第4話

 暗がりの平原に二頭の馬がかける。

 漆黒を走る黒い馬は闇になじみ、その足音だけを残す。それは森と接した面にそって、境界をたしかめるように軌跡を描いていく。

 急に、先頭の馬が足をとめると、後ろの馬もぴたりととまる。


「────ここだな」


 馬の上から涼しげな声を落とす。

 目のまえの森を見る。そこに続く道はなかったが比較的に樹木が開いていた。

「ここに兵を構える。今すぐに呼んでくれ。夜明けまえに隊列を組むぞ」

 うしろの副団長はうなずき、馬の踵をかえす。彼の姿はすぐ闇に呑まれて見えなくなる。

 それを見届けたあと、もう一度、森のほうに向きなおす。


 ───ここにオークがいる。


 こたびの任務は火急ゆえに少数精鋭。五十人も集まればいいほうだろう。

 正面の入口からではあまりに目立つ。それに数が少なすぎる。そんなリスキーなことを部下にさせるわけにはいかない。万全の状態で戦わせるのが彼女の仕事だ。それに、この山には不逞な輩が縄張りにしているという情報も聞き及んだことがあった。


 しかし、気がかりなことが別にある。

 今回の目的はオークの調査視察。そして、捕まったとされる女性騎士の救出だ。

 崖から落ちて足に負傷していたと、報告には上がっている。

 オークと動けない女騎士。閉ざされた森で二人きり。


 ───それだけでこのヒーライトの胸はきゅん、と縮こまった。

 

 そのとき突然、背後から閃光が走る。振りむくと、白い髪の女性が立っていた。

 闇に似せてベールをまとい、頭には先の尖った帽子をしている。

 特徴的な身なり、今の光───それはこの女性が魔術師で、転移魔法を使ったことを示していた。

「貴様は……」

 その者がおもてを上げると、よく見知った赤い目をしていた。


「あら、これはこれは騎士団長のヒーライトさまではありませんか」


 彼女は魔術師レミリィ。

 ヒーライトの学生時代の旧友だった。卒業後は持ち前の知識から魔術の道にすすんで、今はヒュルン王国の魔術工房に引きぬかれたという噂を耳にしたことがある。


「レミではないか、久しぶりだな」


 レミリィは腰まである髪を手櫛で梳いてかきあげる。神族との混血といわれる彼女にとって、持ち前の白い髪は誇りであり、いつも指先をいじるのが癖になっていた。そして、もう一つの誇りの証であるその瞳でヒーライトのことをくまなく凝視する。


「ふーん、貴方もオーク討伐の任を受けたのね」


 彼女は指でくるくると髪を巻きながら、あえて『貴方"も"』と口にした。その真意をヒーライトは汲みとる。


「まさか貴様も……」

「ええ、そうよ? オークを狙っているのは私も同じ」


 オークは討伐対象────それが国の認識だった。その首を獲ったものには名誉とそれと同等の処遇を授けるのは道理というものだ。

 今、オークの情報を得ているのは王宮と騎士団、そして情報網の広い魔術工房の人間くらいだろう。その有志たちが我先にと狩りの準備をしているのだ。


「賭けをしませんこと? もちろん、どちらが先に奴を射止めるか」


 レミリィはそんなことを提案してきた。

 学生時代のレミリィとヒーライトはたがいに競い高めあう仲だった。今のように、どちらの成績が良いかなど、よくさまざまなことで賭けをして楽しんだ。


「なにを賭ける?」

 ヒーライトが問うと、彼女はにぃっと笑った。

「お互いの一番大切なもの、っていうのはどうかしら?」

「一番大切なもの?」

「最後にした勝負の景品……覚えてますわよね?」

「まさか……!」


 胸に手を当てる。

 甲冑のしたに忍ばせた一冊の本。


『女騎士のためのオークマニュアル』


 それは卒業式のとき、学園がヒーライトの功績をたたえ、学内の物品をひとつ寄与してもらうことになった。そのときにレミリィとその権利を賭けて戦い、勝利を収めた。そして、晴れてヒーライトはその本を手に入れることに成功したのである。


