I am justice 3

 診療時間終了の十分前。国立大学病院のだだっ広いロビーは照明が少し落とされていて薄暗かった。辺りに人はもういない。受付のカウンターに二人の受付嬢がいるだけだ。

 そんな時間のそんな場所に高遠はあたしと山田さんを呼び出した。念のため、赤色の弾丸を詰めた銃は持ってきておいた。


 「来てくれたか」


 高遠は紳士的な態度でまず座るように促した。あたしはこのままでいいと言った。要件を手短に話せと。


 「君たちは私のことを色々と知っているみたいだね。どれくらい私のことを把握しているのか、教えてくれないか?」


 事前に山田さんに言っておいたことがある。絶対にあたし達の情報は高遠に知られるなと。どんな些細なことであってもだ。だからこの質問にはお互い無視をきめた。そんなあたし達二人に高遠は余裕の笑みを浮かべている。


 「質問をするのはオレ達の方だ。お前じゃない」


 「呼び出された側の分際で言ってくれるじゃないか」


 「それだよ。なぜオレ達を突然こんな場所まで呼び出した」


 「深い理由はない。広々としていて話がしやすいと思っただけだ。そんなことよりも……だ」


 高遠は徐に脇からペットボトルのお茶を取り出し、こちらに向けた。


 「どうだね?」


 高遠に対し山田さんは冷ややかに「飲むと思うのか?」とだけ言った。高遠は諦めたように息を吐く。しかし、余裕は消えていなかった。


 「私は最初にこの力を手にした時は助かる見込みのない患者達を救っていった。それが正しい行いだと信じたからだ。患者の皆が言っていた天の使いとはその時の私のことだろう」


 「その時の……と言うと?」


 山田さんが訝しげに聞く。


 「今は無闇にやたらと患者を救っているのではないということだ。君たちはこの世に悪人がいてもいいと思うか? 私は思わない。だから悪人を助けたいとも思わない」


 あたしは特に山田さんにバレないように隠し持っている銃のハンマーの部分をそっと倒した。理由は彼にバレると高遠にも悟られる気がなんとなくしただけだ。


 「だから私は患者を矯正してから救うことにした」


 ふざけた話であることには変わりない。だが、一から十まで全部間違っているのかと言われればそうでもないと思う。世界中の人間が高遠のもとに下れば悪人はいなくなる。それは確かだと思った。しかし、そんな状況が永続することはきっとない。そんな状況が世界の理想的なあり方だとも思えない。


 「人々を統率する方法について最も効率的なやり方を考えたことはあるか? イカれた牧師さん」


 高遠は露骨に嫌そうな顔をした。あたしに意見されるのは気に入らないみたいだ。


 「早い話王様にみんながついていけばそれで解決。ならそれを目標として考えるならどうすればいいと思う?」


 「一体何が言いたいんだね?」


 「あたしの友達は恐怖政治が手っ取り早く効率的だと言っていた。中学生みたいだな。まあ、今の日本にはそんなことできないだろうけどな。これは月並みな意見だが、『哲人王』ってやつが現れてくれさえすれば本当にその時点で丸く収まるわけだ。アンタのやり方だと後にアンタが世界の王様になるだろう。そして、アンタの能力なら哲人王とやらにもなれる。その辺はどう思ってる?」


 高遠は当然のことを言わせるなと言うように「なれるに決まっている」と言った。やはり、その言葉から躊躇いや迷いはなかった。

 あたしは今すぐコイツを殺そうと思う。コイツはきっとあたし達を始末するつもりだ。レプリカを知る者は誰にとっても邪魔者なのだから。最も、レプリカの件を差し引いても高遠はあたしらを殺すだろうが。


 「アンタが哲人王かどうかを決めるのはアンタじゃない。だが、アンタの創る世界にそれを判断する人間は誰もいない。そもそも人間はいない」


 コイツの世界の人間と呼べるものは皆、コイツの人形でしかない。そんな世界の住人になんてあたしはなりたくないし、誰かのおもちゃにされるのは一度でもう十分だ。


 「……! 真魚ちゃ」


 引き金を引くだけで弾が出るように準備ができた銃を高遠に向けた。人差し指にかかったトリガーを引くだけで赤色の弾丸がヤツの脳天を貫くはずだった。少なくともあたしはそう確信していたが、甘かった。


 「コイツ!? 離せ!」


 高遠をに向いていた銃はロビーの奥にいた受付嬢によって小ぎれいに手入れされた床へと向けられた。ふと、あたしの手を掴んでいる受付嬢の顔を見た。目の焦点が合っていない、抜け殻のような表情をしていた。その割にこの腕力……普通の女が出せる力じゃない。高遠に何かされたな。


 「私の創る世界に人間は誰もいないと言ったな。しかし、私の世界の住人が人間であるかどうかを決めるのはお前ではない。その世界のルールである私だ。私に同調しないお前達は善人だけの素晴らしい世界を創るのに邪魔だ。消えてもらう。矯正する価値もない」


 高遠がエレベーターに乗って上の階へと移動した。それを追いかけようとした山田さんはもう一人の受付嬢に取り押さえられてしまった。ヤツがどこの階まで行くのかはわからない。王様気取りのアイツは高いところが好きそうなので屋上にでも行ったのだろうか。流石に安直すぎるか?


