第4章 女神の告白

 現場ビルをあとに、私たちは被害者巻田まきたのマンションへ向かった。


「ひと通り捜索して片付けたあとなので、何もかも元通りというわけではないですが」


 坪内つぼうち刑事は理真りまと私を巻田の部屋に案内してくれた。

 なるほど、部屋はきれいに片付けられているが、警察が踏み込んだ直後に撮影された写真も一緒に見ているため、どういう状況だったのかは分かる。理真と私は写真と現状の部屋の様子を見比べているが、おおよそ大きな変化はない。

 目を引くのはやはり、ぽっかりと空いた机上のスペースだ。ここに置かれていたパソコン本体が持ち去られたということだ。隣に残されているディスプレイがやけに寂しげに見える。

 理真はその机の前まで行って、


「巻田さんは据置型のパソコンを使っていたんですね。今どき珍しいですね」

「はい、聞くところによると、巻田はネットゲームが趣味で、私はよく分からないのですが、そのために据置型のパソコンを使っていたそうです。ノートパソコンなんかよりも、昔ながらのそういうパソコンのほうが性能がいいんですってね」

「そうらしいですね。普通に使う分にはほとんど差はないそうですけれど、グラフィックの描画性能なんかで差があるとか。私も詳しくないんですけどね」


 理真は答えて、机から本棚に目を移した。

 グラフィック性能。最初の疑問が鎌首をもたげる。パソコンで作られたアイドル。

 私もパソコン関係には明るくないが、ゲームの他に、高性能のグラフィックソフトなんかを使うのにも、こういった据置型のパソコンのほうがよいという話を聞いたことがある。

 やはり三枝恵美さえぐさめぐみは実在しない電子の中だけに存在するアイドルなのか? そうであれば、あの防犯カメラに写り、タクシーの窓から目撃された人物は誰なのだ。専務の近藤こんどうが、三枝恵美に違いないと断言した、あの女性は。その女性が犯人とイコールではなかったとしても、実際に巻田を殺した犯人が確かに存在するはずだ。

 理真は本棚から数冊の本を抜き出して、パラパラとめくっていた。コンピューター関連の専門誌。それもすべて、グラフィック画像ソフトに関する本だった。


「三枝恵美は、やはり実在しないモデルなのでしょうか?」


 私が考えていたことを坪内刑事が口にした。坪内刑事も理真が眺めていた本を見て思うところがあったのだろう。

 理真は本を閉じ、もとのように本棚に戻して、


「しかし、コマーシャルなどの映像は、本物の人間であると証明されたんですよね。巻田さんがどの程度コンピューターグラフィックスの腕を持っていたのかわ分かりませんが、ネット上の専門家全ての目を欺けるだけのものを作り出せるとは思えません。そんなことが出来るなら、巻田さんはその道に転職すべきでした」


 確かに、それはそうだ。


「捜査本部で、今までの捜査資料を見せていただけますか?」


 理真は現場及び被害者宅での捜査を打ち切った。



 捜査本部で事件資料をひと通り閲覧した理真だったが、収穫は得られなかったようだ。

 その後、坪内刑事は理真と私を応接室に招き入れ、事件について理真の考えを聞きたいと言ってきた。温かいコーヒーをご馳走になりながら理真は、


「警察の捜査で、三枝さんの他に目星をつけた容疑者はいないのですか?」


 と逆に訊いた。坪内刑事は難しい顔をして、


「ええ、これといった容疑者は今のところ浮かんできていません。容疑者特定の基本、つまり殺人の動機は、怨恨と金銭。これは捜査の大原則ですが、殺された巻田に金銭的なトラブルは発生していませんし、大金を貯め込んでいたわけでもありません。残る怨恨のほうでも、まあ、独身の芸能プロ社長ともなれば、それなりの付き合いは発生していたでしょうが、何か問題になるような女性関係はどこからも聞かれていません。唯一、怪しいのが……」