「私はあのまま、負けたままのことが気に入りませんの。あの日から貴方を思いださない日はなかったほど」

 レミはそう言って、腰まである髪を悔しそうにギュッと握る。彼女が負けず嫌いなのは昔からだ。


 しかし、ヒーライトには断固たる意志を明示する。

「これは私の一部だ。切っても切り離せん」

 レミリィは髪に触るのをやめて にぃっ、と笑った。

「だからこそ、大切だからこそ、賭けになるのでしょう?」

 彼女は不敵に笑う。


 ヒーライトは肩を竦める。彼女が一度言いだしたら止まらないことを知っていたからだ。

「いいだろう。それで貴様のほうはなにを賭けるつもりだ?」

 賭け事は見合ったもの同士を持っていなければ始まらない。レミリィもそれは重々承知していた。

「絶対に負けないと思っているようね。でも、を見てもそう言えるかしら?」

 彼女は懐からあるものを取り出す。


「私の、この『メイス 』を!」


 その長杖は、拳くらいの太さで、棒状のさきにはぶ厚い笠……という独特なフォルムをしていた。

「まさか、それは……」

 見間違うはずがない。

 思わず、もう一度胸に手をあてる。


『女騎士のためのオークマニュアル』


 その巻末の用語説明欄に記されてあったソレと瓜二つだった。

 オークが股間に隠し持っていると言われる、一本の剣。女性を狂わせるという魔法道具マジックアイテム、───その名は。


「マジカルち×ぽ、だと……?!」


 レミリィはにぃっと笑う。

「さすがは勤勉なヒーライトさま。よくご存知で」

 彼女は自慢するかのように、抱いたソレを髪に埋めさせては頬ずりする。

「これはオークのソレを模して杖に改良された魔法道具マジックアイテムといわれている……ち×ぽ杖マジカルステッキなの」


 ───くっ、なんて太くて大きいんだ、と心のうちで驚嘆する。


 あんなものが人体に入ればひとたまりもない。このヒーライトであっても哭いて屈服しかねない、と思わせたほどだ。

 しかし、幾千の戦場を駆けたヒーライト、これしきのことで怖気ついてはいられない。

「しかも、このメイスに魔力を注ぎますと……」


 ヴィィィィィン ! !


 彼女のステッキは振動音を立てて激しく動きだす。


「バカなっ、さらに動きまであるというのか───?!」


 なんと、目を惹きつけて人を惑わせる踊りか。芸術の域を超えている。なぜか生命の神秘すら感じさせる。神の御前にいるような畏怖の感覚すら覚える。

 ヒーライトはその動きに目を奪われて離すことができない。思わず、ごくりっと喉が音をたてる。


「ふふ、負けを認めるんなら今のうちにどうぞ」

 あの頃とはちがう、と言いたげな自信に満ちた表情をレミリィはつくる。しかし、あの頃とちがうのはヒーライトも同じだ。

 今、彼女には背負うものがある。それは国のめいと騎士団、そして───。

 甲冑の胸部を撫でる。


「その勝負、受けて立とう!」


 ───恋敵ライバルに遅れを取るわけにはいかなかった。


   …


 東の森の境にあたる平原にいくつかの火が灯される。

 手を高く掲げるとそれは、夜明けまえの暗い空間にたくさんの人影を浮かび上がらせる。甲冑の光沢がその輪郭をなぞり、精悍な兵士の表情が見える。


 その数、およそ五十。


 その誰もがまっすぐに森と向きあい、そこには先ほどの混乱の色はまったくない。それは騎士団長───ヒーライトの表情を前にして、不安が消えたからだ。

 彼女は笑みを浮かべていた。

 誰かに微笑んだわけではなく、これからの運命に対しての微笑み。その二つ名を持つ『勝利の女神』の微笑みに、兵士たちは心のなかから『敗北まけ』の二文字がかき消された。むしろ、勝利を確信したものまでいる。

 それだけ、彼女の笑みには不思議な力があった。

 ヒーライトは副団長にランタンを手渡し、ひと呼吸おいて話しはじめる。


「みなの者、よく怖気づかずに集まってくれた」


 その声は決して大きくはなかったが、風鈴の音のように凛として自然と隊列に広がり、聞きのがすものはだれ一人として存在しなかった。


「みなも知っているように今回の相手は強敵だ。数もいまだ不明。未知の力を持っているかもしれん。だが、案ずることはない。そのために私がここにいる! 我は必ず勝利を汝らの手に授け、そして、我と一緒にこの国に持ち帰ろうぞ!

 まもなく、夜明けとともに出陣する────そのときが我らの勝利だ!」

 ヒーライトは拳を突きあげる。

 五十の歓声が、目眩がするほどの大きな、高揚する音楽へと変わる。


(私は絶対に屈しないぞ、……レミ!)


 その音に合わせてヒーライトの頭のなかは、先ほどのマジカルち×ぽダンスが、リズミカル×んぽダンスで、パフォーマンスちん×゚ダンスだった。

『勝利の女神』の口元はが止まらなかった。

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