正義の味方は孤独であれ

 「む……」


 「あ……」


 最上階の患者図書館でばったり山田さんと出くわした。

 あたしは挨拶をすることなく通り過ぎようとしていたのだが、向こうがあたしがちょうど後ろに来た時点であたしに気付いたせいで「ああ、気付きませんでしたこんにちは」と言うには嘘くささが丸わかりの位置で互いに固まってしまった。


 「どうも」


 とりあえずあたしは軽く頭を下げた。


 「君は……どんな本を読むんだ?」


 山田さんがそう聞いた。


 「読むなら小説ですね。恋愛モノでなければ大体のものは読みます」


 「ふむ……そうか」


 「山田さんはどうなんですか?」


 「読書は趣味でもあるし記憶を戻す手がかりにもなると思って読んでいる。大方のジャンルは読破したが、恋愛に関してはピンと来なかったな」


 「記憶を失う前のことはまだなにもわからないんですか?」


 「少なくとも今のような生活をしていたと思う。オレがどこかの企業にでも勤めていたり交友関係があれば誰かしらオレのことを捜してくれているのかもしれないが、記憶を失ってからそんなことは今までで一度もない」 


 「大変ですね」


 無責任な励ましはできない。だからこそ無関心な返しがちょうどいい。


 「まあ、正直なところ記憶より明日の生活の方が重要な身分なんだがな」


 山田さんは愛想笑いも苦笑いもせずにそう言った。記憶を失ったことを全く気に留めていないかのように。


 「そうだ、山田さんが天の使いの噂を知ったのはどこの階ですか?」


 「五階の循環器科の老人達からだ。なんだ? あの噂が気になるのか」


 「まあ、一応」


 レプリカが関わっているかもしれないなら下見の感覚で調べるつもりでいる。


 それから図書館を本を借りることなく後にし、山田さんの言っていた例の五階まで足を運んでみることにし、まずは看護師から話を聞いたりして、食堂で駄弁っている人達からも色々と聞いて回った。

 その結果、噂を知っている人と知らない人の割合は四対六といったくらいで、内容については願いを叶えてくれる派と安楽死派と傷を癒す派がメインだった。他は超スレンダーな看護師のことを指しているだけだとか小児科のたまに遊びに来るミキちゃんとやらの可愛さが広まったとかいうものだったが、実際の退院患者数から察すると傷を癒す派が正解な気がした。


 「真魚ちゃん、いわゆる七不思議系の話は興味ある方?」


 病室に戻り、採血に来た看護師の「日垣潤」にそう聞かれた。


 「そうですね。その中に気になるものがあった場合だけですけど」


 「天の使いとやらがあるでしょ。知ってるかな?」


 「知ってます。患者が次々に治っていったやつでしょう?有名みたいですね」


 「そうそう。そんなのが実在してたら私達の仕事がなくなっちゃうな」


 日垣さんは笑った。

 しかし、退院した患者のデータはどれも死期が近い者ばかりだったそうなのでこの病院から一度に全ての患者が退院するなんてことはないだろう。


 「その天の使いの噂、いつ頃から広まったんですか?」


 「割と最近だよ。やっぱり真魚ちゃんも気になるよね?」


 「まあ、実際起こっていることですし」


 「天の使いとやらなら一番情報を持ってそうな人を一人知ってるよ」


 「誰ですか?」


 「牧師さんがいるんだよ、四階の方に。よく食堂で教えを説いてるような感じだから行けばすぐわかると思うし、話しやすくていい人だと思うよ」


 牧師か……確かに天の使いという言葉には詳しそうであるし天の使いそのものな気もするが会いに行く価値はありそうだ。


 「にしても本当、病気を治すのは勝手だけど私の患者さんには手を出してほしくないかなあ」


 「まあ、患者があっての病院ですしね」


 「ちょっと違うんだけどね」


 「え? どういうことです?」


 「じゃ、ちくっとしますからねー」


 あたしを無視してそう言ってから日垣さんは注射器を手にしたが何故か手が震えている。初めは新人だからかと思っていたが大して痛みはないから上手ではある。だけど、最近では息を荒くして注射をしていることにも気付いた。

緊張するほど繊細な仕事なのだろうか。


 「あの、緊張してるんですか?」


 聞いてみたが、返事はない


 「あの……」


 「うるさい!」


 「……」


 怒られたことに納得はいかないが、今回も痛みもなく針は刺さったのでその点はいい。だが、注射している時の日垣さんの表情を改めて見てみると、口の端が若干吊り上っていることがわかった。正直気持ち悪い。


