MISSION3 エイ会話スイミングスクール(前編)
――キーンコン・カーンコン……
始業のチャイムが鳴り響く。
学校へ入った勇次とユカリは、五階建て校舎の二階に位置する教室にたどり着いていた。
二人が所属する一年一組の生徒数は、七名。
しかし午前八時半現在、その席に着けているのは勇次とユカリの二人のみ。
つまり、今日のところは、彼ら以外に授業に臨む者はいない。
中央には、七つの机。
その前後にあるのは、黒板と教壇、ロッカーに掃除用具箱……
教室の基本構造は、数万年前から変わらない。
変わったのは、その授業内容と、ほんの少しの概念だけである。
「
呟く勇次。
《ランド=セル》から退屈そうに教科書をあさり出す。
「がんばろうね」
ユカリも、バッグからポケットサイズの『エイ単語辞書』を取りだした。
二人が準備を済ませると、教室前方のドアの窓ガラスに、長身の男の影が映り込む。
――ガラガラアアアア……
「いらっしゃいませぇ~。それじゃあ授業はじめるぞ~」
教師、現る。
教師の名は、
学校用務員から教師に昇格したという異例の経歴を持つモンスターティーチャーである。
青いスーツに水中メガネ。背中には大きな酸素ボンベを装備している。
「本日の一次元目は、『エイ語』だ」
用務、宣告する。
エイ語とは、その名前のとおり、海洋生物『エイ』の言語を解き明かす授業である。
なぜ、エイなのか?
宇宙開発研究によって得られた成果のひとつに、こんなレポートがある。
『火星には、大量のエイ=リアン(※エイの最終進化形態とおぼしき存在)が陸地に住み着いており、継続的に繁殖を繰り返している模様。その数は億単位』
つまり、人間が火星で暮らすには、先住民であるエイ=リアンたちとの交渉コミュニケーションが避けられないのである。
そのため現代の小学校では、必修科目としてエイ語の学習が義務付けられているのだ。
「今日の出席者は
教壇に立つやいなや、不敵な笑みを浮かべる用務。
挨拶も早々に、黒板のほうを向き、白いチョークをその手に取った。
――カッ、カッ、カッ……
黒板に描かれたのは、大きな二重円と六角形。
俗に『魔法陣』と呼ばれる類のものである。
「本日の演目は、『エイ会話』の実践練習だ。これから実際に、一匹の《エイ=リアン》とコミュニケーションをおこなってもらう」
「なんだと!?」
勇次、動揺する。
まだ基本的なエイ単語も覚つかない勇次にとっては、酷な授業内容であった。
「大丈夫、落ち着いて。あたしが全力でサポートするわ」
一方で、ユカリは冷静に勇次をたしなめた。
何を隠そう、ユカリの得意科目はエイ語。
日常会話レベルなら、なんとかなる自信がある。
「では、これより授業を開始する! 《海中フィールド・システム》、作動!」
いきなり大声を出した用務は、教壇の机を「バンッ!」と叩いた。
すると、二人の背後にあるロッカーや掃除用具箱から、大量の水が流れ出す。
――ザバアアアアアア……
「な、なんなの!?」
ユカリ動揺する。
今日の授業内容が恐ろしいものであることに、一歩遅れて気が付いた。
「大丈夫だ、落ち着け。俺が全力でサポートする」
勇次、フォローする。
エイ語は苦手だが、肺活量には自信がある。
「エイ=リアンに警戒心を与えないために、ちょいと環境を整えるだけだ。安心しなっせ」
用務、説明する。
現代の小学校では、宇宙での無重力歩行に慣れるための訓練設備として、校舎内に海水を送り込むシステムが導入されている。
用務は、そのシステムを起動させたのだ。
「では、本日のスペシャルゲスト、エイ=リアンさんにご登場いただこう!」
間髪入れず、黒板の魔法陣に手をかざして震わせ始めた用務。
パッーと輝きを示す黒板。
その中央からは、一匹の海洋宇宙生物が、ずるずると身体をくねらせ現れる――
【きゅるっぴー!】
エイ=リアン、現る。
愛らしい表情で、一本のしっぽを足代わりに教壇へと降り立った。
【きゅっぴー!】
青白いなめらかなボディを自慢げに見せつけ、尾ひれをぱたぱたさせている。
「こ、これが、エイ=リアン……」
「なんか、意外とかわいいわね」
まるで近所のペットショップに立ち寄ったかのような感想を漏らす二人。
それもそのはず、エイ=リアンは、火星で大量繁殖を繰り返してはいるものの、特に害のある生物ではない。その性格は穏やかとされている。
「今日の課題は、このエイ=リアンを『四階の音楽室へと連れていく』ことだ」
――ザバアアアアアア……
「ただし、この校舎内が海水で満たされる前にな」
意味ありげな言葉を付け足し、酸素マスクを装着する用務。
「音楽室の黒板に、火星送還用の魔法陣が書いてある。そこへエイ=リアンを連れていき、火星へと送り届けることで今日の課題はクリアとする。校舎内の脱水装置も、それを達成すれば自動的に起動するように設定してある」
教師の
そして黒板の魔法陣をごしごしと消し、早々に教室から立ち去る。
「私はゴールの前で待つ。せいぜいがんばりたまえ」
去り際にもしつこく付け足した。
――ガラガラア……ピシャン!
