Killer's day 8

 缶コーヒーを片手にジャングルジムの頂上に腰掛けている様子にはハードボイルドさの欠片も見られないことだろう 。その缶コーヒーがブラックであるならまだマシだっただろうが、僕が今手に持っているのはカフェオレだ 。

 にしてもだ、結城先輩は今回の集会で勝負を仕掛けるつもりでもあるのだろうか。

 何も知らない霧村さんやニシマンさんは何とも思わないで来るのかもしれない。だが、夏川さんと結城先輩が結託して入間君が犯人である証拠を割り出すということになっていて、それがまだ割り出せていない状況下で集会を開くということは今回のうちに証拠を掴む方法でもあるのか……あるとすれば、現行犯逮捕って感じで彼を仕留めるのだろうか。となると、そこで必然的に犠牲になる囮が必要になる。

 パチモノを使うということは囮として使うのだろうか。そしてその囮は三橋さんでないことは確か。パチモノになった人物を知っているのは結城先輩だけ……その点に関して夏川さんは何も知らないと言っていた。これでは実質結城先輩一人で証拠を掴もうとしているようなものだが、まあ、夏川さんからしたら入間君のことよりその後に手に入る予定の「情報」が目当てであるわけだから当然のことと言えば当然なのかもしれない。


 さて、入間君が囮を殺害しようとする環境を作り出すには彼と囮が二人きりになることが前提となるだろう。いや、入間君が自分の腕に自信があるのなら周りに三、四人誰かがいても犯行に踏み切るのだろうか。その自信があるならチャンスは今までに何度もあったはずだ。


 「ねえ、君は喧嘩の方はどれくらい経験あるの?」


 僕の隣でブラックの缶コーヒーを飲んでいる背の高い後輩は口からコーヒーを離すことなく目線だけをこちらに向け、軽く首を横に振った。

 彼はブラックコーヒーを手にしているわけだが、ハードボイルドさは感じられなかった。場所が場所だし当然か。


 「多人数を一度に相手にして遊んだことは?」


 「遊び」とは僕と彼の間でのちょっとした隠語だ。誰かに知られたらかなりマズイ話しか彼とはしていない。


 「多人数を相手にする時は一人ずつバレないように遊んでいきますね。経験はありませんけど。まあ、俺だって身体的には普通の人間ですから、誰かにバレて通報でもされたらちょっと困ります」


 「これからどんな順番で遊んでいくつもりなの?」


 「そうですね……とりあえず、結城さんとはできるだけ早く遊んでおきたいですね。木野さんの話を聞く限り、俺と遊ぶ気満々みたいですし」


 彼は緊張する様子もなく、楽しみにしているような様子もなく淡々と語った。


 「結城先輩と遊ぶ方法はあるのかい?」


 「不意を突きます」


 「それはどうやって? 君を前にした先輩が油断するとはとても思えないけど」


 「しますよ。油断しないわけがない」


 虚勢を張るわけでもなく、当然のことを話すような穏やかな口振りだ。


 「怨敵を前にして、冷静に殺人を行えると思いますか? ははは……そんなわけないよなぁ。きっと結城さんが俺を殺そうとする時、腹の中が煮えくり返ってるなんてもんじゃないでしょうね。あんなグループを組織するくらいですから、俺への恨みはマジで相当なものだと思います」


 「そういうものなのかな? あと、『殺人』を『遊び』に変換できてないよ」


 彼は笑った。入間創は、普段の集会で見せていた仮面のような笑顔ではなく、怪しさを含み、それでいて純粋な笑顔を浮かべて続ける。


 「思考が『殺す』って一言に支配された時、そいつはもう何も見えちゃあいないのさ。憎悪に支配された人間ほど……殺しやすい相手はいない」


 入間君が僕の指摘を聞いていないのはさておき、確かにその通りかもしれないと思った。良い教訓にはなりそうだ。


 「君のやろうとしていることはなんとなくわかった。けど、今日殺すのは僕だなんてやめてくれよ?」


 「ははは……木野さんを殺すならとっくに殺してます。今すぐにでも殺せます。そうしないのは、あなたが持つ真っ黒な思想に惹かれたからですよ。俺はそんな木野さんの活躍をずっと見ていたい。自分の障害になるものはどんな手を使ってでも消していこうとするその姿勢は芸術的です」


 芸術的……ねえ。


 「木野さんは人畜無害な穏やかな人だと思っていたので、最初にあなたの目的を聞いた時は驚いたのなんのってところですよ。レプリカとやらを消すために警察を頑張って説得するのではなく殺人鬼の力を頼るんですから。そのうえ必要なら誰を殺しても構わないなんて言うなんて、面白いったらありゃしませんよ」


