第2話 恐怖を恐れぬものたち

「スマフォかけても繋がらないんだよな」

 道に迷ったというレイジが、もう一度かけてみた。

 やはりダメらしい。

 雄志郎は言った。

「電波の届かない場所じゃないはずだけど」

 あの携帯会社のスマフォだって繋がるくらい、ここは基地局がたくさんあるはずだ。

 レイジは首を振った。

「違う、そういう意味じゃない。ほら」

 もう一度かけた。

 今度は雄志郎にも聞こえるようにスピーカー音声にした。

 プルル……プルル……。

『お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません。もう一度おかけになるか……』

 その液晶画面には"姉貴"という文字が見える。

 雄志郎は頬杖をついた。

「あれ? 家族の電話番号だよね」

「ああ。ネットにも繋がらねーんだ」

 雄志郎は自分のスマフォのロック画面を解除して、一通り操作してみる。

 問題ない。

 時報電話にも繋がるし、ネットも繋がる。

 レイジは路地の壁にもたれて頭を掻いた。

「面倒くせー。ユイの奴に朝早く来いって言われたから早起きしたのによ」

「ちなみに、レイジ……くんの学校は何処?」

「呼び捨てでいいよ。あ、そういや名前は?」

「雄志郎。衿崎えりざき 雄志郎」

「じゃあ、雄志郎でいいか。俺は、旭 レイジだ」

「あさひ レイジ」

「俺の学校は、『八幡学園都市』の中にあるんだけど」

「聴いたことない都市だな」

 ふとスマフォの画面に目をやると、8時を回っていた。

 雄志郎は慌てた。

 気がつけば周りには学生服やスーツの人たちが歩いていた。

「ああ、俺学校行かなきゃ」

「俺もだよ。仕方ないからこいつで連絡とるか」

 レイジは左耳につけているヘッドフォンのような赤い物を指でトントンと指した。

「それも携帯?」

 雄志郎は聞くと、レイジは似たようなもんだと答えた。

 レイジがそれに軽く手を添える。

「もしもし、ああユイか」

 繋がったらしい。

 無線通信か何かなのだろうか?

