MISSION1 奈落ジャンクション横断セヨ(前編)

「さて、学校に行くか……」


 未来坂みらいざか勇次ゆうじは、いつものようにタイトな宇宙服に身を包み、通学の段階に入った。

 右腕に《アルト=リコーダー》、左腕には黒の《ランド=セル》をしっかりと装備している。

「マイ・ブランニュー・デイズ、起動せよ!」

 勇次は両目を見開いた。

 自室の窓を鏡代わりに、天候と身だしなみを同時にチェック。

 その澄んだ瞳の先には、雲ひとつない青空が広がっている。

「今日も快晴か……きっと俺の心を反映しているんだろうな、うん」

 照りつける太陽を指針に、自らのメンタルチェックすらもおこなう勇次。

 本日は晴天につき、宇宙服のヘルメットを脱いで登校に及ぶことにした。

「ん?」

 窓に映り込んだ自らの顔面に、思わずその手を止める。

 清潔感のあるサラリーマンヘアーと、母親ゆずりの凛とした顔立ちは、彼が17歳の美少年であることを強く主張していた。

「相変わらず整っているなあ……」

 鏡の中の自分を褒め称える勇次。

 この行為は、内なる自己との交流をはかる精神統一の類であり、一日の成功を祈願するゲン担ぎのようなものである。

 そうやって自尊心を高めることが、現代の通学においては極めて重要なのだ。

 



「いってらっしゃああああい!!」


 この声は、勇次本人のものである。

 現代の日本では、自宅から出発する際に「いってらっしゃい」と自分に言い聞かせながら家を飛び出す風習が根付いている。

 つまり勇次は、「いってらっしゃい」と叫びながら自宅マンションの六階から飛び降りたのだ。






『SCHOOL SURVIVAL@3800』

 MISSION1:奈落ジャンクション横断セヨ






 古代資料によると、「いってらっしゃい」の語源は、『母親が子供を学校へ送り出すための言葉』であるという記述が残っている。

 しかし、時代は大きく変わった。「いってらしゃい」の概念も当然変わる。

 過酷な宇宙トレーニングを強要される現代の学校は、もはや気軽に通えるような場所ではない。ゆえにいつしか全国の教育MAMAたちは、学校へ向かう我が子の背中に「いってらっしゃい」などという生優しい言葉を掛けることができなくなってしまったのである。

 つまり「いってらっしゃい」は、その時代背景のなかで、他人へエールを送る意味合いを失い、自らのモチベーションを高める言葉へと進化を遂げたのだ。

 西暦3800年の小学校とは、つまりはそういう場所である。

 戦場なのだ!




「よっこらSETセット!!」

 自宅マンションの六階から飛び降りた勇次は、着地に成功した。

 宇宙ブーツの厚底によって足裏へのダメージを大幅に軽減、靴下を二重に装備していたことも大きい。


「あーあー。チャリィ、聞こえるか? こちら勇次! これより自宅から学校へと向かう! ただちにサイクリング・シークエンスに移行してくれ!」


 勇次は、大声で独り言を並べながら自宅マンションの駐輪場へと駆け出した。

 そして、自らが所有するチャリィ(※西暦2000年代でいうところの『自転車』の最終進化形態に該当する。そのデザインは最先端仕様であるが、機能的には当時のものとまったく変わらない)に勢いよくまたがった。


「行くぞ、チャリィ!! 限界を超えろ!!」

 勇次は、大地を踏みしめるようにアクセル・ペダルを漕ぎ回した。

「サイクロン・エンジン、起動せよ!!」

 その情熱的なペダリングを受け、チャリィは走り出す。


 ――シャカアアアア……


 温暖化した45℃の春風を受けながら、地元の住宅街を疾走するチャリィと勇次。

「ああ~! 今日は気持ちがいいなあ!」

 時速10km/h。

 勇次はさらなるスピードを求め、ギア・レベルを『3』へとひねり上げる。

「オーバードライブリミット開放!」

 それを契機に、チャリィの速度はぐんぐん上昇。気がつけば、そのスピードは時速20km/hにまで達していた。

「大気圏エリア突入! いいぞ、チャリィ! その調子だ!」


 しかし、いつの時代もアクシデントは発生する。

「何っ!?」

 自宅から数百メートルほど進んだ地点で、著しくバランスを崩すチャリィ。

「おい、どうしたんだチャリィ!? 何があった!?」

 あろうことか、チャリィの両輪はパンク状態に陥っていた。

「そんなばかな!?」

 毎日のメンテナンスを欠かしたことのない勇次にとって、それは信じがたい出来事であった。


「だああああっ!」

 勇次、転倒する。


「チャリィ、大丈夫か!?」

 それでも勇次は受け身を取らず、すぐに路肩へと手を伸ばす。

 我が身より先に相棒を重んじる彼の優しさは、何よりも前のめりであった。

「チャリィ、応答せよ! チャリィ、応答せよ!」



 ――シャカアアアア……



 路肩に横転したチャリィのペダルは、まるでダイイング・メッセージを送るかのように空回りを続けている。

『スマナイ。オレハココマデダ。ダガ、オマエハイキロ』

 空回るチャリィのペダル音は、勇次の脳内でそのようなセリフに変換された。


「うわああああああああっ!!」

 チャリィの精神状態を汲み取った勇次は苦痛の悲鳴を上げた。

 幼いころから多くを失うことを強いられてきたこの時代の若者は、物体モノに対する愛情がとても強い。

 ゆえに、勇次がチャリィのメンテナンスを怠った日はなかった。

 現に昨日だって、その両輪に空気をチャージしたばかりである。

 ――にもかかわらず、事は起きた。

(なんで……?)

