禁忌 1

 県立S高校の生徒の行方不明者数及び死傷者数は今年で十人を上回った。その中の死傷者数の中にはキリ先輩が含まれている。身近な人が死んだのは初めてだった。そこにあるはずで、あって当たり前だったものが急になくなってしまったような虚無感を抱きながら淡々と日々は過ぎていった。

 アメ先輩はキリ先輩を危険な目に遭わせたのは自分だと責任を感じて学校を休みがちになった。わたしだってあの時先輩を止めることができていたならと何度も考えた。だけどどうすることもできない。どうすることもできなかった事件直後のわたしは荒れてたんだと思う。先輩の弔いのために犯人を突き止めようとして、だけど突き止めたからどうしようっていうビジョンは全く見えていなくて、ただ自分勝手な都合で危険なことをしていただけだった。 


 あの時のわたしは見ようによっては、駄々をこねる子供と変わりはなかったのだろう。なら今はどうかと聞かれたら、よくわからない。自分が何をしたいのかが……わからない。


 『死んだ人間は勝手に死んだんだ。君の償いの理論は因果を辿れば誰のせいにもなり得る。そうやって心を痛めるのは死んだ人間からしても迷惑なことだと思う』


 事件現場にいた木野先輩があたしに言った言葉はとても冷たく、無情でありながらも的を射ていたように思う。だけど、残された人間が去っていった人間のことを気にせずにすぐにもとの生活ができるようになるとは思えない。でも、もうもとの生活に戻らなくてはならない時なのかもしれない。 


 今日も浮かない気持ちのまま、帰りの電車に乗った。わたしの家は終点の一つ前の駅を降りた先にある。そこに至るまで、時間はそこそこかかる。いつものように仮眠を取ろうと思ったその時、右足を誰かに踏まれた。


 「あ、すいませ……あ」


 「あ」


 足を踏んだ人物の第一印象は「頼りなさそう」だった。そして、わたしはそんな頼りなさそうな人を知っていた。以前、キリ先輩が死んだ場所で出会った人だった。


 「木野先輩ですよね?」


 「ああ……うん。覚えてたの」


 何の気もなしにそう言ってみたところ、木野先輩はどこか嫌そうに返事をしたように思えた。そのまま去っていこうとした先輩をわたしは止めた。


 「ここ、よかったら座りませんか?」


 一瞬先輩の顔が引きつった。やはり、あの時木野先輩を少し疑っていたことを悟られてしまったんだろうか。悪いことしたな……。


 先輩は渋々といった様子でわたしの隣に腰を下ろした。先輩の方からは何も言ってこなかった。


 「犯人、見つかったみたいですね」


 わたしのメンバーの中に犯人がいるという大まかな推測は当たっていた。警察の調査によってその犯人は入間創だとわかった。彼はすでに何者かにより殺害されていた。


 「……そうだね」


 「正直、先輩のことを疑っていました」


 「だと思ってた」


 「そのことは……すいませんでした。本当」


 「……もう、気にしてないよ」


 それっきり、しばらく会話が続くことはなかった。日が徐々に傾いてきて車内に光が差し込んできた。

 木野先輩は無口な人だと思った。こうして互いに黙っている状況に気まずさを感じたりはしないのかな。


 「入間君を殺したの、誰なんでしょうね」


 「……僕が知るわけないだろう」 


 そう言う木野先輩の横顔はあからさまにわたしから背けられていた。


 「夏川さんは……元気ですか? 入院したって聞いてるんですど」


 「さあね、僕は何も知らないよ」


 『間もなく○○。次の駅は○○駅です。お出口は右側の扉です』


 わたしの降りる駅を知らせるアナウンスが人がまばらになった車内に響いた。わたしは夕日が車内をオレンジ色に照らすこの時間帯が好きだ。今の季節ではここでそれを長く味わえないのが残念だ。


 「じゃあ、僕はこれで」


 「あ、わたしもこの駅です。奇遇ですね」


 木野先輩は少し諦めたような顔をした。

 改札を二人で出たところ、携帯に着信が来た。画面を見ると、わたしにとっては身近でありながらも意外な人物からの着信だった。木野先輩に一言断って電話に対応する。


 『もしもし、一紗かい?』


 電話の向こうからはよく知るのんきな声が聞こえた。


 「お兄? 珍しいね、わたしに電話なんて」


 わたしの兄は県外の大学に通う十九歳。今年で二十歳になる。昔からどこか抜けている性格の人だ。中学生の頃に事故に遭い、その時の傷のせいで一人暮らしすることは家族から止められたしわたしも止めたけど、お兄はそれでも意志を変えることはなかった。そんな風に、お兄には頑固な一面もある。


