第12話(前編)
視界は輪郭だけを残し、物体は曖昧な影を落とす。感覚の便りとなる鬱蒼とした森の香りとその葉音がより一層漆黒を濃くした。闇はまた暗く、夜はまだ深みを増す。
その中を私たちは走る。枝葉の合間を縫って擦り傷を作りながら、走り、追手から逃げる。張りつめたその緊張だけが闇の輪郭に色を持たせる。
二人が出会った夜もこんな感じだった。
あのときと違う最たるは、私の手に彼女がいるということだった。
私たち二人は今、盗賊に追われている。レミリィを囮にする作戦だったが、
「こんな雑魚に後れを取るなんて、ああ、屈辱! 屈辱だけど……っ一旦離脱させてもらうわ!」
と捨て台詞を言い残して、彼女は構造石の転移魔法で早々に撤退した。結果、盗賊の次の標的は半ば自動的に私たちに移った。
盗賊の数は十人に満たなかったが、武器も持っていない状況で正面切って戦うにはあまりにも不利だ。かといって逃げつづけるのも得策ではない。相手はこの森を縄張りとしている盗賊であり、当然地の利はあちらに軍配が上がる。さらに、ヤツらは夜目が利く節がある。この夜の帳が落ちた森では圧倒的不利だった。
また、空間を断絶したあの攻撃もある。よもや盗賊全員があの技を使えるわけもないが、敵の手のうちがまだ分からない。不安要素なのは間違いない。
「くっ、せめて明かりがあれば……」
これでも宮廷騎士が一人。剣術武術で盗賊風情に引き劣るはずもない。が、走るたび枝葉に絡まれるこの視界の悪さは悪態の一つも吐きたくなるというもの。いっそのこと後のことを考えず火炎魔法であたりを焼いてしまうか、と迷うほどだ。
「コッチダ」
唐突だったが、節くれだった巨腕は力強く、そして繊細に私の手を引いた。
「マダ日ハ浅イガ、コノ辺リハ私ノ住処ダ。私ニ良イ心当タリガアル…………モウスグ着クゾ!」
彼女の言葉とともに、茂みを抜ける。その瞬間、視界は一面の青白い光により埋めつくされて、思わず目を丸くした。
「なんだ、ここは」
私は三回ほど瞬きをしてもう一度確認する。
しかし、そこにはたしかに大量の光が溢れていた。地面が青白く光っていたのだ。
「これは……花か?」
発光する花の群生があまねく広がっている。追手さえいなければずっと視界に留めておきたくなる幻想空間だ。そして、闇に潜む追手を返り討ちにするには絶好のコンディションだった。
私は一輪だけ花を摘む。発光したままその輝きを維持している。いざというときの予備の明かりとして使えそうだった。それも枯れるころには消えようが、今は少しの時間があれば充分だ。そのまま服のしたに忍ばせる。
「申シ訳ナイガ、私ニモ一輪イタダケルカ? ……コノ手デハ握リ潰シテシマイソウデ、ナ」
彼女は自分の手を見て、忌々しそうに溜め息を吐く。
それを見て、私は相手に聞き取らせないくらいの小声で「花一つに対しても貴様は貴様らしいな」と、笑う。
彼女に渡す花を摘もうとしたとき、後方から気配―――息遣いを感じた。
木の陰に人影がある。数は少ない、というより、一人分の気配しかなかった。
「そこに隠れている者よ、出てこい! 闇に潜むだけでは我には勝てんぞ」
我ながら安っぽい挑発ではあったが、そいつは驚くほど簡単に姿を見せた。それは、あまりに見覚えのある姿だった。そして、こちらの予想を超えていた。
「……追い、ついた。が、待ってくれ。どうか逃げないでくれ」
息は荒く、頬は数滴の汗を濡らし、困憊の色が見て取れる。『勝利の女神』と呼ばれる彼女には似つかわしくない切迫した表情だったが、それはたしかにヒュルン王国騎士団長―――ヒーライトだった。
おそらく、私たちを追っての疲労ではない。百戦の試合稽古を終えて汗一つかくことがなかった彼女だ。憶測だが、それは
「私に貴方達と敵対する意思はない。それに、ここにくるまでに盗賊を半数以上を始末した。だから……だから、私の話を、答えを聞かせてくれ」
証明と言わんばかりに、ヒーライトは手に持っていた盗賊の一味を前へ差しだす。おそらく死んではいないが、気絶して瀕死状態と思われる。
こちらも身構えこそするが、できれば争いたくない。精神汚染を受けておきながらここまで追い、その間に盗賊の半数を始末するような超人など、だれしも相手取りたくないというもの。
しかし、それならば。ここまで追ってきた理由はなんなのか。なにを訊き質したいのか。
それに、彼女の姿はどこか違和感を覚えた。それがなにかはわからなかったが。
こちらが答えようかと思惑するが、その間も彼女は口を動かしつづける。
「確信めいたものはある。だが、確証はない。ないが、自分のなかでピースがハマってしまった。レミが先程言っていた。『あなたはこの世界の住人ではない』と。ならば、これはあなたにしか答えられない。だから、話を。もし、荒唐無稽と笑われるかもしれない。気を違えたかと嘲られるかもしれない。だけど、真剣に聞いてほしい」
なにを言いたいのか、まったく話が見えない。ただ、その必死さだけは伝わってくる。汗を垂らして言葉を紡ぎ、どうにかして私たちが逃げぬよう、繋ぎとめようとしている。
私たちは目配せを交わし、オークの彼女は頷く。どうやら互い同じ結論に至ったようだ。
