I am justice 2
煙草の煙を肺にひとしきり吸い込み煙の逃げ場が極力小さくなるよう口の形を整えてゆっくりと吐き出す。
「スッとする」
蒸し暑い昼下がりの曇り空を見上げてそう呟いた。
ここはあたしが廃ビルから転げ落ちて入院している病院の屋上。今ここにいるのはあたしと記憶を失った壮年の男「山田太郎」だ。あたしは鉄柵に寄りかかって煙草を吸っていて、対する山田さんはベンチに座ってそんなあたしをじっと見つめていた。あたしの横にはいまだに松葉杖が一本ある。
おそらく高遠は今日、あたしの入院している階に現れると踏んでいた矢先に突然一緒に屋上まで来て欲しいと彼に言われた。話の内容はどういうわけか高遠のことだった。
「オレにも一本くれないか」
あたしは箱に入っていた煙草を一本取りやすいように少しだけ取り出して彼に箱を向けた。彼はあたしからライターを借りると慣れた手つきで着火し、おおきく煙を吸い込んだ。
「煙草のこと、注意しないんですね」
「これの味を知ったら誰だってやめられなくなる。自分ができもしないことを誰かに押し付ける気はない」
ベンチに寄りかかって欠伸をするように彼は言った。そして、本題に入ろうとでも言うように背筋を伸ばし、口元から煙草を離した。
「天の使いの噂を覚えているか?」
「ええ、もちろん」
「オレは高遠がその人物だと思っている。君が天の使いの情報を集めているのを見てオレの方も勝手にやらせてもらった」
「……」
余計なことに首を突っ込むのはやめた方がいいですよ……なんて台詞は野暮だな。いわゆるブーメランをくらうだけだ。レプリカを狩り続けているのだから高遠もターゲットの一人という立派な理由を持っているつもりだが説明はできない。
あたしは相槌も打たずにじっと次の言葉を待った。
それからの彼の言葉はほぼあたしが把握していた高遠の情報そのものだった。アイツの話を聞く患者達はどこかおかしい。何かされたのかもしれない。それが食事時であることから食べ物に何かをしているかもしれないと。
「それで、あたしに言いたいことは何なんですか? あたしも山田さんの思う結論には辿り着いていますが」
「なら話は早い。君はここで出される飲食物には一切手をつけないでいてくれ」
「そりゃ当たり前です。とっくにやってますよ」
「なおさら話は早くなった。オレ達の階の患者全員に食事に手を付けないよう一緒に回っていほしい」
冗談じゃない。単純に面倒な上に患者達が信用してくれるとも思えないぞ。特に身動きの取れない患者に関しては突然断食しろと言いに行くようなものだ。
「上手くいくわけないでしょう」
「だからといって見過ごすことはできない」
「あたしはやりたくない」
山田さんは何も言わなかった。自分が良ければそれでいいのか? とか他人を思いやる気持ちは持ち合わせていないのかなどといった言葉が返ってくるのかと思っていたが、山田さんは一度煙を吸い込んでから「そうか」とぽつりとこぼしただけだった。その時の山田さんの表情からは残念だとか悲しいといった負の感情は読み取れなかった。
今一つ気まずい空気のまま屋上を後にしたあたしはベッドで横になり、ミチルが持ってきてくれたアクション映画をワンセグで再生して時間を潰していた。有名なハリウッドスターが演じる主人公の男がドバイにある世界一高いというビルの窓に便利な手袋で張り付いている場面が印象的だ。あの手袋があったら何に使おうかと他愛のないことを考えながら意識を画面に集中させていると、廊下の方から耳障りな怒号が響いた。老人の声だった。
向かいのベッドの中学生がその声に気になったのか、慣れた様子でベッドから車椅子に移って部屋を出て行った。
なんとなく心当たりがあったのであたしも様子を見に行くと案の定、山田さんが車椅子に座った老人にどやされていた。
「なにやってんだあの人は」
頭を押さえ、思わずそう口にしてしまった。
「知り合いなんですか?」
先に部屋を出ていた中学生に意外そうな様子で聞かれた。
「まあな、ホントにちょっと会って話をした程度の関係だよ」
そう、ただほんの少し話した程度の関係でしかない。その程度のつながりで山田さんと面倒ごとに付き合うかどうかにしては全然付き合う義理はないわけだ。
しかしだ、だからと言ってあの人を放っておいたらまたどこかから怒号が響いてくるかもしれない。自分が趣味に浸っている間に外部から影響を受けるのは嫌だ。それはとにかく避けたい。
「すいませんおじいさん。まるで理解はできないかもしれませんが、この人の言うことを信じてやってください。この人の話に嘘はないはずです」
山田さんと老人の間に入り、下げたくもない頭を軽く下げてそう言った。いつの間にか増えていた数人の野次馬が驚いた顔をしていたのが見えた。老人も、山田さんも。
しかし、老人は気圧されまいとするように鋭い眼差しでさっきのほどでもでもないが、声を張り上げて老人虐待じゃーやら若者はそんなからかい方をするのかーだとか自分の立場を利用して言いたい放題だった。こういうジジイは嫌いだ。早く死ねばいい。
「でしたらお好きにどうぞ。無理強いをする気はありません」
「おい、真魚ちゃんそれは」
「黙ってろ」
話しても無駄な相手だってこの世には腐るほどいる。記憶と一緒にそんなことも忘れたのかと言ってやりたかったが流石に抑えた。
「おやおや、一体何の騒ぎですかこれは!?」
聞き覚えのある声が野次馬の中から聞こえ、その声の主はそのまま老人の側までやってきてよくそんなに次から次へと言葉が浮かぶなと感心するほどの速度で老人に質問を繰り返していた。そうだ、確かコイツは同じ病室のおしゃべりな婆さんだ。食堂で一度山田さんとも会話をしている。
その婆さんは一通り状況を把握すると、何を思ったか突然持っていた杖を山田さんに投げつけ、あたしの方にも向き直って怒り狂ったように叫んだ。
「この悪魔め!」
辺りが静まり返った。ナースステーションの方から数人の看護師が慌ててやってくる足音だけが廊下に響いていた。
駆け付けた看護師の一人は理由は後で聞くと言いながら老人の車椅子を押し、また一人は婆さんの手を取ってゆっくりと病室まで連れて行こうとした。しかし、婆さんはこちらを睨み付けたままその場から動こうとしない。老人の方も必死に抵抗していた。
「……あのイカレた牧師は元気か?」
あたしがそう聞くと予想通りに二人は激昂し、暴れだした二人を野次馬の何人かも一緒になって取り押さえた。
そんな様子を側にいた中学生は始終わけがからないといった様子で見守っており、山田さんは取り押さえられている老人二人は既に高遠の狂信者になってしまっていることに気が付いたようだ。
「すぐに高遠の耳に入るだろう。お互い、やっちゃいましたね」
去り際に山田さんに向けて呟いた。彼は声を張り上げて「この二人のようになりたくなければ食事には一切手を付けるな」と野次馬に向けて言った。牧師に狙われるのはおそらくあたしと山田さんだ。今日のうちに攻撃を仕掛けてきたとしたらかなりマズいだろう。腕ならまだしも脚の怪我では逃げることさえできない。
何にしても、取り返しのつかない面倒な状況になってしまったことだけは確かなことだった。現にこの日の晩に高遠は現れ、あたしと山田さんを呼び出したのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます