祝杯
「おーおー、まさか普通の人間である君が人間を超えた人間を真っ向勝負で倒しちゃうとはね。君、やっぱり喧嘩得意でしょ?」
結城先輩が囮として選んでいたのは彼女のおじいさんだった。
僕は夏川さんと結城先輩が去った後、再び屋敷に戻って入間君の様子を見に行ったところ、ちょうど彼が殺人を行おうとしている場面で出くわした。そこには当然、僕と一緒に霧村さんもいたわけだけど。
「わかっていませんね、木野さんは」
入間君は塵と化した結城先輩のおじいさんを足で小突きながら言った。
「殺しと喧嘩は根本的に違うんですよ。まあ、ちょっと骨はありましたけど、殺す事を前提としている自分からすれば自分を守ることしか考えていない相手はやりやすいんですよ」
頬の引っ掻かれた傷を撫でながら憮然とした様子で語る。
「相手が殺す気なら殺す気で返さないと」
「……全部、入間君だったの?」
霧村さんが警戒しながらそう言ったが、その表情や口調からおびえている様子はなかった。
「ええ、三橋さんは知りませんがね」
霧村さんに驚いた様子も見られない。入間君が犯人であることは大方予想ができていたのだろう。
「警察に知らせるつもりはないからさ……」
警察に知らせるつもりがないのなら一体何をしようというのだろう。命乞いだろうか。
「殺人の動機と今の状況を教えてくれないかな」
「……何が目的なんです?」
「別に、ただ知りたいだけ。強いてかっこよく言うなら、記者魂みたいな?」
「記事にして広めるつもりですか?」
「そんなことをすれば間違いなく入間君に殺されちゃうね」
どのみち殺されるよ。
「記者魂の癖して記事にしないならただの好奇心ですね。殺人鬼の俺が言うのもアレですけど、俺に殺されなくてもそのうち誰かに殺されますよ」
呆れたように入間君は言った。その通りだと思う。
霧村さんは恥ずかしそうに笑っていたが、こんなえげつない面子でほのぼのとした雰囲気を作っている場合ではない。そろそろ結城先輩が来るはずだ。
「入間君、そろそろ」
入間君は目で返事をし、僕はとりあえず霧村さんを連れて屋敷内の安全な部屋にでも待機しに行こうと思って今いる部屋の扉を開けた瞬間、その人は既にここに来ていた。
これにはさすがに驚いた。
「……何故あなた達二人がここにいるの?」
霧村さんがまるで悪いことをしていたのがバレたような焦りと何故ここに結城先輩が来たのかという混乱が入り混じった様子で僕を見た。ここで結城さんに話す言い訳を考える必要はないが、問題なのは結城先輩だけしかここに来ていないという点だ。
「……夏川さんはどうしたんですか」
僕がそう聞くと、結城先輩は一言「殺した」と言っただけで、僕らのことは眼中にないといった様子で僕らを押しのけて入間君のもとへ向かった。その際、先輩は僕に向けて「あなたもすぐに殺す」とも言った。
「おじいちゃんは……殺したの?」
入間君は「ええ、もちろん」と足元の塵を指して言った。
「……どうして殺したの? おじいちゃんのことはあなたから守る為にこんな風にまでしたというのに」
結城先輩はやりきれなさを隠さずに言った。
「俺の正体を知りうる人間は生かしておけません。それだけです。あと、俺からも聞きたいのですが、三橋さんの件についてはどのような理由があったのですか? 犯そうと思ってたのに、一体何してくれたんです?」
一瞬、霧村さんが隣で引きつった表情をした。
「死の恐怖から解放したの。彼女からそう頼んできたわ。私がおじいちゃんをあんな風にした時にね」
それで失敗してああなったわけか。
「もう一つ聞かせて」
怒りをぐっと堪えて結城先輩は言った。感情を剥き出しにしてしまえばすぐにでも自制が効かなくなってしまうのを理解しているかのように、震える声で続ける。
「お父さんを殺したのはどうしてなの」
「殺した人間のことはあんまり覚えてませんねえ」
必死で感情を押し殺した問いかけに、入間君は軽い調子で答えた。明らかに怒りを誘っているのが僕にはわかった。
「…………何故……あなたはそうやって殺人を犯すの?」
