I am justice 4
「とりあえず、煙草いいかな? 落ち着きたいんだ」
ここの病室の妊婦は自分の腹を撫でて顔をしかめた。
「イカレてるの? 妊婦に向かって何言ってるかわかってんのかい?」
まさに袋の鼠といったこの状況。背中で押さえている扉を叩く音は一向に鳴りやまない。ここは大人しく助けを呼ぶのが先決なのだろうが、警察では高遠の始末がやりづらくなりそうだ。話が通じる相手は木野くんだけかな。そうは言っても、最後は必ずあのムカつくカス野郎はあたしの手で殺してやる。何が矯正する価値もないだ。舐めやがって。
「それはそうと真魚ちゃん、すぐに解決させると言ったが、どうするつもりなんだ?」
普段は至って冷静な山田さんだが、今の声には明らかな焦りの色があった。
「この病室に隠し通路みたいなものはないのか? もしくは天井が開いて上に行けたり」
「あんた本格的にイカレてない? 相部屋の患者かどうか知らないけど、個室に夢見すぎよ」
「……そういうことならこの扉を開けて正面突破しかないわけだな」
場の空気が凍り付いた。みんなのそれだけはしたくなかったという思いがひしひしと伝わってくる。何故か、妊婦を除いてだが。
「私とお腹の子の安全だけは保障しなさい。こっちは勝手に押し入られた上にあんた達と心中する気はさらさらないのよ」
「なら一つ聞かせてくれ。あんたはヤツらに狙われていないのか? 奥の二人はヤツらから逃げてきたということらしいが……いや、そもそもアンタらはヤツらとは違うのか?」
プリン頭曰く、彼女と中学生はあたしと山田さんが起こした昼間のトラブルを目撃して何となく病院の食事に手を付けるなという言葉を信じたそうだ。
妊婦の方は最近入院したばかりでそもそも高遠との接触はなかったそうだ。おそらく、単純に存在を知られていないから狙われていないというだけなのだろうか。そもそも高遠の狙いはあたしと山田さんだけではなかったのか?
「つまり、高遠とかいう牧師が原因で患者がおかしくなっているわけなのね。でもさ、それを解決させるってことはあんた達その人を殺すつもりなの?」
妊婦は疑惑の眼差しを全員に向けた。その目はどこか試しているようでもあった。その眼差しに怯まずに山田さんは力強く血迷ったことを言い出した。
「説得するんだ」
本気かどうかはわからない。高遠がいくら何でも話の通じない相手だということくらいは山田さんも理解できているはずだ。そうであってほしかった。あたしの手を煩わせる真似はしないでほしい。
何故なら、単純に高遠を始末するつもりでいるあたしと対立する意思を持ったヤツが側にいると面倒だということと、もうそんな甘いことを言っていられる余裕なんて微塵もなかったからだ。
「みんな、そろそろ限界だ。この扉壊れそうだ。だから、これからあたしがすることをどう思ってもいいが、絶対に口外だけはするな」
臨戦態勢に入った山田さんと中学生を守るように抱きしめたプリン頭。そして、冗談じゃないという風な表情をした妊婦。
扉にかかる重さから察するところ相手は多くて十人といったところだろうか。どちらにせよ、あたしはかなり無理をしないといけないということは明らかだった。
ナイフを構え、松葉杖を扉から離し鍵を開けた。患部の脚にかかる体重など気にしてはいられない。回復は多少遅れることになってもここで死ぬことよりは遥かにマシだろう。
そして、鍵を開けた扉からヤツらが一気になだれ込んできた。
「ひいっ!」
まず一人目の喉から発せられた血しぶきが宙を舞った。この声はあの中学生のものだ。まあ、当然の反応だな。
すかさずナイフを隣の中年患者の頸動脈の辺りに滑らせる。この時、一人目より多くの血が舞った。
大きく一歩踏み込み、まず肩をぶつけて体勢を崩してから喉元を切りつけ、そのままの勢いでもう一人にも切りかかった。
そのままひたすらナイフを高遠の人形の首に滑らせ続けた。一撃で仕留められるよう、確実に。
