禁忌 2

 警察署に着く前に通報してくれたのはアメ先輩だとわかった。わたしが帰っている途中と言ったことで大方の位置がわかったんだろう。


 署に着いて招かれた先はガラス張りの個室でそこには向かい合った長いソファがあり、わたしが座ったソファの向かいのソファには若々しい女の刑事さんが座った。案内してくれた警察官が立ち去るとわたしは彼女と二人きりになった。


 「リラックスしていいからね」


 スキンヘッドで大柄な男性刑事がお茶を持って入ってきた。この人はどうやら女の刑事さんの部下らしい。二人が並んで座る姿は美女と野獣のようだ。


 「私は深見藍よ。こっちのデカいのは大堂くん。まあ、ちょっとの間よろしくね」


 「あ、はい……ご丁寧にどうも」


 「よろしく!」


 強面に似合わず爽やかな笑顔で大堂さんは握手を求めてきた。恐る恐る握手に応じると、大堂さんの手はわたしの手を軽く潰してしまいそうなくらい大きく感じた。それでいてひんやりと冷たかった。


 それから行われた質問は何というか奇妙な質問だった。まず怪物に会った時間帯や場所を聞かれたのはまあ、普通のことだと思う。だが、それからは友達付き合いで何か変わったことはあったか? 学校の様子はどうか? など、やたらとわたしの周囲のことを聞かれた。

 深見刑事と大堂刑事は何か探りを入れているようにも思える。だけど確信はない。奇妙な質問の中にちょくちょく怪物のことについても聞かれる。


 「すいません、他に怪物が出たなんて事例はあるんですか? わたしが見た蜘蛛みたいな怪物は噂になっていたらしいんですけど」


 大堂刑事の眉が一瞬ゆがんだのを確かに確認した。


 「いや、特にそんな現実離れした事例はここにはこなかったわね」


 「噂としても聞いたことはないんですか?」


 「さあ、どうだったかしら」


 「怪物のことはこれからどうするんですか? 逮捕とか……するんですかね?」


 「霜野さん」


 突然、大堂刑事が太く低い声でわたしを制した。


 「私らの質問にだけ答えていてください。そちらからの余計な詮索にはあまり応じられません」


 「こら、大堂君」


 大堂刑事はすごく怖い顔でそう言い、深見刑事は落ち着いて彼をなだめたが、彼の意見には賛同しているようだった。深見刑事のわたしに向けられる視線には余計な検索をするなとけん制するような思いが込められていたように感じた。 


 「深見さん、一紗ちゃんのお兄さんという方がお見えになられているのですが」


 そう言いながら部屋に入ってきたのは若い刑事さんだ。左腕に包帯が少し巻かれている。


 「加賀君、迎えなら外で待っているように伝えてきて」


 「いえ、一紗ちゃんと話をしている方と直接話がしたいと聞かなくて……」


 「ダメ、外で待ってもらってて」


 こういう事情聴取みたいなのはたとえ身内であっても当事者以外は関わってはいけないのだろうか? とはいえ、こうして一人で二人の質問を受け続けるのも正直キツくなってきてる。何とかお兄に来てもらえたらいいんだけど……。


 「そうだ! 兄から噂のことを聞いたんです。兄なら怪物のことについてもっと知ってるかも」


 深見刑事と大堂刑事の二人は一度顔を見合わせて大堂刑事が深見刑事に何かを耳打ちすると、深見刑事はお兄がここへやってくることを許可してくれた。

そうして招かれたお兄を見て二人は一瞬驚いた表情をするが、すぐに元の引き締まった表情に戻るあたりさすが刑事さんといったところなのかな。


 「いやあどうもお騒がせしてしまい申し訳ありません。妹が心配で飛んできたもので、下のおまわりさんには少々汚い言葉を吐いてしまいました。あはは」


 白々しい笑い方だった。だけどふざけているわけじゃない。お兄はきっとあの怪物のことを聞き出そうとしている。『霜野一哉』とはそういう兄貴なのだ。

 そんな兄貴に大堂刑事が質問する。 


 「あなたが怪物の噂を一紗さんに教えたというのですね? その噂をあなたがどこで知ったのかを教えていただけませんか?」


 「その前に僕が来るまでに一紗と話していたことを教えてください。まだ右も左もわからない状況でしてね。それに僕からもお伺いしたいことがいくつかありますし」


 大堂刑事はこれまでの話をわかりやすくまとめて少しの言葉で的確に表現した。お兄も理解したようで、さっきの質問に答える。


 「友達から聞きました。夜な夜な街で怪物が人を襲っているってね。僕は怪物を実際に見てはいませんし半信半疑だったのですが、妹が実際に被害に遭ったということはその怪物は実在するのでしょうね。怖い話です」


