第5話 明ける者たち

 雄志郎はキチョウの言われた通り、家に連絡を入れた。

 こういうことは初めてではなかったので、親たちはあっさり了承してくれた。

 沢城は一人暮らしと言っていた。雄志郎は連絡先を知らないので今の状況を伝えようがない。もしもそうしたとしても、とても信じてもらえないだろう。

 幸い、上野にはホテルが点在しているので泊まるところには困らなかった。しかも喫茶店のすぐ近くにホテルがあるので移動手段を考えずに済んだ。

 その夜は、神醒術士キャスターが普段やらないことを行おうとレイジが提案した。

 旭家に残された資料によると、万象神醒術リバインキャスターを触媒にすることによって戦いの事前準備が可能だということだ。

 というわけで、雄志郎の部屋に集まって《デッキ》構築――神瞑しんめい――を行った。三人で禅を組んで囲い、神醒術の脳内共有認識を整理整頓していく。

 この時、術者同士は精神で深く繋がることができる。だから話し合いは全てテレパシーのような感覚で行う。この間は、レイジの得意な神醒術にするかキチョウの得意な神醒術にするかのせめぎ合いが展開されていた。結局、レイジの得意な牛頭ごず神格を中心に構築することになった。

 神瞑しんめいを終えてくつろいでいた時、レイジがふと尋ねてきた。

「そういえば、どうしてそこまでして沢城を助けたいと思うんだ」

「それもそうだね。おみゃさんの彼女なのかい?」

 キチョウも同じように聞いてきた。

 雄志郎は、ばつが悪そうに答えた。

「……実は、沢城の告白を昨日断ったばかりで」

「は⁉ ふったのかよ」

 レイジとキチョウは目を丸くして驚いていた。

「それじゃ、おみにゃさん。どうしてあの娘のために私たちに頭を下げたんだい」

「あ、なんていうか、一度告られた縁というか、困った奴をみるとモヤモヤするというか」

 おっぱいが無いから振ったなんて今喋ったら、いろいろなものが全て終わってしまう。頭を掻いてなんとか取り繕うとした。

 レイジは首を傾げた。

「わっかんねぇな。じゃあ知り合いなのか」

「いいや。昨日の放課後に初めて会った」

「はぁ⁉ つまり、昨日告られてふった、よく知りもしない女のために、こんな面倒臭い救出に首を突っ込んだのかよ。普通はビビって逃げるか、他人任せにして家に帰ってるぜ」

「おかしいね」キチョウが扇子を指した「おみゃさん、『顔を合わせた』のが初めてなんじゃないのかい」

 雄志郎はそれを聞いて「あっ」と思った。

 放課後の家庭科室から出てくる沢城とすれ違ったのを見たり、子猫が体育館の屋根から降りられないのを見つけて苦労して降ろして上げたときの帰り際に目があったり、ネカフェの帰りに赤いリボンのポニーテールを揺らしながら元気に走っているのを見かけたり、そういえば気になって名前もダチから教わったんだっけ。

 キチョウは扇子で頭を軽く小突いて言った。

「ほらっ。やっぱり」

「でも、タイプじゃなかったというか」

 何とかして本当の理由を隠そうとする遠回しな態度がバレてしまったのか、キチョウは真剣な目で言った。

「おみゃさんの好みはだいたい察しがつくけど」と、扇子を広げて突き出す「男も女も、外見だけで心から惚れることなんてまず無いんだよ」

「でも……」

「まぁ分からないのも無理ないね。やっぱり、おみゃさんは『坊や』ってことさ。さてと、私は部屋に戻るよ」

 キチョウは雄志郎の呼び止めを無視して、部屋を出て行ってしまった。

 レイジを見ると、肩をすくめた。

「さあね、ガキだって言いたいんだろ。俺も戻るよ。姉貴に連絡しなきゃならないしな」

 ぽつんと残された気がした。

 これは大げさかもしれないけれど、人生が一変した一日だった。

 常識を逸脱した現象、そして常軌を逸した殺人事件、それを数時間で体験してしまった。しかも、自分自身にも特殊な力――万象神醒術士リバインキャスター――を持っているなんて。レイジに最初にあった時「中二病やってんじゃない」とバカにした自分が、今や能力者だ。