 「自分の手をできる限り汚さずに復讐に燃える悲劇のヒロインを始末しようとする僕は最低の悪役かな?」  


 結城先輩を始末する前に、薬を所有している人間の情報も聞き出しておきたいところだ。

 夏川さんのように後払いを待つのは危険だ。レプリカが裏切れば自分達の情報がそいつに知れ渡るかもしれないのだから。


 「最高にクールなアンチヒーローですよ」


 僕がヒーローと名が付くものに称されるとは思いもしなかったが、だからと言って嬉しいといった感情は湧いてこない。


 「そろそろ時間だ。集会場へ行こう。君が先に行ってくれ。少ししたら僕も行く」


 「了解っす」と言って彼はジャングルジムを飛び下りた。コーヒーの空き缶をゴミ箱に放り込み、僕の方に振り返った。


 「今日、霧村さん殺して家で犯しまくろうと思います。木野さんもどうです?」


 誰かに聞かれたらどうするんだ馬鹿。


 「童貞を死姦で納めるのは考え物だよ」









 今回の集会で結城が下した判断は依然と同じ囮捜査で犯人を捜そうというものだったが、あくまでそれは表面的な言い訳に過ぎず、真の目的は入間を屋敷に残して孤立させ、事前にパチモンにしておいた結城の爺さんを入間に攻撃させるというものだった。

 分けられたグループは木野くんと霧村で一組、あたしと結城のもう一組で以上だ。入間が攻撃したかどうかを知るために今の結城は化け物の姿に変貌している。人間の姿の時より断然この方が鼻が利くとのことだ。そのため、結城は周囲に血の臭いを妨げるものがない廃ビルの屋上でその時を待つことにした。そして、そのことが致命的な誤算だったことに気付くまであまり時間はかからなかった。


 「約束と違う」


 結城の突然の攻撃をガードした利き腕である右腕が痺れている。次に同じ個所に攻撃を受けたら骨折は免れない。


 「今、入間君とおじいちゃんの血の臭いがしたわ。証拠はこれで十分よ」


 鮫は獲物の血の匂いを嗅ぎ取って追跡するという話を聞いたことがあった。結城はまさにそれだった。黒く湿り気のある肌に両手首には鮫の歯を模したような刃がいくつも並んでいる。


 「情報を教える気は最初からなかったわけか」


 「最初はあったわ。嘘じゃない。だけど夏川さん、私の人生はこれでまた再スタートを切るの。復讐を終えて、やっと私の時間が動くの」


 マズイな、圧倒的に不利だ。このまままっすぐぶつかり合っても勝ち目はない。銃に対する警戒もできていることだろう。


 「裏切るのか」


 「その点に関しては本当にごめんなさい」


 変身……というより変態の方が適切だな。

 美しく整った顔立ちから一変した結城の容貌から表情は一切読み取れない。


 「だけど、これは仕方のないことなの。薬を渡してくれた人間はハンターを見つけたら絶対に生かすなと言っていたから、あなたがハンターとわかった以上はこうするのが必然と言えるわ」


 「ひどいことをする……あたしへの恩をこんな形で返すなんて」


 こうなれば、先に情報だけはなんとかして掴まないと。


 「どうせ殺されるなら、ちょっとくらい薬の所有者について教えてくれてもいいんじゃないか? 冥土の土産にでも……」


 あたしが言葉を言い終える前に結城は向かってきた。繰り出された一撃を紙一重のところで身体を横に倒して回避し、そのまま受け身をとりつつ距離を取り、負傷していない方の左手でナイフを順手で握った。

 結城があたしの手に握られているナイフを一瞥し、今度はゆっくりと近付いてくる。


 「あまり時間をかけさせないで。あなたに恩を感じているのは確かよ。だから、痛みを感じる間もなく始末してあげるわ」


 逃げることはできそうにない。周囲に障害物があればまだいいが、こんな場所じゃあな。


 冷静になろう。殺意に呑まれたら負けだ。結城を変態させたという致命的な判断ミスは頭の片隅に追いやって、この状況をなんとかする方法を考えないと。


 「もうなんともならないわ。覚悟を決めて頂戴」


 物事はなんとかなって解決してる訳じゃない。結局は自分がなんとかして解決させているだけだ。運を味方につけようなんて甘い考えはもっと追い詰められた時までお預けだ。


 「薬を渡した『女』はハンターについてどんなことを言っていた?」


 これでさらっと受け答えしてくれれば所有者は神田という男が持っていたあの写真の女だろうが、あたしのそんな淡い期待は砕かれた。


 「女? 何を言っているの。私に薬を与えてくれたのは男よ」


 「……は?」


 あたしと木野くんの仮説は間違っていたということか? いや、まだ間違いと断定するには情報が少なすぎる。もっとなにか引き出せないか?


 「そもそもだ、何故アンタはそいつに従う? レプリカという超人的な力を手に入れたのなら、そいつに取って代わろうとか考えなかったのか」


 あたしの言葉でひどく動揺したような様子が表情をうかがえなくても察知できた。

 声を震わせて結城は話し始める。


 「あの人は私では絶対に勝てない。それだけは言えるわ」


 「そいつに背くことがそんなに恐ろしいのか?」


 「……そいつから制裁を受けたレプリカを見たわ」


 そう言ってから先は話そうとしなかった。結城はもう有無を言わさずに向かってくる。

 あたしは悪あがきでしかない回避でところどころ攻撃を受けつつも直撃だけは避けてビルの端まで逃げた。攻撃が打撃だけだったのはあたしをパチモンにしないためだろう。おそらく、切り傷などの菌などが直接入りそうな攻撃でパチモンと化すのだろう。


 「あなたのことは忘れないわ」


 そう言って結城はビルの断崖を背にしたあたしに全力のボディブローを入れ、砕けた肋骨の痛みを確かに感じながらあたしの身体ははそのまま冷たい地面へ向かって落下を始め、これ以上思考を働かせることがあたしはできなくなった。

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