 通信相手にこれまでの経緯について話すと、向こうは納得が行かないらしく、レイジが怠そうに言い訳する。

「だからさ、分からねーんだって。……ね、姉貴に言う⁉ ちょっ、お前、それは待ってくれ! ……わーたよ。怒らせんなよ、マジで頼むぜ」

「話し終わった? なんだって?」

「調べてみるから、連絡するまで待ってろってさ」

 雄志郎は学校に行かなければならないため、一旦別れることにした。

 レイジの方はとりあえず、ユイというクラス委員長がなんとか取り繕ってくれるらしい。

 放課後に同じ場所で待ち合わせることにした。



          ----------------------------------------



 教室に駆け込んだと同時に予鈴が鳴った。

「セーフ」

 雄志郎が汗を拭うと、その必死な様子を見たクラスメイトたちが笑った。

「お、エロザキ。お前、ネカフェでシコってたのか」

「またかよ」

「賢者モードで全力疾走とか俺には無理だわ」

 雄志郎はいつもの煽りに、っるーせよと笑って返して席についた。

 彼のスケベさはクラスのみんななら誰もが知っている。

 恥ずかしげもなく男子たちとAV女優について熱弁するものだから、女子も引いていた。

 かと言って、完全に邪険にされているわけではなく「エロザキ、これお願い」と頼まれごとをされたり、普通の会話の輪に入ってきたりもする。

 本人はその女子の態度を深く考えてなかった。

 しかし、男子たちからは影で「エロザキって実はモテてるんじゃねーのか」と先に童貞卒業されることを危惧する声が上がっていた。

 そしていつものように授業が始まった。

 今朝起きた事件は周りに知られていないのか、誰も話題にしない。

 教室の移動。

 男子たち二人が声をかけてきた。

「エロザキ、告られたってマジかよ」

 雄志郎はドヤ顔で答えた。

「ああ。振ったけどな」

 男子たちが驚く。

「ばっかだな、もったいねー。一年の沢城っつったら、かなり可愛い方だろ」

「そうだぜ。これで魔法使い確定だな」

 雄志郎は人差し指を立てて、ちっちっちっと横に振った。

「分かってねーな。相手はおっぱい小さいんだぜ。俺には無理」

 男子はからかう。

「まあ、そのおっぱい星人ぶりは感心するがな。でかくなるっていう夢が高1には詰まってんだろ」

「そうそう、揉んで大きくしてあげるとかよ」

 雄志郎がおっぱいの何たるかについて語ろうとしたその時、グラウンドから大きな地響きがした。

「地震か?」

 雄志郎がグラウンドを見ると、大きな金色の蛇が剣を持って立っていた。

 訳が分からない光景に、さっきの男子たちも、教室に移動中のクラスメイトたちも呆然としていた。

 その大蛇は、身体から下半分は蛇にしか見えず、上半分は人間の男の裸体だった。

 しかし、肩から腕が外れて浮いており、その両手には剣を握っていた。

 今朝見た松坂とは明らかに姿形が違うが、バケモノという点では一致していた。

「確か、あれは、レイジが神格ユニットと呼んでいたバケモノ!」

 一度遭遇したせいか、この中で一番冷静なのは雄志郎のようだった。

 その冷静さが事の非常事態を気付かせた。

「あぁ! 一年の女子たちじゃねーか」

 彼の大声にクラスメイトたちが視線を神格ユニットから外す。

「本当だ。女子だ、女子がいるぞ」

「あれ、一年の体操服だよな。ちょ、見てみろっ」

「女子が倒れて、か、か、身体が裂けてる……」

「きゃぁぁああああ」

 一気にパニックになるクラスメイトたち。何事かと他のクラスも騒ぎ出し、教師たちが収拾に追われ始めた。

 神格ユニットは剣を振りかざし、また一人また一人とグラウンドにへばっている女子を斬っていく。

 雄志郎は怖くて震えた。

 手足の感覚がなくなっていく。

 冷や汗が落ちていくのが分かる。

 それでもこれらから目が離せなかった。

 とうとう、最後の女子になってしまった。

 その仕草、顔の特徴になんか見覚えがあった。

 雄志郎は慌てて、震える手をこらえながらメガネをはめてグラウンドをもう一度よく見た。

「さ、沢城!」

 間違いない。昨日の放課後、体育館の倉庫で告白してきた沢城だ。

 どうする?

 助ける?

 どうやって?

 俺にはレイジみたいな力なんてないのに?

 行ったところで何が出来る?

 でもこのままじゃ沢城が殺される。

 昨日、告られただけの下級生だろ。

 だけど、だけど、だけどよ!

「え、衿崎先輩……」

 気が付くと雄志郎は神格ユニットと沢城の間に割って入って、大の字に庇っていた。

 呼吸が荒い。

 脚が痛い。

 頭や手がズキズキする。

 上靴のままだ。

 躊躇っていたはずなのに、身体が勝手に動いていた。

 全速力で廊下を駆けて階段を飛び降り転がってここまで飛んできてしまったのだ。

 自分でもどうしてこんなことをしたのか分からない。

 けれど。

「さ、さ、沢城。逃げろ」

 必死に声を絞り出す。

 か細く、頼りなく、情けない声しか出ない。

 それほど近くでみる神格ユニットは恐怖を与えるには十分の威圧感があった。

 今朝の松坂と比べる余裕なんてなかった。

 神格ユニットが吠えた。

「ウオォォォ」

 駄目だ。殺される!

