白い監獄
目を覚ますと白い天井が見えた……という経験をしてから今日で十日。
肋骨は砕け、左足は足の裏が上に向いていたり頭からはおびただしい量の血が流れていたわその他もろもろなんやかんやでとにかくひどいものだったらしい。
そういうわけで市内の大学病院で入院しているのだが、完治するまではしばらくかかりそうだった。
「おはようございます。お嬢様。もうそんなに動いて大丈夫なんですか? あと、怪我に悲観して早まるのはどうかおやめください」
あたしが松葉杖を突いて向かった屋上で煙草を吸っていると、気品を感じさせる声でそう言ってきたのは我が家で住み込みで働いてくれている家政婦の「鳥飼ミチル」だ。手には映画のDVDが入った袋が提げられている。
年齢は二十七歳。なんでもうちには彼女の祖父の代から仕えているとのことだ。
「お嬢様はやめてくれっていつも言ってるだろ。で、その見舞いの品とやらの映画……今度はちゃんとしたやつなんだろうな? あと死なねえから」
「おや? 前のやつは苦手なジャンルでしたか? おかしいですね、真魚さんの好みには合っていたと思うのですが」
「ああ、すごく面白かったよ。あの戦争映画はすごく面白かった。文句なしだ。アンタがドイツ語の主題歌を片言で歌っていたのが録られていた点を除けばな」
「まあ、ご冗談を」
「アホ」
変わった人だが、まあ信頼はしている。
ミチルとはあたしが小学生だった頃から色々と世話になっている。
あたしの家は誰かに自慢したりしたことはないがかなりの金持ちだ。住んでいる家は結城の洋館とは違って和風のものだが、敷地面積はあたしの家の方が上だろう。
あたしの両親はもういない。父親の方はあたしが生まれてすぐ死んで、母親は小一の頃に死んでいる。残されたあたしは母方の実家に引き取られ、そこが今の馬鹿でかい家だというわけだ。だからこそミチルのような住み込みの家政婦が数人いるのだ。
「入院生活は楽しいですか?」
「早く帰りたいよ。それと、欲を言えば個室がよかった」
「おじいさまが貧乏性でしたので」
ミチルは隣に来てあたしが吸っていた煙草を取って大きく煙を吸い込み、吐いた煙で雲一つない大空に白いリングを飛ばした。
「自分の吸ってよ」
「大人として未成年の喫煙は咎める義務がありますので」
「あたしに煙草を教えた張本人が言う台詞じゃないな」
その後、ミチルはあたしに見舞いの品だけを渡して帰っていき、あたしはもとの退屈な入院生活を再開させに病室へ向かう。
病室は女だけの四人部屋。入り口から左のベッドにいるのはプリンのような色合いの髪のヤンキー女がバイクで事故って左足を怪我して入院している。右のベッドには腕を怪我した老婆。階段から落ちたそうだ。あたしのベッドは左側の窓に面した場所にあり、その向かい側に位置するベッドにはバスケットで右足の靭帯を切ったという中学生がいる。
あたしが病室に入った時の松葉杖を突いた音で目が覚めたのか、ヤンキー女はボサボサの髪を撫でながら驚いた顔をした。
「お前、もう松葉杖かよ!?」
「一番新しく入院してきたくせに」とでも言いたそうだ。
「医者からの許可はもらってないけどね」
「マジか……ウチなんて三週間入院してるけどまだ車椅子だぜ」
「まあ……丈夫なんで」
「そういや、どうやって怪我したんだ? お前。なんか身体中に包帯巻かれてるけど」
「ちょっと高いとこから落ちてね」
「へえ、自殺志願者?」
「んなわけない」
ヤンキー女を通り過ぎてベッドに横たわった。
暇だ……と思うより早く昼食の知らせの放送が流れたので病室に戻って早速食堂まで向かうことにした。ただ、病院の飯は正直どれも味気ない。好きな食べ物でさえ美味しいと自信を持って言えないほどだ。まあ、出されたものは食事はきちっと完食する主義なので我慢して飯ははいただいている。
食堂に着くと、既に集まっている人間は十人いた。おそらく、ずっとここで見舞いに来た人と雑談でもしていたのだろう。
一度あたしは結城から掴んだレプリカの少しの情報を話題にして見舞いに来た木野くんと話したが、それっきり彼は電話すらかけてこない。その辺りは別にどうでもいいけど、彼は死体が残る殺人を犯した。レプリカを消すならともかく、殺人鬼とはいえ人間を殺したのだ。警察に目を付けられていたら気の毒だなと思った。