 高遠を追うため、あたしの手にしがみつく受付嬢に頭突きをかましてふりほどいた。逃げるべきなのだろうが、それでは高遠の手下が地の果てまでも追ってくるだろう。それに何より、もう一つ問題ができた。


 「よせ! 追うな死ぬぞ!!」


 山田さんは自分を取り押さえていた看護師を振りほどいておぼつかない足取りで駆け出した。


 「高遠が何をしたのかわからないが、操られた人達を放っておくわけにはいかない! それに正気の人々も心配だ!!」


 「待て! 行くな!」


 エレベーターが停止されていることに気が付いた山田さんは片足を引きずって階段を駆け上がった。あんな走り方ではすぐに転んで新しい傷を作ることになるだろう。何故山田さんはあんなにも他人のために行動できるのか。このままだと山田さんは間違いなく殺されるだろう。あたしには彼を助ける義理もなければメリットもない。どうする? 放っておくのがきっと正解だ。銃を見られた以上、今この身体で高遠に挑んでも上手くやり合える自信ははっきり言ってない。


 「…………フゥゥゥゥ」


 廊下の方から高遠に操られたのであろう看護師達がくぐもった呼吸音を発しながらゾンビのような足取りでこちらに近づいてきている。ふと見ると、出口にはシャッターが降ろされていた。高遠はどうあってもあたしを殺したいらしい。


 皮肉だが、これで今高遠を始末する理由ができた。山田さんを助けるのはついでだ。恩を売っといてやろう。


 あたしは一本だけの松葉杖をできるだけ早く突きながら階段を昇っていく。この病院は十二階まであるため、襲い掛かる高遠の人形どもと戦いながら屋上まで向かうのはかなり骨が折れるだろう。だが、もうやらないわけにはいかない。


 「真魚ちゃん! くるんじゃない、逃げるんだ!」


 「こっちのセリフだ。逃げるんならアンタが逃げろ! 逃げ場はもうないけどな!」


 三階の辺りで操られた患者と組み合っている山田さんの援護に松葉杖の底の部分でで組み合っている相手の頭を思い切り殴りつけた。その患者は下から追ってきた看護師達のもとへ階段を転げ落ちていった。

 上を向いてみるとまた別の患者たちがゴキブリのように沸いて出てきている。このままこの階段を上るのは無理があった。


 「こっちだ!」


 あたしは山田さんの手を引いて一旦三階の病棟に入ることにした。階段はここだけじゃない。東側にもある。今はそれを目指すんだ。

 追ってくる高遠の人形は病人や怪我人が中心だからなのかわからないがあまり頭はよくないようで、何もない場所で転んだり互いにぶつかり合ったりしている。互いに足を負傷しているあたしと山田さんでも急げば何とか追いつかれることはないといった具合だ。しかし、少しでも立ち止まれば追いつかれる。前からヤツらが来たらかなりマズイ。

 そう思った矢先に、ヤツらは前からやってきた。そう幅があるわけではない廊下で見事に挟み撃ちの形となってしまった。


 「仕方ない、少しお邪魔させてもらうか」


 「ここは個室だぞ? 失礼じゃ」


 「言ってる場合か!」


 脇にあった個室の引き戸を急いで開けてその中に避難した。扉はすぐに閉じて鍵をかけ、万が一を想定して持っていた松葉杖をつっかえ棒として利用した。おかげで患部の脚にかかる体重が増えたのでかなり痛かった。


 「あんた達は何なの?」


 この部屋で入院している女は何故か至って落ち着いた様子で質問した。見ると腹が異様に膨らんでいる。ここは産婦人科の階だったか。


 「オレは山田太郎。わけのわからない連中に追われている。あなたは無事なんですか?」


 扉を力任せに叩く音が聞こえる。さっきの看護師の腕力から察するに、寄生虫によって身体のリミッターってやつが外されているのかもしれない。だとしたらこの扉が破られるのも時間の問題だ。あたしは扉が破壊されないよう背中から扉に体重を預けてヤツらの侵入を阻止することを試みた。


 「無事……ね。あんた変な質問するわね。まあ、事情はわかってるけど。そっちの女の子の方は何だい? 名乗りなよ」


 「夏川真魚だ。事情がわかってるんならしばらく匿わせてくれ。多分、屋上にいるイカレた牧師をブッ飛ばせばこの状況は解決する」


 「マナだって!?」


 驚いた声を上げたのはあたしと同じ病室のプリン頭のギャルだった。彼女はベッドの横でしゃがんでいたため気が付かなかった。見てみると同じ病室の車椅子に乗っていた中学生もいる。しかし、車椅子には乗っておらず、二本の松葉杖を壁にかけてしゃがんでいた。プリン頭の分の一本もあった。確かまだ一本で動き回れるほどプリン頭は回復していないはずだ。


 「真魚ちゃん! 無事だったのかよ! いやぁよかった!」


 「二人ともどうしてこんなところにいる?」


 「突然他の患者達が暴れだしたんだ。特にあの婆さんを主導にな。あたしが知っている正気だったヤツはウチら二人と看護師の日垣さんだけだ。最初はエレベーターを使って逃げようとしたんだが、この階で急に停止したんだ」


 プリン頭は鬼気迫る表情で現状を説明し、中学生は頭を押さえて震えていた。二人がここにいるのはおそらく、高遠がエレベーターを停止させたタイミングだったのだろう。


 「日垣さんはどうなった? ここにはいないみたいだが」


 日垣さんといえば確か注射フェチの変わった看護師のことだ。普段は模範的な看護師だが、彼女はどうしたんだ?


 「怪我人のウチら二人の囮になって九階に取り残された。早く何とかしないとヤツらに……」


 プリン頭の話を聞いた山田さんが大きく舌打ちをした。まるで自分のせいだとでも言うように。

 そんな彼を後目にあたしはただ考えていた。この追い詰められた状態から脱するための手段を。このままここにいては間違いなくやられる。


 「状況はわかった。時間はかけない。すぐに解決させに行こう」


 気休めにそう言ってはみたものの、本当にどうしようか……。最初から高遠のもとへなんか行かないでさっさと逃げればよかったと、心から思った。

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