第12話

「誰だ!?」


 叫んで興梠(こおろぎ)は闇の中、声が聞こえた方角へ目を凝らした。

 それまで気づかなかったが、横の道沿いは建物が途切れて空き地になっている。

 引っ込んだその先に佇む影が二つ。

 後ろの影が持っている鈍い煌めきは――ナイフだ!

 刃先が、前に抱えた人物の喉元に当てられている。首に零れる見覚えのある癖毛――


 (まさか……)


 心臓が凍りつくとはこのことだ。


「状況がわかったかい? わかったなら」

 黒い影は指示した。

「ゆっくりとこっちへ来い。おっと、少しでも妙な真似したら、〝こいつ〟の命はないぜ?」

「……フシギ君!?」

「ゴメン、興梠さん。僕、ドジを踏んだみたいだ」


 (ああ、やっぱり、君か?)


「フシギ君!」

「おい! 勝手に動くなと言ったろう? そうだ、そのまま、もっと近くへ来い」

 少年の喉下へナイフ――最も危険なジャックナイフのようだ――を当てながら男は指示した。

「その子を放せ。何でも言うとおりに従うから。その子は中学生だぞ! 痛めつけたいなら、僕にしろ!」

「ごめん、興梠さん……」

「麗しき兄弟愛だな? おまえたちが台北から来た雨田(あめだ)兄弟とやらか?」

「!」

「驚いたか? 俺は小夜子(さよこ)に関することなら何だって知ってるんだからな。おまえらが最近やたらと小夜子の周りをウロチョロしていることも」

 男はナイフの柄でいきなり志儀を殴り倒すと、興梠に掴みかかった。いつナイフを仕舞ったのか確認できない素早い動きだった。が、それに見惚れている暇は探偵にはなかった。

 凄まじい殴打の嵐。防御の体制をとることさえ出来ない――


 ドスッ、ドスッ、ドスッ


「グェッ」

「言っておく!」

 殴りながら男は叫んだ。

「今後一切、小夜子には近づくな!」

 再開される容赦のない連打。


 ドスッ、ドスッ、ドスッ


「――……」 

「これは警告だ。今回は、命は助けてやる。だが」

 ここで漸く拳が止まった。

「今度また小夜子に近づいたらその時は」

「その時は?」

「てめえの骸(むくろ)が新港の突堤沖にプカプカ浮かぶ破目になるぜ」

「!」

「脅しだと思ったら大間違いだ! この顔は伊達(だて)じゃないんだぜ?」

 胸倉を掴んで引き寄せる。男のその顔にはこめかみから頬にかけて白い月のような傷跡が刻まれていた。

 最後で最強の一撃が脇腹にぶち込まれる。

 その後、探偵に訪れたのは深闇――




「興梠さん……興梠さん……?」

 耳元で木霊(こだま)す声。

 目蓋を開けると、そこに見覚えのある少年の顔があった。

「気がついた? 大丈夫? 興梠さん!」

「つ……」

 喘ぎつつも身を起こす。ゆっくりと息を吐きながら興梠は訊いた。

「君こそ、大丈夫か? フシギ君?」

「うん、僕は1発だけだったからね? 興梠さんは派手にやられちゃったね?」

 男が消えて行った闇を志儀(しぎ)は睨みつけた。

「誰だろう、あいつ?」

「正体は誰かはわからないが――喧嘩のプロだって事はわかったよ」

 痛めつけ方を知っている。

 志儀の言うとおり〝派手にやられた〟が命に関わる怪我ではない。的確に急所を避けている。

 今回は警告と言っていたが、まさにその通りなのだろう。

「やけに小夜子さんに執着していたね? 情夫なんだろうか?」

「じょ、情夫って――強烈な言葉を知ってるね、フシギ君。ところで、何だってこんなことになったんだ? イテテ……そもそも、 何でこんな処に君がいる?」

「僕だって興梠探偵社の一員だからね?」

 言い難そうに鼻の頭を擦(こ)する志儀。

「つまり、要するに、ずっと尾行して……張ってたんだよ!」

「久我小夜子(くがさよこ)を?」

「うーん……厳密に言うと、ちょっと違う。僕が張り付いていたのは興梠さんだよ」

「――」

「それで、最終的に興梠さんがあそこ、久我小夜子さんのアパートに消えたから、僕は周辺を見張っていたわけ。そしたら、いきなり、あいつが現れて――」

 肩を竦めて、照れながら興梠探偵社の助手は認めた。

「捕まっちゃったんだ!」

「聞きたい事はたくさんある。一つづつ聞こう」

 肋骨を押さえて興梠は質した。

「君、強かったんじゃないのか? 薩摩示現(さつまじげん)流はどうした?」

「だから! 僕が強いのは竹刀(しない)または棒状のモノを持ってる時だけさ! 丸腰じゃあ見たとおりの――か弱い美少年だよ!」

「ああ、なるほど」

 興梠は歯を食いしばった。鳩尾(みぞおち)がキュッと痛むのは先の殴打のせいではなく――不安のせいだ。

 だが、確認しなければならない。

「では次。僕に張り付いてたと言ったな? いつから?」

「今日一日」

「という事は……見たのか? あれを?」

「あれ?」

「ヒトがその生涯で最も知人に見られたくない光景(モノ)、だよ」

「わからないなあ!」

 真顔で少年は叫んだ。

「人生の中で興梠さんが最も見られたくなかったものって……〝どっち〟さ?」

 美少年は恐ろしいことを訊き返した。

「白昼の街を、血相変えて跣(はだし)の美女を追いかけてるとこ? それとも、その大元になった――ダンス中に踊り子に平手打ちされたこと?」 

「――」


 (う~~~ )ゼンブミラレテタ……


「さてと」

 ズボンに付いた泥を叩き落としながら少年は腰を上げた。

「僕、タクシーを捕まえて来るよ。でなきゃ、興梠さん、自力では探偵社まで帰れそうにないものね?」

 なんとか興梠は答えることが出来た。

「ああ、頼む。そうしてくれたまえ」

 空き地から出る、まさにその時、振り返って志儀は思いやりの篭った声で言った。

「大丈夫だよ、興梠さん! こんなのはまだまだ最悪じゃない! だから、落ち込まないでよ?」

「うん?」

「なんたって……この醜態を、〝ノアローには見られていない〟んだからね!」


  GO TO HELL THE DEVIL !!!





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