 いくら考えても、その原因が思いあたらない。

 わずかな不備を見逃してしまったのだろうか――自らに対する不信感が、涙となって溢れ出す。

 やがて、チャリィのアクセル・ペダルは、ぴたりと止まった。



 通学に犠牲はつきものである。

 言うなればそれは、成長していくうえでの通過儀礼。

 日本の未来を担う強い大人になるためには、全てを受け入れなければならない。

(たとえ仲間を失っても、俺は前に進まなくてはならない……)

 勇次は静かに立ち上がる。涙を振り払い、再び前を向く。


「チャリィ……」

 しかし、その一歩を踏み出すことはできなかった。

 勇次の全身に、チャリィとともに過ごしてきた青春の思い出が、鉛のようにまとわりついてしまっているのだ。

「か、過去に縛られる人生は嫌だあっー! 俺は学校に行くぞおおおお!!」

 勇次は、その場で地団駄じだんだを踏んだ。

 その足さばきは、過去と決別し、未来へ進むための大切なステップ――

 そう。まさに今、勇次は大人への階段をのぼっている最中なのだ!




「……あんた何してんの?」


 ステップを踏む勇次のもとに、少女現る。

 紺色のスクールバッグを肩に下げたこの少女は、勇次の数少ない同級生のひとり、夢町ゆめまちユカリ、17歳。

 西暦2000年代前半の古代文化ファッションに強い憧れを持っており、紺色のブレザーにミニスカートという時代遅れの女子高生ファッションをしているちょっと変わった女の子である。

 小柄な身長152センチ、痩せ型体重48キロ、セミロング黒髪、ホワイトお肌、高い鼻筋を軸とした左右対称の大きな瞳に柔らかい唇などなど、当時魅力的とされた要素を完膚なきまでに体現している。胸元を青いリボンで飾るなど装飾品についてもぬかりがない。


「まったくもう~」

 チャリィのもとを離れられない勇次に対し、ユカリは呆れながら口にする。

「また新しいの買えばいいじゃん。はやく学校いこうよ?」

 その価値観もまた、西暦2000年代前半の人間特有の前時代的なものであった。

 そのため、勇次との間ではジェネレイション・ギャップがしばしば発生する。


「……チャリィを置いていけと言うのか?」

 勇次、質問する。

 わが子を奪われたトラのような目つきをユカリに向ける。チャリィを失った悲しみが、行き場のない怒りへと変わりつつあったのだ。

 返答を誤れば、命のヤリトリが始まってもおかしくはない。

 しかしそんな緊迫感などもろともせず、ユカリはさらりと言葉を紡ぐ。

「チャリィは役割を終えただけよ。チャリィは、あんたを学校へ間に合わせるために全力を尽くした。その気持ちがわからないの?」

 ユカリ、説得する。

 相手の心情に合わせた柔軟なコミュニケーション能力も、西暦2000代前半の若者に見られた特徴のひとつである。

「……ごめん。たしかに、チャリィのためにもこんなところで遅刻するわけにはいかないな……」

 勇次、納得する。

 ユカリは、言葉の選択に成功した。

「ほら、早く学校いこうよ?」

 それだけに留まらず、チャリィの死を背負いながらも先へ行こうとする勇次の前のめりな姿勢に、笑顔すらこぼした。手をも差し伸べた。


 しかし勇次は、その手を取らない。

「ユカリ、ありがとう。こんな俺だけど、一緒に学校へ行ってくれるか?」

 同様に右手を差し伸ばし返す勇次。

 相手から差し伸ばされた手を簡単に握ることはできない。『自分は、誰かに托生たくしょうするのではなく、誰かを先導する立場である』ということを自覚したうえでの積極的な反射行動である。

