太陽の見えない夏
帰省
俺は人生で二度死にかけたことがある。
一度目は中学生の頃、学校で火災に見舞われた時に左腕が瓦礫に挟まって逃げ遅れたせいで焼死しかけたことがある。そんな絶望的な状況で俺が無事こうして今を生きている理由は瓦礫に挟まった左腕を切り捨てて逃げたからだ。その時に負った火傷は全身の至る箇所に痛々しく残っているが、中でも顔の約左半分を覆う焼け爛れた皮膚が炎の恐ろしさを物語っていることだろう。
二度目は一年前、通り魔に後ろから襲われて意識を失った。具体的にその時のことを説明すると、俺は突然何かを首の辺りに刺され、その瞬間から呼吸ができなくなってその場に倒れた。
しかし、意識を失う瞬間は死を意識していたもののいざ目を覚ますと身体は何ともないどころかその日を境に生命力が満ち溢れているかのような感覚を今でも感じている。身体能力も気のせいではなく確実に跳ね上がっているのもわかった。何より、俺もあの時の通り魔にされたように相手の意識を失わせることができるようになったのだ。
方法は至って簡単。指先から滴る液体を相手に指を突き刺して注入するだけ。毒と言った方が適切だ。もっと言うと神経毒だろう。量を増やせば死に至らしめることだって可能だ。俺はいつでも人を殺せる人間になった。しかしそんな野蛮な力を使う機会は一度もなかった。そう、今この瞬間までは一度も。
「あと一滴その傷口に垂らすだけで致死量だろう。逆に、今ならまだ助かる。言えよ、その『レプリカ』とやらの薬は誰に貰った?」
呼吸が徐々にできなくなっていく溺れるような苦しみに顔を歪める少年は頑として口を割ろうとしない。
薄暗いボロアパートの一室にいる俺の目の前でもがく少年は鳥だった。鳥の化け物、すなわち鳥のレプリカ。レプリカに攻撃された人間はそのレプリカの超人的な力と能力を少しだけ引き継ぐが大半の人間は理性を失うらしい。少年から得た情報から考えると俺は毒を扱うレプリカに一度殺されたというわけだ。
「それだけは……言えない。言ったら……死ぬ」
俺は少年の小指を折った。彼は掠れた声で悲鳴をあげたがそれでも口を割らない。一体何がおそらく中学生くらいであるこの少年をここまで動かすのか。言ったら死ぬと言った彼の声に嘘はなさそうだった。あれは本気で恐怖している人間の出す声だった。ここでこの少年を殺してしまうのは正直、惜しいと思う。
「死ぬとは、薬を君に与えた人間に殺されるのか? じゃあ、そいつもレプリカか? 能力は何だ? それも言えないのか? ん?」
「あ……あなたは……何の目的でこんなことを」
「知りたいか? それは金の為だ。単純で薄っぺらい理由だろう? 俺は欲に素直に生きてきた。今は金が欲しい。楽して金を手に入れたいというクズの考えを前向きに持っているしその為のちょっとした努力くらいは覚悟している。レプリカの力をちょっとわけてもらっただけでこんなにパワフルになれるんだ。こんなに素晴らしい力の元になる薬が存在するなら高く売れないわけないだろう? そう思わないか? ん?」
少年は苦しみに顔を歪めながらも唖然とした表情で俺を見上げた。
「薬を……全部……独り占めにする気ですか」
「問題はあるか?」
「無茶だ……殺される」
「その言い方、相手はレプリカと考えていいんだな」
「っ……そうでなくても、あなた一人では絶対に無理だ。もし狙いがバレたら……きっと他のレプリカがあなたを殺しに」
「俺は君というレプリカを倒した。誰かを倒す方法は正面から向かい合って殴り合うだけじゃない。勝てない相手には勝てる環境を作ってからやり合えばいい、いっそ俺が戦わずに他人を上手いこと使ってそいつにやっつけてもらうのも手だ」
「だからって……そんな簡単に」
この少年、俺のことを心配しているのか? こんな余裕のない状況でのそんな心配はとてもじゃないが俺には優しさとは呼べない。自分の立場を見失っているだけだ。それとも、この少年の知るレプリカはそれほどまでに恐ろしいということか。
「自分を過信しているわけじゃないさ。昔、自分が絶対的に不利な相手との戦いを経験しているだけ。今の俺は強いが、直接やり合うことは極力避ける。多分、俺の弟もそんな戦い方をすることだろうな」
俺は長年会っていない忘れもしない肉親の姿を思い浮かべた。背が低く、運動が苦手で頼りない印象の弟の姿を。弟だけでなく家族ともあの火災の日から会っていない。俺は表向きにはあの日に死にかけたのではなく死んでいるのだから。俺が木野裕一という人間だったことを知っているのは燃え盛る校舎から虫の息で逃げていた時に会った弟だけだ。
「せめて場所だけでいいから教えてくれ。難しいなら大雑把に町の名前だけでいい。それを教えてくれたら命は助けてやる」
少年は俺にすがるようなまなざしで本当かと質問した。俺はその問いに本当だと捻りもなく返す。そして、少年が口にした町の名前は俺のよく知る町であったというか俺の故郷だった。
これは何となく縁というか因果のようなものを感じるな。あの町には近付きたくはなかったのだが……仕方ない。
「ど……どこへ?」
この場所に俺がいたという証拠になる物がないことを確認し、片方しかない腕で着ている簡素なシャツを整えた。
「その町に行く。いや、その町に帰ると言った方が適切だなレプリカの治癒力なら折れた骨も毒もなんとかなるだろう。後は勝手にしろ。警察に通報してもいいよ。君がレプリカだとバレていいならな。優しいだろ」
さて、金のなる木を求めて旅立つとしよう。会いたくもない弟に出会わないことを願って。
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