 「おい真魚ちゃん、もしかして知らなかったのか?」


 採血を終えて日垣さんが去ると隣からカーテン越しにヤンキー女の声がした。


 「なにが?」


 「日垣さんかなりの注射フェチだから邪魔されるとキレるんだよ」


 あの表情はそんなしょうもないことだったのか。


 「アンタもキレられたことあるのか?」


 「ちょっと腕動かしたせいで乳首刺されたことある」


 「……よくクビにならないな」


 「普段はすごくいい人だからな……」


 それから特にやることもなく夕食まで淡々と入院生活を謳歌した。すぐに牧師とやらに会いに行ってもいいと思ったが、食堂に現れるなら一番現れやすそうな時間まで待つことにした。

 そして、夕食を手早く済ませて牧師のいる四階までやってきた。

 その階の食堂には数人の老人と四人ほど子供もいて中年の男が一人いた。

 みんなで和気あいあいと雑談をしているわけではなく、一人の中年が老人達と子供達に話をしているようだった。それも、老人達と子供達は食い入るように耳を傾けている。どうやら例の牧師とは話をしている男のようだ。


 あたしも混ざって話を聞こうと空いている席に腰掛けた。

 牧師の話を途中から聞くことにはなったが、話の内容はいたってシンプルなもので話の筋もすぐに掴めた。


 牧師は正義について話していた。

 悪いことをする人間がいるから悪いことが起こりまた新たな悪が生まれる。悪によって生み出された復讐心なども一つの悪であり、このような負の連鎖を断ち切り、絶対的な正義の登場によって悪は消え去るということ。

 だから、常に正義の心を忘れるな。正義に理由はいらない。決して悪に染まることはするな。絶対的な正義として君臨するのは私達なのだから。世界を救うのは私達が絶対的な正義を身に付けることから始まるのだ。


 ガキかこのオッサンは……。


 それから一通り話を聞き終え、集まっていた患者たちは皆嬉しそうに礼を述べ、みんな「牧師様のお話には希望がある」と互いに言いながら散り散りになっていった。宗教嫌いの人間から見れば異様な光景だったと思う。実際にあたしもそう思った。

 そして、あたしは直々に牧師と話ができるようになった。


 「こんばんは」


 まずは軽く挨拶をする。


 「この階の患者ではなさそうだね。私に何か用事でも? それとも、私の話をわざわざ聞きに来てくれたのかい?」


 丁寧な口調で牧師は言った。


 「用事です。看護師さんからあなたのことを聞いてやってきました」


 「ふむ……それで、用事とは一体?」


 「天の使いの噂についてです。知っていますか?」


 「患者を急激に回復させてくれる人物のことだね? 誰かは知らないが、噂自体は知っているよ」


 「君もその人物に傷を治してもらいたいのか?」と牧師は何かを探るように聞いた。


 「できれば……ですけど」


 嘘だ。傷はもう少しすれば完治する。わざわざそんな怪しい手段に頼るつもりは毛頭ない。最初から否定するよりはこういう言い方の方が会話は進む。今はただ、重症患者が次々と退院していくというありえない状況を引き起こしている奴がいるか? いるならそいつは人間なのかどうかを確かめ、そいつの顔と名前まで確かめることができればベストだ。


 牧師は一旦席を立って二人分のお茶を汲みに行き、一つをあたしの前に差し出した。

 礼は述べたが、喉は乾いていなかったのでまだ飲むことはしない。


 「君が『正義』を貫くことができる人間であれば、天の使いは現れるさ。神の使者とはそういうものだ」


 「さっき話していたやつですか。言っては悪いですけど、あたしは無神論者です。それに、正義を貫き続けるなんて無理じゃないですか? どんな善人でも悪いことはします」


 いい質問だとでも言うように牧師は頷き、「神の存在を無理に認めさせはしない」と断ってから彼の持論を展開し始めた。


 「いかなる善良な人間でも悪いことをする……確かにそうだ。人間は心の中の悪を完全に捨て去ることはできない。ただ、自力ではな」


 「他人になんとかしてもらうんですか?」


 「そう、そしてその他人こそが絶対的な正義を持つ者だ」


 真面目な顔でまた何を言い出すんだ……。


 「絶対的な正義を持つ者とやらはどうやってそれを身につけたんです? そこがはっきりしてなきゃ正義の起源がわかりません」


 「君は今の世の中が平和だと信じているか?」


 牧師はあたしの言葉を無視してそう言った。ムッと来たが、目上の相手なのでここは抑えた。


 「日本に関してはそうだと思います」


 「そう思う根拠は?」


 どうでもいいだろそんなもん。


 「治安の良さからそう考えます」


 レプリカを抜きにした場合での意見だ。あんな危険な奴らはそこにいるだけで有害なのだから。


 「その治安の良さとは?」


 知らん。


 「犯罪率の低さですかね」


 「それは浅はかな考えだ」


 パッと思いついたことを言ったところ、怒るわけでもなくそう一蹴された。


 「治安が他国と比べて良いのは認めよう。だが、それでも現に犯罪は頻繁に起こっている。この現状を無視して平和を語ることができるだろうか? いやできるわけがない」


 「何が言いたいんですか? 手短にお願いします」


 「簡単なことだ。平和とはこの世の全ての犯罪が撲滅され、人が人を安心して助け合える世界のことだ」


 確かに非常にシンプルで理想的な世界だ。誰でも思いつく。同時に、そんな世界を実現させることは到底無理な話だということも瞬時に理解できる。コイツの話を聞いたガキとジジババ共は随分とお花畑な思考回路をしているようだ。