「特にこれといった理由はありません。何となく楽しいからですよ。先輩こそ趣味について深く聞かれたら結局それが楽しいから、面白いからとかそんな風な単純な理由に行き着くと思います。僕の殺人なんてそんなもんです。あ、女の子を殺す際の主な理由はセックスですけどね」
にこやかな笑顔で最低の殺人動機を述べた彼に対し、遂に結城先輩はキレた。
「……来たな」
僕はそう呟いた。
結城先輩は腹部の歪な痣をさらけ出し、その部位の肉を抉るように爪で深く引っ掻き、レプリカ第二形態へと姿を変え、咆哮を上げながら入間君を殺しにかかった。
だが、先輩は負ける。ここでなす術なく死んでいくのだ。入間君には銃と赤の弾丸を渡してある。
今の結城先輩にあるのは、殺意と憎悪だけだ。
殺意と憎悪に支配された者がどうなるか、結果は彼が僕に夕方話した通り、あっさりと弾は命中し、親の復讐の為に人間であることを捨てた結城先輩の末路は……文字通りあっけないものだった。
弾を胸に受けた結城先輩は崩れるようにその場に倒れ、彼女の身体は徐々に崩壊し始めた。
「ご愁傷様」
入間君がそう言った。そんな彼を鋭い目で睨みつけたまま、呪詛の言葉を吐くように結城先輩は何かを言っているが、上手く聞き取れない。入間君が聞き返すと、身体の三分の二は塵と化した結城先輩は最後の言葉を彼に向けて言った。
「殺して奪ったものは殺されて奪い返されるのよ」
入間君は高笑いをして「それって俺が殺されるって言いたいんですか?」と言った。
やがて結城先輩は崩壊を終え、残ったのは感情のない静寂だけだった。
「これじゃパコパコできねえよ」
入間君は塵となった結城先輩だったものを蹴り払い、そう吐き捨てた。そういえば、情報を聞き出すのを忘れてしまったが、こうして安全にレプリカを一体始末できたことだし良しとしよう。
「……え? 今のは……は……?」
霧村さんは何が起きているのか全く理解することができずに混乱していた。まあ、当然の反応だ。
「この家に死体は残っていない。ここでは何もなかった。そういうことで、とりあえずどこか落ち着ける場所にでも行きましょうか」
入間君は少しも取り乱してなどいなかったくせにそう提案し、僕らは屋敷を後にして当てもなく町を彷徨った。霧村さんはもう一つの敵がどうとか呟いていたが、おそらく結城先輩のことなのだろう。
「ここの公園でちょっと駄弁っていきましょう」
古びたアパートを前にした小さな公園だった。確かあのアパートが入間君の住居だったはずだ。ということは、このまま霧村さんをお持ち帰りするわけなのだろう。
「こんな場所で……?」
霧村さんは異変に気付きつつも付いてきたのだろう。でなければすぐに一人で帰ろうとするのが普通だ。
「霧村さん、一連の取材の感想はどうでした?」
他愛のない世間話をするように入間君が聞いた。
「二度と味わえそうにない非日常を味わえた。正直、楽しかった」
意外な台詞だ。
「楽しんで頂けて光栄ですね」
「入間君を褒めたわけじゃないよ……」
少しだけ残念そうな表情をして霧村さんは続ける。
「お願いがあるの」
「命乞いですか?」
「それを含めて、最後に取材させてもらえるかな」
「……それも純粋な好奇心ですか」
霧村さんは微かに微笑んで返事をした。この人もこの人で中々の異常者だな。
僕らはしばし霧村さんの最後の取材を受けた。僕と入間君は互いの安全の為に裏で結託して結城先輩を始末しようとしていたこと。夏川さんと僕が本当はどんな目的であの組織に入っていたかということ、結城先輩がレプリカであるという化け物であることや、神田さんに聞いた話も少し話した。
その間の霧村さんの輝いていた目を忘れることは多分ない。
非日常に憧れ、それを身をもって経験した少女、霧村千尋は最後の最後に命乞いを入間君に対して行った。それも、土下座をして。
「私……死にたくないの。だからこのことは絶対に誰にも話さないと誓う。記事にもしないし警察にも絶対に話さない。これから先、入間君が他の誰かを殺すようなことがあっても絶対に誰にも話さないと誓う。もちろん、木野君のことも話さない! だから……」
霧村さんの額が地面に擦れる音がした。僕と入間君は黙ってその様子を見守った。
