第6話っス!
『んじゃ、入ってきて』
姉御が呼びかけると、ブースのドアが開く小さな音が聞こえ、次に、
『押忍、失礼するっス! 今日からお世話になっている
元気で大き過ぎる声が耳に飛び込んできた。うわ、元気いいなぁこの人。
『……なるほど。このうっとうしい話し方といい、目に入らないようにデコを出してる髪型といい、体育会系か』
『……
『清恵、清恵。
『そうですか。私にはよくわからない文化ですねっス……ややこしいです』
『やめときな、あんたにゃ向いてないから』
どうやら咏ノ原さんにも苦手なことはあるようで安心する。まぁ、体育会系の咏ノ原さんて想像出来ないけど。肌真っ白だし。
『えーと、尾上紀衣さんだっけ? 歳はいくつ?』
『二十一っス!』
『部活か何かやってたの? 武道系?』
『今はバイトが忙しくて何もやってないっスけど、ずっと空手をやってたっス!』
『へー、空手か。何でそんなバイト頑張ってんの?』
『自分のところ片親なんスけど、この間お母さん倒れちゃって……なんで、今は自分が実家に仕送りしてるんスよ!』
『なるほど、苦学生ってやつね』
『はい! お母さんはいつも自分のワガママを聞いてくれたんで、今度は自分が恩返ししたいっス!』
へー、偉いなぁ。登場の仕方がちょっと派手だったけど、どうやら尾上さんはまともな人のようだ。ちなみに将来は音楽関係の仕事に就きたいのだとか。
『あ、そうだ。あたしたちに何て呼ばれたい? 名前? それとも苗字?』
『そうっスねー……生意気なこと言っていいっス?』
『生意気なこと? 取りあえず言うだけ言ってみ』
『己己己己先輩と咏ノ原先輩にあだ名をつけてもらいたいっス!……なんて』
『あだ名? 別にいいけど、あだ名ねぇ……清恵、何かアイデアある?』
『そうですね、……デコ、なんてどうでしょうか』
『見たことをまんま言ってるだけじゃん。おデコ出してるからデコって乱暴過ぎるだ
ろ。基本あだ名って本名をもじってつけないか?』
『そう言われましても、紀衣であだ名を作るのは難しいのでは? どう頑張っても、名前よりあだ名の方が長くなってしまうような気がします』
『じゃ、尾上の方で考えればいいじゃん』
『……例えば己己己さんならどのようにつけますか?』
『あたし? あたしならそうだなぁ……』
私もデコというあだ名はちょっと酷いなって思うなぁ。きっと、咏ノ原さんのセンスを酷評した姉御なら素晴らしいあだ名をつけてくれることだろう。
『うーん……パチとか?』
『パチ? 一体どこからもじったんです? 尾上にも紀衣にもかかっていないような気がするのですが』
『デコッパチのパチかな!』
『結局、己己己さんも身体的特徴をあげているだけじゃないですか』
『あ、あたしの方が捻りがあるから!』
……うーん。二人とも大して変わらない。でも、デコとパチはちょっと酷いような。尾上さんにちょっと同情する。せっかくまともな人っぽいのに……。
『デコにパチっスか……? いいっスね! めっちゃカッコ可愛いっス!』
『じゃ、決まりだな』
『ですね』
前言撤回。やっぱり尾上さんも変な人だった!