しかし、何人かはあたしの脇を通って奥へ侵入してしまう。一撃で始末できる技量はあってもそれを向かってくる全員に当てられるかどうかは別の問題だ。
「山田さん! 任せるぞ!」
後ろを見ている余裕などなかった。コイツらも本気であたしを殺しにかかってきていたからだ。メスを持った看護師に注射器なんて痛みが簡単に想像できる物まで持っているヤツもいる。患者の方に至っては車椅子を振り回す輩までいやがる。
「……っ!」
死角から繰り出された打撃を思わず顔に受けてしまった。おそらく寄生虫によって身体のリミッターを外されているだけあってかなり重い一発だった。
脳が揺れた気がした。
しかし、おかげで相手の位置が確認せずともわかる。目の前の看護師が振り回すメスをなんとか紙一重のところで避けつつ、拳が飛んできた方向にナイフを突き立てた。
人肌を突き刺した感覚がナイフ越しに手に伝わった。あたしはこの時の感覚を数分間何度も味わうこととなった。もし、今のあたしが本調子だったなら、後ろにいるみんなを人殺しにさせることはなかっただろう。
相手は知能が高くないようで全員考えなしに突っ込んでくるが、そのバカさを補うに十分なレベルのパワーがある。予想以上に長引く戦いに疲労を感じたその時の隙を見事に突かれた。
「な……! ぐっ!」
倒れていた女にあたしの患部の方の脚に思い切りしがみつかれ、興奮状態で忘れていた痛みに思わずそのまま横に倒れてしまった。
「ううっ……ぐうああっ……くぅっ」
脚の痛みに呻きながら見上げると三人の男があたしを囲んでいた。全員あたしを殺すための道具を持ってあたしを見下している。
そして、それぞれの道具が一斉にあたしに振り下ろされようとしたその瞬間、ソイツらは何かに払いのけられたように吹っ飛んだ。
次いで、あたしの脚にしがみついていた女は頭部が見事に潰されていた。一番臆病だと思っていた、あの中学生の手によって。
「はぁ……はぁ……はぁ……あ、あああ……」
両手で持っていた点滴用の薬を固定しておく柱のような台が手から離れ、支えを失ったように彼女もまた床に尻をついた。彼女はきっと夢中だったのだろう。相手が相手だったとはいえこの中学生は初めて殺人を犯したわけか。正直、知ったことではないが。
「ありがとう。キミのおかげで助かった」
肋骨も折れているため、脚だけでなくとにかくもう全身が痛かった。マジに無理をしすぎた。そんな身体を無理やり立ち上がらせて、中学生に向けてそう言った。今回は本当に感謝している。アレは死んでもおかしくなかった。
プリン頭は中学生の分の二本の松葉杖を持って彼女の前に置き、それから強く彼女を抱きしめた。
「よく頑張った……本当に。無事に退院しよう。みんなで」
中学生はプリン頭の腕の中で泣いていた。見ると、みんな血まみれだ。返り血だろう。病室にも高遠の人形の死体がいくつか転がっていた。ほとんど手を下したのは山田さんだろうか、彼はひどく苦い顔をして佇んでいた。彼は患者を救うことも考えていたはずだ。それがこんなことになるとは、ひどい本末転倒だな。
「オレはなんてことを……」
照明が落とされ、所々赤く染まった病室には重苦しい空気が流れていた。ひとまずこの場は切り抜けられたにしても、大量殺戮の現場をみんなは目撃したわけなのだから。そして、それが責められるような行動ではないこともわかっているからだ。
「確認するが、このことはあたし達だけの秘密だ。絶対に誰にも言わないことと、気付かれないことを約束しろ」
病室にいる全員に向けてあたしは言った。誰かにバラされてあたしがレプリカ狩りのハンターだと知られることはあたしの死に直結する。そう考えると、ここでコイツら全員を始末しても問題はないのかもしれない。周りには既に大量の死体が転がっているのだから。
「……っ! しれっと無神経なこと抜かしてんじゃねえぞ!!」
プリン頭は感情をむき出しにして言い放ち、あたしの胸倉を掴んだ。
「人を殺したんだぞ! 殺した直後に何様のつもりで意見してんだオイ!!」
