「駅のホームでイチャイチャしてるカップルはみんな死ねばいい」

終末禁忌金庫

第1話 「駅のホームでイチャイチャしてるカップルはみんな死ねばいい」


○第一話 駅のホームでイチャイチャしてるカップルはみんな死ねばいい




「駅のホームでイチャイチャしてるカップルはみんな死ねばいい」


「は?」


「……駅のホームでイチャイチャしてるカップルは――」

「二回も言わなくていいよ。なんだ、急にどうしただい。なにが言いたい」


「駅のホームで――」

「ああ、もうわかったよ。要するに君は、カップルが妬ましい訳だ」

「……まぁ、そう換言できなくもない」

「そう換言する以外にどうとれというのだよ」

 居酒屋のテーブル席で向き合って男女ふたり。男の方はいかにも陰険そうな人相で、なにが不快なのか、眉根に皺を寄せながら煙草を吹かしている。一方女は、男とは正反対の朗らかな面差しで、男の言葉を愉快げにしながら酒を飲んでいる。

「それは、ここへ来るまでの駅で見た光景かい?」

「今日ならず、昨日も一昨日も、一昨昨日も、そしてその前も一週間前から、一か月前にわたり――」

「ああ、わかったわかった。君の言葉はいちいち長ったらしい。冗長だ。聞いていて耳が腐る」

「ひどい言いザマだな……」

 男は煙草の火をにじり消すと、これまた気疎そうに焼酎をあおる。が、酒精に喉をやられて、思わず咳き込む。

「大して強くもないのに、焼酎なんて格好つけるからだよ。君はカクテル、サワーの類でも飲んでおきたまえよ」

「話はこれからだ。よく聞け――」

「ああ、問わず語りとはこのことだ。相席した仲であることだし、最後まで聞いてあげよう。けれど、その前に私から忠言も差し上げよう」

 女は男を同じ酒をさも水のように一気に飲み干すと、グラスを置いて、煙草に火を点ける。吐き出した煙を、男は鬱陶しそうに手で払い除け、ただでさえ近づいている眉を、さらに鼻の近くまで寄せる。

「君と私、つまり、男と女だ。これがこんな場末の居酒屋で夜遅くに酒を飲んでいる。二人きりで。これもまた、周囲からはカップルと映る。違うかい」

 男は、女の言葉を、一瞬、遠い外国の地から流浪してきた者の発する音声を耳にしたようにきょとんとし、それから、――男の人相にしては実に不似合いな――大笑いを一瞬して、大衆を目を集めた。が、すぐに恥ずかしくなって、体を萎縮させた。

「馬鹿か、阿呆か。それとも白痴の類か? お前は。誰が真性レズビアンのお前と僕がカップルだと勘違いする? もし勘違いしたなら、そいつは煎餅を万札と勘違いするように、目が節穴でできているか、あるいは、空き缶を神様と盲信してやまないパラノイアのどちらかだ」

「いちいち君の喩え話は微妙だな。心に響くモノがないというか、腑に落ちないというか」

「馬鹿にしているのか?」

「馬鹿にしているんだよ。それに、私だって真性のレズビアンという訳じゃない。男性を好きだった時代もあったさ。けれど、女性というものの良さは、男性なんてその足元にも及ぶまいよ。すなわち、取捨選択の問題さ」

「それを真性レズビアンというのだ」

 男はグラスに残った焼酎をちびりちびりと舐め始めた。けれど、酒精の強さがやはり舌に響いて、思わず苦い顔を作る。

「駅のホームでイチャイチャしてるカップルはみんな死ねばいい」

「またそれに戻るのか。いいだろう、夜は長い。は付き合おう」

「最後まで、じゃないのか?」

「私が飽きたらそれまでだ。私のいなくなったことに気付かず、ひとり訥々と持論を展開する君にすべての会計を押し付けて、私は退散する」

「薄情真性レズビアン」

「短小真性フィモシス」

「フィモシス?」

「包茎のことさ。手術を受けることをオススメしよう。恥垢が溜まって病気になる」

「お前、僕のナニを見たことがあるのか……?」

「見たことがあるもなにも、この間、散々の飲兵衛の後に前後不覚に陥って、随分な裸踊りを披露してくれたじゃないか。おお、目が腐る思いだった」

 男は、恥辱にまみれた、これ以上のない憤怒の表情を顔に映すが、女はいたって平然としており、そして煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで、演劇ぶった仕草で男の顔面に吐きつけると、