 そして、今の自分には沢城を助ける力がある。

 今ひどい目に合わされていないだろうか。無事でいて欲しい。

 雄志郎は右手を眺めてから、グッと握りしめた。

 不意にノックの音が聞こえた。

「どうぞ」

「シャワー浴びたかい?」

「キチョウ姐さんどうしたんですか。って、え⁉」

 着物とは違う姿に驚いた。大きめの半袖スウェットシャツに淡目のロングパンツを履いていた。髪を腰まで下ろしているせいか、いつもより若く見える。

「いくらなんでも寝る前まであの格好じゃないよ。さっき、あの喫茶店の店員に頼んで買ってきてもらったのさ」

 雄志郎が気まずそうにしていると、冷蔵庫からコーラを取り出した。

「私に付き合ってよ。ほら」

 キチョウの手には、酒の茶色のボトルが握られていた。

 雄志郎は聞いた。

「いつもこの時間は呑むんですか」

「ウィスキーはごくたまにだよ。普段は休みの日にビール。今夜は臨時休業ってことで」

 ウィスキーの瓶を開け、氷の入ったコップに入れた。

 雄志郎も倣って缶コーラを開けた。

「ほらっ」

 キチョウの差し出したコップに、レイジは慣れない手つきで缶を合わせた。

「さっきまで考えてたんです。今、沢城は無事なのかなって」

「大丈夫。向こうはプロだからね。貴重なカードを握りつぶすような真似はしないよ」

「狙いは俺、だからですか」

「後は、向こうが動くのを待つしかないよ」

 ウィスキーを飲んでは出す吐息がとても色っぽい。これが大人の女と言うものなのか。

 でもドラマやエロビデオでよくある、裸に大きなワイシャツで来て欲しかったなぁと思いながらコーラを軽く飲む。

「ところでユウ坊や」

「はっ、はい⁉」

「なんだい、変なところから声出したりして」

「いいえ、なんでもないです」

「あんた、童貞でしょ」

「ど、ど、ど、……なんですか急に!」

「やっぱりねぇ」

「ちょっと待って下さいよ、いきなり何を聞くんですか」

「これから背中を預ける相手なんだから、知っておかなきゃならないと思ってね」

「かん、けいないでしょ」

 思わずゲップが出そうになったのを飲み込んで言った。

 どうして童貞だとバレたのか、雄志郎には全くわからなかった。

 隠したところで情けなるだけだから、否定はしなかった。

「関係大有りなんだよ。とくに私の場合は、職業柄ね」

「そういえば、姐さんの仕事ってなんですか」

「風俗嬢」

「へぇ。――ブッゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」

 耐え切れず吹き出してしまった。

 言われてみれば確かにそんな装いだったけれど、本物を目にしたのは初めてだ。

 そもそも高校生だから店に入りたくても入れないし、そんな度胸がない。

 キチョウが大きな声で笑った。

「あははっ。おみゃさん、驚き過ぎだよ」

「だって、夢にも思わなくて」

「あら、褒めても何も出ないよ。それとも挿入れたいかい?」

「い、入れ⁉」

「あははは。冗談だよ。いくらなんでも未成年相手に商売なんてしないさね」

 いつもいつも混ぜてくる下ネタは職業病みたいなものだったのかと、妙に納得してしまった。

「それに」グラスを雄志郎に傾けた「抱きたいのは私じゃなくて、美依実ちゃんでしょ」

「な⁉ こんな時に何言っているんですか」

「こんな時だからこそだよ。男は女を抱きたいために戦い、女は男に抱かれるために見守る。愛情の程度はあれど、昔からそうやって歴史は動いてきたんだ」

「姐さん、酔ってるんじゃ」

「この程度じゃ酔わないよ。とにかく、あの娘を抱いてあげられるのはおみゃさんだけだってことさ。あの娘だって寂しがっているさね」

「そんな、ドラマや映画じゃあるまいし」

「これだから童貞は困りもんだよ。ちゃんと美依実ちゃんに捧げなよ」

「だ、だから俺は、ど、童貞じゃ」

「あはは。さて、そろそろ部屋に戻るよ」

 ウィスキーボトルを閉めて、ゆっくりと立ち上がった。

「はぁ、おやすみなさい」

「少しは、緊張がほぐれたかい?」

 雄志郎の目が丸くなった。

「じゃあ、そのために⁉」

「さあてね。じゃあ、おやすみ」

 キチョウがドアを閉めると、また部屋が静かになった。

 沢城のことを思い返してみる。

 放課後に呼びだされて「好きです」と真っ赤な顔で告白されたとき、どういうわけかすぐに胸を確認しなかった。いつもならまっさきにチェックする二つの大きさを、あの時だけは沢城の顔をじっと見てしまった。夕暮れの風に揺れるポニーテールと赤いリボンが可愛かったのをよく覚えている。でもその後冷静になって胸を見て、がっかりして。