 「そのような理想論が天の使いとどう関係するんです?」


 「天の使いは正しい心を持つ者のもとに現れるのだ」


 「何故そんなことがあなたにわかるのです?」


 「どんな怪我や病気も瞬時に治すという現実離れした力を持つ者が無差別に治療し回るとは考え難いだろう? 現に退院した人々は皆善良な人々はばかりだった」


 「その考えに明確な根拠はありますか?」


 牧師は間髪入れずに答える。


 「ない。しかし現れると言ったら現れるのだ、天の使いは。君も天の使いに傷を治してもらいたくはないかね?」


 牧師はあたしに顔を近付けて誘うようにそう言った。


 「治してもらいたければ善良な人間になれと? そう言いたいのですか?」


 この男からはどことなく危険な香りがする。「正義」の押し売りとでも言うべきか。


 「私の理想とする世界を創る為にも……是非協力してもらいたい。全ての人間が絶対的な正義として存在するそんな理想郷を創る為に」


 「それより、なぜ退院した人々の人柄まで知っているんですか? 見たところ牧師さんは患者のようには見えませんが」


 そう、牧師の服装はラフなものであったし極めて健康な肌の色もしていた。きっと現役で何かのスポーツをしていると言われても不思議に思わないだろう。

 あたしが話題を面倒な方向へ傾きかけていたところを修正する問いに対して牧師は知人の見舞いに来ている内に患者達と交友を持ったと答えた。


 「それで……天の使いとやらは誰かはわからないんですよね?」


 牧師はそうだと頷いた。


 「申し訳ありませんが、あたしはあなたの平和論を聞きに来たわけではないのです。天の使いについての情報がないなら失礼させていただきたいのですが」  


 これ以上話をしても無駄と判断したあたしは慣れない敬語でこの場から立ち去ろうという意思を伝える。しかし、牧師はそれを許す事はせず、正義の尊さ、正義が作り出す豊かな社会、正義が全ての問題を解決するなど話をやめようとはしない。


 異常だった。

 この男は正義の盲信者。言っていることは正しい。だが実現できるわけが本当にない理想論でしかないのだ。


 「あの、本当にもういいですから、あたしはこれで」


 「人の話を最後まで聞けッ!!」


 「聞きたくないっつってんだよ! わかんねえかこのタコ!!」


 牧師は凄まじい剣幕でテーブルを叩いてそう叫び、痺れを切らしたあたしもたまらず殴るようにテーブルを叩いて叫び返した。食堂にいた人々が驚いて一斉にこちらを見たことで沈黙がこの食堂に訪れた。ここから見えるナースステーションにいる看護師達もあたし達に驚いていた。

そして、気がつくと彼らの視線の先はあたしと牧師に向けられているのではなくあたしだけに向けられていた。


 「失礼します」


 声を極めて冷静なものにしてそう言い、あたしは席を立った。


 「君、煙草をやっているな?」


 牧師も落ち着いた声でそう問いかけたがあたしは無視して松葉杖を両脇に構えた。 


 「未成年の喫煙がよくないことなのは周知の事実。モラルに反する行動は『悪』だ。悪がそうして広がりを見せるように、正義もまた同様に広がりを見せる」


 「聞くだけのことは聞きました。あなたは天の使いについての情報を持っていない。それがわかっただけ十分です」


 動き出す準備が整ったあたしに向かって牧師は「せめてお茶だけでも飲んでいけ」と促したが、喉が乾いていない以前にこんな奴の汲んだお茶など飲みたくもなかったので拒否してエレベーターへと向かう。


 「君のような悪には必ず正義の鉄槌が下される。今ならまだ間に合うぞ。私の話を聞け」


 牧師は諦めることなく理想論でしかない正義を押し付けようとする。この男は頭のネジが相当緩んでいるに違いない。


 「正義は普遍的になるものじゃない」


 「お前のような小娘が易々と正義を語るんじゃない」


 牧師の言葉には怒りというよりも敵意に近いものが含まれていた。

 あたしは疲れ果てて自分の病室へと戻ろうとした。最後に牧師を一瞥した時、あたしの視界には食堂にいた全員が睨みつけるようにこちらを見ている光景も映っていた。

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