「まあ、嘘だがね。そんなものを見るくらいだったら、私はこの両の目をくり抜いてドブに捨ててしんぜよう」

「馬鹿にしているのか?」

「馬鹿にしているんだよ」

 男は言葉に詰まった。その間に、女は手を挙げて店員を呼びつけると、酒を注文する。

「見たかね、いや、見るんじゃない。もし見るというのなら目を抉り取ってミンチにしてやろう。しかし見れないというのもあまりにも可哀想なので、慈悲として私が解説してやろう。あの子は広瀬香織というんだが、この近くの大学でテニス部に所属していてね。そのスポーティな身体がそそる。特に、あの均整の採れた尻から膝裏にかけてのラインが――」

 男は、ダンッと拳を机に叩きつけた。一瞬の衝撃は、居酒屋の喧騒に飲み込まれて消えた。

「なにを興奮しているんだ、君は。そうか、君は女性経験がないのだったな。興奮してしまったか。はは、そいつは失敬。ああ、けれど君は不能だったか」

 もいちど、男は机をしたたかに叩いた。隣のテーブルの客が何事かと思わず男を見やるが、酔っ払いの戯事とみなして、めいめいのことに専念する。

「いいか、よく聞け。飲兵衛ニート。僕は、別にやつらが自分たちの部屋や人目につかないところ、それこそ……ラブホテルとかでイチャコラしてる分にはなんとも思わない――」

「恥ずかしいんなら、言わなきゃいいのに」

「だが、それを人前で行うということに、怒りを覚えているのだ。そう、これは義憤なのだ。大義の瞋恚なのだ!」

 朗々と、高らかに男は宣言する。再び周囲の客が彼に視線を送るが、彼はそれを気にもとめず、続ける。

「君が燃えているのはわかった。けれど、それでどうするんだい。錦の旗でも振りながら、大声で以て駅のホームで手を繋ぐカップルの間を引き裂いて走るのかい」

「なにもそんなことをする必要はあるまい。僕がその気になって、指ひとつ鳴らせば、彼らの絆は

 女は関心したように、しきりに頷いて、

「そういえば、そうだったな。君は使だもの。おお、こわいこわい」

「なにをいうか。この。お前こそ、何人の人間関係を打毀してきた?」

 男は自嘲気味に笑って、女が頼んだ酒をひったくって、ぐいと胃の腑の底へ流し込んだ。とたんに、喉が焼けるような感覚に襲われ、痛みのあまりに低く唸った。

「それで、君は結局なにが言いたいだね」

 男は机に突っ伏したまま、起き上がる気配がない。が、金魚が空気を求めるように口がパクパク動き出して、

「異性とイチャイチャしているやつらが妬ましい……」

「ならば、君の魔法を使うといい。心底醜い、性格の歪んだ、極悪非道の魔法を」

「それを使ったところで、僕が異性と触れ合える訳ではないだろう……」

「けれど溜飲は下がるだろう。ついさっきまで仲睦まじげに乳繰り合っていた男女が、君がひとつ指を鳴らすだけで、すぐさま破局の結末を迎える。君の卑屈な性格からして、これ以上の喜劇はないと思うがね」