「巻き込んでしまったことに関しては謝るよ。それ以外にこうしてキレられる理由があるとするならあたしにはそれがわからない」
「なんだと……」
「大方、人を殺して混乱しているところなんだろう。だけど気にすることはない。コイツらは人間じゃないんだ。正気に戻る可能性はあったとしても、やらなきゃ間違いなく殺されていた」
「だからってお前……こんなに殺すことは」
軽く舌打ちをした。面倒な話はしないでもらいたい。
「わからないヤツだな。アンタなら誰も殺さずに切り抜けられたとでも言いたいのか? コイツらを説得できたとでも言いたいのか」
「そういうことじゃ……」
あたしはそっと彼女のあたしを掴んでいる手をほどいた。
「うじうじするのは勝手だ。だけどあたしに当たるのはやめてくれ。迷惑なんだよ」
彼女は何か言いたげではあったが、歯を食いしばって何かをこらえるだけで何も言わなかった。そして、痛みに耐えながら歩みを進め自分の松葉杖を拾いに戻り、中学生の肩を空いている腕で抱いて言った。
「日垣さんが心配だ。ウチは九階まで行って様子を見に行く。だから、えっと……そこのあんちゃん、この子を病院の外まで連れて行ってもらえないか?」
バカなことを言うなと山田さんが彼女を止めるのと同時に中学生が驚いて声を上げた。
「わ……わたしも行きます! 絶対に足手まといにはなりません!」
「いや、そっちの傷はまだ深いだろ? ここはウチに任せてほしい」
コイツどうやら本気らしい。コイツはそこの中学生のことといい何故大した付き合いもない相手に対してこんなにしてやれるんだ? この行動だけ見れば高遠よりよっぽど正義の味方という感じではある。あたしはそんな風にはなれないと思うが。
「アンタら、せっかく逃がしてもらえたのにわざわざ戻る必要がどこにある?」
「それでも心配なんだ。やっぱりウチには放っておくことはできない」
「一人で行くのか?」
そう聞くと、プリン頭は言い辛そうに視線を下に泳がせて言った。
「真魚ちゃんのおかげで敵はいなくなっただろ? 仮にちょっと残っていたとしてもウチにはこれがある」
そう言って徐にスタンガンを取り出し、バチバチと電流を流した。
「オレが日垣さんを助けに行く。君達はみんなと一緒に脱出すべきだ」
「いや、山田さんが脱出の案内をした方がいい。さっき見てたからわかると思うけどあたしは強い。次に強いのは普通に考えて山田さんだ。弱いヤツが集まって行動し、もしまだ残っているヤツに遭遇したらどうするんだ?」
「真魚ちゃん……ウチと来てくれるのか?」
「屋上まで行くついでだ。ヤバくなったらいつでもアンタを切り捨てるけどな」
あたしに人を守りたいという情が芽生えたのではない。山田さんについてこられたらいざ高遠と向き合った時に本当に説得を始めそうで怖かっただけだ。
正義の味方はコイツらだ。それでいて正義の味方というヤツはめんどくさい。
「わかった。巻き込んでしまった責任だ。この人達は命に代えても守る。妊婦さん、あなたは今のうちに旦那さんを呼んでおくんだ」
「……そうね、それがいいわ」
妊婦と目が合った。不思議と、この女の顔には見覚えがあった。前に一度だけ……本当に一度だけ見たことがある気がした。というのは、今考えることでもないな。
「気をつけなさいよ」
妊婦は一言だけそう言った。その言葉にそれ以上の意味はなさそうだったが、この妊婦からはナギ先生に似た雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
「それじゃあ、あたしは行く」
あたしはそれだけ言って松葉杖を手に取った。立っているのが……本当に楽になった。そんなあたしに山田さんは心配そうに声をかけてくれた。
「そんな身体で……本当に行くのか」
「できることなら万全を期して行きたい。はっきり言って今は痛みで余計なことには頭が回らない。だけど今逃げたら絶対にあたし達の情報が広まるんだ。それを阻止するには、今やるしかないだろ」
