第2話

 ────りん、と風鈴の音が聞こえてくるような。

 他の兵士のものと変わらぬはずなのに、彼女が歩くたび、石畳と具足のあいだからは一際小気味良い音が鳴る。騒然としていた者たちも、その姿を見ては総じて態度を引き締める。どんな女性よりも美しく、どんな男性より勇ましい、生まれ持った精悍せいかんな顔つき……その性別すら凌駕りょうがした力強さに怖気づくのである。


 しかし、それは仕方のないことだ。

 なぜなら彼女の名はヒーライト、ここヒュルン王国の騎士団長だからである。

 彼女は、お嬢様学校の出でありながら騎士団に入隊、そして最年少で騎士団長の座まで登りつめた。

 戦歴もその名に恥じない。あまたの遠征に出向いては、決して収穫なしでは帰ってこない。必ず勝利の手口を掴む───『勝利の女神』と崇められている所以ゆえんである。

 彼女こそ生きながらにして伝説を背負う人物なのだ。


を発見したというのは本当であろうな」

「はっ、直属の護衛騎士である複数名が目撃したとのことです」

「そうか、首尾はどうなっている」

「以前変わりなく」

「ふむ。ならば今すぐ発見したという東の森に兵を構えよ」


 副団長に命令するだけして、彼女は急ぎ足で自室にいく。


「絶対に逃がしはしないぞ、オーク!」


 絶滅した伝説の生物。その名はオーク。その昔、暴虐のかぎりを尽くしたと言われる。醜悪なその姿が、地獄より地上に這い上がってきたのだ。

 自室の扉を閉める。そして、内側から鍵がかけてから、まっすぐに部屋の隅にあるモノの前に向かった。

 それは金庫だ。幾多にも厳重な施錠で閉ざされており、一目見ただけで大切なものが入っていると判る。彼女はそれを一つずつ、慣れた手つきで開けていく。

 そして、最後の施錠を解き、金庫の扉を開く。


 中にあったのは、一冊の本。


 多くの手垢がつき古ぼけたその本をぎゅっと抱きしめる。

 彼女が女騎士を目指したのには理由がある。これがその動機だ。


「……やっと成し遂げられるのだな」


 彼女は名家の出身だ。周りからも両親からも、綿に触るように優しく育てられてきた。学園は比較的近くの女学院に通った。今でこそ名門と返り咲いたが、そのときはまだお嬢様学校と揶揄されていた。その図書館で一冊の本に出会った。彼女は学生時代にそれを読んで育った。


『女騎士のためのオークマニュアル』


 肉体的に男性より弱い女性が凶悪なモンスターと戦うための指南書である。

 書物は知を記しておくために貴重なものだった。そして、それは彼女にとって貴重な知識が書かれていた。

 もちろん書かれていたのはオークの生態や習性、はたまた繁殖方法の詳細までだった。

 今まで大事に育てられてきた生娘にとってその衝撃は計り知れないものだった。

 つまり、このマニュアルは騎士団長のお気に入りの『官能エロ本』であった。

 そして、その光景を夢見て彼女は騎士団長に、ここまで来た。


「やっと、私の王子様に出会えるのだな。絶対に、絶対に逃がさないぞ! 待っていろ、将来の旦那様!」


 二十数年……彼女は己の性知識の間違いに気が付かず、それを『恋愛指南書』と呼び続けていた。

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