第11話 ナナミ

 その人はいつも一人で本を読んでいた。


 サトコと別れてからの僕は腐り果てていた。気のあるふりをしては女性に近づき、短期間だけの曖昧な付き合いをしては、他にも手を伸ばすような。

 そんなことを、誰かから与えられた『作業』のように、漠然と繰り返していた。


 ナナミに近づいたのも、そんな『作業』の延長線でしかなかった。


 寝坊を理由に一つの講義を自主休講にした日。

 次の講義に先回りして、携帯でもいじりながら開講を待とうと、扉を開いたそのとき、彼女の姿が目に映った。

 まだ誰もいない講義室に一人で座り、眼鏡越しに手元の文庫本へ視線を注いでいる。

 その空間がまるで、彼女のためだけに存在するかように感じられた。着席することを躊躇いさえしてしまうほどに。

 僕と同じ孤独なのに、彼女は孤独そうではなかった。親近感に似た感覚とともに、そんな彼女のことを羨ましく感じていたのかもしれない。

 やがて同じ講義を受けていることを知り、彼女の姿を目で追うようになった。


「いつも早いよね」

 そう声をかけたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 彼女は赤面症なのか、顔を紅潮させながら慌てたように「あ、はい」と応えてくれたのを、今でも覚えている。はじめはぎこちなかったものの、好きな作家や漫画の話題で打ち解けると、彼女も少しづつ自然と話せるようになっていった。


 それからは、すれ違えば挨拶を交わすようになり、講義室で近くに座っては会話を交わすようにもなった。

「蛍を見に行きたいんだよね」理由は何でも良い。

 大学に通うための電車の広告に「動物園で蛍が展示されている」といった内容が書かれているのを目にしていて、それを使っただけだった。

「だから、もしよかったら、今度一緒に行ってくれないかな」


 連絡先を交換し、集合時間は遅めに設定して、蛍をメインに動物園は見切れないまま時間切れになるようにデートを終わらせる。そして、別の日に自宅に誘って、酒を飲み、行為に及んだ。

 相手の嘘や見栄に気づいたら、それを利用して少し冷めたように見せて、縋るのを待つ。

 いつものように、慣れたようにこなす『作業』は、その時もうまくいっていた。


 飽きたら、別の子に手を出して、自然と離れていく。

 そうして『作業』を繰り返していく、ただそれだけのこと。

 ただそれだけの、はずだった。

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