「三枝恵美である、と」


 理真の言葉に、坪内刑事は大きく頷いた。理真は、コーヒーをひと口飲んでから、


「三枝さんが巻田さんの恋人で、彼女が犯人であるというのであれば、そこには何かしらのトラブルが発生したということになりますね」

「まあ、そうですね。殺人に至るほどの」

「発生しますか?」

「……どういうことです?」


 坪内刑事は目を丸くして理真を見る。


「巻田さんが三枝さんに殺されたというのであれば、三枝さんのほうに巻田さんを殺す動機があったということですよね。どんな動機が考えられますか?」


 理真が訊くと、坪内刑事は、うーん、と唸ってから、


「そりゃ、男女間のトラブルなんて、十中八九異性にまつわるものでしょう。この場合だと、例えば、巻田が浮気したことがばれて三枝の怒りを買った、とか」

「三枝さんは、顔よし、スタイルよし、声よし、の完璧な女性ですよ。そんな理想の女性を恋人にしている巻田さんが浮気なんてしますか?」

「うーん、それは、外見だけが女性、というか、異性を好きになる絶対条件ではありませんし、もしかしたら、性格的なところで難があったのかも」


 確かに。ルックスだけが異性としての魅力の全てであるわけがない。もしそうであれば、理真などが未だに独り身で殺人事件の捜査なんて色気のないことをしているわけがない。ちなみに私も……って、これは関係のない話か。


「あ、逆の場合はあり得ますよね」坪内刑事が声を上げて、「浮気をしたのは三枝のほうだった。それを知った巻田は、逆上して三枝に襲いかかりますが……」

「返り討ちに遭ってしまった、と」


 理真が言葉を受け取って言うと、坪内刑事は、そうです、そうです、と強く頷いた。


「ですが、それなら何も逃げることないんじゃないでしょうか。完全な正当防衛ですよ。殺してしまったことが過剰防衛と取られる可能性はあるにしても、逃げ出してしまうよりはよほどましです」

「そのときは咄嗟のことにパニックになってしまったのではないですか? 思わず逃げてしまった」

「そうであれば、もうそろそろ頭も十分冷えた頃合いです。事件発生から一週間経っています。未だに出頭してこないというのは、やはりおかしいですよ」

「ということは、やはり三枝は明確な殺意を持って巻田を刺した殺人犯だと」


 結論づけるような坪内刑事の言葉には、理真は肯定も否定もせず黙った。が、すぐに口を開き、


「もうひとつの動機から容疑者を辿れませんか?」

「もうひとつの? 金銭関連ということですか?」

「そうです。巻田に金銭的なトラブルや、狙われるだけの財産はなかったということですが、三枝さんのほうはどうでしょう」

「三枝がかなり貯め込んでいたと? そこまでは調べようがありませんが……」

「現在の財産ではありません。今後稼ぐお金ですよ」

「どういうことですか?」

「三枝さんは、そのスケジュールはおろか、存在さえも巻田社長によりひた隠しにされ、受ける仕事はごく限られたものだけだったそうですね。ですが、完璧なルックスで、これほど話題になったモデルです。その気になれば、仕事はいくらでも舞い込んでくるのでは?」

「確かに」

「事務所としては、どうでしょう。もっと積極的にメディアに露出させて、仕事をどんどん入れたいと考えていたのではないでしょうか」

「それは間違いないでしょうね。専務の近藤も、明らかに社長が三枝を独占していたことを面白くないと思っていたでしょうし……あ! ということは、安堂あんどうさん?」


 そこまで聞いて、私もぴんときた。もうひとつの考えられる動機が。

 そうです、と理真は、


「巻田社長さえいなくなれば、事務所は三枝さんを好きにプロモート出来るようになります」

「そのために殺した?」

「ですが、この場合にもおかしな点が残ります。専務の近藤さんか、会社の他の誰かが、三枝さんをもっと売り込みたいがために邪魔な社長を殺す計画を立てたのだとしても、当の三枝さんに殺させるはずはありません。これから売り出そうという看板スターの手を汚させるような真似をするとは、考えられません」

「うーん……巻田を殺すチャンスを得られるのが、三枝しかいなかったから、とか?」

「巻田さんは、三枝さんのことで身の危険を感じるほど他の社員や会社関係者を警戒していた、ということでしょうか。唯一隙を見せるのが、三枝さんだけだった」

「そうです。三枝もその計画に乗ったということは、三枝自身も今の待遇に不満を感じていたんですよ。邪魔な巻田を殺せるチャンスを持つものは自分しかいない。自分がやるしかない、と」