 「それだけなわけ? 噂については。その噂がどれくらい広まっているのかは知らないの?」


 「はい、知りませんね」


 「でしたらここでお引き取り願いたいのですが」


 「僕からも質問させてくださいよ。ていうか、何でそんなに僕を避けようとするんですか? 寂しいじゃないですか」


 「被害者の身内とはいえあまり世間に広まっていいような話ではないのですよ。わかりますか? いたずらに世間を騒がせる要因は作れないのですよ」


 最初は爽やかな印象を受けた大堂刑事だが、今は苛立ちの色が表情に強く出ている。お兄も相手が苛立っていることがわかっているはずだ。なのにまったく退こうとするする様子を見せない。


 「世間に怪物の存在が公になる前に警察は何をするのですか? まずそれが知りたい」


 「当然それなりの対策を取らせてもらいます。ご心配なく」


 「それは全国の警察が一丸となって行動を起こすほどのものですか? この署の警察だけで行う対策なんですか?」


 「それはこれから検討をしていく次第です」


 「それじゃあその対策とはなんです? 怪物の討伐ですか? それとも住民に避難勧告とか?」 


 「それもこれからの検討次第です」


 「……まるで話にならない」


 呆れたような言葉を吐くお兄だが、表情には何故か余裕があるように見える。いや、頭に手を当てていかにもそれらしいポーズは取っているのだが、どこか演技風なところがある。よほど怪物のことが知りたいみたいだ。


 「それじゃあ根本的な質問をさせてください。一紗がわざわざここの署に連れて来られた理由は何ですか?」


 「お答えできません」


 「何故です?」


 「それを言ってしまえば一紗さんにここへ来てもらった理由を言うのも同然なのでやはり言えません」


 この返答にはわたしも納得いかない。早く帰りたかったのにちゃんとしたした理由もなくまた学校の近くにまで連れ戻されるなんて考えてみればムカつく話だ。わたしからも言ってやろう。でもなんて言おう? 待てよ、そういえばお兄は……。


 「ここに怪物のことをよく知っている人がいるから連れて来られたんじゃないんですか?」


 わたしがそう言うとこの場の空気が一気に緊張したように思えた。すごく居心地が悪い。何なんだ? 一体。この人達は何を隠しているんだ?










妹を車に乗せて警察署から家まで送り届けた後、車から妹だけを降ろして自分はそのまま梓ちゃんに連絡を入れた。


 「お疲れ、良い働きだったよ」


 何ということはない。妹を追いかけまわした蜘蛛の怪物は太刀川梓。そうさせたのはこの俺、霜野一哉こと木野裕一というわけだ。いつまでも優しい一哉お兄ちゃんを演じなくちゃならないのも疲れるものだ、まったく。


 『警察の方々は何と言っていたんですか?』


 一紗が怪物のことを知っている人がいるのかという質問をした時は心の中でガッツポーズをとったくらいだ。俺からそこまで踏み入ったことを聞いていたら流石に怪しまれるかと実はドキドキしていたからな。


 「それなりの対策は取らせてもらいますとのことだ。俺の予想通り警察はレプリカのことを知っているだろう。何とか隠そうと必死そうだったよ」


 電話の向こうで梓ちゃんは息をのんだ。自分がヤバイことをしたという自覚があるのだろう。


 「薬を与えられたレプリカ達は色々と命令というか制約みたいなものを課せられているだろ? ん? その制約の一つに目立つような行動は取るなとかなんとかあるんじゃないのか」


 『……』


 「そして制約のことを話してはいけないということも」


 『……あなたは一体何が目的でこんなことを』 


 「薬をいただいて一儲けさ。わかりやすいだろ?」


 それもいいが、薬の力も手に入れたいとも思う。他人を自在に支配できるそんな夢みたいな能力があったらいいなと心から思う。


 「引き続き騒ぎを起こし続けてくれ。警察のことをもっと知りたいから。頼んだよ」


 このまま騒ぎが広まっていけば警察も動かざるを得なくなるだろう。しかし、それはあくまでさっきの署以外の話になるだろう。薬を与える側の人間が騒ぎを起こしたくないと考えるとなると、間違いなく梓ちゃんに接触を図るはずだ。その時がレプリカの親玉に会えるチャンスになるかな。


 『私はいつまでこんなことを続ければいいんですか?』


 「俺がいいと言うまでだ。というか、レプリカなんかになっておいて人を襲うのがそんなに嫌なのか? 君は何が目的で人間であることを捨てた?」


 『……家族を守るためです』


 力強い意志に満ちた物言いだ。この子の行動原理はすべてそこにあるというわけっだたか。俺にあんなことまでされておいて壊れずにいるのは全部家族のため……ね。


 俺とは大違いだ。


 「家族を守りたいなら俺に従え。忘れるな」


 ポケットに携帯をしまい、少し背伸びをして家の中に入ろうと車から降りた。しかし、俺は今の行動を瞬時に取りやめて運転席に戻り、エンジンをかけて親父のワゴン車を急発進させた。俺をそのように行動させた理由は暗闇の向こうから飛来する巨大な蟲がかろうじて見えたからだった。

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