 カキンッ、と金属音が鳴った。

「必死に走る子が気になってついてきてみれば、あらまあ大惨事だね」

 突然現れた女は、振り下ろされた剣を受けとめてそう言った。

 折りたたまれた扇子が剣と火花を散らしている。

 人を簡単に切り捨てる神格ユニットの力を押し返そうとしている。

 しなやかで白い細腕とはとても思えない力だ。

「ここはわたしが治める。おみゃさんたち、早く離れな」

 と言われた雄志郎は、今の事態が全く飲み込めず、助かったのかさえも判断できていない。

 ただ、ただ、仁王立ちのまま呼吸が乱れていた。

 その様子を襟越し見た着物の女はため息を付いた。

「仕方ない。ここは相棒でも来てもらうしかないね」

 神格ユニットの剣を扇子で弾くと、うなじが大きく開いた着物の女は扇子を開いて口元に構えた。

「出番だよ、ヤマタノオロチ!」

 女から赤い光が放たれると、それが収束し、一瞬で巨大な八首の大蛇が現れた。

「ついでにオロチも来んさい」

 大蛇よりも小さい赤蛇―それでも人間なみの大きさ―がぞろぞろと現れた。

 金色の蛇の神格ユニットはその小さな赤蛇を切り捨てる。

「無駄さね。ヤマタノオロチ、やりな!」

 ヤマタノオロチと呼ばれた八首の蛇が、金色の神格ユニットに襲いかかった。

 剣でガードをしようとするが、凶悪な八首の顎の中で砕け散り、ユニットが噛み砕かれた。

「ごおおおおおおおお」

 断末魔を上げて金色の光となって消滅していった。

 着物の女はくるりと、芸者のように振り返った。

「もう安心なさい。あれは倒したから」

 時代劇や舞妓でよく見る花魁のような出で立ちの女は、にっこりと微笑んだ。

 着物の胸元が大きく開いてふくよかな谷間が見えるけれどそれを楽しむ余裕は今の雄志郎にはなかった。

 そこへヤマタノオロチの一つの首がなにやら女に耳打ちした。

神醒術士キャスターが見当たらない? 分かった。ご苦労さん、もうね」

 ヤマタノオロチとオロチたちはそれぞれ、静かに消えていった。

 花魁の女は、強張った雄志郎の肩を叩いた。

「なかなか、肝の据わった子だねぇ。あとはよろしく頼んだよ」

 緊張がその花魁の柔らかな手からじっくりとほぐれてきた。

 すると周りの大騒ぎ、パトカーのサイレンを認識出来るようになってきた。

 まだ手足の震えが止まらないが、頭は少しづつ冷静になっていた。

 周りには倒れた下級生の女子の死体がたくさん転がっていた。

 それでも、雄志郎は生きている沢城のために動くしか無いと決意することが出来た。

 雄志郎は去っていく花魁を呼び止めた。

「ちょっと待って」

「なんだい。面倒事になるのはごめんだよ」

「あんた、今ゲートが開くかどうか確かめてくれ」

「何を言っているのかと思えば。さっき開いたのだから、……おや、デバイスは動くのにゲートが開かないね」

 雄志郎が花魁に近づく。

「もう一度試してくれ」

「お、今度は動いた。どういうことだい」

「やっぱり、レイジに起きたこととそっくりだ」

 雄志郎の考えの通りだった。

 レイジと彼女の能力は似ていた、ならばと試したのだ。

 自分が近くにいるとゲートが開き、少しでも離れるとゲートが開かない。

 もう一度頼んだ。

「お願いだ、お姉さん。俺と一緒に来てくれないか。あって欲しい男子がいるんだ」

「若い子供が冗談でそんなこと言うもんじゃないよ」

 そういって扇子で口元を隠す。

 どうやら変な意味に取られたらしい。

 慌てて訂正する。

「違う、そういう意味じゃない、真面目に頼んでいるんだ。あんたもこのままここに残ってたら面倒なんだろ。場所のあてがある、お願いだ」

 真剣な面持ちに、花魁は周りの様子を見た。

 警官や消防のサイレンが大きくなってきた。

「分かったよ。何処に行くんだい、坊や」

「行きながら話すよ」

 すぐに振り返ると、沢城の側まで駆け寄った。

 ガタガタと震えている沢城の膝下に右腕を通して、お姫様抱っこで抱え上げた。

 すると沢城が雄志郎に抱きついた。

「先輩、先輩、先輩……」

 うわ言のように繰り返す彼女に、雄志郎は大丈夫だからと声をかけるしかなかった。

「その娘も連れて行くのかい?」

「放っておけないんだ、なんだか」

 花魁は空気を悟ったかのように、扇子を折りたたんで帯に差した。

「分かったよ。じゃあ案内しておくれ、坊や」

「俺の名前は、衿崎 雄志郎だよ。好きに呼んでくれ」

「わたしの名前は豊秋とよあき キチョウ。キチョウ姐さんと呼んでおくれ、ユウ坊や」

 校内のあぜ道を通りぬけ、錆びた鉄扉の壊れた鍵を開けて外に出た。

 片手で出来る簡単な作業なので、沢城を抱いたままでも問題ない。

 先にキチョウを通し、自分が通ると扉を閉じる。

「これでよし。喫茶店に向かおう」

「はて。喫茶店? 他所にこの娘を見られるとや奴しい事になりはしないかい」

「大丈夫。最近出来た変わった喫茶店だから。その後、会わせたい奴も呼んでくるよ」

 路地裏を数分ほど歩くと、雄志郎の言う喫茶店に辿り着いた。

「あひゃっ」

 キチョウが変な声を上げた。

 雄志郎と沢城がびっくりして振り返った。

「なんだ、どうした」

「ここ、私のご贔屓のコーヒーショップよ。個人経営のはずなのに、なんでこんな場所に」

「え?」

 雄志郎は、自分が案内したはずの喫茶店をマジマジと見上げたのだった。

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