「あれ? なんでがっかりしたんだろう」

 缶コーラを飲み干しても答えは出なかった。

 今夜はもう、シャワーを浴びて眠ることにした。



            ―― ―― ――



 見慣れない暗闇の中で目が覚めた。

 ホテルに泊まっていることを思い出し、携帯の時計を確認した。

 05:02

 二度寝でもするかと布団を被った途端、携帯が鳴り響いた。

「なんだ、こんな時間に」

 見たことがない電話番号に訝しむ欠伸で応答した。

「もしもし? だれ」

《衿崎 雄志郎。伊賀上野公園の石垣で待ってるわ。朝六時に来なさい》

「な、お前誰だ」

《昨日、喫茶店で痴漢被害にあった女よ。変態さん》

 と電話が切れた。

 掌に残る柔らかな感触を思い出しながら叫んだ。

「あの貧乳女!」

 すぐに雄志郎は制服に着替えた。股間が引っかかって中々ズボンが履けない。こんな朝立ちなんてとっとと小便すれば治まる。断じてあの女を思い出して勃ってるわけじゃない。

 ベルトを締めて服を整えて部屋を出ようとしたところで、ふと気がついた。

 こんな早朝にノックして叩き起こしたら、他の客から何を言われるか分かったものではない。外国人観光客だって多いんだ。

 雄志郎は部屋に備え付けてある内線電話を使うことにした。

「急がないと。キチョウ姐さんの部屋番号は……と」

 昨夜最後に会ったのがキチョウというだけで、深くは考えなかった。

 内線はコール五回ほどで通じた。

《もしもし、モーニングコールなんて頼んでないよ》

「もしもし、キチョウ姐さんですか。雄志郎です」

《なんだい、こんな朝っぱらから。ってまだ五時じゃないか》

「ええと、あのう、チェルシーから電話がきて」

 あーえー、と上手く説明できなかったが、キチョウは理解してくれたようだ。すぐに部屋を出ると言ってくれた。

 しかしレイジは何度コールしても全く出ない。

 それはそうだ。高校生にとって睡眠は何事にも代えがたい。たとえ遅刻しようとも二度寝を取るに決まってる。

 仕方がない、迷惑を承知でノックをしよう。

 だが何度叩いても、やっぱり返事がない。

 そこへキチョウがやってきた。

「おまたせ。あれからどうだい?」

「あ、キチョウ姐さん。向こうからは何も。ただ、レイジが起きてくれなくて」

 それを聞いたキチョウは、口元を緩ませながらいつもの扇子《さくらともくじ》を取り出した。

「任せな。とっておきの起こし方があるからね」

 なぜだろう。とても嫌な予感しかしない。

 キチョウはレイジの部屋の前に立つと、印を結び始めた。身体が赤く輝き出す。

「おいでませっ《蛇骨》」

 金色の扇子を広げ、ドアをコツっとはたいた。

「ぎゃああああああ――――――」

 すぐに部屋から無残な悲鳴が響き渡った。

 雄志郎にはその神格ユニットが見えなくても万象神醒術士リバインキャスターの能力でイメージが共有できる。骨だらけの竜のバケモノ、つまりドラゴンゾンビだ。

「ふふふ。こんな事もあろうかと、昨夜の内に《蛇骨》をデバイスに登録しといたのさ」

「いくらなんでも」

「馬鹿野郎!」

 レイジが真っ青な顔をして部屋から出てきた。ホテルのガウンの裾からトランクスが見えた。

「あんな……もの……いきなり……見せんじゃねぇよ」

 肩越しに部屋を見てみると、《蛇骨》は網の目のような血管をその骨の身体に纏っていて、共有認識でイメージしたものよりもグロテクスな姿で鎮座していた。

「あら、電話には気づいていたようだね」

「……面倒くせぇな。いったいどうしたんだよ」

 レイジにも事情を説明すると、「わーた、わーたよ」と渋々ながら了解してくれた。

 騒ぎを聞きつけたホテルスタッフだが、キチョウは白を切り通した。

 そして外を出た時間は、空が紫から青に染まりだした五時三十分。歩いても六時には間に合うだろう。近くに泊まっておいてよかったと雄志郎は思った。

「あっ、そうだ。キチョウ姐さん」と立ち止まった「道路の向こうのあのコンビニに行って、アレを買ってきて下さい」

「アレ?」

「はい。姐さんにしか頼めないんです」

「何の話だ」

 聞いてきたレイジにも自分のアイデアを話した。

 すると、キチョウは頷いた。

「確かに、私にしか出来ないね」

「でも、雄志郎。それじゃ、昨夜の奴がダメにならないか」

「今のうちなら変えられる気がするんだ、多分だけど」

「分かった。お前の勘を信じよう」

 レイジも納得してくれた。

 キチョウがすぐに戻ってきた。車の通りがまだ少ないから簡単に往復できた。

 空は晴れていたが、それによる放射冷却が春の寒い朝と重なり、やや寒の戻りがあったのか昨日の朝よりとても肌寒く、息も白かった。

 キチョウは谷間を強調したあの着物姿だが特に寒さを感じていないようで、レイジもそうだった。理由を聞かなくても雄志郎には分かった。彼らは赤の神醒術で身体を温めているのだ。炎系の術を得意とする者たちにとって、これくらいの防寒なら問題ないのだろう。

 雄志郎は少々凍えるように歩く。

 それを見たキチョウが手招きをした。

「おいで。軽めの防寒くらいならしてあげるよ」

「あぁ、助かります」

 キチョウは印を結び、雄志郎の胸の真ん中に両手を置いた。すると、外の寒さを感じなくなった。身体の冷たさは相変わらずだが、これならすぐに温まるだろう。

「赤の神醒術は加減が難しいから、これくらいで我慢しとくれよ」

「ありがとうございます」

「そういえば、姉貴から伝言があったんだ」

 追いついたレイジが言った。

「『こちら側の間者をひとり送り込んである』とさ」

 術をかけ終えたキチョウは雄志郎と歩き出した。

「間者……つまりスパイのことかい。旭家は専属スパイまでいるんだね」

「そういう奴もちょくちょく見かけたけど、よくは知らねぇ。姉貴が裏で何かやってくれているみたいだけど」

 伊賀上野公園の前だ。

 ここは文字通り公園として二十四時間開放されている。もちろん忍者屋敷などの施設は営業時間が決まっているから、こんな朝に開いているわけはない。雄志郎は小学生以来、たまにしかここを訪れていない。近所過ぎるので返って行く気になれない。やっぱり、ネカフェやったり電車で街に遠出したほうが面白い。

 公園に入ると、広葉樹の葉音が公園中に響いているのが分かった。

「これは、結界だね」キチョウが訝しげに扇子を広げた「公園に入るまで、葉音の1つ聞こえなかったよ」

「いつもこんな感じですよ」

 雄志郎が言い返すと首を振った。

「車や人の生活の音がする時間帯ならともかく、こんな朝の誰もいないときに、この石畳の階段を登るまで聞こえてこないなんて変でしょ」

「言われてみれば、確かに」

 雄志郎が納得すると、レイジが頭に腕を組んで言った。

「どうせもう敵の策に入ってんだ。気にしても仕方ねぇぜ」

 そのとおりだ。罠だとわかった上で応じたのだ。

「鬼が出るか蛇が出るか……。あちらさんのお手並み拝見だね」

「行きましょう。もうすぐ相手の指定した石垣です」

 明るい口調のキチョウを雄志郎は頼もしく思いつつ、ふたりを先導した。

 伊賀上野城が見えてきた。

 キチョウとレイジが向かおうとすると、雄志郎が止めた。

「ちょっと待って下さい。石垣はこっちです」

 二人に石垣を指し示した。それは城とは反対方向にあるのだ。

「え。でも、お城があそこにあるのに?」

「城の周りには人が登れる石垣なんて無いんですよ。ほら、ここです」

 この階段を登ると、石垣の上に行ける。とくに何もない場所のはずだが。

「へぇ。珍しいね」

「俺達は観光に来たわけじゃねぇ。行くぜ」

 レイジが先に石の階段を登る。長方形の石で囲い、中に大きめの丸石を敷き詰めた広く古い階段だ。

 雄志郎たちも後に続いた。

「結構長い階段だな、雄志郎――」

 レイジが足を止めた。

 彼が見上げた先に視線を移すと、そこにチェルシーが立っていた。

 すぐに雄志郎たちは追いかけた。

 チェルシーはゆっくりと振り返ると、奥へ進んでいった。

 石垣の上に辿り着いた。ここはただっ広く雑草が生えているくらいしか無いところで、緑縞の三角パイロンが遺跡の溝を小さく囲っている。まだ数本ある街灯は灯っていた。そんなものくらいで広葉樹が少ししか生えていない、だだっ広いだけの原っぱだ。

 しかし、ここには「台所門跡」と言われており、伊賀上野城の食料庫の役割を果たしていた。その大納戸おおなんど蔵跡は大きな正方形の白い敷地しか残っていない。

 チェルシーたちはその西側――城側――に立っていた。

 雄志郎は沢城の姿を見つけるや駆け寄ろうとした。

 それをキチョウが肩を掴んで止めた。

「待ちな。相手はプロだってことを忘れて先走ったら全滅だよ」

「でも、姐さん。あそこに沢城が」

「焦らず、ゆっくりと遠巻きに距離を取るんだ。相手が何をやってきてもいいように身構えておくんだよ」

「雄志郎、ドジんなよ」

「うん」

 レイジにも言われ、はやる気持ちを抑えた。

 北に向かって、分度器の弧を描くように歩き近づいた。

 そして、大納戸蔵跡を挟んで対峙した。

 まるで将棋でもやるかのような真四角の白い跡地。ここで神醒術士キャスター同士の戦いを行おうということか。

 沢城は、チェルシーとクレマの間の斜め後ろ、石垣の縁にもたれるように座っていた。

「沢城っ、大丈夫か?」

 雄志郎の声に反応がない。意識はあるようだが、ずっと上の空だ。何かされたのか。

「お前ら、あいつに何かしたのか」

 彼の大きな声の問いにチェルシーもクレマも答えない。

「何したんだって訊いてんだっ」

「私達と一緒に元の世界へ来てくれたら教えてあげるわ」

 チェルシーは言った。

「『元の世界』って何のことだ」

 今度はレイジが怒鳴った。

 今は人がほとんどいない静かな公園なので、かなり響いた。

「あら、知らないのあなた達? てっきり私達の邪魔をしに転送してきたのかと思った」

 相変わらず冷徹な声だが、レイジは全く動じてない。

「チェルシーって言ったけな。『転送』だと? 訳の分からない御託並べて俺たちを油断させようってんなら無駄だぜ」

「あなたのことはよく知っているわ、旭 レイジ。特別に教えてあげる。ここはあなた達がいた八幡学園都市とは表裏一体を成す世界、いわゆる《パラレルワールド》ってやつね」

