黒山

 ドライブの帰り、渋滞を避けて入り込んだ夜の山道は思いのほか酷道だった。

 本当に抜け道になっているのか、このまま山中に迷い込んでしまうのではないかと気が気ではなかったが、他府県ナンバーの四駆車が前を走行しているのできっと大丈夫だろう。

 さっきから退屈し始めた彼女がワイパーやハザードランプのスイッチを助手席からいたずらしようと手を伸ばす。

 危険だからと何度も注意しているのにくすくす笑ってやめようとしない。

 山道を必要以上に怖がったり怒り出したり取り乱さないだけまだましか。そう思っている間にようやく雑木林に囲まれた道を抜け、民家の窓がぽつぽつと見え出した。

 下り坂のカーブも緩やかになり一安心だが、狭くて危険な道に違いなく、ガードレールにぶつけないようまだまだ注意は必要だった。

 彼女が再び手を伸ばし、今度はハンドルをぐいっと動かした。車が蛇行する。慌ててハンドルを元に戻し事なきを得たが、冷汗が首筋を流れ落ちた。

 彼女にきつく注意しようとした矢先、目の前の四駆車が急停止したので慌ててブレーキを踏んだ。

 ヘッドライトに浮かぶ四駆からいかつい男が降りてきてこっちに向かってくる。

「お前らさっきからおちょくっとんのか、こらぁっ」

 男は怒鳴り散らして運転席の窓を激しく叩いた。

 怯えて顔を伏せる彼女をかばい、すみませんと何度も頭を下げながら絶対窓ガラスは下ろさないでおこうと考えていた。

「出て来んかぁ」

 緊張の強いられる山道でよほど頭に来たのか、その凄まじい形相に恐怖を感じた。

 どこかに逃げ道はないかと周辺を盗み見たが、車が入って逃げられるような横道はない。あるのは鳥居の立つ細い参道だけで、その奥にはご神体らしい山影が黒く浮かび上がっていた。

 窓を叩いて怒鳴り続ける男に何度も頭を下げたが許してくれる気配はない。

 数戸ある民家の窓はみな明るいのだが、これだけ男が怒鳴っていても誰一人外に出てくるものはなかった。

 困り果てていたその時、ヘッドライトが照らす地面の上を黒い何かが流れてくるのに気付いた。

 鳥居の下からどんどん出てくるそれは小さな黒い虫の大群だった。それと並行して山影が徐々に低くなっていく。

 四駆車を包み込み、ひしめき合いながらこっちに進行してくる流れに男が気付いた時、すでに足元に達していて、瞬く間に全身が黒く染まった。

 悲鳴を上げ虫を叩き落とそうと暴れる男を横目に僕は急いで車を発進させ、小さくなった四駆の脇をすり抜ける。

 ルームミラーに映っていた男は蠕動しながら萎んで消えた。


 後日、鳥居のあった場所を一人訪れた。

 鳥居の奥、細い参道の突き当りには小さな祠があるだけで山などなく、僕たちがいた道にはコップ一杯分ほどの赤黒い染みが残っているだけだった。


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