最終話 新たなる日常
「ここ、鳥居のトンネルじゃないか」
雄志郎は呆れたように言った。
よく子供の頃、ワープするとかあそんだり、中二病を患った奴らが異世界に行くとか何とかやったりしていた。観光客がこれを背景に写真を撮るのは地元じゃよく知られている。
ツナデが掌で迎えて見せた。
「こちらは『門』となっておりまする。神醒術の特性を持つ者が通り抜ければ、八幡学園都市の旭家管轄の社に出られるようになっておりまする。皆さんは、ここから帰ってくるようにと、主が申しておりました」
「『皆さん』?」
「おっと、いい忘れておりました。衿崎殿と沢城殿も連れてくるようにとのことでする」
「どうして」
「それは私から説明するわ」
鳥居のトンネルから、3D映像が現れたと思ったらそれが徐々に存在感を増し、実体化した。
それを見たレイジが真っ先に驚いた。
「姉貴!」
「レイジ、ご苦労様。皆さんにもお礼を言います。私の名前は、旭 チヅルです。どうぞチヅルとお呼びください」
「姉貴、なんでここに来たんだ」
「私が来る方が早いと思ったのよ、こちらの要件は片付いたから。衿崎くんと沢城さん」
二人は返事をした。
チヅルは二人のもとに歩み寄った。身体中から凛とした佇まいを醸しだした、大和撫子を体現したかのような容姿であり、古風な美しさがあった。赤いワンピースがなんとも印象的だ。
「あらためて、この度は誠にご愁傷様でした。我々の調査が後手に回ったばかりに、多くの犠牲者を出してしまいました」
「よしてください。犯人はあなた達ではありません」
「衿崎くんにそう言っていただけると、すこし心が休まります。沢城さん……」
チヅルが美依実に向かって、深々と頭を下げた。
その頭をゆっくりと上げた時、美依実の顔は少し落ち着いたように見えた。
チヅルは、大きめの胸に手を当てゆっくりと呼吸をすると話を続けた。
「あなた方は、
雄志郎と美依実はそれを聞いて少し戸惑ってしまった。
そこへキチョウが助け舟を出した。
「要するに、おみゃさんたちを悪い奴らから守るには一緒に来るのがやりやすいってことさ」
「姉貴はいつも説明しすぎて分かりづれぇんだよ」
「もうっ、レイジ!」
「わ、わーたよ。……黙ってる」
雄志郎は目を瞑り、深く考えた。
そして返答する。
「今日一日だけ、ゆっくり考えさせてもらってもいいでしょうか。チヅルさんの言うことも分かってるつもりですが、親のこともありますし」
「……分かりました。本来でしたら、もっとゆっくりと決めてもらうところですけれど」
「美依実、行こう」手を握ると、チヅルに「夕方の五時にここに戻ります」と言い残した。
携帯を見ると既に七時を過ぎていた。
友達の家に泊まると言った手前、連絡を入れない訳にはいかない。雄志郎はメールで学校に行くことを報せた。
「なあ、美依実は一人暮らしだから報せなくていいんだっけ」
「はい。あの先輩、私の事……名前で呼んでますね」
「あ、ごめんっ。……嫌、だったか」
あの時の告白の含みも持たせるように尋ねた。
「ううん。嬉しい! なんだか、サヨナラ逆転ホームラン打った気分です」
「急に態度変えちゃって、キモいとか思ったりしないのか」
「私、諦めませんでしたから。
「あ……」
「ああ、澄美礼は大丈夫です。あの時、一緒の授業じゃなかったから。部活が一緒なんです」
「そうか」
「ごめんなさい。気を遣わせてしまって。でも不思議と、心が楽なんです。きっと、あの人を叩いたからかな」
「そうだな。仇、取ったもんな」
「はい。あっ、いけない」
「どうした」
「私、体操服のままでした。このまま学校なんて行ったら笑われちゃう」
「まだ七時だし、学校もすぐだから、先に着替えに入るか」
「はいっ」
公園のすぐ隣りが学校だ。
雄志郎は鞄と靴を置いてきただけだから、靴下を買えば済む。
コンビニによってくるというと、美依実が引き止めた。
「一緒に来てくれませんか」
一年の教室なんて久々だ。
ちょっと懐かしいと、キョロキョロ見渡していると美依実が呼んだ。