「私のことは殺さないでください……」
茂みの方から虫の鳴く声が聞こえた。空にある月がちょうど雲に隠された。
入間君は怒るわけでもなく、蔑むわけでもなく、至って穏やかな口調で霧村さんに語りかける。
「頭を上げてください。霧村さん、俺が殺人を犯す理由は覚えていますよね。特に、女の子の方」
霧村さんは入間君から若干目を背けつつ、言った。
「必要なら、私の身体を好きにしても……その……構わないから」
この人なら確かに僕らの秘密は守り通してくれるのかもしれない。僕なら信用するだろうか、どうだろうかは今ひとつ自信はないが、入間君が彼女をどうするかに関してははっきりと言える。
「霧村さん、気の毒だけどそれは違う」
僕は霧村さんに言った。あまり自分の口からは話したくもないことをこれから話すんだ。
入間君はこれから起こることを想像しているのだろうか、とても楽しそうな笑顔だ。
霧村さんの好奇心では入間君でなくても、運が悪ければ夏川さんに殺されることになっていたかもしれない。どのみち秘密を知った以上は僕にとって危険な人物となってしまったわけなので、この状況は僕にとっては非常に助かるものだ。彼女にとっては本当に、申し訳ないとは思うけどね。
「霧村さんの身体を好きにする条件はなんの意味もないんだ」
「え……でも、入間君が女の子を殺す理由は確かに」
困惑したようにそう聞く彼女のことを心底哀れに思った。人前で土下座までして自分の好奇心を貫き通した姿勢には素直に敬意を払うほどだが、これから起こることを僕が止める必要はないのだ。
「彼はネクロフィリアなんだ」
霧村さんが僕の言葉を聞いて表情を絶望したものへ変えるよりも、彼女の首に深々とナイフが突き立てられる方が早かった。
入間君は家に運ぶまで我慢できないと言って茂みのなかででお楽しみの間、僕は最後の仕上げをなす為にまずは自販機で夕方に買ったコーヒーと同じ物を買った。一つは僕の好物のカフェオレで、もう一つは彼の好物のブラックだ。
僕は彼がお楽しみを終えるまでの間ベンチに座って待つことにした。向かいの茂みの方からガサガサとした木々の擦れる音と荒い息遣いが聞こえてくる。
早く終わらないかと思いながらぼうっとしていると、ポケットの中の携帯電話が鳴り出した。
画面に表示された電話の相手を見て目を疑った。電話の主は、結城先輩が殺したはずの夏川さんからだった。
「……もしもし?」
『ああ……木野くん……生きてるか?』
かなり苦しそうな夏川さんの声がした。
「僕の台詞だよ。結城先輩に殺されたんじゃなかったの?」
『上手いことやってなんとかやり過ごしたんだよ。おかげで身動きがほとんど取れないけどね』
「パチモノにはなってないの?」
『ああ、その辺の心配は無用だ』
レプリカを相手にしてパチモノになることなく生還するなんて……一体どうやったというんだ。
「じゃあ、身動きが取れない状態ってことは相当ひどくやられたことなんだね」
『いや、今の傷の八割はビルから落ちた時の傷だ。廃ビルで結城と対峙したんだ、逃げようにも逃げられないわけでちょっと逃げ方について工夫した』
夏川さん曰く、ビルは老朽化していたせいか何かで若干傾いていたという。逃走にはその限りなく垂直に近い斜面に身体を何度もぶつけて衝撃をやわらげつつ地面に激突したとのことだ。人間離れした荒技だ。
「……助けに行こうか?」
『いや、いい。そんなことより……結城はどうなったんだ?』
「もう始末したよ。正直、夏川さんが先輩にいつ裏切られてもいいように対策は練っておいたから」
僕の言葉を聞いた夏川さんは怒り出すわけでもなく、ただ驚いていた。ただ純粋に。
僕は結城先輩を始末するまでの経緯を影で入間君と組んでいたことまで全部話した。それも踏まえて、夏川さんはただ驚いていた。
『……殺人鬼を味方にして安全にレプリカを始末する……あたしにも先に教えてくれよ』
「ごめん、伝えない方が警戒されにくいと思っていたから」
夏川さんは疲れ切ったため息を吐いた。茂みの方からは依然として音は止まない。
僕はこれから行うことの為に……完全勝利の為の最後の仕上げをする為に、通話をしながら彼の分のコーヒーに一手間加えておく。