「この人たちを外まで送ったら君達と共に行動したい」
「アイツをやるのはあたし一人でいい。みんなが出口を見つける前に終わらせてくるよ」
そうして、あたしとプリン頭、山田さんと中学生に妊婦で別れてしばらく歩いた。別れ際まで中学生は不満そうな表情を崩すことはなかったが、彼女にとって病院から脱出することは最良の結果だろう。
「ごめんな……真魚ちゃん、さっきはいきなりキレたりしてさ」
黙々と階段を上っている中、ふとプリン頭は切り出した。
「気にしてないよ。アンタの反応は普通だ」
そういうと、彼女は少しだけ微笑んだ。
「ウチさ、こんなナリだけど中学の時はすごくいい子ちゃんだったんだ。高校もこの県で一番偏差値の高いA高校に行ってた。真魚ちゃんはどこ通ってんの?」
突然何を話し出すんだ? コイツ。
「S高。偏差値は並みの公立だよ」
「へえ、あの辺はのんびりとしたいいところだね。その学校、剣道部が強かったよね?」
「さあ、忘れたね」
「高校、やめちゃだめだよ」
「あ?」
何なんだコイツ、いきなりしんみりとした様子で何言ってんだ? やめねえよ。
「真魚ちゃん不良っぽいからな。年上としてのちょっとした忠告。にしても、真魚ちゃんのあの強さは何なんだ? 怪我しててあの動きって……一体」
「そういうのいいから。早く行こう」
あたしのことで踏み込んだ質問はされたくない。それにしてもこのプリン、いきなりキレるヤツかと思えば謝って関係のない雑談をしてくるとはよくわからないヤツだ。結局何が言いたかったのだろう。
おっと、そんなことを考えるよりせっせとこのクソ長い階段を上らなくちゃな。
一段一段踏み外さないよう慎重に。されども急ぎ目に、急ぎ目であっても慌てずに上へ上へと進んでゆく。そうして、ヤツらと遭遇することなく九階までたどり着いた。明かりは非常口と書かれた看板から発せられる緑色の光だけで、その光に照らされている院内はかなり荒れていた。
自分が入院している階なので見慣れてはいるはずだったが、この時のどんよりと暗いここからL字に広がっている廊下はどこまでも続いているような錯覚に陥った。
「それじゃあ頑張れ。あたしはこのまま――――」
「屋上に行く」と続けようしてプリン頭の方を振り返った。「あとは構っていられない」と言葉を準備しながら。
しかし、振り返った先には誰もいなかった。ただずっと、底なし沼のように暗い階段が続いているだけだった。
あのプリンのような色合いの頭をした心優しいヤンキー女は自分がいた場所を真っ赤な血で染めて消えていた。
「これは……聖戦」
聞き覚えのあるしわがれた声が上へ続く階段の方から聞こえた。あのおしゃべり好きで次から次へと話題を変えて自分のペースでひたすら会話を展開し、果てには高遠を貶されただけで激昂するような忠実な下僕となったあの婆さんの声が。
「反逆は……極刑……逃走も……また然り……」
婆さんの患部は腕だった。確か階段で転んだとの理由のはずだ。今の婆さんのギプスで固定されていたはずの腕は赤黒い触手のようであり凶悪な宇宙人の腕みたいだった。その伸縮自在の腕の先に、プリン頭はいた。
「ガハッ!」
彼女の吐血があたしの爪先に降りかかった。彼女は背後から胸を貫かれていて、そのまま布を縫うように彼女の身体は触手に貫かれていく。
「……ッ……! ……か…………ォッ!」
彼女は小刻みに痙攣しながら声にならない声を上げ続けている。遠目から見ればただ巻き付かれて持ち上げられているいるようにしか見えないだろうが、彼女の身体はきっともうスカスカだ。もう流れてくる血の量も減ってきている。
彼女はもう助からない。
そう直感した。本当に、頭の中がただそれだけになった。その後の動作は惰性とでも言うべきなのだろうか。どうやらあたしは自分が思っている以上に普通の女の子とは遠い存在になっているのかもしれない。
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