「ですが、わざわざ会社の中で殺しますか? 三枝さんが巻田さんの恋人であったなら、情事の最中にでも狙ったほうがよほど確実ですし、証拠の隠滅や現場からの逃走などもやりやすい。間違っても、防犯カメラに写ってしまうなどという失敗は回避出来たでしょう。それに、三枝さんが今の待遇に不満を持っていたのだとしたら、ひと言申し出ればいいだけです。社長を通さずに近藤専務にでも直接。三枝さんは巻田さんと一緒に外に出ているところを目撃されたこともあるそうですから、どこかに監禁されていたわけではないでしょう。何も殺してしまうことはない。何にせよ、事件後、三枝さんが身を隠す必要はどこにもないと思うのですが」

「三枝が消えた。今に至っても姿を見せない。彼女が犯人であれどうあれ、それが一番の謎ということですね……」


 この日の夜の新幹線で、理真と私は一旦新潟へ帰ることにした。これ以上高崎にいても捜査の進展は見込めない、と理真が判断したためだ。

 理真は力になれなかったことを詫び、群馬県警の刑事たちも高崎まで来てもらったことに礼を述べた。


 帰りの新幹線の中で、丸柴まるしば刑事の顔を潰してしまったことになるのでは、と私は理真に言ったが、丸柴刑事はそんなこと気にしない、と理真は返した。同時に、行方不明者の捜索は、物力と機動力の警察の得意分野で、そもそも素人探偵が出る幕ではなかった、とも語った。本心かどうかは怪しいが。



 事件に動きがあったのは、それから一週間程度経った日の昼下がりだった。

 理真の携帯電話に着信があり、買ってから一度も変更していない〈着信音1〉を鳴らす携帯電話を理真が取った。相手は、群馬県警の坪内刑事だった。


「安堂さん、坪内です」


 スピーカーモードにしているため、通話の声はそばにいる私にも聞こえる。スピーカーからの坪内刑事の声は続き、


「三枝恵美から映像が届きました。犯行を自供する内容です。こちらに来て捜査を再開してくれませんか?」


 私と理真は、一番早い新幹線に飛び乗った。



 画面の中では、美しい女性の姿が映し出されている。バストアップよりももう少し上、肩の辺りから上だけを映した映像だ。背中の向こうに背もたれが見えることから、椅子に座っているものと思われる。カメラは三枝から二、三メートル程度離れて撮影されているようだ。カメラとの距離があり、しかも被写体が肩から上しか映っていないため、頭頂部と画面上枠の間には、かなりのスペースが生まれており、そのスペースは白い壁紙の模様で埋まっていた。

 映像に映る女性は、何度もネット上の映像で見た三枝恵美その人。服装はワンピースだろうか。柄からして、防犯カメラに写っていたものと同じ服だろう。

 まっすぐにカメラを見つめていた三枝は、ゆっくりと一礼し、顔を上げると、ひと呼吸おいてから話しだした。


「みなさん、三枝恵美です」


 透き通るような、とは美声に対するありきたりな形容だが、スピーカーから流れてくる声に対しては、その形容以外にありえなかった。コマーシャル映像やラジオ番組の録音、歌などで彼女の声を何度も聞いているが、今回のこれはそのどれと比較しても格別だった。憂い、緊張、覚悟、様々な感情が載せられているであろうその声は、元の声質とも相まって、聞くものの心に直接響いてくるかのような美しさと説得力を持っていた。


「申し訳ありませんでした」


 画面の中の三枝は、そう言ってもう一度頭を下げた。そして、上げた顔の唇が開き、決定的なひと言が発せられた。


「巻田社長を殺したのは、私です」


 横目で理真の表情を窺う。理真は幾分か前のめりの姿勢で、食い入るように画面に視線を突き刺していた。その間にも三枝の独白は続く。私は画面に視線を戻す。


「二月十五日のあの日、私は巻田社長に呼ばれて会社の入ったビルに行きました。帽子とコートで完全に顔と体を隠していたため、道中、私だと気付かれることはありませんでした。倉庫前の一室に呼び出された私は、そこで社長と口論になり、思わず部屋にあったナイフで……社長の背中を刺してしまいました」