 『たまには電話くらいするさ。それよりお前、新聞部だったろ? 面白いネタがあるんだけど、知りたくない?』


 「それ言うために電話してきたの?」


 『何だ? 乗り気じゃなさそうだな』


 「あまり意欲的な部員じゃないこと、お兄は知らなかったっけ? 後で聞くだけ聞いとくから」


 『そう言わず今聞けよなぁ。特ダネだと思うぜ』


 「くどい」


 『巨大蜘蛛の噂なんだ』


 「巨大蜘蛛ぉ? そんなの野生研の分野じゃん。新聞部が取り上げる話題じゃないっしょ」


 『別名は人食い蜘蛛と呼ばれている。興味ないか?』


 今は他の新聞を書かなくちゃならない。それ以外の話はそれからだった。ていうか、その噂は第一嘘くさい。


 「だーかーらー! くどいって言ってるの! わっかんない?」


 そう言って強引に通話を切った。強情なお兄にはこうすることが一番手っ取り早い。ちょっと悪い気はするんだけどね。


 「ねえ、巨大蜘蛛ってどういうこと?」


 木野先輩からの突然の質問に驚いた。今までわたしから話しかけない限り何も反応してこなかったというのに……虫が好きなのかな?


 「いや、詳しくは全然聞いてないんですけどね。人食い蜘蛛とか噂されてるみたいです。知ってますか?」


 木野先輩は何かを考え込んでいる。急にどうしたんだ?


 「調べてみないの?」


 「生憎、ちょっと忙しいので」


 「なら、それが終わった後でいいから調べてみてよ」


 「先輩もお兄みたいなことを言うんですか? まあ……視野に入れておくくらいはしますけど……」


ひとまず、曖昧に返事をした。


 「ありがとう、是非頼むよ。何かわかったら教えてほしいな。僕も僕でやりたいことがあるからさ」


 「それって、何なんですか?」


 「聞きたい?」


 「まあ、そりゃあ」


 「ひ・み・つ」


 一言、ごめんと付け加えて木野先輩は夕日が差す方向へ去っていった。少しだけきまり悪さを感じながらわたしも自分の帰る場所に向かい、歩み始める。この辺りは駅の前であっても何もないに等しい。何もないというのはお店や若者が楽しむような施設がないという意味合いであって、辺り一面が荒野なんてわけではない。


 人通りの少ないこの路地の真正面に夕日が位置する時間帯がちょうど今だった。眩しさはそれほどでもない。夕日が普通の太陽と比べて眩しくない理由は習った覚えはあるけど忘れた。綺麗なものが直視できるなら、それでいいと思う。ちょうど周りに人もいないのであの夕日の写真を撮ろうと思い、携帯電話を取り出した。タッチパネルに指を重ねるよりも速く液晶画面が光りだす。今度はアメ先輩からの着信だった。わたしは写真は後回しにして少し微笑んで応答する。


 「もしもし? 何だか久しぶりですね」


 『そうね、久しぶり……になるね。元気?』


 そう聞く先輩の声に元気は感じられない。 


 「わたしのことより自分の心配した方がいいんじゃないんですか? あんまり学校休んでると受験に響くんじゃないんですか」


 『まだ余裕でいられる時間だって。それより、今時間ある?』


 「いや、もう帰ってるとこなんで」


 『つれないこと言わない。人食い蜘蛛の噂なんだけどさ、まずシモちゃん聞いたことある?』


 アメ先輩までその話を振ってくるとは思わなかった。わたしはさっきお兄から聞いたと答えると、話は早いと言わんばかりに先輩は続ける。


 『絶対に夜は出歩かないようにして』


 先輩は真剣だ。わたしは先輩のこんな声を知らない。今まで何事もなく過ごしてきた中でここまで本気でわたしを心配する声なんて聞いたことがなかった。


 「何か知っているんですね」


 『……昨日、直接見かけたの。信じられない光景だったけど』


 「人を……食べるんですか? マジで?」


 『わからない。でも、人間サイズではあったし、二本足でも歩いてた。正真正銘の怪物よ……』


 二足歩行の巨大な蜘蛛……。到底信じられる話じゃないと思う。そもそも、その怪物は本当に蜘蛛なのか?二足歩行の蜘蛛って何だ?着ぐるみか何かじゃないのか?と思うのが普通なんだろう。


 だけど、先輩は嘘を吐いていないと「確信」できる。何故なら、その怪物が夕日の向こう側からこちらへ向かってくるのが見えたから。


 「その怪物が今わたしの目の先にいるって言ったら……信じますか?」


 そう言いながら怪物から離れるために進行方向を右へと変えて走り出していた。そうして入った路地はさっきの場所によりも人通りは少ない場所だった。


 『すぐに人通りが多い場所へ行って!』


 後ろを振り返ると怪物は私を追いかけてきていた。 やばい! 追いつかれたら絶対にやばい! 何をされるかわからないってことが一番やばい!