「先輩、あの、見てください」
その上を見てみると、教室の名札がない。
「ここなのか」
「はい。わたし、一年D組です。でも、間違っていないはずです」
「あれ。他の教室、A,B,Cだけだな。ん? 美依実、自分の体操服の名札見てみろ」
「は、はい」胸の部分を大きく引っ張る「うそっ、一のB?」
とにかくまずは着替えてからだろう。
雄志郎は廊下で待つことにした。が、美依実が手を引っ張った。
「あ、あの……。一緒に教室にいてくれませんか」
いきなりの申し出にびっくりした。どこのエロゲだ。
「で、でもさ」
「お願いします。まだ……私……」
その手が震えていた。
予想外の災難にあった人は、そのショックがすぐにではなく日を追うごとに実感すると聞いたことがある。つまりフラッシュバックだ。もしかしたら美依実もそれに襲われているのかもしれない。
「わかった。一緒にいるよ」
「ありがとうございます」
雄志郎は本来なら小躍りする状況なのだが、さすがに今はそこまでムラムラしてこない。はずが、下半身は正直だった。
バレないか困っていると、美依実が「あの……」と声をかけてきた。
「うおっ、おっ……何?」
「後ろを向いててください。恥ずかしいです」
顔を赤らめているのを見て、慌てて回れ右した。こちらもアッチが隠れるから願ったりだ。だが、惜しい。
男心はなんと不合理にできているのか。
布がスルスルと肌を滑る音が両耳に直接響いてくる。なんとも艶めかしい。
顔がかぁっと赤くなっているのが分かる。と、同時に下半身に血が集まってガチガチだ。
理性と野生がノーガードボクシングをしていた。
そろそろ真っ白になりそうな時、背中に柔らかな感触で包まれるのを感じた。
反射的に雄志郎の心臓が高鳴った。それは幾度と無くこの肌で感じた女の子の――美依実の――身体の感触だった。
「み、美依実」
「先輩……」
ええい、ままよ!
振り返ってすぐにキスをして身体を離した。
「きゃんっ」
「美依実、もう人が来る時間だから」
「あ……あの私」
「続きは、今度な。じゃあ俺、自分の教室行くから」
まだ心臓がバクバク言ってる。
頭に浮かんだ、恋愛漫画のワンシーンをやってみたけれどあれでよかったんだろうか。自問自答しながら教室に入った。
「おう、エロザキ。おはよう」
「おはよう」
「あれ、お前、誰だっけ」
「おい、さっき俺のこと呼んだじゃないか」
「え? 呼んだっけ」
周りの連中も、全員首を傾げていた。
どういうことだ。さっきまで普通だったのに。まさか、美依実の身にも。
雄志郎はすぐに自分の鞄を取り、中身を確認後、すぐに教室を出た。
一年の教室に向かうと、その廊下に美依実が泣いて立っていた。
「せ、先輩。誰も私の事、分かってくれないの」
「美依実……」
雄志郎は美依実を抱きしめ、キチョウの言葉を思い出していた。
『あの娘を抱いてあげられるのは、あんただけだよ』
雄志郎は意を決して美依実を誘った。
最初は顔を背け困ったような顔をしたが、しばらく待っているとコクンと頷いた。
朝、誰も使わない教室に入り、内側から鍵をかけた。
雄志郎は、美依実の唇の涙を深く吸った。
夕方五時頃、二人は普段着に着替えてやってきた。指を絡めて手を繋いでいた。
そこにチヅルとキチョウが待っていた。
「お待たせしました。レイジは?」
「まだ学校です。補習とメールがありました」
チヅルが困った顔をして答えた。
「そうですか」
「雄志郎」
「キチョウ姐さん、お待たせしました」
「おみゃさん、いや、おみゃさん達。どうやら、一皮むけたようだね」
二人共絶句し、顔を赤らめた。
「いいことだネ。ああ、アッチの方で悩みがあれば相談に乗るよ。いろいろ教えてあげるから」
「キチョウさん!」
チヅルに窘められたキチョウは「ほほほっ」と、扇子を広げてはぐらかした。
「まったく……。お二人は、今後のことを決められましたか」
「その前に、聞いてほしいことがあります。この近くにあった喫茶店が消えてしまいました。キチョウ姐さんが馴染みだといってた店です。それから――」