「はあ⁉」

「嘘だと思うなら、ここから数キロ先にある『敢国あえくに神社』に行ってみなさい。見覚えのある鳥居があるわ」

「おい、雄志郎。本当なのか」

「うん。車でニ、三十分のところに敢国神社があるよ。幅は狭いけれど結構立派な鳥居があるのは確かだよ」

「その鳥居、赤くて足は六本あるか」

「確かそうだったと思う。根本の部分だけ」

「マジかよ……」

 困惑したレイジにキチョウが話しかけた。

「あなたの姉さんは何か言ってなかったのかい」

「いや。確かになんか妙に奥歯に物が挟まったような、はっきりしない言い方だったけど『場所は確証があるまで待って』とだけ」

 この世にパラレルワールドがあるだなんて、誰も信じないし、証拠を見たって納得するのに時間はかかるだろう。だけど、――そんな常識外れな住人が四人も目の前にいる。

 レイジは頭をかきむしって悪態をついた。砂利を蹴り飛ばす。

 対してキチョウは冷静にゆるりと構えを取った。

「キチョウ姐さん」

 雄志郎の気弱な呼びかけに喝を入れた。

狼狽うろたえるんじゃないよ。さすがスパイのプロ。全部計算づくで行動してるってわけかい」

「あら。《夜の女王》からお褒めに預かれて光栄だわ。豊秋 キチョウさん。噂通りというところかしらね」

「こんな朝早くから呼び出した、おみゃさん達の目的を聞かせてもらおうか」

「もちろん、そこにいる衿崎 雄志郎を連れて帰ること」

「そんなことはもう知っている。本当の狙いは何だい」

「さあ、何のことかしら」

とぼけるとは思ってたけど、ここまで何一つ顔を変えないとはね」

 キチョウの言うとおりだった。チェルシーはずっと無表情のまま、冷たい視線を送り続けていた。雄志郎ならすぐに動けなくなったあの瞳に全く動じていない。

「来てもらおうかしら」

 その目がとうとう雄志郎に向けられた。背筋がすぐさま凍りついた。

 だが、腹に力を込めて押し返した。

「嫌だ! 俺は沢城を助けるために来たんだ」

「あら。残念」

 急に笑顔を見せたチェルシー。そのギャップにむしろゾッとさせられた。

 チェルシーはクレマにアイコンタクトした。

 クレマは振り返ると沢城に手を当てた。

 そしてチェルシーを見て頷いた。

「じゃあ、クレマと一緒に、あなた達を再起不能にしてしまうしかないようね」

 チェルシーはクレマの顎を引き寄せ、その唇を引き寄せた。

 数秒間だけ濃厚なディープキスが行われた後、クレマはやや離れた位置について構えた。

 それらを見たキチョウは、雄志郎を胸に引き寄せた。

「ふが⁉」

「こっちもおまじないさ」

 雄志郎が柔らかな谷間の中で驚いていると、キチョウが耳元で囁いた。

「これから命のやり取りになるかもしれない。必ず勝って美依実ちゃんを取り返すよ。いいね雄志郎」

「ぷはっ。は、はい。キチョウ姐さん。気合い入りました」

「よし。よろしい」

 雄志郎は腹に力を入れて、沢城を救うために叫ぶ。

「バースト・オン!!」

「バー……スト……オン」

 虚ろう唇で沢城が続いて言った。

「なっ、沢城⁉」

 驚くまもなく、雄志郎の共有認識とキチョウ・レイジの共有認識がリンクをし、赤いオーラに身体が包まれた。

 相手も同じように、青と黒のオーラに覆われていた。そして、信じられないことに沢城とリンクしているようだ。

「そんな! 沢城まで万象神醒術士リバインキャスターだったなんて」

「雄志郎、驚くのは後にして術を展開しろ。昨夜も言っただろ。神醒術士キャスター同士の戦いに術がもつスピード特性は勝敗を分けることだってある」

「あ、ああ。ごめんレイジ。ええと……」

「馬鹿、悠長に選んでたら……」

「先攻は私達のようね」

 青黒オーラの力が急に勝った。そのまま神格ユニットがキャストされていく。

 レイジは舌打ちをした。

「ち、仕方ねぇ。後手になっちまうがここは耐えるしかない」

「二人とも、焦るんじゃないよ。向こうもまだ何もって、――!」

 キチョウの言葉が詰まった。

 相手の背後にある長方形のオーラが六枚そびえ立っていたのだ。

 チェルシーは哀れな蝶を見るように笑った。

「当然でしょ。プロは常に準備を怠らないものよ」

 キチョウの頬から汗が滴った。

「参ったね。相手は初手から《バースト》六つも溜まってるよ」

「罠ってこういうことかよ。汚ぇことしやがって」

 雄志郎には二人が震えている理由が分かった。《バースト》は神醒術を行使するために必要なコストだ。神醒術士キャスター同士の戦いはゆっくり術を練っている隙がないため、自然に回復する《バースト》だけを頼りに戦う。だが、この状況は相手がいきなり大きな神醒術を行使してくる可能性がある。

 チェルシーとクレマが印を結ばずに手をかざした。

「おいで、《ヘカーテ》」

「出番ですわよ、《ペルセポネ》。そして《ケリュネイア》お願いね」

 《ヘカーテ》、《ペルセポネ》、《ケリュネイア》が二体だ。

 《ヘカーテ》は前に見た神格ユニットだが、他の二つは初めて見る。

 《ペルセポネ》は、なかなかのおっぱいの持ち主で隣りにいるクレマと同じくらいか。背中に黒い翼が生えていて、片手にリンゴを握っている。武器なのだろうか? 長い黒髪にウエストを締めた大胆なドレス。特に上半身はビキニと言ってもよく、ちょっと動けば乳首がみえそうなくらい際どい。

 《ケリュネイア》は二本の角を生やした鹿のような神格ユニットだ。ただの動物に見える。それらが両脇に二体づつ並んでいた。

 キチョウとレイジも印を結ばずにすぐさま手をかざした。

「いきなり上位神格ユニットのおでましかよ、面倒くせぇな。……今はこいつか。来い《伊万里 弐》、《イシコリドメ》」

「おいで、《ヤマタノオロチ》。そして《オオヤツヒメ》」

 《伊万里 弐》は二人の可愛らしい神格ユニットで鎧と槍を身に着けていたが、腰は尻丸出しの捻じりふんどしだけだった。

 《イシコリドメ》は角が生えた長い髪の女性の姿で、白いワンピース姿だった。後ろ姿からはこれといった特徴を見つけられなかった。

 《オオヤツヒメ》は小柄な和服の少女だったが、斜め後ろから見ても分かるほどの巨乳で、髪をかきあげるなどの所作ひとつだけで揺れていた。何故か、袴はミニスカートで太腿が強調されていた。