【きゅっぴー!】
「…………」
「…………」
教室に残されたのは、一匹のエイ=リアンと二人の小学生。
宇宙開発の一要素、異文化コミュニケーションの時間が始まる。
『SCHOOL SURVIVAL@3800』
MISSION3:エイ会話スイミングスクール
【きゅるっぴいっー!】
愛らしい表情をキープしたまま、ひたすらに尾ひれをばたつかせるエイ。
「な、なんて言っているんだ……?」
勇次、困惑する。
エイ語が苦手な勇次は、その言葉をまったく理解することができなかった。
「大丈夫。あたしにまかせて」
言いながら席を立つユカリ。
手元の『エイ単語辞書』をパラパラと開き、早速行動に移す。
「まず、お名前を聞いてみるわ」
名前。
それを聞くことが、仲良しになるための第一歩であることを、ユカリは知っている。
『エイ=リアンにも、
教科書レベルのその知識を予習したうえでの
「ワッチャ・ネイム?」
ユカリ、質問する。
辞書を片手に、エイ=リアンの固有名称を聞き出した。
【きゅぴぴきゅっぴ、きゅるっぴい】
「……なんて言ったんだ?」
勇次、聞く。
ユカリ、答える。
「『吉田エイ子と申します』」
ユカリ、翻訳する。
敬語の部分までばっちりおさえた安定の通訳力をみせた。本当によく勉強している。
「エイ子か……いい名前だな。よろしく!」
【きゅっぴー!】
エイ子の尾ひれを握り、異生物と速攻で打ち解ける勇次。
人懐っこいエイ=リアンの性質と、偏見をもたない勇次の性格が合致した微笑ましい瞬間であった。
「それじゃあ、いきましょうか」
二人と一匹は、教室を出た。
廊下には、既にひざ下あたりまで海水が浸っている。
他の教室からも水が流れ出していることは明らかであった。
「よし、とりあえずは上を目指そう」
「そうね、早くしないと溺れちゃうわ」
【きゅっぴー!】
「……エイ子は、水中でも呼吸できるのか?」
「『ミセスエイコ、エラ呼吸イズ可能?』」
【きゅっぴー! きゅっぴーのきゅうぴ、きゅっぴ】
「……なんて?」
「『大丈夫』だってさ! むしろ、『水中のほうが得意です』って言ってる」
「なるほど。それなら安心だな」
――パチャパチャパチャ……
水面を踏み歩く二人。
そのスピードは平常時とあまり変わらない。
――ピチョン……ピチョン……ピチョン……
かたや、一本足で器用に歩行するエイ子。
【きゅっぴ、きゅっぴ、きゅっぴ】
その歩みは人間よりも後れをとるが、その一歩一歩が全力である。
「焦らなくても大丈夫だよ」
エイ子のスピードに足を合わせるユカリ。
「そうだぞ。もし何かあったら、俺たちが全力でフォローする」
【きゅっぴ!】
どことなく安堵の表情を浮かべるエイ子。
一同は、最初の階段をのぼり、早々に三階へと上がった。
――ザバアアアア……
三階も同様に海水が発生しているが、まだまだその水位は浅い。
「このペースなら音楽室に間に合いそうだな」
「ええ、なんとかなりそう」
異常な環境のなかでも平常心を保つ二人。
【きゅ……】
しかし、エイ子には異変が起きる。
顔をしかめ、尾ひれで腹部を押さえている。
「どうした!? エイ子!?」
「『アーユー!? エイコ!?』」
目の色を変えて聞く二人。
エイ子、答える。
【きゅ、きゅっぴ……】
「『お、おトイレ……』に行きたいらしいわ」
「なあんだ、そんなことか」
【きゅっぱあ……】
「フフ……そんな謝らなくても大丈夫。おトイレに行くことは恥ずかしいことじゃないのよ。もっとお気軽に接してちょうだいな」
【きゅ、きゅっぴ!】
ユカリの優しさにより、エイ子の顔に再び笑顔が戻る。
「……ところで、男子トイレでも平気かな?」
「『エイコ、メンズトイレ可能?』」
【きゅっぴー!】
「『大丈夫』だってさ!」
「よし。じゃあこっちだ、おいで」
【きゅっぱ!】
