第4話 人魚姫
「ホシの様子はどうだ」
「相変わらずですよ。まともなことは喋りません」
「精神鑑定コースかね、こりゃ」
「苦し紛れの芝居、ってことは……ないですかね、あの様子じゃ」
「どうだろうな。ああ、畜生、ヤツが殺ったことには間違いねぇってのに」
「面倒ですねぇ」
***
いつかの時代のどこかの場所の、深い深い海の底。人知の及ばない領域に、人魚たちの国がありました。
ある夜のこと。好奇心に駆られて海岸近くまで冒険へと出かけた人魚の少女が、溺れている人間の青年を見つけました。
人魚の国には、人間とは交わってはならないという掟があります。けれど少女は青年を助け、気を失った彼を岸まで連れて行ってあげました。
彼が目を覚ます前に大急ぎで海へと帰った少女でしたが。その日以来、彼女の心に青年の花のかんばせが焼き付いて離れません。
彼女は、人間に恋をしてしまったのです。
どうしても青年の傍へ行きたくて、少女は魔法使いに人間の足が欲しいとお願いしました。
最初は陸行きを反対していた魔法使いですが、ついに少女の熱意に負け、尾びれを人間の足へと変える薬を作ってくれました。
魔法使いは薬を渡しながら少女に告げます。
『この薬の効果は永遠ではない。次の満月までに意中の相手と両思いにならなければ、魔法の力は消え、強い魔法の代償に君の体は泡と消えてしまう』
それは恐ろしい警告でしたが、少女は気にも留めません。
彼女の胸は既に、青年との輝かしい未来でいっぱいだったのです。
そうして人魚の少女は姿を変え、人間の世界へと文字通り歩み出しました。
しかし青年には既に恋人がいました。
現実は物語のように甘くありません。少女が劇的な出会いを経てどれだけ熱い想いを寄せていようと、青年にしてみれば会ったこともない見知らぬ相手なのですから、そもそも温度差があって当然なのです。
溺れていたところを助けたのは自分だ、と名乗り出ることができたなら、心証も大きく変わることでしょう。しかしその事実を伝えたところで、得られるのは「感謝」です。青年は大変な大金持ちなので、感謝の気持ちとして少女のために家の一軒も建ててくれるかもしれませんが、そんなものを貰ったところで仕方がありません。
打つ手もなく、ただ青年と恋人の仲睦まじい姿を見せつけられるだけの日々が過ぎ、あっという間に満月の前夜となりました。
海岸で打ちひしがれていた少女のもとに、姉たちが姿を現しました。
波の合間から、一人の姉が少女に小さなナイフを手渡します。
『このナイフで思い人の胸を刺して殺しなさい。そうしたら泡にならずに済むわ』
少女は迷いながらナイフを受け取りました。
このままでは死んでしまいます。
両思いになるのは絶望的です。
生きるためには愛する青年を殺さなければなりません。
そんな恐ろしいことできない。そう嘆きながら、翌日、満月の夜、少女は青年を浜辺へ呼び出し、隙をついて薬をかがせて昏倒させることに成功しました。命がかかっているので手際にも淀みがありません。
意識のない体を白い砂の上に横たえ、少女はナイフを取り出しました。
愛する人を刺し殺すなんて、そんな恐ろしいこと。そう抗う気持ちはたしかにあるのですが、そうは言っても自分の命には代えられません。
そもそも我が身を泡と変えたとことで、青年は自分の恋心も犠牲も知る由もないまま、恋人と幸せに暮らしていくだけなのです。
少女はひとおもいに青年の胸にナイフを突き立てました。
溢れ出る鮮血が砂浜に染み込んで行くのを見てから、少女は海へと向かって叫びました。
『姉さんたち! 私やったわ!』
――しかし、海からの返事はありません。
『ねえ、私海に帰れるんでしょう? ねえ!』
体が泡に変わるようすはありません。二本の足はまだしっかりと砂を踏みしめています。
海は彼女の声には応えず、ただ静かな波音を立てるばかりでした。
***
「ねえ、あの子本当に刺したかしら」
「刺したんじゃない? 大人しく泡になるような子じゃないもの」
「馬鹿よねぇ」
「誰も、人魚に戻れるなんて言ってないのに」
「自業自得よ、自分一人だけ人間とロマンスしようだなんて、身の程知らずなこと考えるから」
「あはは!」
「ふふっ」
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