 神醒術士キャスター四人はほぼ同時にキャストを展開していったが、キチョウとレイジのキャストだけ若干遅れたように感じた。

 白く大きな大納戸跡に、六人の人間と戦うために召喚された神格ユニットたち。それらの俯瞰図を想像した雄志郎は、まるで盤面に並んだ駒みたいだなと思った。

 自分も当事者なのだ。相手が何をやって来るのか油断は出来ない。

 チェルシーは《ヘカーテ》に向かって手をかざすと、それから発する青いオーラが強く濃くなった。あの神格ユニット神能アビリティの影響だ。

 そして、チェルシーたちのユニット《ケリュネイア》たちが一斉に襲いかかってきた。大納戸跡をおもいっきり蹴り上げ、レイジに向かって突進する。

「守れ、《イシコリドメ》」

 レイジの指示に《イシコリドメ》は躊躇いもなく立ち塞がった。だが二組の《ケリュネイア》に成すすべなく踏み潰され、悲鳴すら上げず赤く霧散してしまった。

 レイジはキチョウに目で合図をした。万象神醒術士リバインキャスターを介した場合、意思疎通はテレパシーのように瞬時にやり取りできる。

 すぐにキチョウがうなずき、扇子をクレマ側に向けた。

「行きんさい。《ヤマタノオロチ》、《オオヤツヒメ》」

 こちらには《神通力 金剛》がある。さらに《伊万里 弐》を強化する術《覚醒》もある。これで相手の神格ユニットを一体でも破壊できれば、《伊万里 弐》は神能アビリティ《鬼武者》でパワーアップできる。

 だが、その目論見が外れてしまった。

「私がこの攻撃を受けます」

 クレマはなんと、神格ユニットたちを開かせて自らの豊満な身体を差し出した。

 そして右目を覆った。

「我が《アスモデウスの眼光》よ。《ヤマタノオロチ》の牙を奪いなさい」

 クレマの前で左目が拡大されて映しだされた。

 すると《ヤマタノオロチ》は大人しくなってうずくまった。

 術の対象から外れた《オオヤツヒメ》のおっぱいが大きく揺れて、クレマを殴り飛ばした。

 クレマの神耐ヒットポイントが剥がれた反動で、後ろへ倒れた。

 尻もちをつくと、タイトスカートの間から白いクロッチが見えた。

 ふとレイジを見ると意図しない相手の行動に悔しそうな顔をしていた。ラッキーなのは自分だけだった。

 クレマはタイトスカートを抑えながら立ち上がり、《ペルセポネ》に命令した。

「その石榴ザクロを《伊万里 弐》に差し上げて」

 命令通り、リンゴのような石榴が投げつけられた。

 《伊万里 弐》はそれを受け取ると何かに取り憑かれたように食べ始めた。みるみるうちに身体が薄くなっていった。

 レイジが舌打ちをした。

「くそっ。《伊万里 弐》あの女をその槍で射抜け」

 やりを構えたその時、クレマがまた術を使った。

「そうは行きませんわ。《ベルゼブブの魔風》を受けなさい」

「禁呪かよ! ざけんじゃねぇぞ」

 レイジの訴えも虚しく、《伊万里 弐》は霧散してしまった。

 攻撃しようとすると禁呪により弱められてしまい、かと言って何もしないと今度は石榴が飛んでくる。

 こんな連中相手にどう戦えばいいんだ。

 雄志郎が頭を抱えている間、レイジは《ヘカーテ》の攻撃をまともに食らっていた。

「はっ。レイジ!」

「くそっ」

 レイジが何とか耐えようとした刹那、チェルシーが無情な追い打ちをかけた。

「《ヘカーテ》、《アレスの猛き槍》も使いなさい」

 チェルシーの右手から青い光の槍が生み出されると、それを《ヘカーテ》に放った。

 《ヘカーテ》は振り返りもせずに左手で受け取ると、レイジを更に滅多打ちにした。

 たまらずレイジは吹き飛ばされ、神耐ヒットポイントは全て破壊されてしまった。

 もうこれ以上、神格ユニットの攻撃を受けることは出来ない。受ければあの下級生の女子たちのように殺されてしまう。

「レイジ、大丈夫か」

「ああ。だが、もうあいつらは攻撃出来ない。もう一度仕切りなおしだ。もしも雄志郎が居なかったら殺されていたかもな」

 レイジが強がりの笑いを見せた。

 万象神醒術士リバインキャスター神醒術士キャスターに普段架せられた様々な制約から開放してくれる代わりに代償を支払うことになる。それはゲームのルールのようなものだ。簡単に言えば、万象神醒術士リバインキャスターの存在する戦いにおいて、お互いは連続攻撃が出来なくなってしまう。将棋やチェスと同じように手番を待つ必要がある。

 レイジから伝え聞いた、彼の姉チヅルから聞いた情報はこのくらいしかない。

 他にどんな代償があるのか、または有利があるのかはこれから自分たちで体験するしかないのだ。

 《ヘカーテ》のオーラが元に戻った。

 行動を終えた神格ユニットたちも再び構えた。

 どうやら、『仕切り直し』とやらが終わったらしい。

「頼んだぞ、雄志郎!」

「おうっ。『スピード』!」

 全ての神醒術に備わる特性『スピード』を頭上に表した。濃朱珠色のオーラ三つが素早く回っている。

 これはおそらくA+++を表している。

「あら、残念。『スピード』はこちらの勝ちね」

 チェルシーが自分の頭上を指した。濃藍珠色のオーラが五つも回っていた。

 ドヤ顔で《ケリュネイア》を指差すチェルシー。それから青のオーラが放たれていた。それはおそらく神格ユニット神能アビリティのひとつ、『俊足』だ。

 これでまたレイジたちは一歩遅く戦いを展開しなくてはならない。

 チェルシーとクレマが手をかざす。

 新たにキャストしたのは《バーレー》だ。ナース服に身長大のタブレット端末を持った少女の姿をしている。強力な神能アビリティ《呪詛》を持っていることで有名らしい。それは禁呪と同じ効力を持っていて、脳内リソース『手札』を消費する代わりに放つことが出来る。

 続いてレイジが手をかざす。

「出番だぜ、《スサノヲ》」

 角を生やした筋肉隆々の男が、双剣を持って現れた。燃えるような赤い髪がより強さを印象付けていた。

 レイジの相棒である《スサノヲ》はすぐさまオーラが色濃くなり、筋肉がよりギシッと盛り上がった。《伊万里 弐》と同じ『鬼武者』を持っているがその効果は倍だ。敵を斬れば斬るほど無双の力を発揮する。