 そこで三枝は俯き、目尻を一度拭う。再び顔を上げて、


「巻田社長を始め、シナダプロの皆様には本当にお世話になりました。恩を仇で返すようなことになり、大変申し訳ありません。警察に出頭しようと何度も思いましたが、私は……このまま姿を消すことにします。それが私なりの責任の取り方です。さようなら……短い間でしたけれど、モデルとして活躍できた時間は、本当に楽しく充実したものでした。会社の皆さん、クライアント皆さん、そして、応援して下さったファンの皆さんには、心から感謝致します」


 三枝はもう一度頭を下げた。カメラの下フレームから外れるほど低く。顔を上げた三枝の目が潤んでいた。

 しばらく無言のまま映るだけだった三枝は、最後に潤んだ目のまま、にこりと微笑んだ。思わずどきりとする。映画のワンシーンのように美しい。

 寂しげな笑顔のまま、彼女が頬にかかった髪をかき上げたところで、映像は終了した。


 理真は前のめりになっていた姿勢を戻し、座っている椅子の背もたれに背中を預けた。同時にため息を吐き出す。


「この映像が記録されたSDメモリーカードが今朝、シナダプロの郵便受けから封筒に入れられた状態で発見されました」


 理真と私の後ろに立ち、同じように映像を見ていた坪内刑事が言った。


「発見したのは、社員の方ですか?」


 理真が椅子から立ち上がって問うと、


「はい、昼休み前に一度、事務の方が郵便受けを確認するのですが、そのときに発見されました。ちなみに、朝出社時にも郵便受けを確認するのですが、そのときにはありませんでした。よって、朝に郵便受けを確認してから昼前までの間に投函されたものと思われています。封筒に宛名書きなどは一切ないため、直接投げ入れられたと考えて間違いないでしょう」

「今日は……月曜日」


 坪内刑事の説明を聞き終えると、理真は壁に掛かったカレンダーを見て呟いた。

 ここは捜査本部が置かれた高崎台町だいまち署の一室。新幹線で高崎駅に降りた私と理真は、迎えに来てくれていた坪内刑事の運転する覆面パトに乗りここまで送ってもらい、すぐにカードに記録された映像を見せてもらったのだ。


「どう見ますか、安堂さん」


 続けて坪内刑事が訊くと、理真は、


「犯行を自供したはいいですけれど、肝心なことには何も触れていませんね。口論になって巻田さんを刺したとは言いましたが、その内容については一切口にしていない。出頭せずに姿を消す、というのも意味不明です。これではただの逃走ではないですか」

「責任を取る、って言ってたね」


 私が言うと、理真は、


「責任を取って姿を消す。普通に考えれば、死ぬってことよね」

「死、自殺……」

「坪内刑事、この映像が撮影された場所と時間は特定できないですか? メモリーカードに入っていたというなら……」

「さすがですね、安堂さん。そうです、解析は終わっています」

「どういうことですか?」


 理真と坪内刑事の間で、謎の会話が成され始めたため、私は困惑して訊いた。理真は、私を見て微笑み、


「今のデジタルカメラには、GPSを使って、写真や動画に撮影場所の緯度経度を記録する機能が付いているものがあるの。もちろん、その機能を切って撮影することも出来るけれど、もしかしたらと思って」

「安堂さんのおっしゃった通り、映像データには位置情報も付随していました。恐らく位置情報の記録まで頭が回らなかったのでしょう。三枝恵美は機械に疎かったのかもしれません」


 坪内刑事の説明を聞いて、私は、ほほー、と嘆息を漏らすしかなかった。科学の進歩は凄いものがあるんだなぁ。


「撮影場所は、高崎市のアパートでした。撮影時刻は、昨日の午前九時です。位置情報は平面のため、アパートの何階とまでは判明しませんが、現在捜査員が当該アパートの捜索と周辺の聞き込みを行っています」

「私たちも行っていいですか?」

「ええ、もちろん」


 坪内刑事に再び覆面パトに乗せてもらい、理真と私は一路、三枝の犯行証言動画が撮影されたと思われるアパートに向かった。

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