第8話黄金週間の輝き

 私が声春せいしゅんラジオを聞き始めてから約ひと月が経った。時の流れは早い。けれど変わり映えはしない。平日は大学に通い、やっと休日だと思ったらすぐにまた平日が来て。その繰り返しで五月になった。


 私に変化は訪れなかったが、書店のあるコーナーには変化が起きていた。雑誌コーナーの更に一角。アニメ情報雑誌で彼女のことをよく目にするようになった。咏ノ原清恵うたのはらきよえさんのことを。


 現役女子高生というフレーズだけである程度は注目を浴びてしまうものだけれど、一番持て囃されているのは彼女のルックスについてだ。最近は声優さんもドンドン可愛くなっているが、彼女はどうケチをつけようとも業界最上位の顔面偏差値をしていた。咏ノ原さんのグラビアは笑顔一つなく、全てが同じ冷めたような無表情だったが、それがまた何を考えているかわからなくて魅力的だと多くの男性を虜にしていた。


 ひと月で多くのファンを生み出すと同時に、咏ノ原さんは多くのアンチを生み出していた。原因の多くは間違いなく彼女の言動にあった。売り出し中の新人ということで多くラジオにゲスト出演していたが、その度に飾らない素直すぎる物言いで空気を凍らせる始末。そのせいで生意気な糞ガキだとかゆとりだとか毎日のように大手掲示板で叩かれていた。



『清恵、清恵』


『何です?』


『あんた、最近ネットで叩かれてるんだって?』


『そうなんですか? 知りませんでした』


『ショック?』


 ニヤニヤとした声色で姉御が尋ねる。が、咏ノ原さんはいつも通り抑揚のない声で答えた。


『いえ、全く』


『なぁんでだよ!? ちょっとは凹めよ!』


『そう言われましても』


『あんだよ、珍しく清恵の落ち込んでる姿が見れると思ったのにさー』


『こういうときって落ち込んだ方がいいんですね。わかりました』


『いや、わかるなよ。ほんとはこんなもん気にしない方がいいんだ』


『そういうものなんです?』


『ああ。好き勝手言わせときゃあいいんだよ、あたしらだって好き勝手にしゃべってんだし。だいたい、みんながみんな叩いてるわけじゃないしね。もしかしたら全部一人の仕業かもしんないし』


『なるほど。声優界一熱心なアンチがいると評判な己己己きなこさんが仰ると説得力があります』


『全然嬉しくないけどな、その評判』


 姉御も咏ノ原さんに負けず劣らずアンチが多い。ルックスがよく、歯に衣着せないしゃべりをするという点では咏ノ原さんと同じだが、姉御が叩かれている理由は自分のことを面白いと勘違いしてそうだからだそうだ。私たちファンは姉御が面白い人だと思っているので、多分アンチとわかり合える日はこないだろう。


『さて、メール読むか。清恵、これ読んで』


『わかりました……またこの人ですか。先週も確か読みましたよね』


『あー、そうだっけ? この子、色んな番組に送ってくれるからわかんなくなっちゃうんだよね』


『己己己さんの大ファンなんですね。わからなくなると言えば、意識してないとついつい同じ人のメールを選んでしまうことってありません?』


『あるね』


『あれはどうしてなんでしょうか?』


『うーん……あたしたちの好みがわかってくるからじゃないかな』


『私たちのですか?』


『そ。はがき職人て奴らはさ、あたしたちが好きそうな内容にドンドン寄せてくるのさ』


『言われてみるとそうかもしれません。でも、気をつけないと特定の人ばかり読むことになってしまいますね』


『そこ。大事なのはそこ。同じ人ばっか読まれたら、読まれなかった人は面白くないだろうしね。かといって有能なはがき職人が番組を面白くしてくれるのも事実。ようするにバランスが大事ってこったね』