「ええ、もちろん! だって、あたしはあんたの友達バディだもん!」

 ユカリは、差し伸ばし返された右手を強く握り返した。

 瞬間、気持ち繋がる。

 そのまま二人は手を揺らし、ゆっくりと歩き出す。


 軋むほどの握力で重なり合う手の平は、共に戦地へと赴く者の命綱――

 価値観は違えど、二人は仲良しなのだ。






          ※※※






 二人は、通学路の果てへとたどり着いた。

 目線の先には、目的地である長方形の建物が構えている。学校まであと少し。

 しかし、二人の足元の前に広がるのは、一本の大きな車道。

 学校へ行くには、これを横断しなければならない――



 透明拘束道路とうめいこうそくどうろ『奈落ジャンクション』。

 その名前のとおり、実体のない透明な道路である。

 遥か昔に老朽化して崩れ落ちていったアスファルトの霊魂たちが、文学的概念である『道なき道』を忠実に再現した非科学的超常現象の一種である。

 この透明な車道の上では、かつて産業廃棄物となって散っていった自動車たちが怨恨まみれの二酸化炭素を無限に排出しながら絶え間ない交錯を続けている。奈落の底に落ちまいと、皆懸命に走り続けている。(底は地球の中心核、灼熱のマグマ地獄である)

 関係者以外は、この道路と車を視認することができず、触れることもできない。


 つまり、である。

 生身の人間にとっては、50でしかない。

 要は、この大穴によって学校前の通学路がまっぷたつに分断されてしまっているのだ。



 ――ビュウウウウ……


 架け橋は存在する。

 中央に浮かぶ、横断歩道を模したハシゴ状の白線。

 この白線の架け橋だけが、実体として浮かぶ唯一の存在。

 これにより、人々は横断することができる。しかも、決して崩れ落ちることのない安心設計。アスファルトが死ぬ間際に残した優しさの結晶である。

 向こう側へと渡るには、この白線の架け橋を綱渡り感覚で歩いていけばいいのだが、事はそんなに単純ではなかった。


「ユカリ、俺の後ろに下がれ」

「うん」

 握り合っていた手を離した二人は、それぞれに体勢を整えた。

 そう。

 戦わずしてこの橋を渡ることはできないのである。

 人類の敵は、いつの時代も〝人間〟だ。



【よう、遅かったやないか……】


 道路を挟んだ向こう側、校門の陰から姿を見せたのは、黄色い横断旗おうだんきを手にした大柄な一人の女性――――

 交通指導暦300年を誇る奈落の守護神ガーディアン、オバ=チャン(48)である。

 このオバ=チャン、実に七度目の人生。輪廻転生を繰り返しながら現場に立ち続ける交通指導員の化身カガミである。

【今日もイイテンキやなあ】

 百獣の王を思わせるパーマ・ヘアーと、端整な顔立ち。

 体重80キロオーバーのたくましいボディに装備された緑色のゼッケン。

 オバ=チャンが醸し出すその威圧感に、通学を断念して自宅に引き返した若者は多い。

 そう。

 この女性こそ、登校者たちの行く手を阻む最強の敵。いわば、勇次たちが突破するべき最初の関門であるのだ。


【おや、勇次。今日はチャリィ乗っとらんのか? どないしたんやあ?】

 オバ、挑発する。

 登校中の生徒を煽ることも、その仕事の一環だ。


「……チャリィは役割を終えた。もうかえってこない」

 勇次は、言いたいことを飲み込み、その事実だけを淡々と伝えた。


【ほうかほうか! そら残念やったなあ! お気の毒やなあ!】

 オバは大袈裟に笑いながら、まるで勇次に見せびらかすかのようにポケットから大量の画鋲ガビョウを取り出した。【ほんまにお気の毒やわあ……】


「――!!」

 勇次、反応する。

『なぜ、チャリィは死んだのか』

 その疑問の答えを、嫌でも悟ってしまったのだ。


【さいなら~】

 オバは、それら画鋲を透明の車道へとばら撒いた。

 チャリィにトドメを刺したであろう凶器を、証拠隠滅の意を込めて奈落の底へと葬り去ったのだ。

【いらんくなったモンは、こうやって供養するんやで。よう覚えとき~】


 ――ビュウウウウ……


 凶器を飲み込んだ奈落の底からは、微熱を孕んだ強い風が吹き返る。



「貴様がやったのか?」

 勇次、質問する。

 その声は憤りを帯びている。

 チャリィを殺害した真犯人が目の前に現れたのだから、無理もないだろう。

 

【せやでー!】

 オバ、白状する。

 人を小馬鹿にするかのごとく、あっさりと容疑を認める。

 その極悪な笑顔は、「むしゃくしゃしてやった」と言わんばかりのものであった。

【あんたらの役割も、今日で終わらしたろかー?】

 元気な声で暴言を畳み掛けるオバ。

 その場をつつむ空気は、禍々しく歪み始めていた。


「やれやれ……朝から憂鬱な気分だぜ」

 勇次は、《アルト=リコーダー》を装備した右腕と《ランド=セル》を装備した左腕を構え、戦闘準備を整えた。

 そしてパートナーに呼びかける。「いくぞ、ユカリ!」

「ええ!」

 ユカリも、持っていたスクールバッグを右肩に通し、両手を構える。

「今日は絶対に負けないんだから!」


 対峙する敵を見つめる二人。

 間にあるのは、透明拘束道路『奈落ジャンクション』――。

 その横断を賭けた戦いが、いま、始ろうとしていた。



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