『……あれ? そういえば今日、飲み物は?』
『ないみたいですね。収録が始まってからずっと気になってはいたのですが』
姉御と咏ノ原さんの声に尾上さんが謝る。声(せい)春(しゅん)ラジオは一時間番組。使わない部分もあるが最低でも一時間は喋りっぱなしなので水分補給は欠かせない。
『すみません! 今買いに行ってくるっス!』
『あ、いや大丈夫。マネージャーの青木に行ってもらうから』
『でも……』
『大丈夫ですよ、デコさん。これも青木さんのお給料に含まれているので』
『ダメっス! 今日が初日なんで、お願いっス! 自分にいかせて下さい!』
こっちにまで必死さが伝わってくる尾上さんの声に、咏ノ原さんはやれやれとため息をついた。
『……己己己さん』
『だな。OK。んじゃ、パチ。頼む』
『了解っス! ありがとうございます!』
心底嬉しそうな尾上さん。咏ノ原さんが折れるなんて珍しい。そんなに喉が渇いてたのかな。
『自分、何買ってくればいいっス?』
『うーん……清恵は何か好きな飲み物あるっけ?』
『そうですね……市販の飲み物だとM
咏ノ原さんの答えに、姉御は大きく驚きの声を上げた。
『MA
『そうです』
『あんた、コーヒーはブラックで飲んでなかった?』
確かにブラックコーヒーの方が咏ノ原さんのイメージには合っているような気が。女子高生のイメージには不釣り合いだけど。
『ブラックか
『変なところでバランスとってんな……あんな甘いののどこがいいわけ?』
『甘いところに決まっているじゃないですか。何を言っているんです?』
『かー、お子ちゃまだねぇ清恵は』
『コーヒーを飲めない己己己さんの方がお子ちゃまだと思いますが』
『あんな苦いの飲むくらいならお子ちゃまで結構』
『ですから、M
『いや、そういうことではなく……』
『あ、あの! 己己己己先輩って甘いの嫌いっス?』
二人の流れるような掛け合いに尾上さんが勇気を持って割り込む。
『いんや? あたしは左党だけど砂糖も好きだよ』
『左党……っス?』
『己己己さん、その駄洒落は同じ三十代にも通じるか疑わしいです』
インターネットで検索したところ、左党とはお酒飲みのことらしい。反対に右党は甘党のことだそうだ。姉御はともかく、どうして女子高生の咏ノ原さんが知っているのだろうか……。もしかして姉御の持ちネタ?
―――――――――――――――――――――――――――――――――
『さて、飲み物もきたことだし、メール行こっか?』
『了解です。えーと……ジョンからの手紙さんからのメールです』
『ん? 手紙なの? メールなの?』
『メールです。【ジョンからの手紙】までがペンネームですね』
『変な名前だなぁ』
『そもそもペンネームって変なものが多いと思いますが? 己己己さん、清恵さん、こんばんは』
『あい、こんばんは』
『唐突ですが、モテ期が来ました。それで、お二人に相談が』
『本当に唐突だな。自慢メールかよ』
やれやれとわざとらしいため息が聞こえた。こういう恋愛系のメールであからさまに毒づくのが、姉御に求められるリアクションでもある。
『……モテ期って何です?』
『あれ? 清恵知らない?』
『言葉自体は聞いたことが……意味は知らないです。以前友人に、雨期や乾期の類いだと教わったことがありますが。どうやら違うみたいですし』
『……あんた、本当に友達いたんだ……!』
『本当じゃない友人ってどういう意味です? 妄想の中の友人ですか?』
姉御の言い分は酷いけど共感出来る。咏ノ原さんは一人でも生きていけそうというか。でも、そんな咏ノ原さんと姉御がプライベートで遊ぶ仲だというのも面白い。もしかしたら、咏ノ原さんのある種近寄りがたいキャラは演技なのかな? ……いやまさか。
『モテ期のモテは、モテモテのモテ』
『モテモテのモテ……?』
『そ。要するに、モテ期っつーのはモテる時期ってやつ。人生には三回モテ期があるってよく言うよ?』
『三回です? ということは三回モテ期の終わりがあるということですよね? 普通モテる人はいつでも継続的にモテるものだと思いますが』
『普段からモテてるやつは、もっとモテるんじゃないかな? 知らないけど』
『何だかオカルトですね。己己己さんにもモテ期はあったんですか?』
『……何か失礼な聞き方だな。あたしにもモテ期はちゃんとあったっての』
『いつです?』
『一回目は生まれた直後。大層可愛がられたらしい』
『誰であろうと赤ん坊は可愛いですしね』
『この野郎……』
他意はないんだろうけどトゲがあるなぁ……。
『二回目は小学校のとき。その頃から身長高かったしね』
『何となく己己己さんはガキ大将だったような気がします』
『姉御肌って言ってくんな』
小学生ぐらいのときは女の子の方が強かったりするから、咏ノ原さんの言いたいことはとてもよくわかる。反対に、咏ノ原さんの小学生時代を想像してみるけど……うーん、ガキ大将じゃなかったのは確かだろう。
『清恵はもうモテ期きたの? まぁ、あんたの場合は他人からの好意ってもんに気づかないのかもしんないけど』
告白されたことにも気づかない可能性。鈍感というか、興味がないことは全てシャットアウトしている咏ノ原さんなら大いにあり得る。告白した男の子は可哀想だけど。
『モテ期かどうかはわかりませんが、先週、同級生に告白されました』
『……え!?』
え!?