『なるほど、流石は己己己さんです。それではメールを読ませていただきます……こちらは神奈川県のサイレンスシズカさんから。ありがとうございます』


『ありがとうございます』


 お、私のメールが読まれている。やったね。


『姉御、咏ノ原さん、こんばんは』


『こんばんは』『はい、こんばんは』


『毎週楽しく拝聴させていただいております』


『ありがとねー、こんなしょうもない番組』


『先日、現在放送中のアニメ[魔法探偵ワッフル☆スコーン]を見ていたところ、スタッフロールに咏ノ原さんの名前を見つけました。これが咏ノ原さんのデビュー作かぁと思うと同時に、ある衝撃を受けました。何故なら、咏ノ原さんの役は主人公のライバルであるグラマラスな女狐怪盗、音盗りのグレイスという非常に出番が多いキャラクターで、普段ラジオで聞いている声とは似ても似つかないセクシーな大人の声をしていたので、名前を見るまで全く気がつきませんでした。実力に自信があるというのは本当だったんですね。可愛い後輩のデビュー作を姉御は見たのでしょうか? と、いうメールです。ありがとうございます』


『……ふーん、もうデビュー作放送されてんだ?』


『そうですね。今、二……三話くらいです』


『ほー。何なの、魔法探偵って? 魔法が使える探偵の話?』


『いえ、探偵は人間なので魔法は使えません。そうではなく魔女や魔物が魔法を使って犯した犯罪の謎をワッフルとスコーンの二人が解いていくという話です』


『え、何、ワッフルとスコーンなのに人間なの?』


『人間です。探偵なので偽名を使っているという設定ですね。男の子がワッフルで女の子がスコーンです』


『何でワッフルとスコーンなの? 偽名』


『ワッフルがワッフルみたいな性格で、スコーンがスコーンみたいな性格だからだって聞いてます』


『どんな性格だよ……それで? あんたの役はどんな役なの?』


『グレイスっていう女性の姿をした狐ですね。ワッフルとスコーンの二人と敵対する犯罪組織に所属しているのですが、あるときは二人に手を貸したり、あるときは欺いたりと謎の多いキャラクターになっています』