「――そうですか。みなさんの存在認識が消えてしまったのですね」
「どうしてこんなことに。誰に聞いても、親すら、僕らのことが忘れられているんです。それも、死んでしまった後輩たちのことまで」
「喫茶店のことでしたらもう八幡学園都市に戻っているそうです、レイジからメールがありました。この世界に来た原因の調査はこれからですが、おそらく《ミズガルズ》のしわざでしょう。そしてここからは、私の推測ですが。《ミズガルズ》の無茶な神醒術の行使の結果と思います。
口を抑えたチヅルに代わって、キチョウが扇子を仰いで続けた。
「“全てがなかった事にされてしまった” 今、おみゃさんの決めた道はなんだい」
「美依実とずっと話し合いました。制服の校章が消えてしまっても、友人のアドレスが消えたことに気がついても、必死で話し合いました。そして決めました」
美依実を見つめると、笑顔で返してくれた。
雄志郎は続けた。
「俺たち、そちらの世界に行きます。そして神醒術を学んで、ここに帰ってきます。俺達のような犠牲を、いや、後輩たちのような犠牲を出さないために」
美依実が続いた。
「
それを聞いたキチョウは、扇子――さくらともみじ――を大きく羽ばたかせた。
「あっぱれ! よく言った。昨日の『ユウ坊や』から大きく成長したね」
「そうですか?」
「ああ。でも大事なのは、今の気持ちを育てることだよ。二人一緒ならそれが出来る」
チヅルも大きく頷いた。
「私も、そう思いますよ」
「はい」
「はい。先輩と頑張ります!」
俺たちは二人で手を繋いで、鳥居のトンネルを歩いた。
美依実が振り返ったので、雄志郎も振り返った。広葉樹と空と上野公園の大きな広場を見つめた。
そして、二人は異世界へ旅立った。
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――任務に失敗してしまったのか。あのバトルで意識を失っていたようだ。
まずは状況整理だ。
薄暗い部屋の周りに張り巡らせされた強化ガラス、これは短銃を持ってしても打ち破れない材質だ。神醒術に対しても何重もプロテクトがされている。
わざと足音がするように敷かれた青いマット。
デバイスは……やはり外されていた。
チェルシーは自分の身体の隅々をチェックした。薬は打たれていないか、外傷はないか、拘束はされていないか。
全てオールクリアだ。
ただ、完全に閉じ込められていた。
クレマが側にいない。彼女は無事なのか。少しだけ気になる。利用価値はそこそこあったが、ちょっと情に
「お目覚めかね、チェルシー・ベーグル君」
天井のスピーカーから声が聞こえた。変声機でトーンがかなり老けたように変わっている。相手の年齢や性別は判別不能か。
「誰?」
「I2COに深く関わる人物とだけ言っておこう」
「証明できなければ信用しないわ」
「ならば、君の本名を当ててみせようか。それは――」
「……!」
ここは本当にI2COの管轄下らしい。そして相手はかなりの大物、七賢者の一人の可能性もある。
とにかくここはポーカーフェイスを貫くことだ。
「あなたを信用します」
「信用してもらえて嬉しいよ。では本題に入ろう。君は《ミズガルズ》の任務を引き受けた。なぜかね」
「依頼されたからです」
「君は組織に所属しているはずだが、我がI2COに背く行為をした。これは重罪だよ」
「私は、組織に忠誠を誓ったことはありません」
「確かに。君はフリーランスだ。だが、君を育成したのは我々だよ」
「それなら。なぜ私は、殺されていないのでしょうか」
「君は非常に優秀だからだよ。特に
「使えるから生かすと」
「当然だ。人材の育成コストは馬鹿にならなくてね」
「それで、依頼内容は何でしょう」
スピーカーから拍手が聞こえた。
チェルシーは馬鹿にされたようで癪に触れたが、表情には出さない。大抵の依頼人はこうやって人を試す。
「流石だ。話が早くて助かる。君には《原典の紙片》を追ってもらいたい」
