。遠くの方で、灰色の雲が動くのが見える。雲の切れ間から、秋の配置の星が瞬いた。
「……月が、隠れるな」
「ああ、雲が、薄く、ぼやけているな」前を歩く赤髪が、上空を見上げる少年を振り返り、真似をするように上を見る。
「このままじゃ、せっかくのお后(きさき)様の慰問も、雨になりそうだ」
赤髪が空を見ながら何の気なしに発した言葉を聞いた瞬間に、少年の頭の中にあるイメージが飛来した。
少年は三秒ほどの間にそれを頭の中で吟味して、慎重に言葉を選ぶ。「ああ、そうだな」赤髪との見回りのなかで、少年は赤髪から一方的に話を聞かされてばかりだったのだが、その時に飛来したイメージは、彼が以前話していた肺病病みの妹の映像だった。再び少年に背中を向けて歩き出す赤髪の背中に飛びかかり、持っていた松明で赤髪の後頭部に殴りかかる。炎の余波が、少年の髪を焦がし、ぼきり、と、音を立てて松明が折れた。衝撃で前につんのめる赤髪。木刀を両手で強く握った赤髪が振り返る前に、少年は地面に落ちていた大きな石を掴み、天高く掲げると赤髪の頭めがけて振り下ろした。木刀を握った手で頭を守る赤髪。石の当たる衝撃で木刀を取り落とした。少年の頭のなかで、映像は進む。見知らぬ青い甲冑の男。夜、暖炉の灯りだけが照らす暗い部屋、男に跪き、何かを受け取る赤髪。よろめきながら赤髪が拳を振りかぶると、少年の胸の中心をめがけて思い切り突き出した。石の重みでよろめき、まともに鳩尾に拳を受ける少年。イメージは進んで行く。村の教会。慰問に来た王后。その帰り道。送り届ける役割の自警団。少年の口から消化液が地面に吐き出される。赤髪は少年の髪の毛を掴み、顔面に拳を叩きつけた。「なにしやがる……、てめえ」だらりと力の抜けた少年の腕。鼻のなかの粘膜が破裂して、どろり、と生臭く粘っこい液体が流れる。映像は進行して行く。馬車の周りを囲む近衛騎士団と村の自警団。両脇を崖に囲まれた道。寝具のなかで、咳をする童女。少年は口からだらりだらりとベトベトする液体を垂れ流しながら、意味のある音を発しようと努力した。「やめておけ。そこに、未来は、ない」少年の言葉に、赤髪の顔から血の気が引いて行く。蒼白を通り越して蒼くなった顔に、月明かりに照らされた赤く長い髪の毛が、よく映えた。イメージは進行して行く。前方からの落石。銃声。まるで滝の落ちる音の様な、絶え間ない、長い長い、銃声の連続。馬は死んでしまったが、馬車本体は無傷。周りを取り囲んでいた近衛兵の面々も、自警団の面々も、皆、黒い血に浸り横たわる。馬車の下へ逃げ込み、ただひとり生き残る赤髪。火薬の煙の中から、黒い外套の男が現れる。少年の言葉に一瞬だけ固まった赤髪の手首を握り、強引に引き剥がすと、少年は落ちていた木刀を拾い上げ、赤髪の鳩尾をついた。映像は、徐々に薄くなりながらも続いていた。跪く赤髪に近寄る外套の男。懐から皮袋を取り出すと、赤髪の前に放る。急いて拾おうとする赤髪。響く銃声。映像はぼやけて行く。馬車のなかから黒衣の男達に引きずり出される仕立ての良いドレスをまとった娘の姿を最後に、映像は霧の様に消散する。鳩尾を突かれて倒れこむ赤髪。思いきり、赤髪の頭部を木刀で殴りつける少年。赤く無い、黄色い粘ついた液体が、赤髪の髪を汚した。少年は赤髪を地面に仰向けに押し倒して馬乗りになる。首筋の大きな血管に手を当て、鼓動が未だに続いていることを確認すると、静かに、血管を圧迫した。首をぶんぶんと振っていた赤髪は、直に動きを止めた。少年は赤髪の脈拍が完全に停止したのを慎重に確認すると、首に当てていた手を離した。赤髪だった肉体に馬乗りになったまま、少年は顔を天へと向けた。凝固した血液がまぶたの表面にこびりついて、目が開けづらかった。月はすっかり、障子紙の様に朧げな、雲の奥に隠れていた。
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