第3話 邂逅

相も変わらず不登校な三兄弟に、地元で製材業を営む、近所の人々の愛称は「煙のとっつぁん」と言われる片腕のない偏屈な社長が

「はらわたが煮えくりかえった、あんまりいたずらばっかりしてると手痛い目にあうぞ!」と言いながら鈴木家に怒鳴り込んできた。


一心とは酒飲み仲間である。


この煙のとっつぁん、外見はいわゆる大工であるが、齢30の若いころ賭場に出入りをし、賭場から出入り禁止を食うほどのやり手で生粋の博徒という異色の経歴を持つ。


戦前の日本国。政界、財界、法曹界全てに鶴の一声で号令をかけられる

総会屋でもあり、真柴コンツェルンの総帥「真柴義文」と自分の愛妻の解放と代償の命がけの勝負をした事は

博徒たちの間では伝説となっている。


煙たがられるほどの勝負強さを持っていることから、その当時の通り名は「煙」である。


この「煙」であるが、当時真柴の息のかかった組が仕切った賭場をことごとく荒らしている事から、面白くない真柴はある事を提案する。

「煙さんよ、ちょっと麻雀ぶってくれねぇかい」と半ば強引に飲み屋でつぶれていた煙を拉致したのだ。煙の記憶はここでいったん途切れる―


煙が瞼を開けると、一気に酔いがさめたようだ。

その光景が目に焼き付いたのは全体で一秒の時もかかっていない。

一瞬気を取られたのが0.2秒、全体状況把握までに0.6秒の刹那で理解した。

煙が拘束され、縛り付けられている椅子から1m50cm先の目下に一階の床までぶち抜かれた

大穴が開いていて、なんと自分の妻が部屋の四隅の柱にロープで四肢を縛り付けた状態でその大穴の上を宙ぶらりんで行ったり来たりしているのである。


ぶち抜かれた層数から判断するに、今拉致されている階は5階だと悟った。また、支えているロープを全て切ったら妻の命がないことも―


どうもあたりを見回すと5階の窓は全て解放されているが、部屋自体が薄暗い事、声が外に漏れないように防音材を窓に張り巡らせた、使われていない高層建築物のようである。

煙から見て正面は大穴と宙ぶらりんの妻。すぐ右隣には日本刀を持った真柴の配下が居るのである。

部屋隅には四段ある棚とぎっしり詰まったアルバムみたいな物。埃をかぶった蓄音機が見えた。


一階の床の大穴からコツコツと靴音が聞こえて来た。

それは徐々に大きく、また近づいてくる音だと悟り、目を合わせた妻と煙は唾を飲み込んだ。如何にも会談を上がって来る靴音。

その音が最も耳に響くころには、目前にそれは確実に居た


真柴総帥その人である。


真柴は笑いながら開口一番にこう言った。


「ようやってくれたねぇ煙さん。ま、頑張ってよ!」


煙の肩をあくまでねぎらうように2回大げさに叩くと、額に溜まっていた冷汗が重力と衝撃に伴い落下していく― それも床には滴り落ちた煙の冷汗で少々の水たまりができる程である。


