第3話

 暗い森の奥の奥。

 人知れぬ場所にぽつんと一軒の古びた家が建っている。

 蔦が絡まった外装とは打って変わり、中は思った以上に綺麗だった。

 生活感の跡を残すすこし硬くなった綿麻のベッド。机の上にあるのは薬研に乳鉢……さらには、棚に並ぶさまざまな色を反射させる小瓶や壺、おそらく中身は顔料であろう。それと同じふうに並ぶ無数の本たちは、ここが知恵者の住処であることを表していた。

 ベッドに腰を掛ける私はその物珍しさにまじまじと観察に耽る。

 金持ちの錬金術師か、勤勉な魔術師の研究室と言われればしっくりと来る。よもやここがオークの寝床であるとは到底思えなかった。

 その中でもひときわ異彩を放つ存在がある。


 部屋全体を見渡せるように壁の中央にかかる、姿見である。


 幅は両手を伸ばすほどあり、高さも2メートルを超え天井に付きそうである。その大きさも去ることながら、なんと精巧な鏡面であろうか。それは今の自分、ナイティスの外見を精密に映す。一点の曇りがないほどよく磨かれている。腐食の跡も見当たらないことから、手入れを怠っていないと推察できる。


 じっと見つめると、鏡の中の自分もじっと見つめ返す。

 当たり前のことだ。しかし、鏡に映るナイティスは怪訝そうに眉をしかめた。

 それが、今自分が感じている『視線』の正体でないことを確信したからだ。


 ドアが薄い隙間を作ってその陰から何者かがこちらを覗いている。先ほど私をここまで担いできたオークだと最初は思った。数分前、あの雌のオークはベッドの上に私を寝かせては、何も言わず外に出て行ってしまった。それが帰ってきたと思うのは自然だったが、どうも様子がおかしい。

 違和感を覚える。その違和感の正体は……そう、視線の位置が低いのだ。あのオークの背丈はドアの高さを超えるほどだ。それがどういうことだろうか。取っ手の位置より下にそのぎらつく眼光が存在する。


「何者だ」


 正体不明のそれに声をかける。すると、その視線は影に溶けるようにして、消えた。

 「この家にはオーク以外の何者かがいる……?」と頭の中に疑問符を自分に投げかける。そう思うのも束の間、隅に置いてあった壺が笑うようにカタカタと震えた。


「な、なんだ!」


 手元の剣を持ちなおし、思わず身構える。足は骨折していて立つことはできないが、壺と向きあい神経を尖らせる。


 ドンドンドン!


「ひっ、今度はなんだ!」

 それは執拗にドアを叩く音だった。何度も何度も叩いて次第にその音は大きくなる。


「す、姿を現せ!」


 私が一喝すると、音はぴたりと止まった。

ただし、それは一瞬だけだった。

 今度は何者かの恨み節がガリガリガリ……とドアを引っ掻く音になって嘆く。


『会いたいよぉ会いたいよぉ……』


 私は得もいえぬ恐怖に、なぜか今までの人生を反芻していた。


『女騎士のためのオークマニュアル』


 私の人生にどれだけの比重があるのかは計り知れないが、真っ先にそれが出てきた。その目次のとなりにある前書きに記されていた『恐怖時の対応の仕方』の項目をめくる。恐怖や緊張の時に効くといわれる気付けの呪文があった。

 記憶が曖昧ではあるが、たしかこうだ。



 おち×ぽおち×ぽおち×ぽみ×くんほぉおおおおおしゅごいのぉおおおいくのとまらないのぉおおおおあへぇあへぇばかになるぅあたまばかばかになるぅううううおしっこじょばじょばばー♪



「……覚悟完了、───よし!!」

 呪文の意味はよく分からないが、不思議とこれ以上恐れるものなど何もない気がした。むしろ、身体の余分な水分を排出したような清々しい気分だ。なぜか一仕事終えた解放感すら覚える。さすがは女性騎士の間で聖典と呼ばれるだけはある。