 そして、先ほど『スピード』の性質を表していた術を顕現化させた。《近江》という斧を持つ牛男だ。

 そしてキチョウ側にいる《オオヤツヒメ》とレイジ側に《近江》を入れ替えた。《オオヤツヒメ》には神律昇華『金剛』が備わっている。これがあれば《神通力 金剛》の効力が上がるのだ。

 チェルシーは『呪詛』をキチョウの前にいる《近江》に浴びせた。牛男の身体がやや透けていく。

 このままさっきように片方の神格ユニットで衰弱させられてしまうと、存在を維持できずに霧散し、その上攻撃が《ヤマタノオロチ》に集中してしまう。

 レイジは振り返って雄志郎を見た。

 雄志郎は頷くと、レイジは《スサノヲ》に命令した。

「行くぞ。神能アビリティ『神威』だ!」

 雄志郎の頭から『手札』が多く抜けていくを感じた。

 その代わり、《スサノヲ》の筋肉が更に高まり、身体が燃えるような炎のオーラに包まれていく。

「雄々々々!!」

 《スサノヲ》が猛る。

 だが、先に攻撃できるのはチェルシーたちだ。

 クレマの《ペルセポネ》がすぐさま石榴を《近江》に投げた。

 あっという間に霧散してしまう。

「勝ったつもりでいるようだな。てめぇらの顔が緩んでるぜ」

「悔しいのかしら」

「ざっけんじゃねぇよ、てめぇ。チェルシーとか言ったな。その面、叩き割ってやるぜ。雄志郎!」

 雄志郎は頷くと脳内の共有認識をキチョウに伝達した。

「任せなっ」

 キチョウが扇子を高く掲げると、赤いいかずちがその身体を結びつけた。

 その雷を糸のように手繰り寄せる。

「くらいな! 決して打ち消せぬ赤の神律コードを。《神通力 万雷》」

 本当の雷のような怒号が鳴り響き、思わず雄志郎は耳を塞いでしまった。

 チェルシーとクレマの顔が蒼白に変わった。

「くっ。クレマ、『ゴッドドロー』よ」

「はい。『ゴッドドロー』!」

 手を掲げると、後ろにある《バースト》が一枚づつ消えていく。

 《バースト》には神醒術行使に必要な力の源である他にひとつの効果がある。それは運命に抗う行為『ゴッドドロー』である。その名は神が定めた運命を覆すからか、神が定める運命を人智により引き寄せるとか、様々な諸説があるらしい。これは神醒術士キャスターなら誰でも使えるそうだ。

