陰鬱な月に照らされて

 一本だけで十分になった松葉杖を駆使して屋上の十三階に上がり、鉄柵に寄りかかって満天の星空のような夜景とずいぶんと大きく見える満月を眺めつつ、携帯電話越しの頼りなさげだがきっとどのレプリカよりも危険な男の声に応える。


 「心当たりがありすぎる特徴だな、そいつら。ひたすら『正義』を誇示する奴なら知っている。それも親玉みたいな奴をな」


 『それはそれは……話が早くて助かるね。どんな人なの?』


 「中年の牧師で入院患者ではないが正義の布教みたいなことはしている。まだ確証があるわけじゃないが、そいつをレプリカと見ていいだろう」


 『絶対に世間にバレない自信があれば今の状況で殺してみるのもいい。レプリカだったら勝手に消えてくれるしね』


 「違ったら死体が残って危険なわけね。だけど、証拠を掴むなんて悠長なことしてる余裕はないんじゃないか? 放っておけばキミがずる賢いやり方でぶっ殺した奴らのような人が増えていくばかりだ。レプリカの手下は何をしでかすかわかったものじゃない」


 おそらく、重病患者以外に寄生されている人間はたくさんいる。寄生でもされない限りあんな夢物語に耳を傾けるはずがないのだから。


 『そうだね。僕もそんな危ない奴らが身近にいる日常は想像したくない。だけどもうそんな奴らはたくさんいると考えても不思議じゃない。ここは少し我慢して証拠が上がるまで待ってもそんなに問題じゃないさ』


 「いわゆる愚問というやつを提示せてもらうけど、寄生された人間のことを可哀想とか思ったりしてる?」


 『言うほど愚問でもないさ。普通に同情するし気の毒だとは思う。だけど、始末するとなれば少しも抵抗はない』


 そう言う木野くんの声は淡白なもので冷たさを感じさせた。


 「前から気になっていたんだけどさ」


 木野くんの第一印象は冴えない根暗男子。だが、一緒に行動していくうちに本性というか普通の人間にはない残虐性が露わになった。思えば、宮島を殺した時も彼はひどく冷静に絶好のタイミングで彼女を躊躇いなく撃った。


 「キミ……人殺したことあるだろ」


 電話口からはしばらく返事がなかった。無言の肯定と受け取っていいのかどうかは判りかねる。

 夏休みが近くなった時期にしては冷たい風が吹き、あたしの髪を乱した。

 彼はあたしの出自以上に秘密を孕んだ過去を持っているのだろうか。


 『そんな経験は最近だけだよ。初めて殺した人間と呼べるものは入間君だ。僕は誰も殺したことはない』


 「なら、キミのそんな戦い方を裏付ける過去とは一体どういうものなんだ?」


 『それを話すには、夏川さんの過去を教えることを条件にしたい』


 彼はムキになるわけでもなく、いつも通りの口調で対等な交換条件を提示した。

 こういった点からしても、彼は自分の情報を守ることは徹底している。もしあたしが木野くんで木野くんがあたしなら、最初にレプリカを始末した瞬間を見られた時に彼はあたしを殺していたことだろう。


 「キミのことは頼りにしているつもりだが、そういう踏み込んだ話をするほど仲良しでもないな」


 『奇遇だね。僕もまったく同じことを考えてたよ』


 彼ならあたしを捨て駒として扱うことが十分に考えられる。戦い方は弱い人間が強い奴に勝つという面では尊敬に値するが、信頼できる戦い方ではないからだ。

 あたしもそんなに信頼できる人間ではないけどね。


 「程良い距離で仲良くならずにレプリカを消していこう。今日は情報をありがとう」


 『一人の異性として仲良くなりたいっていうのはダメかな?』


 「ふざけんなバカ」


 電話越しで彼は笑った。つられてあたしも笑った。

 仲良しじゃないにしても、この世界のどこにこんな物騒な会話をする高校生の男女が他にいるだろうか。異常な人間が社会に溶け込むことは難しい話ではない。だが、互いの異常性を理解しながら話をするという機会は滅多に訪れはしないだろう。


 あたしも側から見ればもちろん危険なんだろうが、木野くんとナギ先生ではどちらが危険度が高いのだろう。あたしよりも何倍も強いうえに頭も回る先生のほうがタチが悪そうだ。


 聞くだけのことは聞いたあたしは電話を切って病室に戻ろうかと思った。だけど、美しくも汚れたような夜景と黒い雲がかかった満月を改めて見たことで、電話を切る前の皮肉交じりの一言を思いついた。木野くんが自分のことも含まれていることに気がつくだろうか? 結果はどちらでもいいけどな。


 「この街には危険な奴らが多すぎる。そう思わないか?」

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