第11話
宿場町エンダストリ。薄暗い空の下、恐る恐るその中に入っていった少年冒険者ハーリットと、魔物研究家アルフレドは、共にきょろきょろと辺りを見回した。
まだ町のほんの入り口である。それでも一歩踏み入れた瞬間、そこに何か異様な気配が漂っているのを、ふたりとも感じ取っていた。
しかし、実際のところは何もなかった。
町はそれほど大きなものでもない。一日も経たず外周をぐるりと回ることができるだろう。外周の目印になるのは申し訳程度の柵だが、奇妙なことにさほど破壊されてはいなかった。草や蔦が絡まり、腐敗し、破損している箇所は多いが、元の姿を留めている。
町の中も似たようなものだった。街道から続く通りは、そのまま町の中心を走る大通りとなっているらしいが、道自体は街道よりも整っている。ところどころ石がめくれ、土が顔を出しているものの、そこからは草も生えていない。
左右には廃屋があるものの、そのほとんどがやはり元の姿を残したままだ。民家の壁には穴が空いていないし、商店の棚は倒れていない。商品も乗ったままで、宿の窓は壊れていなければ、屋根が崩れていることもない。
壁の色が変色したり、植物が伸びていたりするのは仕方ないことだろう。放棄されて腐食している点が見られないことはないが、少なくとも修復は可能だと思える状態ではあった。
だからこそ逆に、少年も研究家も訝っていた。魔物の襲撃を受けたというわりには、目に見える被害が少ない。大通りを真っ直ぐ、町の中央に向かって歩きながら、その様子にふたりで首を傾げ合う。
この様子なら誰かが――例えば盗賊などがこっそりと隠れ住んでいても、不思議ではないだろう。
「ひょっとして……そういうのを見間違えたんじゃ?」
「その可能性はありそうだ。しかし他にも、奇妙な噂がいくつか存在する」
アルフレドは、少年を怖がらせようと思ったわけではないだろうが、慎重に声を潜めて言ってきた。そうでなくても、頬がややこけて、くすんだ青色の瞳をしたこの研究者の顔は、薄暗い空の下ではやや不気味だが。ともかく彼は、無人になった屋台の横を通り過ぎ、そこに並ぶ腐敗した果物の臭いに顔をしかめつつ。
「例えば、この町に入ると自分も徘徊する死者にされてしまい、二度と帰ってこられない、だとか」
「盗賊と鉢合わせて捕まった、と考えることもできます」
「近くを通りかかるだけでも数日以内に死ぬ、だとか」
「それも盗賊が口封じのために、と考えられます」
「その死者が近隣の人々を襲い、少しずつ他の町も侵食されている、だとか」
「既にこの町の話でもなくなってますね……」
ハーリットはそれらひとつひとつに反論し、おかげで研究家の方は腕を組んで顎に手を当て、「ふむ……」と考え込んで立ち止まってしまった。
「やっぱり賊の仕業じゃないんですか?」
「今のところ、その可能性は高まっているようだ」
流石に反論を受けたからといって拗ねたりはしないらしい。研究者らしくハーリットの言葉を認め、頷く。しかしそれでも腑に落ちない様子ではあった。
「ともかくもう少し回ってみよう。元より死者徘徊の噂がどうであれ、この町がなんらかの襲撃を受け、壊滅したことには変わりない」
研究者の目的はあくまでも、ふた月前に魔物が町を襲った理由にある。そのため、死者徘徊の噂と因果関係がないと分かればそれもまた進展だ、と言って歩き始める。
一方でハーリットもそれに続きながら、しかし目的は少し違うところにあった。町の襲撃と、人々を恐怖させる死者徘徊の噂。二つの話が合わさったために、ある疑惑が生まれていた――
(どっちかの犯人が『屍旅団』だって可能性は、考えられるよな)
内容こそ違うが、グアデンの町と同じ気配を感じてしまう。ハーリットはそのために、研究家の依頼を受けることにしたのだ。
思い浮かぶのは以前に見えた女の顔だった。シェルと名乗った自警団の女――ただしそれが本当の名前かどうかは疑わしい。まさか彼女がそのまま見つかるはずはないと思いながらも、痕跡はないかと探るように周囲を見回していく。
大通りからはいくつも大小の脇道が伸びており、住宅街や商店街、あるいは主要な施設へと繋がっているようだった。大通りというのはそれらに向かうための中継点のようなものらしい。
しばらく進んでいくと町の真ん中に到達したらしく、円形に広がった空間の中心に像が立っていた。元々は黒い犬の像だったかもしれないが、今は塗装が剥げて灰色の石肌が見えている。
ハーリットたちはそこで一度立ち止まった。その場所からは前方と左右に同じ幅の道が伸び、どうやら二本の大通りが十字に交差する作りになっていたらしい。その辺りの詳しいことは――実のところ像の隣に立てられた、町の案内看板で知ることができた。
宿場町であったためか、主要な施設と宿屋、食料品店など、旅人に向けた案内が記されている。風雨によってその看板自体が傾き、像と一緒にところどころ剥げて文字を読めなくしていたが、それでもおおむねの配置を知ることはできた。
アルフレドがそれを見ながら腕を組み、行き先を思案する。
「北――つまりこのまま真っ直ぐ行った先にあるのは教会のようだな。西には診療所、東は……宿が三つ並んでいるな」
「激戦区だったんでしょうかね」
緊張感なく、というよりどこか上の空で答えながら、ハーリットはそれぞれの通りを順番に、何度も繰り返し見つめていた。それは別に、アルフレドの話に興味がなかったわけでも、調査に付き合うのが嫌になったわけでもない。
むしろ逆――ハーリットは先ほどから、妙に視線を感じるような気がしていた。
賊かもしれず、魔物かもしれず――あるいは『あの女』かもしれない。それを確かめるため、いっそう注意深く周囲を警戒しなければなかった。
「……? アルフレドさん、ちょっとこれ」
と、そうして目を光らせていたおかげだろう。ハーリットは像から少し離れた石造りの地面に、あるものを発見した。研究家を呼び寄せ、そこに歩み寄る。
それは正確に言えば、石造りの地面ではなかった。敷き詰められた四角い石の一枚、人の歩幅にすれば一歩半ほどがめくれ、土が剥き出しになっている。そして前日の雨――さらには今もまた降り出しそうな黒い雲のかかった空――のおかげで、土が酷くぬかるんでいる。
そこに、足跡が付いていた。
「これは……靴だな。人の靴だ」
アルフレドはそう断定する。跡は人の足と同じ形をしながら、滑り止めのようなギザギザした凹凸を作っていた。足跡自体はふたつ。ひとつは石との境に半分だけ、もうひとつは全体がハッキリと。そのいずれのつま先も、向いているのは東の通りの方角である。
「少なくとも昨日、見る限りは今日のものか」
「追ってみるべき……ですかね、やっぱり」
「当然だろう」
どこか躊躇いがちな少年に対し、研究家は強く頷く。何者であっても大きな手がかりになるはずだ、と。
無論のこと、ハーリットもそれはわかっていた。だからこそ、早くも東へ向かい始める魔物研究家を追いかけた。
躊躇を見せたのは他でもない――これがあからさまな罠に見えて仕方なかったからだ。
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