 と雄志郎が思い出している間もまだクレマは『ゴッドドロー』を繰り替えてしていた。

 諦めなければ、《神通力 万雷》は放たれることはない。これは万象神醒術士リバインキャスターが存在する戦いならではの制限だ。

「おい、もうあいつ、六回もやってるぜ」

「往生際が悪いね」

 雷を溜めながらキチョウが笑う。

 チェルシーが首を振った。

「クレマ、もういいわ。これ以上は神醒術が使えなくなってしまう」

「くっ……」

 クレマが手を下ろすと同時に、《ヘカーテ》へ雷が落とされた。

「だけど、諦めない。『小覚醒』なさい、《ヘカーテ》」

「残念♪ 《神通力 雷火》」

「な……」

 雷が更に太く激しくなるや、《ヘカーテ》はあえなく霧散した。

 こうなっては、チェルシーたちに戦える神格ユニットが弱いものしか残っていない。

 その攻撃はキチョウが軽く裁ききり、そしてレイジの《スサノヲ》と《オオヤツヒメ》の連続攻撃をチェルシーに食らわせた。

 あっという間に彼女の神耐ヒットポイントは全て剥がれ落ちてしまった。

「きゃああ⁉」

 チェルシーが後方に吹き飛び、石垣の壁にぶつかった。

「チェルシー⁉」

「大丈夫よ、実際の外傷は殆ど無いから」

 共有認識による痛みのイメージ。さっき雄志郎も味わったが分かっていても我慢できるものではない。

「ぁ……ん……?」

「沢城っ」

 沢城が気がついた。チェルシーの痛みのイメージを共有したショックで目が覚めたのか。

 雄志郎は問いかけ続けた。

「沢城、大丈夫か。しっかりしろ」

「衿崎……先輩?」

「ああ。助けに来たぞ」

「でもどうして。私、先輩にフラレたんですよ」

「気づいたんだ。沢城 美依実、お前が好きなんだって」

「せ、先輩⁉」

「好きだったから、あんなバケモノに立ち向かえた。好きだから、お前を命がけで庇えた。好きたがらこうして助けに来たんだ」

「先輩、あの、その」

「おいっ、雄志郎」レイジが言った。「あいつ、困ってんぞ。見ろ、顔が真っ赤だ」

「え?」

「ユウ坊や、いいや雄志郎」

「キチョウ姐さん」

「告白の返事の前に、まずはあいつらを何とかしないとね」

 急に顔から火が出そうになった。

「あ゛~」

 変な声まで出てしまう。もう収拾つかなくなってきた。

「こうなったら気合の入れ直しだ。キチョウ姐さん、アレ行きますよ」

「あら⁉ ここで一気に決める気かい」

 キチョウは懐から新品のウィスキーボトルを出して、ぐいっと飲んだ。

「くぅ、効くねぇ」

 彼女の酒の感覚が雄志郎にまで伝わってきた、足元がフラフラし眼の前がぐるぐる回ってきた。

「うぇっ」

「雄志郎。気合は入ったかい」

「は、はいっ。おかげで引き当てましたよ。スピードもまたA+++、今度こそこっちの先攻です」

「よっしゃ。場にいる《ヤマタノオロチ》を廃棄」

 チェルシーとクレマが驚く間もなく、再び扇子を掲げた。

「おいでませ《ヤマタノオロチ》」

 再びキャストされた《ヤマタノオロチ》は、様子が先ほどと変わっていた。

 大きな酒樽を並べ、それをがぶ飲みしているのだ。

「何、その神格ユニット 酔っぱらう八岐之大蛇なんてふざけているの」

 チェルシーの顔に動揺が見えたが、すぐにキャストを行った。

「舐めた真似を。もう一度ヘカーテ

 キチョウはゆらりゆらりと立ちながら扇子を振りかざした。

「はいっ。もう一回万雷のオカワリ」

 《ペルセポネ》が何もできずに霧散してしまった。

 チェルシーが《ペルセポネ》と《バーレー》でキチョウに攻撃を仕掛けるも、自身の神耐ヒットポイントで受け止めた。

 いくら神醒術士キャスターでも、あの攻撃を耐えきれるわけがない。チェルシーは吹き出すように嘲笑った。

「あはは。酔っ払って頭が回らなくなったのかしら」

「どこを見ているんだい?私はここだよ」

「どこを見ているんだい?私はここだよ」

「どこを見ているんだい?私はここだよ」

「どこを見ているんだい?私はここだよ」

「どこを見ているんだい?私はここだよ」

「ひ⁉」

 チェルシーの顔が引きつった。

 キチョウの姿が分身のような何重も重なりあっていたのだ。しかもどれも存在感がある。

「「「「「《弐式 神通力 水鏡》」」」」」

 《ヘカーテ》たちの攻撃はまさに水面を叩くがごとく、かすりもしなかった。

 レイジが呆れるように笑った。

「ったく、無茶しやがる女だぜ。ここで見せなきゃ男じゃねぇよな《スサノヲ》!」

「承知!」

 《スサノヲ》の双剣が他の神格ユニットの指揮をし、クレマの神格ユニットががら空きになった。

 もうチェルシー側に攻撃手段がない。

「覚悟はいいな、てめぇら」

 レイジが拳を突き出した。

 《スサノヲ》の双剣が振りあがる。

「あ、《アスモデウスの眼光》……、嘘、術が発動しない」

「終わりだぁ!」

「いやぁぁぁぁ」

 クレマが石垣に叩きつけられ、神耐ヒットポイントは全て剥がれ落ちた。

 と同時にクレマとチェルシーにいた神格ユニットが消えていった。

 そして、二人は崩れるように気絶した。

「美依実!」

「痛たた、先輩、痛い」

「良かった。良かった」

 思わず強くぎゅっと美依実を抱きしめた。

 小さくやわらかな胸から心臓の音がトクトクと聞こえる。

「どうやら、途中から万象神醒術士リバインキャスターとしてのつながりを断ったから、痛みの共有はなくなってたみたいね」

 キチョウが扇子を仰いだ。

 雄志郎はうんうんと頷いた。

「まったく、いつまでいちゃついてんだよ」

 レイジがやっかむ。

 でもふと見たその顔は笑っていた。

 美依実に掛けられた手錠をキチョウの《神通力 鎌鼬》で切断した。

 手首も自由になると、美依実の顔が泣き顔でグシャグシャになった。

「先輩が来てくれるなんて思わなかった」

「さっきも言ったろ。理由」

「あの時、私、諦めなくてよかった。恭子が励ましてくれなかったら……」

 友達の名前を口にした直後、美依実は雑草の地面に伏してしまった。

 大泣きするのも無理はない。まだ一日も経っていないんだから。

 雄志郎はもう一度、美依実の肩を抱きよせた。

 普通ならそっとしておくのがいいのかもしれないけれど、自分だったら誰かにこうして欲しいと思った。

 美依実はその胸に顔を埋めた。

「えー、こほん」

 落ち着いたら一旦ホテルに戻ろう。もう終わったんだ。

「こほん、こほん、こほん」

「ったく誰だよ!」

 雄志郎が周りを見ると、その膝をついた目線にポニーテールの赤い忍者装束を着た女の子が立っていた。

「どうも。拙者は……」

「うわっ」

 驚く雄志郎。

「うわっわわわ。何なんでござりますか?」

「何ってなんでこんな朝っぱに忍者ショウのスタッフが」

「むっ。拙者は見世物ではございませぬ。本物の忍者でございまする」

「は⁉」

 レイジが割って入り、その小学生にしか見えない忍者をまじまじと見つめた。

「お前もしかして、旭家の隠密か?」

「おお、もしや、あなたがレイジ殿ですか。そうでございまする。ようやく自己紹介が出来まする。拙者の名は瀬古 ツナデと申します。旭家の嫡女チヅル殿の命により馳せ参じました。ちなみに、拙者は一四歳でございまする!」

 幼く見られたのを気に障ったのか、それとも読心術とやらでバレたのか。本物の忍者なのは間違いようだ。

 ツナデが続けた。

「お取り込み中ゆえ、先に任を片付けました」

 と手で後ろを指し示すと、気絶しているチェルシーとクレマが見たことあるような複雑な縛り方で身体を拘束されていた。

 雄志郎が言った。

「これもしかして、伊賀忍に伝わる『捕縄とりなわ術』って奴か。実際に使いこなす奴がいるんだ」

「たしかに拙者は伊賀の里の末裔でござりまするが、よくわかりましたね」

「地元なら知らない奴は居ないよ。だってここ、伊賀の里だぜ」

「なんと。本当に異世界に来たのでござりまするなー」

「そういや、姉貴から言われたんだよな。どうやって来たんだよ」

「おお、そうでありました。皆様をお迎えにもやってきたのですよ。あそこの……」

 突然、地鳴りが響いた。

「ぬっ。拙者は先にこの者たちを送り届けなければならぬ故、また後で。御免」

 ツナデはその小さく細い身体で二人の女を抱えると、石垣を飛び越えてどこかにいってしまった。

「何だったんだ、あいつ」

「あの娘もプロってことさ。この地鳴り、神醒術だよ。それも緑の」

「緑って、あの危ない集団《ミズガルズ》かよ」

 レイジとキチョウとの共有認識が切れていない雄志郎には、なんとなくイメージが伝わってきた。

 《ミズガルズ》とは独自のインターネットワークでコミュニティを形成する集団で、『ラグナロクの阻止』のためならどんなことでもやるテロ集団とも新興宗教団体とも言われている。またキチョウの知識を付け足すなら、非常に高度な神醒術を使うらしい。

 大納戸跡の周りの背景が歪みだし、薄暗い部屋に変貌してしまった。

 また分けがわからない現象が起きてしまったと、雄志郎が驚いていると、唸り声が聞こえてきた。

「あぁ、はぁ……。うぅ……」

 その声は突然現れたこの建物の中の椅子に座った老人からだった。

 全身が憔悴しきっており、目も虚ろで、口は開けっ放しのまま、ただ唸っていた。頭には何か奇妙な、脳波検査に使う医療器具のような装置が付けられており、そこから漏れる髪の毛は全て白髪だった。その毛髪もほとんど抜け落ちていた。服は白衣を着ていて、Tシャツにスラックス・パンツだ。

