第18話 国崎

 小学校の時、同じクラスに国崎という女子がいた。

 至って大人しい、本当なら目立つことなど滅多にないような女子だったのだが、生まれつき喉が弱いだか何だかで、ほとんど一年中マスクをつけて過ごしていた。それも俺達が普段給食の配膳の時などに使う安っぽいマスクではなく、もっと大きくてごついものだ。

 その時俺達は五年生だった。小学校ならどこでもよくあることだろうが、どこからともなく伝わって来た「口裂け女」の都市伝説が俺達のクラスでも流行した。

 彼女が内気な性格だったことと、「くにさき」という、どことなく「くちさけ」と似た響きの名前であることが災いした。

 彼女の何が悪かったわけでもない。ただ運が悪かった。――そう結論付けるのは、罪を逃れたい意識のせいだろうか。

 俺達は、彼女を「口裂け」と呼んで囃し立てた。そのマスクの下は口が裂けているんだろう、と。国崎に対して「私キレイ?」と問いかけてみる行為も流行った。 

 本当にそう思っていた人間など一人もいない。年中マスクをつけているとはいえ、人前で全く外さないというわけでもなかったのだ。ごく普通の口、別段可愛くはないがごく普通の顔がマスクの下にあることを俺達はみんな知っていた。知っていたからこそそんなあだ名が付けられるのだ。

 そうやってクラスの大部分が国崎をからかっていたが、俺達男子が飽きるのは早かった。都市伝説の流行はあっという間に過ぎ去り、次の流行へと流れている。 

 しかし女子は違った。国崎を相変わらず「口裂け」と呼び、気味の悪い化け物か何かのように遠巻きにしては嘲笑っていた。

 女子の中心になっていたのが相田だ。

 相田は、国崎のちょうど真逆の存在だったと言えるだろう。クラスの女子で一番顔が良く、クラスの女子で一番頭が切れ、口が達者で、女子グループの頂点に立つボス的存在だった。

 相田は行事を引っ張るクラスのリーダーとしては申し分ないが、決して性格が良いとは言えなかった。

 優秀な子供なりの鬱憤もあったのだろう。それを晴らすためのサンドバッグにされたのが国崎だったのだ。

 からかいは――それをただのからかいだと思っていたのは当時のことで、正しくはいじめ以外のなにものでもなかった――陰湿ないじめは、六年生に進級してからも続いた。

 女子からは迫害され、男子からは見て見ぬふりをされて。国崎はその心に何を抱えていたのだろうか。



 夏休み間際の蒸し暑い日だった。

 昼休みを友達と一緒にグラウンドで過ごし、授業の時間が近付いて少し早めに教室へ戻って来た、ちょうどその時だった。

 凄まじい悲鳴が聞こえた。

 小学校の昼休みなんて、甲高い叫び声があちこちから聞こえてくるのが常だ。しかし遊びの中のそれとはまるで質が違うとすぐに理解できる、そんな悲鳴。

 周囲の生徒たちは一様にざわめき、こっちから聞こえた気がする、と俺は廊下を駆け出した。

 どうしてその時、俺が先陣を切ったのだろうか。

 偶然だ。ほかの子供たちより勘が良かったとか、ほかの子供たちより勇気があったとか、そんなことはまったくない。偶然、たまたま、俺は真っ先にその場所へたどり着いてしまった。


 普段あまり使わないものが雑然と詰め込まれている校舎端の一室。

 俺はそのドアを開けた。

 床に、相田が横たわっていた。

 仰向けで。顔中を真っ赤な血に染めて。とめどなく血の流れ出る口は、大きく、大きく、開いて。

 背後でつんざくような悲鳴が上がった。

 俺は声を上げることもできない。ただ吸い寄せられるように相田を凝視して、それから、その隣に佇む、国崎を見る。

 国崎はとても落ち着いて見えた。下ろした両手は肘まで血を浴びて、右手には小学生の手には余る大きさのカッターを携えていた。カッターの先から、ぽたぽたと、赤い滴が落ちる。

 国崎は真っ赤な左手で顔のマスクを下ろした。そしてこちらを振り返る。

 背後に悲鳴、鳴き声、阿鼻叫喚のパニックを感じながら、静と動の境目のような位置に立つ俺は、国崎の視線を一身に浴びる。

 見たことがないほど生気に満ちたその両目。


「私、口裂け女じゃないよ」


 小さな口の両端が吊り上がる。国崎は笑っていた。


「だってほら、相田さんより、私の方がキレイでしょ?」

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