第18話
こちらの傷は、腹の横を浅く擦られただけ。対して魔物の方は、どちゃっと音を立てながら、杖を持っていた右腕を落としていた。
振り返り、見やれば、異様に毒々しい色をした細腕の、二の腕から先が床に転がっている。一撃で首を落とすつもりでいたのだが、これでも十分に勝敗を決する決め手にはなっただろう。
「悪いとは言わない。魔物にまで博愛主義を貫けるほどじゃないんだ」
理解するとは思えなかったがそう告げて、ハーリットは次いで暗闇に潜むミゴペインに向かって声を張り上げた。
「さあ、次はお前だ! 出てこい!」
「ふふっ、気が早いなぁ。せっかちな男の子はモテないよぉ?」
冗談めかしたのんきな声が、やはり暗闇の中から教会に響く。そしてその声は不意に、悪辣なものへと調子を変えて。
「なんたって……その子は斬られたくらいじゃ死なないしね」
「ハーリットくん、危ない!」
飛んできたアルフレドの声に、少年は事態を理解するより早く飛び退いていた。その後を追いかけて、骨の杖が墓標のように床に突き立てられる。
さらにそれはすぐさま引き抜かれ、今度は頭蓋の方が棍棒のように振り回される。
ぶぉっ、と大きく風を切る音を立て、それは少年の眼前を通り過ぎた。咄嗟に身を仰け反らせていなければ、頭を叩き割られていただろう。
そのまま一歩、二歩とさらに後退して……そこでようやく、ハーリットは落ち着いて体勢を立て直した。
剣を構え、見据える。そこにいたのは他でもなく魔物、ネクロゴートだが――奇妙なことに、切り落としたはずの右腕がくっ付いていた。
いや、正確に言えばそうではなかった。魔物はその左手に、二の腕から先だけになった右腕を抱えていた。つまり――
「あははっ。その子は身体を再生させられるんだよぉ。相手の生気を吸って、それを自分の身体に蓄えるってわけ。とっても便利だよねぇ」
種明かしをするように、というより単に面白がっている様子で、ミゴペインは説明してきた。のんきな声は、もはやただ緊張する相手の神経を逆撫でし、なじるためのものでしかなくなっている。
「アンデッドを作り出しながら、自分を実質的な不死にする……いや、自分を不死にするためにアンデッドを作っているのか」
研究者はそう分析したようだった。それを証明するつもりではないだろうが――突然、魔物は大きく口を開けた。
おかげで頭から被っていた布が肌蹴て、顔が露になる。その姿は、それこそアンデッドのようではあった。
鼻と顎の突出した、犬に似た動物の頭蓋骨。実際には骨ではなく体表かもしれないが、薄い黄色掛かった乳白色の顔に刻まれた細かな皺が、ヒビのように見える。目や口の奥には眼球も舌もなく、空洞のような暗闇が詰め込まれていた。顎と一体化した無数の牙には体液こそ垂れていないが、凄惨な赤黒い染みがべっとりと付着している。
その口に、魔物は自分の腕を放り込んだ。人間に対してもそうしてきたと明かすように、ゆっくりと牙をめり込ませ、噛み砕いて飲み下す。
そうすることで表面上、何かが変わったということはない。しかし魔物としての異常性を与えることにはなっていた。
少年はこれによってゾンビへと変貌させられた住民を思うと、奥歯を噛み締めて床を蹴った。
「許せるかよ!」
ネクロゴートが杖を構え、突進に合わせて振り下ろしてくる。それを無視してさらに速度を上げ、杖よりも早く魔物の脇をすり抜ける。背後に回り込むと、直後にハーリットは足を止め、慣性の中で身体を思い切りねじった。無理矢理に剣を薙ぎ払い、魔物の横腹を切り裂く。
一方で、ネクロゴートの方もその傷を無視した。みぢみぢと肉が千切れていくのも構わず、ハーリットを真似るように身体を回し、杖を振り回してくる。
が、その頃には少年の姿はもうそこにはなかった。魔物の回転と同じく移動して死角に回り込むと、今度は逆の腹に刃を抉り込ませる。
ぞすっ、と胴体が裂け――しかし剣はその中腹で止まった。
刃を受け止めたのは脊椎のようだった。肉が少ない代わりとばかりに異様な硬さで、ハーリットの剣と腕力ではとても両断することができそうにない。さらには既に裂けた肉の再生が始まっており、ハーリットは慌てて剣を引いた。
「グルォォオ!」
飛び退くと、ネクロゴートが吼える。空いている腕を振るい、投げつけてくるのは先ほどと同じ、骨だ。
「ッチ!」
それは町の人々から抜き取ったものかもしれず、受け止めるのも躊躇って身を屈めて避ける。その間に、魔物は突進してきた。尖らせた杖の石突を構え、槍のように突き出してくる。
ハーリットは屈んだ体勢のまま、同じく前に進み出た。狙うのは足――地面を這うように剣を薙ぐと、それはあっさりと達成された。魔物の右足が千切れ飛び、バランスを崩した本体は少年の上を通り過ぎて背後で転倒する。
だが追撃をしようとすると、その頃には既に再生が終わっており、ネクロゴートは跳ね起きながら杖の上部を叩き付けてきた。
がんっ、と鉄を叩く音が響き、少年は攻撃を防いだ剣と共に弾き飛ばされた。壊れた椅子のいくつかをさらに破壊しながら転がって、尻餅をついた格好で止まる。切れた口から滲む血は、唾と一緒に吐き出した。
「くそ、再生に任せて無理矢理こっちの懐に飛び込んできやがって」
それは紛れもなく、脅威だった。倒すことができないというだけではなく、反撃に出ることすら許されない。攻撃すれば、それがそのまま隙にされてしまう。
「ルォァァアアア!」
再び魔物が吼えて、向かってくる。ハーリットは舌打ちしながら立ち上がり、他にどうすることもなく迎え撃った。とはいえやはり、迂闊に攻撃することはできない。
相手の隙は数多くあるが、それに打ち込んで、相手の反撃を受けず、なおかつなんらかの効果的なダメージを与える手段というのは思いつかなかった。
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