虚ろな夜

 婆さんは蟲だ。木野くんは寄生虫は赤黒かったと言っていたことから婆さんの腕の触手のようなものは寄生虫の一部だ。なぜこの婆さんだけ異様に寄生虫がデカいのかはわからない。だが、そんな婆さんを始末することは簡単だった。そのことは銃というものがそれほどまでに強力な道具であることを改めて認識させてくれた。 

 プリン頭が婆さんに貫かれている間、あたしは彼女を悼むようなことは何も思わず淡々と機械のように銃を撃つ準備をしていただけだった。呼吸をするような当たり前の動作で。


 そうして撃った弾は普通のものだ。対レプリカ用の赤い弾ではなく、木野くんがくれた普通の人を殺すための弾。

 その弾丸はプリン頭をいたぶるのに夢中だった婆さんの脳天をいともたやすく打ち抜いた。九階に上がり、プリン頭が殺されてあたしが婆さんの形をした蟲を殺すまでの時間は三十秒もなかったのではないだろうか。


 「……あっけないな」


 実際、人の命が尽きる瞬間というものは劇的である方が遥かに少ないだろう。こんな風に、散り際に何も残さずに死んでいくのが当たり前の死に方だし、あたしが殺してきてヤツらもみんなあっけなくあたしに殺された。因果応報という言葉が本当なら、あたしもいつか死ぬときはこんな風にあっけなく死んでいくのだと思う。


 『プルルルルルルルル』


 携帯に着信だ。木野くんからだった。


 「なに?」


 『あ、ごめんもしかして寝てたかな?』


 「何言ってんだ。寝たら殺されるような状況だったっつの」


 一体何を思って「寝てた?」と聞いたのか。そんなに眠そうな声だったのだろうか。


 『あ、じゃあひょっとして高遠さんはもう殺したの?』 


 「これからだ。なんで?」


 『あ、本当? いや、よかったよかった間に合ったみたいだ』


 「何だよ?」


 『うん、実はこれから少し手間をかけてほしいんだ……いいかな?』


 「具体的に的に言え。めんどくさい」


 『高遠さんを拷問してほしい』


 電話越しの微妙なノイズが入り混じった木野くんの声はまるで明日提出の宿題を教えてくれとでも言っているような軽い印象をあたしに与えた。


 「薬を与えたヤツのことを聞けばいいってんだろ?」


 『いや、寄生虫の力を手に入れた経緯のことを聞いてほしい』


 「は? それが薬の話じゃないのか」


 『違う、高遠さんはレプリカじゃない。きっとパチモノだ』


 耳を疑った。パチモノの力はオリジナルのレプリカの十分の一がいいところだ。十分の一の力でこれほどまでに大規模な攻撃を仕掛けられるなんてレプリカの方は一体どれだけ……。


 「根拠はあるのか?」


 『人を操る能力なんて危険すぎる。薬を与えた人間がそんな力を正義云々とわけのわからないことで裏切りそうな人間に与えるとはとても思えない』


 「……それだけか?」


 『僕が薬を与えている人間ならそうする』










 予想通り、高遠は屋上にいた。数メートル先のベンチでのうのうと缶コーヒーなんか飲んでスカしてやがった。


 「あの大男が来ていないな。おそらく死んだな。それにしてもここに来たということは佐久間さんを倒したということか。予想外だ。彼女は特別だった」


 高遠は星の見えない夜空を見上げてそう言った。山田さんが別れた後どうなったかは知らないが、高遠は憶測で言っているだけだろう。また、「彼女は特別だった」とはあの婆さんのことだろう。


 「その返り血はほとんどの患者を殺したな。並の人間がなせる業ではないぞ。君が何者なのか非常に興味がある」


 高遠は顔だけこっちに向けてあたしに何かを投げた。あたしはそれを難なくキャッチし、ヤツが何を投げたのか確認する。蓋の辺りに中身がこぼれない程度の小さな穴の開いたあたしの嫌いなブラックの缶コーヒーだった。 


 「二分待とう。その間にそれを飲んで我々と同じ力を手に入れるのだ。一緒に争いのない平和な世の中を築き上げていこうじゃないか」


 そう言うとヤツはベンチから腰を上げ、あたしに向き直った。


 「さっき一階のロビーで君に矯正する価値もないと言ってしまったことについて詫びさせてくれ。本当にすまなかった。君のような人間には何物にも代えることのできない大きな価値がある。君の強さがそれを物語っている」


 結城は薬を与えた者は男だと言っていた。ならその男は高遠なのか? 答えはノーだ。今までのレプリカは全く正義を意識していない自分勝手なヤツしかいなかった。自分勝手という点では高遠も同じか。また、木野くんが持っている写真の女を最初のレプリカとして考えるとその女も薬を与えているのかもしれない。結城が会った薬の売人がたまたま男だっただけという線も考えられる。

 この仮説なら敵は組織を形成していることになる。どうして薬を広めているのか? 目的は一切不明だが、高遠がそういう組織に属せるような人間でないことは何となくわかる。


 「君が私に同調してくれるならその脚を瞬時に治してあげよう。私の力は応用が利くのでね」


 「二秒やる。あたしの質問にイエスかノーで答えろ」


 「……なんだね?」


 「アンタはハンターを知っているか?」


 高遠は一瞬間を置いてノーと答えた。この質問でヤツとおそらく組織である売人との関係がないことがわかった。最も、高遠の言葉が嘘でないかどうかは実際のところわからないが、もういい。

