第27話 恐怖:呪いの日本刀

「違うんです。私、そんなつもりはなかったんです。

 あの刀のせいです。あれのせいで、私は、私は……」

 美由紀は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らす。

「私はあんな恐ろしいこと、したくなかったのに……!」



  ***



 夫が大きな荷物を持ち帰って来たのは、二ヶ月前のことだった。

 美由紀は夫と二人で暮らしている。結婚から五年、子供はまだいない。夫は給料こそサラリーマンの平均を遥かに上回るエリートだが、その分だろうか、帰りが遅くなることが多い。二ヶ月前のその日も、帰宅したのは日付が変わろうかという頃だった。

 ただいま、と玄関を開けた夫が手にしている、やけに細長い包み。

「おかえりなさい。それなあに?」

「ああ、ちょっとな。今見せてやるよ」

 リビングへ入り、夫は包みを開いた。中にはやはり細長い木箱が入っており、彼はその蓋を持ち上げる。中に入っていたものに美由紀は思わず声を上げた。

 それは、一振りの日本刀だった。

「えっ、本物?」

「ああ。模造刀なんかじゃないぞ。正真正銘の日本刀だ」

 そう言って彼は少しだけ刀を鞘から引き抜く。覗いて見えた刀身の鋭さに体が強張る。それは確かに、凶器の持つ煌めきであった。

「どうしたの、こんなの……」

「人から貰ったんだよ。これがまた面白い刀でな。何でも、呪いの刀らしいんだよ」

「呪い?」

「戦国時代だったかな。知る人ぞ知る刀匠の作なんだが、その人がどうも悲惨な人生送ったらしくて、最後は恨み言を書き連ねて自殺したらしい。それで、死ぬ前の最後に作ったのがこの刀で、刀匠の怨念が呪いとなって持ち主を襲うとか……」

「やだ、やめてよ」

 美由紀は幽霊の類を信じるタイプではない。しかし実際に曰くつきの現品を目の前にして何も思わないでいられるほど感性が鈍いわけではない。

「まあ、ただの迷信だよ。たまたま持ち主に不幸が重なったってだけだって。ただの調度品だと思ってくれよ。ほら、この辺に飾ってさ。なかなか良くないか?」

 日中に美由紀が隅々まで磨き上げているリビングの一角に物騒な調度品が置かれる。正直に言えばあまり見目良いとは思えなかったが、普段家の内装についてはほとんど美由紀が自分の好きなように整えている。たまには夫の好みを取り入れるのも必要だろう。不服を表に出さないよう彼女は頷いた。


 それから、彼女の生活の中に日本刀が存在するようになった。

 はじめは不気味に感じていた美由紀だが、数日もすれば慣れてしまった。振り回せば確かに凶器だが、眺める分にはただの美術品である。

 専業主婦で一日の大半を家の中で過ごす美由紀にとって、夫よりも、もちろんほかの誰よりも、刀と共に過ごす時間の方が長かっただ。次第に愛着も湧いてくる。

 一通りの家事を終えて退屈を持て余す昼下がりに、ソファにもたれて日本刀を眺めていると、不思議と普段は考えない色々なことを考えるようになる。

 今日も退屈だわ。どこかに出かけたいけど、一人じゃ嫌だし、一緒に出かけるような友達もいないし。

 仕事でもしようかな。でも今までアルバイトもしたことないのに。とても無理だわ。ああ、私には何にもできない。

 どうしてこんな風になったのかな。学生の頃はもっと毎日楽しかったはず。

 結婚してからだわ。

 あの人と結婚できて幸せ。幸せだと思ってるけど。思っていたけど。それは本当なのかしら。だってこんなに色んな気持ちを持て余してるのに。

 それにあの人だって私との生活に満足していないんじゃ? 妻として特別優れたところもないし、子供だってまだできないし。本当は私に不満があるんじゃないかしら。そうだわ。きっとそう。だから夜もなかなか帰って来ない。仕事じゃなくてほかに女を作ってる。いつまでも子供のできないのを私のせいにしてほかの女と遊んで憂さを晴らしてるんだ。私を馬鹿にしてる。夫の稼ぎがなきゃ生きていけない女を馬鹿にして見下してる。ふざけないで。私がこんなに退屈な女になったのは私に何もさせないあの男のせいじゃない。ふざけないで。ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるなころしてやるころしてやるころしてやるころすころすころすころすころすころすころすろすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす

 毎日毎日同じことを考えた。刀を抜き、輝く刀身を見つめて一心に唱えた。

 ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす……


 そうして二ヶ月の後。

 血の惨劇は起きた。



  ***



 泣きながら美由紀は語る。

「あんな恐ろしいこと、考えたことなかったんです。あの人を心から愛していたし、毎日の暮らしに不満なんかなかった。

 あの刀のせいです。あの刀の呪いが私をおかしくした。そのせいなんです、私の意志じゃない……」

「……なるほど」

 白衣の医師は神妙な顔で頷く。

「実はですね、奥さん。旦那さんにあの刀を渡したのは我々なんです。本人には本当の理由を伏せていましたが、ある実験のためです」

「え?」

「『呪いは実在するのか』という実験です。つい最近職人に作らせた刀に嘘の話を添えて呪いの刀として渡しました。

 いやあ、実に面白い結果が見られました。

 奥さん、あなた、いったい何に呪われてあんなことしたんでしょうね? もう一度お話してもらえますか?」

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