「『ありがとう』だってさ!」
「何言ってるんだ、当然だろ? 俺たちはもう仲間なんだからさ」
笑顔で言葉を送る勇次。
こうして二人は、エイ子をトイレへと導いたのであった。
※※※
――ジャアアアアアアアア……
三階の廊下に、トイレの流水音が響く。
勇次とユカリはエイ子のプライベートを尊重し、トイレの中まで入ることはせずにトイレ前の廊下で待機を続けていた。
「…………」
「…………」
そこに、用を済ませたエイ子が戻る。
【きゅっぴれ】
「『おまたせ』だってさ!」
ユカリ翻訳する。
その翻訳スピードは、もはや辞書を開かずともなんとなくわかるレベルにまで達していた。
「全然まってないよ。気を遣ってくれてありがとうな」
紳士的な対応で出迎える勇次。
しかし……
――ザバアアアアアアア……
絶え間なく増していく海水は、既にユカリの胸のあたりにまで達していた。
それもそのはず、一同が教室を出発してから既に15分以上が経過している。
そう。
エイ子のおトイレ・タイムが、予想以上に長かったのだ。
「さあ、先へ行こう」
「うん」
それでも二人は、顔色ひとつ変えることなく目的地へと再び歩み始めた。
――ザブザブザブ……
底の深いプールのような廊下をかき進む二人。水中歩行を強いられる。
その進行速度は、先ほどよりもいささか遅い。
――スイッー
一方で、エイ子は
その進行速度は、先ほどよりも遥かに早い。
【きゅるっぴいいいいーーーーー!!】
まるで水を得た魚のように、一気に先へと進み行くエイ子。
「ま、まってくれエイ子! ひとりで行ったら迷子になる!」
手を伸ばす勇次。
つい焦って身を乗り出してしまい、口内に水が浸入。「げほっ、しょっぱ!」
海水は、いよいよ二人の肩あたりにまで増幅していた。
「そ、そろそろやばいかも」
ユカリ、この事態に本腰を入れる。
肩に掛けていたバッグから急いで《ガラパゴス=テレフォン》を取り出し、そのアンテナを口にくわえた。
そして、回復技を自らの口に送信。
『エアー・メール!!』
ユカリは、《ガラパゴス=テレフォン》の残りバッテリーをすべて酸素に変換し、自らの体内へ送信した。
これにより、約10分間は水中で呼吸をしなくても活動することができる。
(急がないと――)
思い切って水中に潜り込むユカリ。
そのままエイ子を追いかけるように泳ぎ始める。
「ほら、勇次も早く!」
ちなみに、水中でも喋れる。
「くそっ、やむを得ない……」
勇次も、《アルト=リコーダー》の銃口をくわえこみ、キーボードを叩くかのような指使いで七つの穴を閉じたり開いたりしながら特殊コードを入力、全体量の38%ほどの光子エネルギーを体内に吸引し、それをそのまま体内の脂肪酸エネルギーと結合させて酸素へ変換した。これで水中でも何分かはもつ。
《アルト=リコーダー》のエネルギーは、太陽の光によってまかなわれるので室内だと充電ができない。
ゆえに、吸えば吸うほど必殺技を出すときに困るので、あまり多くは吸えない。
そう。勇次は、
「いまいく!」
――ザブンッ……
廊下の海を泳ぐ二人。
なんとか階段にたどり着いたものの、その水位は天井を満たし、次の階にまで及んでいる。
その先、階段の踊り場には、くるくると泳ぎ回るエイ子の姿があった。
【きゅっぴー!】
「あら、待っててくれたの? お利口さんね」
【きゅっぱ!】
「よし、ゴールはもうすぐそこだ。がんばろう」
【きゅるっぴい!】
しかし四階からは、何やら不穏な水気が漂ってきている。
「――みんな気を付けろ。何かがいる」
【きゅっぴ……】
《アルト=リコーダー》を構える勇次。
先陣を切って上へと泳ぐ。
階段の先には、異様な生物反応あり。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます