第5話
「我慢スルナ、ト言ッタダロウ」
オークの低い声が私のことを責めたてる。
しかし、それは嗜虐のためものではなく心配から来たものだ。それは私も重々承知の上だった。
「だ、大丈夫だ。見た目こそ酷いが、私が治癒に当たれば二日で治……痛っ」
彼女は私の脛を丁重に触れる。赤色を通り越して紫色に変色して、硬質な物体が露出していた。具足で隠れていたときは気が付かなかったが、思った以上にひどい有様だ。しかし、見た目こそ痛々しかったが、逆に感覚が麻痺していて痛み自体はそれほど感じなかった。しかし、放っておけば壊死することは目に見えている。できるだけはやく治療に当たらなければいけなかった。
「そ、それに先ほど消毒もした! 私の排尿は無意味ではなかったのだ!」
怪我をしたとき、傷口に尿をかけるという対処方法がある。それは尿素からつくられるアンモニアの消毒作用を利用するものだ。尿は一般的に汚いイメージだが、排出されたばかりでのものはほとんど雑菌がいない。
しかし。
「ソモソモ排出サレタ時ノ尿ハ、アンモニアガ入ッテイルノハ少量ダ。消毒作用ハ望メナイ。逆ニ放ッテオクト細菌ガ増エテ、マズイ」
「……博識、なのだな」
「ソノ昔、調ベタノダ」
私は壁に配置してある本棚をちらっと見る。そこには書物がギュッと詰まっていた。金満家の嗜好品であるそれをたくさん所持している彼女だが、小金持ちとは思えない。しかし、その知識は教養のたかい学をうけた私より、はるかに深かったものだった。
「……仕方アルマイ」
彼女は患部に手をかざす。
「ココ???雑菌???取???ゾキ ソ???本来???姿???巻???戻?? 彼女???足???ナ??……」
彼女が聞きなれぬ言語を交えながら口上を述べると、肉厚の手から光があふれる。
「《ヒール》!!」
紫色だったそこは光に触れるごとに、元の肌色に変わっていく。みるみるうちに腫れが引いて発光が収まるころには、血色のいいきれいな足に戻っていた。
驚くこともできない、……ものの数秒の出来事だった。
「ドウダ、異常ハナイカ?」
「あ、ああ、しかと動かせる……」
先ほどはピクリとも動かなかった足が、今ではその首を曲げることができる。
治癒魔法。そんなに珍しいものではない。だが、これは私の知っているものとは大きく違った。
カサブタや傷跡もまったく残っていない、完璧な治癒。そして、目を見張るのはそのスピードだ。怪我の種類にもよるが、通常このくらいの大疵ならば回復に三日はかかる。それをこのオークは喋る隙も与えず完治させてしまったのだ。
───もしこのものが人類に敵意を抱いていたら。
そんな思考が脳裏によぎる。
おもわず、ごくりっと喉鼓を鳴らした。
「ソウカ、チャント動カセルカ。ソレハ、良カッタ」
しかし、想像とは反して、その声には人に対する慈しみさえ感じさせた。彼女は本当に、『人』に憧れているのだ。
「……ありがとう」
私は自分の行いを恥じた。彼女には致せり尽せりな現状だ。それなのに、私はというと無礼にあたいする想像をした。さらには、彼女の願いさえ試しもせず無理と決めつけてしまった。これが誉れ高き騎士のすることなのだろうか。
答えは決まっていた。
「先ほどの話だが、お洒落をしたいのか?」
「……イヤ、モウイイ。最初カラ無理ナ頼ミダッタノダ」
そう言って、彼女は目を背ける。私はその肉厚な手をとって、こちらへ向きあわせる。
「試しもせず諦めるのは良くない。私が騎士の風上にもおけない奴になってしまうであろう?」
それが私の、人類のための使命であると思った。
口を開けた驚きの表情のままで、彼女は深々と頭を下げた。
「……アリガトウ。恩ニキル」
「いや、頭を下げるのは私のほうだ。感謝してもしつくせない。ここまでしてくれてありがとう」
私は彼女よりさらに深く頭を下げる。
「しかし、いきなり弱音を吐くようで悪いが、私は女を捨て騎士道に進んだ人間。おしゃれや流行の知識には疎い。あまり期待はしないでほしい」
「ソレデ構ワナイ」
「ならば、さっそく始めよう」
自分を映す鏡でも見るように、彼女と向きあう。
「そうだな……」
騎士団に入団する以前、私がまだ女であったときの思い出を掘りかえしていく。
……。
『女騎士のためのオークマニ────
「違う、それじゃない!」
その一冊の本を読みはじめる少女を頭のすみに追いやって、どうか大人しくしていてくれ……と懇願する。
だが、そこで一つ思い出す。
騎士団に入る前と後で変わったこと。それまでの「女性」としての私を捨て、「騎士」としての私に生まれ変わるためにやったことがある。
「これは私の実体験なのだが、髪型を変えると印象がだいぶ変わるぞ。今でこそ断髪して髪は短いが、学生時代は女性らしい長い髪を───」
「ソモソモ私ニ髪ハナイノダガ」
───あへぇ
「な、ならアイラインを引いて、マスカラでぱっちりお目目で……」
「眉毛モナイ」
───ひぎぃ
「い、いっそのこと可愛らしい服を……!」
「コノ巨体ト出シャバル腹ノセイデ着レヌノダ」
───んほぉ
「…………私に一体どうしろというのだ」
「……スマナイ」
私はおもわず地に手を付いた。オーク相手に手も足も出ない己の無力さを……そして、頭のすみで『マニュアル』を朗読しはじめる少女の姿に嘆いた。
───くっ、彼女がこんなに申し訳なさそうにしているのに、女騎士になった私の知恵では『オークマニュアル』で「おち〇ぽぉおおおおおおお!!」する以外のことができないというのか……! こんなことをするために私は女騎士になったのではない! 断じて否! 断じて否、なのだ!
───おち〇ぽぉおおおおおおお!!
頭の真ん中で『マニュアル』を朗読する少女の姿に、なぜか涙が出てきた。
───くっ……! 一生の不覚……っ!
あまりの不甲斐なさにお腹がぎゅるるる、と音がした。
二の句が継げない空白の時間に、腹の虫が間を持たせようと頑張ってくれたのだ。決して食事の催促ではない。騎士たるもの、私は臓器の奥まで卑しんでなどいない。卑しいのは過去の自分だけで十分だ。
「……活キノイイ鹿肉ガ有ルノダガ、食ベルカ?」
ぎゅるるる
内蔵がヨダレを垂らす感覚が全身をつつむ。それどころか、臓器のみでなく口まで卑しくしゃぶりつく準備を始めた。
「……すまない。頂けるだろうか」
いつの間にかに外は白んで、窓からきらきらと輝く朝日が差しこんでいた。
「朝、ダナ」
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