「とうとう、いえ、やっとと言うべきかしら」

 その椅子の背後からもたれるように現れたのは自分と同い年くらいの女だ。ショートカットの髪型に半袖茶色のコサックジャケットに短パン、インナーは水着のような黒皮のビキニで、そのボトムはなんとタイサイドでキツ目の角度のパンツ(いわゆるZ旗パンツ)を着ていた。そのクビに巻いているマフラーは必要か? と思うくらい露出が高い。

 肩で息をしているらしく、シンクロしてビキニが上下に揺れていた。

「おみゃさん、《ミズガルズ》だね」

 今のこの状況に唖然としている二人に変わってキチョウが言った。

 女は息を整えながら答えた。

「ええ、そう。ぼくは《ミズガルズ》だよ」

「いろいろ聞きたいことはあるけど。この異常なまでの緑の輝きはなんだい」

 気が付かなかったが、部屋は緑色のオーラに満ちていた。自分の手や他の人を見ると緑色が重なっていたので何とか認識できた。

「ルーンの輝きだよ。あなたたち風に言えば《バースト》かな」

 一息で言い切り、また肩で呼吸をする。

「こんなに《バースト》を充満させ続ければ、おみゃさんの身体はただじゃすまないだろうに。なぜこんなことを」

「言うとでも思ったのかい」大きく深呼吸をして「と思ったけど、バラしてあげる。《生命のルーン イング》を保つためさ」

「イング? ――な⁉」

 頭の中に新たな共有認識が入ってきた。イングの効果も、彼女の名前も、これまでしてきたことも全て。

「ふっざけんな!」

 雄志郎が声を荒げた。

兼保かねやす叔父さんを人体実験にして、万象神醒術士リバインキャスターの研究だ? その時にこの世界の女の子が死んだからバレないようにイングで生命維持しているだ? ラグナログ阻止に貢献しているのだから感謝しろって?」

「……あなたには、そう認識されたようだね」

「黙れよ、不二夜 ベルダ! お前のせいで美依実のクラスメートがみんな殺されて、美依実も危ない目に合って、俺だって殺されかけた。あんたのしたことはただの猟奇殺人だ!」

「感謝するしないは別にして、ぼくがこうして《イング》をオーバーロードさせなきゃあの娘たちは今頃死んだままだ」

「うるさい! そんなの詭弁だ」

 この怒りがうまく説明できない。でもこれが本当の激怒って奴なんだと言うのが分かった。

 雄志郎はレイジを見た。

「おまえの《スサノヲ》貸りるよ」

「ああ。面倒クセェけど、このまま見逃すほうがもっと面倒クセェよな!」

 レイジのオーラが赤く燃え上がっていく。

 キチョウが思わず下がった。

「これは、『日輪の刃』の輝き。さすがは旭家のだよ」

 雄志郎は美依実を見つめた。

 すると美依実は、うんと頷いた。

 ――仇をとって。

 雄志郎はレイジに全ての力を注いだ。

「レイジ!」

「おうっ。《スサノヲ》お前の本当の力見せてやれ」

 赤き武人が双剣を携えて顕現した。

 《スサノヲ》が吠える。

「雄々々々――。我はもう止まらぬぞ! 覚悟せよ」

「くっ、す、《スサノヲ》」

「偽の神を顕現するなど、万死に値する」

 《スサノヲ》がスサノヲをまっぷたつに切り捨てた。

 その反動がもろにベルダにぶつかり、そのまま気を失ってしまった。

「あらあら。この娘はレイジがキレるとどうなるのか、知らなかったようだね」

 キチョウは、呆れたといった感じで肩をすくめた。

 レイジが《スサノヲ》の顕現を解除した。

 雄志郎は、ベルダの胸ぐらを掴むと、一発だけビンタした。

 全く反応はなく、ただ頬が真っ赤になり口から血が流れた。

 その彼女を抱え、美依実の前に置いた。

「気が済むようにしたらいい。ここにいるみんなは誰もお前を責めたりしない。仇をとる権利は美依実にあるんだ」

 美依実は泣きながらベルダの身体を叩いた。返して、みんなを返して、と何度も言いながら。

 部屋のバースト濃度が一気に薄くなっていく。

 雄志郎は叔父の前に立った。

「こんな事になっていたなんて」

 頭に付いている器具――オーロラデバイス――を取ろうとしたその時、叔父の胸から血しぶきが上がった。

 悲鳴を上げることもなく、叔父は絶命してしまった。

 雄志郎は唖然とし、何も言えないでいると、どこからか声が響いた。

「ラグナロク阻止の礎になった諸君らに感謝する。我の名はクリストファ・ブルボン」

 ヒゲを蓄えた神格ユニットらしきものが幽霊のように現れて、オーロラデバイスを取り上げそのまま消えてしまった。

「なに⁉」

 雄志郎がこの事態を消化できないまま部屋が消え去り、大納戸後に戻った。

 叔父の身体がその後を追うかのように、陽炎のように消えてしまった。

「叔父さん……」

「雄志郎大丈夫か。あの野郎許せねぇ」

「レイジ、ごめん。正直、今起きたことが受け入れきれないんだ」

「だってお前、眼の前で……」

「よしな、そっとしておやり」

「キチョウ、けどよ」

「私達と違って、雄志郎は一昨日まで普通の子だったんだ。たった一日の間にいろいろなことが起きすぎたんだよ」

「キチョウ姐さん、レイジ。今はまだ大丈夫だから」

 雄志郎はそういうと、苦笑してしまった。

 その時、ツナデがまた現れた。

「探しましたぞ、皆様」

 ツナデが満面の笑顔で雄志郎たちを迎えた。

「あの敵らしき術をかわした後、すぐに戻ったのですが、どこにも見つからなくて。おや、その水着のような格好をしたご婦人はどちらさまで」

 レイジは言った。

「まったく。空気を読む術くらい覚えとけ。こいつは、お前の言う『敵』だよ」

「なんと。これはすぐに拘束しておかねば」

 ツナデは荒縄をリュックから取り出すと、鮮やかな手つきで縛り上げた。紐を十字に通して身体と手首を結ぶ捕縛術だ。

「とはいえ。このままでは死んでしまいますが、どうしますか」

 ツナデは皆を見て、皆は美依実を見た。

 美依実は顔を伏せて言った。

「クラスのみんなの名前を一人づつ言いながら叩いたの。だから後は神様に任せます」

「神ね。神罰がこの娘にくだされると良いんだけどね」

 キチョウが扇子で肩を叩きながら言った。

 ツナデがかしこまった。

「では、このまま捕縛して八幡学園都市署に預けるということでよろしいでございまするか」

「ああ、そうしてくれ」

 レイジが答えた。

 ツナデは承知、と言って抱えると皆に改めて振り向いた。

「皆さん、八幡学園都市に帰りましょう。『門』まで案内致します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る