味気ない昼食を取りながら増え始める人数をぼうっと眺める。この階が整形外科棟である為か、入院患者の年齢は若い人が多い。一度他の階の食堂を見る機会があったが、ほとんどが老人だった。
増えていく人数の中で同じ病室のヤンキー女はすげえ頭の彼氏とイチャついている。向かいのベッドの中学生は見舞いに来た友達と楽しそうに昼食を取っている。
そんな入院患者の中で、一際目立つ壮年の男が一人現れた。
名前は知らないし話したこともないが、身長190センチ程度はありそうな男で片足を引きずって歩き、左腕は骨折でもしているようだった。
そいつはあたしの隣の席を一つ開けて昼食を取り始めた。
それに続いて同じ病室にいたあの老婆がやってきて、あたしと大男の間の一つの席に「よろしいですか?」と断りを入れて座った。
しばらく黙って食べていると、老婆は穏やかな口調であたしに向かって話しかけてきた。
「同じ病室の夏川さんでしたっけ? ずいぶんと健康なお体をしているんですね」
「ああ、まあ……どうも」
言う人によってはセクハラだった。
続けて老婆は隣の大男に同じように話しかけた。
「お兄さんは背がとてもお高いのですねえ。お仕事は何をなさってるんですか?」
「工事現場でアルバイトをしています。定職には就いていません」
大男は目線を目の前の食事に向けたまま低い声で言った。
いい歳してフリーターだったのか。しかし、改めて大男の身体を見てみると至る所に傷があるのがわかった。昔はやんちゃしていたのだろうか。
「まあ……お二人ともお若くていいですねえ。お仕事ならきっと見つかりますよ。あなたは頼りがいがありそうですもの。夏川さんは高校生なんですか? あ、そうだ! あなたお名前はなんというんですう?」
ころころと話し相手が変わる婆さんだな。
「山田です……自分は山田太郎といいます」
えらくシンプルな名前だな。ありふれた名前というより履歴書の記入例にありそうな名前だ。いや、実際記入例に使われているか。
「数か月前から記憶を失っているんです。言葉以外全部なくした感じで、名前も履歴書の記入例にあったものを使わせてもらっています」
あれ、マジだった。
「あれま……でしたらあの噂はご存知ありますか? 『天の使い』の噂を」
なんだそりゃ。
「少しだけなら」
「そうでしたか。なんでもこの病院にどんな願いも叶えてくれるという天の使いが現れるというあの噂。山田さんなら記憶を取り戻してくれとお願いしますか?」
なんだそのあからさまに嘘くさい噂は。
「願いを叶える?」
その時、目線を食事に向けたまま淡々と受け答えだけしていた山田さんは表情を歪め、老婆の方を向いた。
「オレが聞いたのは病の苦しみから死をもって解放させるという天の使いの噂でしたよ。そんな都合のいいことまでしてくれるものなんですか?」
それを聞いた老婆は「あれま」と困惑した。
「どちらも初めて聞きました。お二人とも噂の方は信じてるんですか?」
あたしがそう聞いたところ、老婆の方は中身のない話を楽しそうに話してくれたが、山田さんは違った。
「オレが知っている噂自体は信じているわけではない。だが、こうして噂に様々な尾ひれが付いて広まっているとなると、噂の根源である天の使いはいるのかもしれない」
「といいますと?」
「別の階のご年配の方々の話を何度か聞いたのだが、退院の見込みがないとされていた人々が次々に全快に回復しているという話を聞いた。これは事実だった。だから、天の使い自体はもしかすると実在するのかもしれない」
その言葉を聞いて老婆は「素晴らしいことではありませんか」と喜んでいたが、レプリカの存在を考えるとどうにも嫌な予感はしてしまう。やっていること自体は良いことに聞こえるが、人を回復させるなんてパチモンにでもしているとしかかんがえられない。もしかしたら病を癒すレプリカなのかもしれないが、そんな能力のベースになるような生物がいるのか。
どちらにせよ、できることなら怪我を治してからレプリカと戦いたいのだけれどな。
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