 あたしは高遠に銃を向けた。その瞬間、ヤツはあたしがそうすることを予想していたかのような動きで横へステップを踏み、一気にあたしとの間合いを詰めた。そうしてあたしを冷たくなったコンクリートの地面に組み伏し、銃を持つ手はヤツに握られた。


 「それが君の答えか」


 腐ってもパチモノ。人間以上の動作は可能というわけか。


 「君が銃を持っていることなどわかっていた。ただ、銃がなければ君は何もできないただの小娘だ」


 どうやらコイツはあたしがここまでこれたのは銃のおかげだと思い込んでいるようだ。こんなアホ丸出しなヤツに操作されるくらいなら舌を噛んで腸を切り裂き、自分の身体をメッタ刺しにして徹底的に自分を殺してやる覚悟だ。

 最も、ここでそんな事態に陥ることはありえない。そしてこれからもな。あたしはもうコイツに勝っているからだ。


 「ッ!?」


 あのプリン頭は本当に良い物を残して死んでくれた。これを試したいがためにあえて組み伏せられてみることは多少無茶が過ぎたかもしれない。が、結果オーライだ。アンタのスタンガンは形見としてこれからあたしが愛用してやるよ。 

 あたしは空いている方の手でスタンガンを用意し、高遠の太腿にバチッと電流を流してやった。ナイフと違ってただちょっと当てるだけでいいんだからこんな風な満足に腕を動かせない状況にはもってこいの代物だ。プリン頭にはもったいない。


 「カッハァァァァァ!!」


 太腿の痛みに怯んだ高遠の右目に遠慮なくもう一撃バチッと見舞ってやった。今度は倒れこんでのたうち回っている。すげー痛そう。


 「さて、もう一つ質問する。その力はどこで手に入れた?」


 暴れる高遠を馬乗りになって押さえつけて質問した。悶えながらも質問は耳に入ったようだ。


 「わ、わからない! いつの間にか身についていアアアアアアアア!!」 


 「今度はこっちの耳にするからな。もう一度だけ聞いてやる。その力はどこで手に入れた?」


 「だ、だからわからないんだ!! 本当にいつの間にか身についていたんだ!! もうやめてくれぇ!!」


 みっともない姿だ。両目を潰すのはやめてやろうと思っていたが、気が変わったので三秒くらいバチバチと左目にスタンガンを押し付けた。これ以上叫ばれてどこかに聞かれるのもマズイので顎が外れる勢いで開かれた口に松葉杖の先端を咥えさせて黙らせた。

 コイツがあたしには勝てない相手とナギ先生は言っていた。あの人はコイツがパチモンだと知らなかったということか。何だか意外だ。


 「『私の正義は薄っぺらな自己満足でした。ごめんなさい』と言ってみろ」


 「わ私の正義は薄っぺらな自己満足ででした!! ごめんなさ」 


 銃は音が響く。レプリカを消す時は赤い弾をブチ込むためにどうしても使わざるを得ないが、パチモン相手なら普通に人を殺す要領で殺してしまえばいい。


 「もう死んでいいよ。ゴミが」


 ゴミの脳天に深々と突き刺したナイフを引き抜く。噴水のように血が溢れてくることがなくてよかった。汚いから。

 そのままヤツは塵になって消えた。文字通りゴミになって高遠は死んだ。揺るぎない信念を抱いているという点において少しは尊敬の念を持っていたが、あたしの目が節穴だったということらしい。

 結局今回の騒動で得られたものはどこかに寄生虫で人を操作できるレプリカがいるとわかったことだけ。病院内は地獄絵図。警察に嗅ぎ付けられるのも遅くはない。朝までには必ず現れるだろう。その点を考えると今回の収穫とこの疲労はいくら何でも割に合わない。


 それにしてもこれからどうしようか。山田さんに会ってしまうのは面倒な気がする。ここはミチルを呼んで車で帰るべきか……いや、家じゃ血まみれの服と身体は洗えない。他の家政婦には驚かれるだろうし、じいさんに何を言われるのかもわからない。ナギ先生はこの状況を面白がって一人で何とかしてみろとでも言ってくるに違いない。

 となると、残りは必然的に彼だけになってしまうのか。


 「もしもし? 起きてるか?」


 『いや、寝てたけど……どうしたの? 拷問の成果は明日でいいよ……』


 正直かなり気が進まない。ただでさえ運動能力は信用ならないと言っている木野くんにこんなことを頼むことは全部のネジが緩んだままの飛行機に乗るくらい危険な行為だからだ。


 「大至急チャリで病院まで来てくれ。繰り返す、『大至急』だ」


 電話の向こうで彼の間の抜けた声が聞こえる。うるせえ、いいから来いとあたしは言った。


 「それと、キミんち今親はいないって言ってたな。お風呂と洗濯機借りるからよろしく」


 『そ、それはそうと夏川さんはそんな脚でどうやって家まで来るつもりなのさ? まさか僕に二人乗りしろなんてことは言わないよね?』


 なんだ、既に想像できているじゃないか。


 「キミは怪我人の女の子を歩かせる気か? いいから大至急こっち来てよ。マジで」


 『えぇ…………』


 気が進まないのはこっちも一緒だ。そのくらいの運動は我慢してもらいたい。

 電話の向こうで木野くんは渋々わかったよと言って寝床から身体を起こしたみたいだ。そのうちお礼はしてやるよ。


 「あ、お風呂覗いたら殺すからな」

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