 何とか先輩の言った通りに人通りが多い路地を目指して走り続けるが、そんな場所はあの怪物がいる方向だ。このまま逃げ続ければ追い詰められる。いや、その前に追いつかれる。


 どうする? どうしたらいい?


 「先輩! 生きてたらまたかけます!」


 携帯をしまって両手を自由にし、急いで運よく道の脇に放置してあった自転車を走る速さを落とさないように押して加速してから跨った。怪物との距離は変わっていなかったが、依然としてわたしを追い続けている。自転車を全力で漕いでいるというのにまったく距離が離れない。


 クソ! 何なんだ一体。お兄が怪物の話をした直後にあんなのが現れるなんてまるで出来すぎた物語だ。


 「はあ……はあ……っはあ……」


 かなりの距離は漕いでいる。なのにあの怪物はずっとわたしの後ろにいる。距離もそのまま。

 日は完全に隠れつつあり、体力ももう限界に近い。ここで力尽きて止まってしまったらわたしはどうなるんだろう……やっぱ食べられるのかな? 人食い蜘蛛なんて言われてるくらいだし。食べられたら……やっぱ死ぬよなあ……。 


 「……死ぬわけにいくかあああああ!!」


 自転車をドリフトさせながらハンドルを持ったまま飛び降り、後輪の遠心力を利用して走り寄る怪物の頭にに思い切り自転車をブチ当てると、怪物は道の端にあった田んぼへと転倒した。


 今がもと来た道へ帰るチャンスだった。すぐに盗んだ自転車の向きを直し、全力で漕ぎ出そうとした。


 しかし、自転車の向きを直したところでわたしの動きは止まった。向こうからパトカーがやってきたのが見えたからだ。パトロール? いや、誰かが通報してくれたのか?

 パトカーはわたしの目の前で止まり、降りてきた二人の警官はすぐさま銃を構え怪物に向けた。


 わたしは怪物がここで襲い掛かってくるのかもしれないと思った。だが、怪物は何事もなかったかのように立ち上がり、目にも止まらぬスピードで走り去った。今のスピードで追われていたら一瞬で捕まっていた。わたしをつかず離れずの距離で追いかけていた目的は何だったんだ?


 「君、怪我はないかい?」


 「ああ、はい……おかげさまで」


 警察が言うには詳しい話が聞きたいから署まで来てほしいとのことだ。わたしは事態が事態だったので素直に応じた。

 パトカーに乗るのは悪いことをしていない確信はあってもあまり良い気分はしないなと思った。警察署へ向かう間の特に会話もない中、わたしの携帯電話に着信が来た。警察に断って電話に出ると、お兄からだった。


 『よう一紗。お前今どこにいるんだ? 帰りが遅くなるなら連絡入れてけよ』


 わたしの状況と違ってのんきなものだ。


 「今パトカー。警察署に向かってる」


 『はあ!? お前何した!?』


 「その反応されることは知ってた。例の人食い蜘蛛のことだよ」


 『っ!? 会ったのか?』


 「いきなり追いかけられたよ。誰かが通報してくれたおかげで助かったけどね」


 『その蜘蛛は死んだのか?』


 「いや、逃げた。運が悪けりゃ会えるんじゃない?」


 『それはご遠慮願いたいな。それはそうと、俺も署に行くよ。この街の署でいいんだろ?』


 「あれ? お兄帰ってきてたの? 大学は?」


 『いいんだよ気にするな。それより、俺も警察に話を聞いてみたいから署に行きたいんだが、それはこの街の署でいいのか? ん?』


 「いや、S高のほうみたい。そっちの方がよくわかんないけど都合が良いとか」


 『わざわざそんなところにね……きっと怪物に詳しい人でもいるのかな』 


 それにしても驚いた。滅多に帰ってこなかったお兄がこんなに早く連絡もよこさずに帰ってくるなんて。何か帰ってこなきゃいけないような理由でもできたのかな?

 いや、こんな考え方をするのはお兄にちょっと失礼だったかな? まあいいや。

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