第28話 カズくんのお友達

 カズくんは7歳。私のうちで一緒に暮らしているけど、私の弟ではありません。

 カズくんは、私のお姉ちゃんの子供です。つまり私にとっては甥っ子。お父さんとお母さんにとっては孫だけど、二人はカズくんに冷たい態度を取ります。

 私の歳の離れたお姉ちゃんは、私がまだ小さかった頃に結婚して家を出て行きました。お父さんとお母さんに反対された末の、いわゆる駆け落ちでした。

 それっきり連絡が取れなくなっていたお姉ちゃんが亡くなったのは二ヶ月前のこと。警察からうちに電話がかかってきました。車同士の交通事故で、お姉ちゃんと、その旦那さんは即死だったそうです。その時友達の家に遊びに行っていたカズくんは、お父さんとお母さんを一度に失って、独りぼっちになってしまいました。そうして私のうちにやって来ました。

 お父さんとお母さんは、今でもお姉ちゃんのことを許していません。だから、その子供であるカズくんにも冷たいのです。

 それに比べて私は、お姉ちゃんのことをちっとも嫌っていません。お父さんとお母さんがお姉ちゃんのことを許さない気持ちもよく分かりません。だから私一人だけでもカズくんの家族になろうと、積極的に話しかけたり一緒に遊んだりしています。

 そのおかげで、いつもうちで居心地悪そうにしているカズくんも、私には笑顔を見せてくれます。



 ある日、カズくんが私に話しかけてきました。

「ねえ、おねえちゃん」カズくんは私のことをお姉ちゃんと呼びます。「ないしょのはなししてあげよっか」

「なになに、内緒の話? 聞かせて?」

「だれにも言っちゃだめだよ」

「うん」

 私が屈むと、カズくんは背伸びして私の耳元に口を近付けます。

「このうちにね、ぼくのお友だちがいるんだ」

 私は首を傾げました。私のうちには私とお父さんとお母さんと、あとはカズくんしかいません。ペットも飼っていません。

「お友達?」

「うん。あのね、ぼくにしか見えないんだよ」

 私はドキッとしました。

 心配していることがあります。家族を失って、引き取られた家でも冷たい態度を受けて、カズくんが心に深い傷を負っているのではないかと。

 妄想癖とか空想癖とか、そういう症状だったらどうしよう。そんなことを考えながら、私は頑張って笑顔を作ります。こんな時こそ笑顔で接した方がいいと思ったからです。

「私にも見えないの?」

「うん、だっておねえちゃん、ぜんぜん気がついてないもん」

「今もいるの?」

「うーん、今はいない。あのね、たまにすうってかべから出てくるんだ。それでぼくとあそんでくれるんだよ」

「男の子なの?」

「わかんない」

 分からない、というのはどういうことなのか、私の方が分からなくなります。私はてっきり、カズくんと同い年くらいの男の子が見えているんだと思っていました。どうやら違うみたいです。

「お友達ってどんな格好してるの?」

「えーっとね、おしえてあげる」

 そう言ってカズくんは自分の部屋へ走って行ったので、私は後に続きました。

 カズくんは昔のお姉ちゃんの部屋を使っています。お姉ちゃんが出て行った時のままなのでカズくんには似合わない家具や小物に溢れた部屋の中で、カズくんは机の引き出しから一冊のノートを取り出しました。

「ほら、このまえ書いたんだよ」

 カズくんが見せてくれたページに、私はさすがに笑顔を忘れました。

 そこに書かれていたのは一つ目の化け物でした。カズくんに失礼かもしれませんが、化け物としか言えないのです。

 丸い頭の真ん中には同じくまるまるとした大きな目が、顔の半分以上を占めています。その下には顔の端っこまで裂けた大きな口。頭も体も茶色で書かれていて髪の毛も服もありません。体は細くて、手足はもっと細くてやたら細長く、手足の先は指のつもりなのか、いくつかに裂けて分かれています。

 いくら小学一年生の書いた絵とはいえ、とても人間には見えません。

 本当に化け物の絵なのではないかと思えてしまいます。

「カズくん、この子、目はひとつなの?」

「うん、そうだよ。それでね、口がこーんな、大きいんだよ」

「おばけみたいで怖くない?」

 思わず聞いてしまいましたが、カズくんは全然、と平気な顔で首を横に振りました。

「わるいことなんかしないよ。それにね、ぼくがきらいなものこっそりたべてくれたりするんだ。ないしょだよ」

 カズくんは無邪気に笑っています。少なくとも私の前では元気そうに見えるのに、カズくんにはこんな化け物が見えているのでしょうか。そう考えるととても悲しくなりました。



 そんなやり取りから、どれくらい経った頃だったでしょうか。

 夏の始まり、少し蒸し暑い夜でした。夜中に喉が乾いて目を覚ました私は、一人で廊下へ出ました。

 その途端、はっきりとにおいがしました。その時は何のにおいか分からず、ただ、気持ち悪いにおいだと思いました。どこからにおっているんだろうと、廊下の電気をつけます。

 明るくなった瞬間ににおいの正体は分かりました。私はそれが、濃い血のにおいだということを知らなかったのです。

 お父さんとお母さんの部屋のドアが開いていました。その前に、大量の真っ赤な血が飛び散っていました。

 あまりのことに身動きがとれなくなってしまった私が見ている前で、部屋の中から、それは姿を現しました。

 まず、焦げ茶色いの細い細い腕が。それから大きな頭が。血で染まった大きな口にはお父さんがくわえられていました。血まみれで、体のあちこちを変な方向に曲げたお父さんが、足を床に引きずらせていました。その後に、もう片方の腕に抱えられたお母さんの姿が見えました。体が半分くらいに小さくなっています。

 大きな丸い目がこちらを見ました。そして、お父さんを吐き出して、にやっと笑いました。確かに笑ったのです。


 私は、気を失っていたのでしょうか。気が付いたら廊下の床に座り込んでいました。

 あの化け物の姿は消えてなくなっています。だけど、あれは夢ではありません。大量の血も動かなくなったお父さんもお母さんも、そこに残されているからです。

「おねえちゃん、だいじょうぶ?」

 私の隣にはカズくんがいました。心配そうに私のことを見ています。

「カズくん、あの、あの化け物が」

「ばけものじゃないよ、ぼくのおともだちだよ」

「友達なんかじゃないよ!」

 思わず叫んでいました。あの化け物が、お父さんとお母さんを殺したんです。あんな化け物、友達なんて呼んでいいわけがありません。

 だけどカズくんは言い返します。

「おともだちだもん、だって、ぼくのきらいなものたべてくれるんだから」

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