「《原典の紙片》ってあの?」
神醒術を学んだならば知らないものはいない。
通称《原典》と呼ばれる秘宝だ。世界の叡智が手に入る、巨万の富をもたらす、不老不死が手に入る、世界の支配者になれるなどなど、その手の話なら枚挙に
「そうだ。そして報酬だが、クレマ・サンジェルマンを好きにしていい」
「どうしてここで、彼女の名前が出てくるのかしら」
「
チェルシーの質問には全く答えず、声は話を続けた。
「《ハザールの矢》のラジーヴという男も追っているという情報を掴んでいる。詳しい資料は入り口に置いてある。君のデバイスと一緒に渡しておこう」
「その男と一緒に追えと?」
「そうだ。資料にも書かれているが彼は『実は素直で明るい女の子』に弱い。君の特技で彼を懐柔したまえ。以上だ」
後ろの扉が開いた。
その廊下にはクレマがおり、紙束の資料とデバイスを皿に乗せて待っていた。
それらを無造作に取ると、耳にデバイスを付けチェルシーは廊下のエレベーターに向かう。
一通り資料に目を通すと、無造作に指を鳴らす。すると《神醒術》が発動して資料は炎を上げた。わざと燃えやすい素材でできているだけあって、灰一つ残らない。相変わらずこの組織の技術力には感心する。
今回の件、少しだけ引っかかることはあるが、任務ならば余計な詮索は抜きだ。達成すればいい。
「あの……、なにも言ってくださらないのですね」
「あなたは、報酬として受け取るから、今は接触したくないの」
「でも、せめて、
「……ダメよ」
「もう一つだけ。私のことを、愛していましたか。その……今でも」
チェルシーはため息を吐いて立ち止まり、食い下がるクレマに振り返った。
「言ったわよね。『報酬として受け取る』と。それが全ての答えよ」
クレマの顔がぱぁっと笑顔になり、両手を胸の上に重ねた。
「はい! 受け取りに来てくださるのを、心よりお待ちしております」
チェルシーはそれだけ聞くと、エレベーターに一人だけ乗った。
手を振り見送るクレマに、今は何も返さす必要はない。
閉じた扉に向かって、チェルシーはつぶやいた。
「次は失敗しない」
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――半年後。
雄志郎のいた世界の監視は、今も旭家が担っているがとくに変わったことはないようだ。余談で、神醒術を模したカードゲームが発売されたらしいが、現地で行使された神醒術が多少は影響したのだろうということだ。
この八幡学園都市の学校に入学して、神醒術を学んでいる。
「おい、雄志郎。今度のテスト、自信あるか」
「レイジほどじゃないよ」
「また仲良く補習だな、こりゃ」
「ああ。はぁー」
お互いため息を付いていると、呼び声がした。
「おーい、ユウくーん」
レイジがそれに気がつくと、手を上げた。
「じゃあな。おじゃま虫は消えるよ」
「ああ、またな」
レイジと入れ替わりでやってきたのは、胸の大きなポニーテールの女の子だ。
ゆさゆさと元気におっぱいを揺らしながら雄志郎に駆け寄ってきた。
「ユウくん、今終わったの? あれ、レイジ先輩は?」
「野暮用だって」
「そう。ねえ、これからどうする?」
腕を絡めて、巨乳を押し付けてくる。彼女が言うに、これは心地よい腕組みらしい。雄志郎も気持ち良い。
「ああ、そうだな。コーヒーショップでもよるか」
「そうね。その後は……」耳打ちをする「わたし、またキチョウさんに教わってきたの」
「また⁉ 本当にえっちになったな」
「もう、誰のせいだと思ってるの」
二人は大胆に腕を組みながら歩く。
学園内では周知の熱々カップルである。
向こうのチヅルさんが声をかけてきた。
「おーい、雄志郎くん。美依実ちゃん」
「はーい。行こうか。美依実」
「うん」
二人は駆けだした。
神をも恐れぬ日常を乗り越え、未来の平和を掴むために。
神をも恐れぬ日常 瑠輝愛 @rikia_1974
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