「……私ニ答エラレル事ナラ、答エヨウ」
ヒーライトはこちらに話を聞く意思があることが判ると、「ありがとう」と一拍の深呼吸して、口を開いた。
「
◆◆◇◆◆
ある日、気が付くと少女は森の中にいた。見知らぬ大人の男女に「なぜこんなところで寝ているんですか」と起こされたのだ。少女はなにも言えなかった。少女にはそれまでの記憶がなかった。ここがどこで、なにをしていたのか、そして自分はだれなのか、そのすべてが分からない。それどころか、言葉さえも分からなかった。彼らがどんな言語を使っているのか分からなかった。しかし、なぜか意味だけは通じた。理解することができた。
とりあえず、と身寄りもなにもない少女は彼らの家に招待された。少女はこのとき十にも満たない年齢だった。
それから一ヶ月。少女は彼らの子供として引きとられた。右も左も分からない私を受け入れてくれた彼らに、少女はせめてできるだけの恩返しをするように努めた。
少女はまず、家事を手伝った。母親を真似て、呪文詠唱で火付けをしてみた。だが、同じ呪文だったはずなのに結果はまったく違った。それは地獄の業火ごとく猛りあがった。屋内ではなく屋外の竃だったことが幸いして、
それが最初に見せた片鱗だった。いや、最初の片鱗にしか過ぎなかった。それからというもの、少女がなにかをするたび、能力や才能が次々と発露していった。剣を振るえば百年に一人の才能といわれ、街を歩けば絶世の美女といわれ、遠征に赴けば軍神と呼ばれた。
「……あとは知っての通り、ヒーライトとしての人生だ。オマエは特別な存在なのだと、アナタは神の子なのだと、そう謳われ育って、出世していった。だが、私にはその実感は全くなかった。むしろ、違和感として私のなかに積もっていった。褒められれば褒められるほど私は自分の人生の意味を考えた」
ヒーライトは己が人生を反芻するように目を瞑る。
「しかし、そんな人生のなかで私は出会った。違和感の正体に近付ける感覚に、出会えた。それが『女騎士のためのオークマニュアル』だった。私はあれに、雷光のような衝撃を覚えた。見覚えのある言葉、見覚えのある形式の本。なぜか手も涙も止まらず、その本を何度も読んだ。懐かしき故郷にいる恋人を思い浮かべるような感情だ。間違いない。私はあれと似たようなものを以前にも読んだことがあるとそう直感した。そして、それは
ヒーライトは縋るようにこちらへ手を伸ばす。
きっと彼女のなかで答えはすでに出ている。1+1がなぜ2になるのかを考えても、目のまえの
「……スマナイガ、貴方ノ求メル答エナド私ハ知ラン」
すぅ……、と
「ダガ―――アア、ソウダ。アチラノ世界ノ物ハ、コチラノ魔力ニ感化シテカ、
問いの答えとしてはあまりにも言葉が足りない。しかし、その答えだけで、ヒーライトは満ち足りたように目を瞑った。
「やはり、そう、か…………やはり、私の能力は私のものじゃなかったか。私はもともと特別でもなんでもなかった。ただ普通に生まれて、普通に生きてきた。それだけだった」
彼女は笑う。自嘲でも顰笑でもない。ただ純粋に、笑った。
「十年以上、まさに積年の月日の間、何十も何百も問い続けた
彼女の口が綻ぶ。天才や勝利の女神でもなく、ただの一人の少女として微笑みを落とす。
「あぁ、ありがとう。私の王子さ――――マ 」
ヒーライトは言葉の終わりとともに倒れる。それまで張りつめていた緊張の糸が切れるように―――いや、違う。倒れる直前、一瞬だが、彼女の背後に
ヒーライトの背後に何者かがいる。
そいつは一目散に飛び出しては、私の前へ一瞬で近寄る。そいつが何者かはすぐに分かった。
盗賊―――おそらくはヒーライトが倒しきれなかったその残党だ。が、そいつは一度だけだが見覚えがあった。先ほど空間を断絶させた、あの不可思議な攻撃をした人物に違いなかった。
だが、唐突で、一瞬すぎて、体が動かない。目の前に、今にも剣が振り下ろされるというときに、体がまったく動かない。剣を振りかざす男に、男の振りかざす剣に―――――目を疑って動けない。
通常、感じることのない瞳孔が開く感覚を、その時、たしかに感じた。
それは彼女が持っているはずだった。盗賊の手にあっていい品物ではなかった。きっと精神汚染魔法で彼女を無力化したときに奪われた。
さきほどヒーライトに感じた違和感の正体が今ごろ分かった。彼女は剣を、一本しか持っていなかったのだ。
すべて理解しているのに頭が拒絶する。
だって、それはあの時、空間が断絶した理由、アカシック・ヴィジョンを切ることができた理由そのものだったから。
振りかざされた剣は私を捉えて―――。
―――。
言葉も音も泡沫のように弾けて消えた。すべてがスローモーションに見える。
だって、剣は、私を切るはずだったその剣撃は、私を庇うように横から飛びだした見間違えることのない巨大な肉体が代わりに引き受けたから。
――。―――ああ、それは最悪の剣と呼ぶほかない。だって、それは。
―――【
「そん、な…いや……いやぁぁあああああああああああああああああああああああ!」
紅い花が、闇夜に舞う。
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