エピローグ
「くっ、殺せ……!」
とある家屋の奥の奥。
日光も入らないように締めきったその部屋で悪態が声を漏らす。この激昂をどのようにして目前の悪意に晴らしてやろうかと、声を散らさずにいられないのである。
「私をここまで辱めるとは……、やはり貴様はオーク! 女騎士を陵辱させるための存在……いっそもう殺してくれ!」
「ソウ嘆いテモ、コレはキミがした行いの結果ダ。私はこの事実を包み隠さズニ民衆に流布する」
「ぐっなんという鬼畜の所業……」
「コチラの準備は終わった。刻限は今日の終わりマデダ。ソレまで、必死に抗うコトだ」
このままでは、二十数年間生きてきた騎士の矜持と尊厳が明日に散らしてされてしまう。
「くっ殺せ……!」
「……貴方たちナニやってるの?」
突然、あらぬ方向から声がした。
振り向くと、声の主であるレミリィの姿が開いたドアの向こうにあった。
「もう夜明けよ。こんな暗い部屋でなにしてるのかしら? 明日の締切に間に合うんでしょうね?」
「ソレがアトもう少しナノダガ、愚痴を零すバカリで、原稿がなかなか進まなくてナ」
「ナイティス、ちゃんとなさいよ? 今は貴方の執筆が頼りなんだから」
「そうはいっても……ぐぐっ、筆を持つと自分で顔が赤くなるのが分かるのだ。なぜ自身の恥辱を自白しなければならないんだ……くっ!」
現在執筆中の原稿は、二ヶ月前にあった女騎士とオークを巡るその
―――くっ……! おしっこじょばじょばぁ☆ ってなんだ! あへぇ☆ ってなんだッ! しかも、口にした張本人に記録させるとか……殺せ!
呪文の意味も今ならすべて理解できる。となりの彼女が一つずつ懇切丁寧に挿絵付きで解説してくれた。できれば知りたくなかった。
「そもそも、だ! 素直な流れに汲むなら、あのとき貴様は『
何度目かの同じ愚痴を口にする。
二ヶ月前に彼女に「手伝ってほしい」と言われ、承諾した。だが、だがしかし! こんな恥辱を受けるとはだれが思っただろう!
「私が原稿を描けなかった間にしたためてきたアイディアや設定がたくさんある。が、どうしても真っ先に描きたかったカラナ。ようやく満足にペンを握ることができたノダ。思い存分に描かせてもらおう。前の手のときではペンの持ち手が先に負けてしまったカラナ」
彼女は自分の手を見つめる。花を摘むことすらできなかった手は、今では軽快にペンを走らせている。
「まったく……貴方たち呑気もいいところね」
頭を抑えながらレミリィはため息を吐く。
「よくて? 貴方たちが今書いているものは最重要と呼んでいい品物。『オークが異世界人だった』なんて考古学だけでなくこの国の歴史を揺れ動かす新事実だっていうのに。……まったく、おかげさまでこちらは大忙しよ」
「……ああ、分かっているさ。そのために今こうして羞恥を殺して頑張っている。……それで、そちらの状況は?」
数週間ほど缶詰め状態だったので、世間に疎くなっている自覚はあった。こういうときに仕入れなければ本格的に浮世から隔離されてしまう。
「そうね。とくに目立ったことは起きてないわ。政治の混乱もある程度落ちついて、今じゃ首尾よく進んでいるわ。あとは切り崩した残党の処理ぐらい。さすが、と称賛したいところだけど……ああ、もう! 今でもあのときの自信たっぷりなヒーライトを思い出すと腹が立つわ! 結局、勝負は引き分けのままだし!」
またヒーライトへの愚痴が始まってしまった。こうなると一時間は聞かされる羽目になる。口調こそ怒りを含んでいるが愚痴という名のその内容は、ヒーライトの偉業を並べてるだけに過ぎないことに最近気が付いた。おそらくレミリィ本人は気付いていないが。
愚痴を話半分に聞き流しながら、二ヶ月前のヒーライトを思い出す。レミリィのいう自信たっぷりなヒーライトを、だ。
『オークが存在しないという証明となるキミの存在は国家を揺るがすことになるだろう。だが、これよりさきのごたごたは私がすべて処理する。大丈夫、どんなことをしてでもキミは私が護る。約束しよう。……ん、なんだナイティス、その顔は。なに、心配するな。私の二つ名を忘れたか?』
そう言って、勝利の女神は不敵に微笑んだのだった。
事実、それから二ヶ月が経ったが、彼女の身が危険に晒されることは一度もない、……のだが。
「まさか本当に次期国王になってしまわれるとは……」
「次期国王どころか、現国王と呼んで差し支えないでしょ、あれ。実質、国家転覆じゃない、あんなの」
今も宮廷の中枢で、【王を選定する剣】を携えながら政治を執り仕切っている。それがさぞかし優美で剛胆たるお見栄であることは想像に難くない。その姿は、王国史上一の
「しかも、腹立たしいことに多くの支持者を獲得しているのよねぇ。憎っいわ、本当!」
「それはこれまでの実績の賜物であろうな」
見立てが正しければ、おそらく、来年には
「ソウイエバ、ダガ。頼んでいた準備はできているノカ?」
「ん? ……ああ、製本のことね。ええ、今日中にでも取りかかれるように製本業の方々を待たせているわ。一日十冊強、一週間で約百冊見込めるわよ」
「いやぁぁぁ、私の恥辱を生産……形にもしないでくれぇぇぇ!」
レミリィに製本技術の伝があったことが運の尽きだった。個人的に人脈を持っていることが意外だったが、考古学における歴史的権威持つ資料をまとめあげているのだから、当たり前といえばその通りだった。
「いい加減諦めなさいな。これで民衆に『討伐対象であるオークが人間であったこと』が知れ渡れば、その事実を隠していた国、前王朝の信用は地に堕ちる。前王朝を支持する残党勢力も鎮静化させられるって寸法なのだから」
「アア。ソレに、私タチが安心して暮らせるようにするニハ、民衆に異世界人が安全ダと印象づけるしかない」
ペンの一撃は剣の一撃よりも深い、とはよく言ったものである。しかし、それゆえにペンは剣よりも残酷であることは嫌というほど承知している。
ちなみに、レミリィがこの製作に携わっているのは国家転覆が目的とか製本業の伝があるからではない。彼女が欲しがっているのはこの本の出版権であり、そのあとに待つ考古学における約束された地位である。彼女のこういう抜け目のなさは呆れを通りこして感心すらする。
「……っ!」
羽根ペンがぴたりっ、と歩みを止める。思わず涙ぐんだ。
―――ああ、この時が来てしまった。はは、見たまえ。私の指先が黒く、絶望に染まっているじゃないか
湿った布で手をぬぐうと絶望の色、もとい黒インクがとれていく。いろいろと終わったのだと思ったら、どっと疲労が押しよせた。
最後に原稿をまとめて、彼女が描いた表紙をその上に乗せる。
「……」
誤植確認があるのでまだ完成ではないが、忌々しいと思っていたものでもこうして形になると素晴らしいものが出来たように見える。あとは、ただ諦観とも感嘆ともつかないため息を漏らすしかなかった。
だって、こんなものでも私たちが生きている証なのだと、言っているようだったから。
剣と青い花が一つずつ刻まれた表紙は、人知れず、朝日とともにその輪郭を浮かびあがらせる。
『
-著:ナイティス
-絵:ハナ
』
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