二言目には若干トーンダウンし淡々と

「煙さん、わかるね。あんたにどれだけ俺のかわいいかわいい弟分たちが遊んでもらったか。感謝してもしきれないよ。」


形相の変化を見て煙は顔面蒼白。

「感謝」と言い始める頃には、菩薩のような微笑ましい笑顔はどこにもなく

眉間にしわを寄せ、見てくれは怒りの化身、不動明王のそれである。


どんな修羅場でも経験した煙にとって、その二言目を言い終えるまでが無限の時に思えた。それほどまでの修羅場だ。


不動明王が更に口を開く

「さてと、もう一人俺の舎弟が下にいるから呼べばいい。これで4人の面子はそろったわけだ」


煙の横で日本刀を帯刀し待機している男と下から上の階まで上がってくる男、真柴と煙の4人である。


煙が戦術等を脳内で展開中に不動明王の耳をつんざくような怒号が建物全体にこだまする。

「早く上がって来い!!!時を無駄にするな!!!台無しじゃねぇか!!!」


この時煙はこの不動明王が醸し出す危険な香りを、優れた嗅覚で再度嗅ぎ取る。

またわずかな秒数で悟る。


「ばれないようにサマで乗り切る、あわよくば・・・」


煙の前頭葉は危険な賭けに出ることを、煙の体に命令したのである。


不動明王は言う―

「ルールは簡単。あんたが成績悪けりゃそれで終わり。優等生になったつもりでやってみて」

「じゃ始めるよ。」


既に真っ当な勝負の事など頭にない煙は洗牌の段階で一世一代の大勝負に出た。

他の三人が手元に遅いスピードで牌を寄せるのに対し、煙はテキパキとわかりきったような手つきを見せる。


そう、麻雀で全自動卓のない時代に洗牌時、やるサマといったら

大技、燕返しの役満。天和を狙っての事だった。


もう既に手元にはお披露目したくて今か今かと「ロン」の声を待つありえない並びの牌達がくすぶっている。


「仕掛けるぞ」


そう思い、両手が牌に振れたその瞬間―


不動明王は一言

「わかってるよ。」


次に両手を掴んで一言

「この両腕が悪さしてるんだな」


形相が菩薩に戻り、煙に問いかける。

「あんた賭けに出たみたいだが、この状況でしかけるたぁ大したもんだ。」

「だけどこの真柴に弓引いたとあっちゃぁタダでは返せない」

「女房は解放してやる。所で相談なんだけどよ、片腕で勘弁するからどっちの腕がいいよ?」


満面の笑みである。


煙は既に覚悟していた。

この状況にもっていく計算を勝負前からしていたのである。

下手をすると二人分の命が地獄に落ちるという状況下で―


煙は即答する―それは即ち博徒としての終わりを宣言する意味でもあった

「利き腕もってかれたら困るので、左腕でよろしくお願いいたします」


真柴は高笑いをしながら、階内にある蓄音機に目をやり、棚にささっと向かう

そしてこう言った。

「煙さん、あんたは音楽というものが好きかね?」

「あんたの答え聞かなくてもまあいいんだけど」

「俺はねぇ、大好きだよ」


真柴の頭の中で掛けたい曲は決まっていたようである。


「えっと、これこれ。これがいいんだよ!」


手にしたのはドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」のSP盤が納められた茶色い袋。


「俺の友達がさ!帝国劇場で録音した最新のいい盤があるっていうから特別に譲ってもらったんだよ!」


盤を取り出すと真柴は駆け足で蓄音機に向かう―


「待ち遠しいなぁ!早くぅ・・・!」

震える手を抑えながら、盤を乗せ、手回しで横についているハンドルを高速でぐるぐると回し始める。

「よし!準備できた!第四楽章はこの位置で落とせば完璧だ」

ぶつぶつと独り言を言ったのち、微振幅であった手が大幅に揺れ始めた


日本刀をもった舎弟に目をやると

「おい!タイミングを誤るな!外したらお前も罰として片腕落とすぞ!」

定まらない手を抑えて、回っている盤の上に針を丁寧に落とす。

加えて、震えの止まった手を指揮者の如く振る。

さならがら阿鼻叫喚のフルオーケストラの指揮者にでもなった気分であろうか。

「煙!!!いい声で鳴いてくれぇ!!!!」


直後―

煙の声にもならない獣のような咆哮が轟く。

地獄絵図を具現化したような景色だ。



煙は目を覚ました―

例の邂逅が現実であったことを泣きじゃくりながら見つめる妻の顔とふと目をやった左腕がないことを見て、病院のベッドの上で数日ぶりの再開を喜ぶ夫妻であった。















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