 目の前の大きな鏡には、キメ顔を作る自分の勇姿があった。

 ドアがきぃ……と開く。しかし、こちらは冷静だった。今なら何が来ても賢者のように対処できるだろう。

「私は絶対に屈しない!」


「私ノ家デ喘グノハヤメロ」


 そこから現れたのは、私をここまで運んだあのオークだった。


「あ、え、その……すみませんでした」

「分カレバイイ」


 彼女の腕にはいくらかの草や実を抱えていた。その中の一つか二つほどは見知った植物だった。学院の教本に載っていた……たしか、薬草として効能があるものだ。


「それを持ってくるために出ていたのか」

「ソウダ、水ヤリノ時間ダッタカラ、チョウド良カッタ」


 机にそれらを乗せる。

 そこで彼女はなにかに感づいたように大きな鼻孔をさらに膨らませる。そして、こちらのほうを向いて。


「スマナイ」


 と、頭を深く下げてきた。唐突で一瞬反応できなかった。が、先ほどのポルターガイストのことを言っているのだろう、と察した。


「いや、あのような恐怖体験、このナイティスにかかればどうということはない」

「イヤ、謝ラセテモラウ。本当ニ申シ訳ナイ」


 彼女はこちらに来て私の甲冑に手をかけられる。

 突然のことに私は思わず狼狽する。


「な、なにをする! これは騎士団から承った由緒ある甲冑だ! 勝手に触るな!」

「ナラバ、自分デ脱ゲ」

「や、やはり私を犯すのだな! 雌だといえ節操なしの獣というわけか、くっ……!」

「……ソノママト、イウ訳ニモイクマイ」

「え?」


 私の足元を指さす。

 そこには黄色い水たまりができていた。そして、それは私の太ももから軌跡が作られていて、アンモニア臭を立ち登っている。


「我慢シテイルノナラ今度カラハ、チャント言ッテクレ」


 …。


「わ、私とて騎士の端くれ。このようなことで屈したりはしない!」

「ホラ、早ク脱ゲ」

「……………はい」


 目の前に、顔から火が出ているのではないかと思うほど、際限なく赤くなっていく私の姿が映っていた。


  …。


 粗相を後処理したのち、私に渡されたのは凝った刺繍が施されたお姫様のようなドレスだった。サイズは私よりも少し大きいくらいで調整がきいた。ただ、素材が足りなかったのか、スカートの部分が途中で終わっており足首が露出している。生地は幾重にも覆われているのに天使の羽のように軽い。今なら天に上りそうだ。


「ありがとう、ございます」


 ようやく顔の熱量が収まってきた。


「コノクライ構ワン。サイズガ合ッテ良カッタ」


 彼女はこちらを見ることなく、机に向かいながら答える。彼女は手を動かすたび、ゴリゴリと石同士がすり潰しあう音が部屋の中に響く。


「人トハクモ面白イ生キ物ダ。ソノ服ガ似合ウホド、美シイノニ醜ククテ、汚クテオ洒落デ、可愛ラシイノニ気高イ」


 彼女の手が止まると音もぴたりと止む。

 彼女は振り返り、パルプ紙の包みを手渡される。ほのかに独特の甘い草木の香りがする。薬草を煎じて作ってくれた薬を包みに入れてくれたのだ。

 厚意のまま口に運ぼうとしたが、やめた。


「……オークである貴様がどうして、こんなにも私に優しくしてくれるのだ」


 本人にその意思がなくても我々は敵同士。オークは討伐の対象だ。国が殺せといえば殺さなければいけない。そんな相手から施しを受けるのは気を引けた。これ以上関われば殺しにくくなる。


「特ニ理由ハナイ……ト言ウト嘘ニナル」


 オークの言葉に顔を上げる。彼女は顔を背けるように横を向いている。


「私ハ人道ヲ掲ゲル人間ノヨウニ高貴ナ存在デハナイ。見返リヲ求メル」


 その言葉にすこし安堵した。見返りを求めるなら今までの恩を清算できる。すべてを清算したら、私はこいつを殺すことができる。


「私は国直属の誇り高き騎士だ。恩を貰ったまま返さぬつもりはないし、国の命令に背くわけにもいかない」


 私はまっすぐに彼女を見つめる。


「言ってみろ。貴様の求める見返りを」


 覚悟は決まった。もう実行するほかの選択肢はない。

 オークはぐっと距離を縮めてガシッと私の手を握る。必然的に醜くも愛嬌のある、その顔が近くに寄った。豚の目がどう感情が表すか自分は知らなかったが、潤んだその目は縋るものの目だとがわかった。


「本当カ!」

「ああ」

「人間デアル、オマエニシカ頼メン」

「私に出来ることなら、なんでも言ってみろ」

「デハ―――」


「私ヲ人間ノ少女ノヨウニ、オ洒落デ可愛クサセテクレ!」


 目と鼻が触れるほど近くの豚顔が私の視界を埋める。その目はキラキラと光り輝いてこちらを見ていた。

 私は誇り高き騎士。人生の中で約束を違えたようなことは一度もない。

 呼吸を止め、私はまっすぐ彼女の顔を見て言った。

 

「やっぱり無理。ごめん」


 目と鼻が触れるほど近くの豚顔がさらに醜く歪んで、思わず顔を背けた。

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