『まあ、結果オーライだな。そうだ、ちょっとだけ薬の所有者の情報を掴んだ。ちょっと複雑なことになってそうだ』
「それはまた今度話そう。ああそうだ、こっちでは霧村さんが入間君に殺されたよ。気の毒だったけど、これで僕らのことを知る人物はいなくなる」
『知られたのか、色々?』
「色々教える必要もなかったけどより安全に最後の仕上げを済ます為には使えると思ってさ」
『仕上げ……?』
「僕らのことを知る人間を放っておくのは危険なんだろう?」
『……キミのことは……』
「あ、ごめん夏川さん」
茂みの方から音が止み、入間君が満ち足りた表情でベルトを締めているのが見えた。
僕は電話を切り、コーヒーを両手に持って入間君のもとへ向かう。こちらに気が付いた彼は爽やかな笑顔で会釈した。
「もういいのかい?」
「腐敗して使い物にならなくなるまで使いますよ。今日はこれくらいで」
茂みの中で力なく横たわる霧村さんの死体を見てみた。動かなくなった霧村さんをまじまじと見てみると、不思議な恍惚を覚えたのがわかった。だからと言って行為に及ぶ気はないが。
「とりあえず、祝杯に一杯どう? これで君が犯人だと知る人間はいなくなったんだし」
「ありがとうございます。これ、先輩の奢りですか?」
彼は僕からブラックコーヒーの入った缶を受け取り、蓋を開け、警戒することなくあっさりとそれを飲んだ。
「たまにはこんな僕に先輩面させてよ」
僕はカフェオレを飲み、二人でベンチに座って語り合う。
「入間君は、僕を殺そうとは思わないの?」
「思ってますよ」
当然でしょうと言わんばかりに彼は言った。
「木野さんはダークな魅力溢れる素敵なお方だと思っているのは嘘じゃありません。その点においては尊敬しています。ですが、そういう人間だからこそ先輩は危険なんだと思います」
入間君の表情がなくなった。結城先輩を殺した時も、霧村さんを殺した時も一瞬だけこんな表情になっていたと思う。
「申し訳ありませんが、先輩のことは殺させてもらいますよ」
「僕も殺した後に犯されるのかな?」
「そっちの気はありませんよ」
僕らは笑った。今の笑顔に、互いに嘘はなかった。
一通り笑った後、彼は「失礼します」と言って霧村さんを殺したナイフを取り出した。僕がここで殺されるとしたらどんな殺され方をするのだろうか考えた。彼なら彼女達を殺したみたいに一思いにやってくれるのだろうか。
「僕はここで死ぬ予定はないんだ」
「命乞いには応じませんよ」
困ったように入間君は言った。
「先手は打たせてもらっている。そろそろ毒が回るはずだ」
彼は僕が何を言っているのかわからなかったようだが、少し考えて僕が何をしたのか気付いた瞬間、今まで見せたことのない表情で僕に襲いかかったが、残念ながら少し遅かったみたいだ。
「うご……ぐぎっ……」
彼は僕に触れることもできずにその場に倒れ込んでのたうち回るだけだった。
彼に渡したコーヒーの飲み口には毒を塗らせてもらった。これで、僕のことを知る人間はいない。レプリカを安全に始末し、残った殺人鬼もこうして始末できる。僕の損害はゼロ。これでいい。
「君は始末させてもらう」
彼は喚き苦しみながらも僕から決して目を離さずに声にならない声を上げ続けている。彼の死体はこのまま放っておいた方がいいかもしれない。この場にある僕が彼を殺したという証拠はあのブラックコーヒーの缶だけなので、彼が動くのをやめてからそれを回収し、僕が預けておいた銃も返してもらった。
こうして僕は完全勝利を収めることができた。明日からはまた、新たなレプリカを見つける作業が始まる。できれば次に会うレプリカはもう少し手早く始末したいところだ。
ふと、また僕の携帯が鳴った。今度はメールで、相手はまた夏川さんだった。文は全部ひらがなで句読点も打たれていない粗末なものだったが、あの夏川さんにこんなことを言われるとは夢にも思わなかった。
『きみのことをかろんじていたごめん』
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