 女は、突っ伏したまま口以外はぴくりとも動かない男の唇に煙草をくわえさせてやると、火を点けてやる。

「僕はそこまで歪んじゃいないぞ。人の不幸を見て愉悦を覚える性質に違いはないけれど」

「同じことじゃないか。なにを謙遜する」

「それに――」

 男は視線を動かして、隣の席で親しげに酒を酌み交わす男女と、その左手薬指に光る指輪を認めて、煙草の煙を肺腑に送り込む。


「これ以上僕たちのような不幸な人間を増やすべきではない」


 それを聞いて女は満足げに、しかし悲しげに微笑んだ。慈しむような、そして相憐れむような、さみしげな表情は、男には見えていない。

「なぜ神は君のような優しい性根の男に、こんな罰を下したのか」

「僕たちのこの体が神罰だとでも?」

「罪には罰を。それが君の尊ぶ神の教えじゃないのかい」

「僕たちが罪人だとでも?」

 男は恨めしげに女を睨めつける。女の表情は、傾けたグラスに隠れて見えない。

「まぁ、ある意味では、私たちは人類の義務を怠った訳であるからね」

 女が酒を飲み干す。そこで、初めて、男には女の顔が見えた。酒の為にか、頬、目元にやや赤みが差している。

「子を産み、育み、次代へ繋げるのが人類の義務? それに逆らったから、罪人? 神の懐はそんなに浅かないさ」

 灰が机の上に落ちる。それを吐息で吐き飛ばす。

「だが、少なくとも私たちは、いまやこんな体だ。こればかりは、どうやったって覆らぬ、どうしようもない事実さ」

 肩をすくめて、女は笑う。

「僕たちは、永遠の若さと不老不死の体を得た」

「そして、私たちは人類を滅ぼしかねない、忌避すべき力を得た」

 ため息が漏れる。それはどちらのため息だったのか。あるいは、両方の。

「神学の徒に身をやつし、齢三十まで童貞を守りきった男」

「童貞と言うな。みすぼらしく聞こえる」

「みすぼらしいのもまた事実だろう。赤ら顔で煙草をくわえる男を、どこの誰が格好よく思うんだい」

 忌々しげに女の言葉を受け取ると、お返しとばかりに、

「数多の女とまぐわい。齢三十まで、ついぞ男と交わることのなかった未通女」

「男なんて、十五の年に見限ったよ。ああ、今でも思い出してしまえる、あの夜の、あの男の汚らしい様!」

「よくそれでその時に無事だったもんだ。男の方は、なんとか手篭めにしようとしなかったものなのか」

「股ぐらのモノを蹴り上げてやったら、情けない悲鳴を上げて逃げてったよ」

 ああ、それは、ご愁傷様。とその男に対して手を合わせる。

「しかしそれが祟ってこの体とは。因果なものだよ」

 女は、吐き出す煙で輪っかを作って見せて、その輪の中に指を通しては抜いて遊んでいる。

 中空で霧散して掻き消えるそれを見て、男は目を細めて、

「三十歳までに女の味を知らねば、魔法使いになる。ただの都市伝説と思いっていたし、魔法使いの体がこんなに不便だとも思わなかった」

「なにせ、私たちは異性の体と触れ合ったとたん、気を失ってしまう上に、君は不能ときたもんだ。それに、短小包茎。救いがないね。あるいは、君のその体は運命だったのかもしれないね」

「後ろの部分は余計だ。それに、仮に僕がそうだったとしても、子供を作れることは医学が証明している」

 男は、苦虫を千匹噛み殺したような憎々しげな、釈然としない表情を顔中に浮かべながら、後ろの壁に寄りかかった。そうして、残り一本となった煙草を、火も点けずにくわえて、

 

「駅のホームでイチャイチャしてるカップルはみんな死ねばいい」




■あとがきというか蛇足というか


 書き進めていく内に、当初の予定とはまったく違ったものが出来上がりました。書き始めでは、彼女ができないと管を巻く大学生が、彼女持ちの友達に諫められて、自分に彼女のできない理由に気付かされる、みたいなことを書こうとしていましたが、あれよあれよと歯車が狂っていきました。なんででしょうかね。


 世の中には、女の子とイチャイチャしてくても、できない体質の人がいるということを理解してあげてください。手をつなぎたくてもつなげない人がいるということを理解してあげてください。書き進める内に、こんな思いを胸に抱きながら、僕はこれを書き上げました。

 

 三十歳までに童貞を捨てないと魔法使いになるぞ!

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