パソコンの前で、私も姉御と同じリアクションをしてしまう。
いや、咏ノ原さんは疑いようのない美少女だし、芸能人だからモテるのは当たり前なんだけど……まさか咏ノ原さんが告白されたことに気づくなんて。失礼だけど驚かずにはいられない。
それにラジオでこういうこと言って大丈夫なのかな? 放送されているってことは事務所から許可出てるんだろうけど……。
『……人間?』
『当たり前です』
『……罪の告白とか?』
『私は聖職者ではありませんよ?』
確かに咏ノ原さんはシスターさんになれそうなくらいのピュアだ。でも、ピュア過ぎて「神様なんていません」て言っちゃいそうだから、シスターさんには不向きかもしれない。
『……そっか。まぁ、高校生に色恋沙汰はつきものか。それで?』
『それで……?』
『何て言われた? あ、いや、ちょっと待て! シチュエーションは? 呼び出し? 電話? メール?』
『呼び出しですね』
『どうやって呼び出された? ちょ、再現。再現っていうか、詳しく話してみ!』
『そんな大した話ではないと思うのですが……』
いつになく恋愛ネタにのり気な姉御。もしかしたら、これが素の反応なのかな? それともラジオとして面白くしようとしてる?
『そうですね……朝、学校に行ったら下駄箱の中に手紙が入っていて』
『下駄箱に手紙って! 今時の高校生って感じじゃないだるぉう! 何て書いてあった?』
『巻き舌……。用があるから、放課後、体育館裏に来て欲しいと』
『うっわ! コっテコテじゃん! 体育館裏とかあれでしょ? 隠れているようで実は向こう側の道路から丸見えなやつでしょ? 次の日あれだ、学年中に広まってるやつだ! ……それでそれで?』
『何でそんなにノリノリなんですか……? その日は仕事があって、早退する予定だったので、朝のホームルームのあと、その子のところに行き、「こういう手紙が下駄箱に入っていたのですが、放課後は用事があるので今言ってもらえますか?」ってお願いを』
『……え? は? ちょ、ごめん。なに、教室には他に人いないの?』
『いましたよ? ホームルームのあとはすぐに一時間目の授業なので。何か問題でも?』
『何か問題でもじゃねーよ! あんたね、そんな、みんなの前でそんなこと言われたら、今から告白しますって言ってるようなもんじゃん。恥ずかし過ぎんだろ!』
『……? 私に告白するのは恥ずかしいことなんです?』
『いや、そうじゃなくて。そうじゃないけどさ……あーもう! とにかく恋愛っていうのはそういうものなの! それで?』
『お願いをしたところ、空き教室に連れて行かれ、「一年生のときから好きでした」って言われました』
『ふーん……一年生のときからか。それで?』
『以上です。終わりです』
『え? 終わり? 返事は?』
『返事……?』
『そう。返事だよ、返事。あ、大丈夫。この辺の話、全部編集でカットするからさ。それで? お断りしたんでしょ?』
『お断り……? いえ』
『は!? え、じゃ、なに、オッケーしたってこと?』
これまでの話的にも、咏ノ原さんの性格的にも断ると思っていたので私もびっくり。というか余計編集でカットしなきゃダメじゃ……。
なんて心配をしていると、
『いえ』
咏ノ原さんの淡々とした否定の声が聞こえた。あれ?
『ん? どういうこと? オッケーしたわけでもなく、断ったってわけでもなく……あんた、何て言ったの?』
『「そうですか」って言いました。付き合って欲しいと言われたわけではないですし、誰を好きになろうと本人の自由だと思うので』
『いや、あんたねぇ……。それ、付き合って欲しいって言ってるのと同じだと思うよ?』
『そうなんです? ですが、それ以上何も言われませんでしたよ? 何故か引き攣った笑みを浮かべていましたけど』
『脈がないって察したんだろ、それ』
『よくわかりましたね? 今は仕事が大事なので付き合うつもりがないのは事実ですが。ひょっとして、私は顔に出やすいタイプなのでしょうか』
『誰だってわかるわ……』
呆れ果てたように大きな大きなため息をつくと、姉御は空気を変えるように次のメールを読み始めてしまった。
……かわいそうだなぁ。
咏ノ原さんに告白した男の子も、メールを読まれたのに無視されたままのジョンからの手紙さんも。
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