『グラマラスな大人の女性なんだ?』


『そうですね。二人の前に現れてはスコーンを誘惑しています』


『あれ? スコーンは女なんじゃないの?』


『グレイスは男女を問わず可愛いものが好きなんです。まぁ、グレイスが登場するとスコーンはいつも不機嫌になるんですけどね。ワッフルの鼻の下が伸びるので』


『あ、スコーンはワッフルのことが好きなんだ?』


『それは……どうでしょうかね。最後まで見ていただければその辺りはわかると思います』


『なるほどねー……』


『あの、己己己さんは見ていますかという質問のメールなのですが』


『あー、そうだったそうだった。えー、まぁ、話の流れでわかると思うんだけど……』


 そこまで言うと姉御は焦らすように間を取り『見てません!』と言い放った。


『何であたしが清恵の出てるアニメを見ないといけないのさー』


『見ていないんです?』


『あったり前じゃん! だいたいあたし出てないし、そのアニメ』


『でも、さっき本番前に鼻歌で主題歌を歌っていましたよね?』


 咏ノ原さんの言葉で姉御は言葉を失った。


『……歌ってた?』


『はい。歌っていました』


『…べ、別にあれだから! 歌がいいなぁって思ってるだけでアニメは見てないから!』


『そうなんです?』


『そ、そうだよ! あの子、いいよ。名前聞いたことないから新人さんなのかもしれないけど。歌うまいし、いい声してると思う』


『そうですか、ありがとうございます』


『は?』


 唐突なお礼に姉御は疑問符を口にする。


『ありがとうってどういうこと?』


『声優とは別名義ですけど、私のデビュー曲なんです』


『え……』


『まさか声優の中で一番歌が上手いと目されている己己己さんに褒めていただけるとは光栄です』


『あ、あの』


『それも本編を見ていないのに好きになってもらえるだなんて。感無量ですね』


『……あ、あははははは』


 誤魔化すように姉御は苦笑いを浮かべる。


 珍しく嬉しそうにしみじみと話す咏ノ原さんは気づいてなさそうだけど、間違いなく姉御はアニメも見てるね。本当に姉御は素直じゃない。


『そういや世間はゴールデンウィークか』


『今年は日付の並びが良いらしく超大型連休なんて言われていますね』


『あたしら声優にゃ関係ないけどね。カレンダーなんてあってないようなもんよ』


『私の場合、普段は学校にも行かないといけないので、ゴールデンウィーク中に沢山録り溜めする予定です』


『休み全部埋まってるの?』


『そうですね、今のところ』


『若いんだから遊びたいだろうに。ご愁傷様。じゃあさ、休みがあったらどうする?』


『休みがあったら、ですか? そうですね……ボイストレーニングに行くと思います』


『真面目か! いや、確かに大事だよ? ボイトレは。喉の調子とか全然違うし。でも、そういうんじゃないんだよねぇ』


『どういうことです?』


『もっとさ、千葉にある人気テーマパークに行きたいとか、そういうのないの?』


『千葉のテーマパークはあまり好きじゃないです。並ぶのが好きではないので』


『わかる。でも、待つ時間も待つ時間で楽しいよ? 友達とくっちゃべったりしてさ』


『そうですか? 私はアトラクションに乗る時間よりも並ぶ時間の方が長いなんて、損をした気分になってしまいます』


『じゃあ、温泉とかは?』


『いいですね、素敵だと思います。ですが、私はまだ高校生なので、一人で行くとなると両親を心配させてしまうのでダメですね』


『あー、そっか。あたしたちって休みにも仕事が急に入るから、友達とかと予定立てて行くのは難しいしね』


『ですね。まぁ、仕事がある内が華と言えますが』


 他の声優さんの話で、休みが続くと不安になるとも聞いたことがあった。流行廃りの激しい業界なので、スケジュールが空きすぎると逆に精神が疲れてしまうそうだ。


『……あ、休みがあったら行きたい場所見つけました』


『お、どこどこ? 言ってみ?』


『己己己さんの家に遊びに行きたいです』


『うち? 何でさ?』


『己己己さんがどんなところに住んでいるのか興味があるので』


『なるほど、あたしと遊びたいんじゃなくて、あたしの家が気になるのね』


『はい、そうです』


『そう言われるとちょっとイラッとするな……別に普通のマンションだよ?』


『普通のマンションでも構いません。家具や空気など、己己己さんがどんな環境で生活しているかに興味があるので』


『何その野生動物の生態を観察するみたいな言い方……あんま人をうちに呼びたくないんだよねぇ』


『大丈夫です。私は粗相をするタイプではないですので』


『いや、まぁ、おかしなことを言うわりに行動がすごく礼儀正しいってのはあたしも知ってるけどさ』


『お互いの家に遊びに行くというのはどうです? それならおあいこですし』


『あんたどこに住んでるだっけ?』


『神奈川県相模原市南区3の、』


 包み隠すことなく住所と思わしきものをスラスラと述べ始めると、姉御はワーワーと声を出して咏ノ原さんの言葉をかき消した。


『あんたばかなの!?』


『大丈夫ですよ、編集してカットすればいいんですから』


『ばーか。ここのスタッフはアホばっかだから、そっちの方が面白いからってカット無しで流すからね? ほんと』


『じゃあ炎上商法ってことでいいんじゃないですか?』


『だからそう言うの自分で言っちゃダメだって言ってんじゃん! てか、清恵って実家でしょ?』


『はい。そうですが?』


『ヤだよー。おかしいでしょ? 一回り歳が下の子の実家に遊びに行くとか。絶対あんたのお母さんに怪しい目で見られるわ』


『大丈夫です。母には己己己さんのことを色々話していますから』


『うわ、面倒くさいことになってる……あんたのお母さん、あたしのこと何て言ってんの?』


『そうですね……同世代ということで話が合いそうだと言ってました』


『あ……そっか。あんたのお母さん、あたしとタメだっけ? 尚更顔合わせたくないわ』


『あと、己己己さんがよろしければ良い男性を紹介しましょうかと言ってました』


『悪いけど余計なお世話だから』


『まだ間に合いますとも言ってましたね』


『人を賞味期限間近みたいに言うのは止めろ!?』


『というわけで、今度休みが出来たら我が家に遊びにいらっしゃって下さい』


『絶対行かないからな!』


 咏ノ原さんのお母さんてどんな人なんだろうか。咏ノ原さんみたいに素直すぎるのかな? すごいトゲトゲしい会話をしてそうな家庭である。

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