第8話
シアはそこまでを書き終えると、暗黒の支配する屋根裏部屋で大きくゆっくりと、無音のまま吐息した。
呼吸音が発されないのはシアがそのような行為であれ音を極力立てず忍ぶようにしてしまうという、生来からの習慣のためであるが、余計なものに紛らわされて気が散り、一呼吸の区切りが集中を失わせてしまう、ということがないのは幸いだった。
シアは実際、吐息とほんの少し目を閉じるという行為をした後、すぐにまたペンを取って執筆を再開した。とはいえそれは残る僅かなエピローグの部分であり、追伸のように記すだけで、さして労力のいるものでも、時間のかかるものでもなかった。少年、ハーリットがひとまず事件を解決したという余韻と、続く旅の困難を暗示させながら、自警団に捕らえられた賊たちが屍旅団とは無関係の、ただ手引きされていただけの一般的な盗賊であったということを明かしていく。
そうしながらシアは、実際の事件の解決はどうであったのかということに興味を抱かざるを得なかった。これも半ば習慣となっているものだが、実のところその興味が正しく解消されたということは、およそ一年間続けている執筆稼業の中で一度あったかどうかという程度しかない。それというのも噂というのが勝手なもので、発生は詳しく聞こえてくるというのに解決はそれほど聞こえてこない、という特性を持っているせいに他ならない。よほど重大なものであれば別だろうが、たいていの場合、シアは事件の解決を自らの小説の中でしか知ることができず、今回も犯人が捕まったかどうかすら耳にしていない。
しかし彼女にとってはそれで十分であったかもしれず、実際になんとしても解決を知りたくて堪らなくなり、そのために人と遭遇するという恐怖を乗り越え、ましてや人と会話をするなどという途方もない暗黒の儀式を行ってまで調べ上げたなどということは一度としてなかった。
シアにしてみれば自らが無事に、小説の中で憧れの少年に事件を解決させることができたというだけで満足であり、他に望むべきことは何もなく、唯一あるとすれば一年前、自分とこうした空想の世界を結び付けてくれた、『本物』の少年冒険者にもう一度会いたいという願いだけだったが、あるいは実際にはそれすら望んでいないのかもしれなかった。
そう考える間に、彼女は本当に最後の一行を書き終えて今月分の小説を完成させた。あとはインクが乾くまでのしばしを待つため立ち上がると、書棚へ向かう。シアは猫や梟などの夜行性動物、あるいはもっと別種の暗闇に潜む怪物めいた生物でない限りは目視することのできない室内を、全く迷うことなく歩き書棚に辿り着くと、そこに並ぶ本の数々に目を通した。下段の端の一角には見本品として出版社から送られてきた、自らが著した小説が数冊収められているが、それに手をつけたことはなく、今もまたそれとは全く正反対の場所にある一冊を取り出した。
自らが著したものも同様だが、本は活字の彫られた板を使って紙に刷ることで複製するという、途方もない重労働によって作り上げられている。それでも筆写などよりは格段に多く、また販売範囲も広くすることが可能となり、それに伴って運搬の段階で書物が傷付かないよう、表紙と裏表紙で挟んで束ねるという風習も生み出されることになった。表紙に題名を記す風習も同時に始まり、書棚に収まるほとんどの本にも数々の趣向を凝らした表題が記されている。
しかし今シアが手に取ったものには、奇妙なことにそれが全く書かれていなかった。それどころか表紙も裏表紙も存在しておらず、活字の印刷ですらなく筆写であり、それは父の筆跡だった。そして表題がない代わりに、紙の端に注釈のように題らしきものが記されており、シアはそこになんらかの奇妙で恐るべき暗澹たる暗示を感じ取らざるを得なかった。
そこにはこう記されいたのだ――『未知の魔物についての考察』と。
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