第3話
「私を御指名と伺いましたが?」
傍らに立ったその人、久我小夜子(くがさよこ)はサーモンピンクのソワレを羽のように揺らして小首を傾げた。
写真通りに、否、写真以上に美しい。
眉間にチョット皺を寄せた警戒の顔が、また、好かった。
「こちらは初めてですよね? どなたかのご紹介? それとも――以前お会いしたかしら?」
「僕は台北からやって来たんです」
慌てるそぶりを見せず落ち着いた口調で興梠(こおろぎ)は言う。
「青島(チンタオ)の貿易商社に勤めていて――帝大を卒業して以来、初めての帰郷です」
「あら、帝大生でいらしたの?」
魔法の呪文を聞いたかのように娘の顔に微笑が広がった。
笑うと、途端に幼く見えた。少女と言っていいような。
どちらが本当の顔だろう?
あるいはどちらが仮面なのか?
「今日は弟の〝社界勉強〟にね」
そこだけは真実を言う探偵。次も半分真実だ。
「貴女のダンスは素晴らしいと大学仲間に聞いてね。大陸の連中への土産話にぜひ拝見したいと思って」
「フフ……ダンスショーは時間が決められているのよ。2時と6時と10時です」
「じゃ、今は、体が空いてるんですね? 一緒に踊っていただけますか?」
言ったのは探偵ではなく探偵助手――志儀(しぎ)だった。
「ブッ」
いきなりの怖いものなしの中学生の言葉にウィスキーを噴き出しかける興梠。かたや、小夜子は満面の笑顔で頷いた。
「よくってよ!」
「やれやれ……」
(何をしに来たのかわかってるんだろうな?)
中央のダンスフロアでクルクルと旋回して踊り続ける乙女と少年を、壁に背をつけて眺める探偵だった。
それはそれで美しかったが。
若い二人の舞踏は大いに目を楽しませるものがあった。
〈ラ・ダンス〉
オペラ座正面にあるジャン=バプチスト・カルポーの彫刻。
いや、アレは騒がしすぎる。
ではルノアール?
〈ムーラン・ド・ラ・ガレットの舞踏会〉
群衆の中で唯二人、お互いだけしか存在しないように見つめ合って踊る恋人たち。
待てよ、この仄暗さはウィリアム・ブレイクだな?
ブレイクのダンスの絵は秘密の香りがする。
あれらは人間じゃない。妖精だから。
ならば、むしろ……
ウィンスロー・ホーマーかな?
〈夏の夜〉
大西洋の浜辺で踊る娘たち。
ほら! ちょうど床下の明かりが、絵の中の月光に煌く白波のようだ。
小夜子(さよこ)のステップは軽やかで完璧だった。
探偵の目は釘付けになった。
波(或いは光)に滲む白いハイヒール。
溝口(みぞぐち)未亡人はなんと言ったっけ? そう、妖術の手管(てくだ)。
純情な息子はあっという間に陥落いたしましたの……
ジリジリジリ!
鳴り響く警告のサイレン。
頭の中で?
いや、違う、これは――
「現実だ!」
ジリジリジリ―――ッ!
〈ダンシング・バア・ミュール〉を引き裂くサイレン。
ジリジリジリ―――……
「!?」
「な、何? 何? 火事?」
ダンスフロアで踊り子の手を握ったまま志儀も凍りついた。
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