Killer's day 7

 まだ眠気が残っていて脳が完全に機能し始めていない寝起きの時間。

 いつものように歯を磨き、顔を洗ってリビングへと向かい、朝食はトーストを焼いて何も付けずに食べて済ませる。

 その間テレビで放送されていたニュースには、昨日学校の最寄り駅近くのファミレスで女子高生による暴力事件が発生したとの旨が語られていた。事件は偶然その場に居合わせた刑事達が収集したそうだが、刑事達のうち一人が怪我を負ったと言われていて、女子高生はひどく錯乱していてとても話ができる状態ではないという旨も話されていた。


 随分とパワフルな女子高生だなと思ったが、なんとなくそれらしい予感がしたので夏川さんに電話を掛けてみた。


 通話を待ちながらコール音が何度も繰り返され、あと一回のコール音で留守番電話サービスに繋がるところで夏川さんのあからさまに苛ついた声が聞こえてきた。


 『……なに?』


 とりあえず、まずはおはようと挨拶をしてみた。


 『モーニングコールをするほどキミとあたしは仲良しじゃないはずだ』


 怒らせて電話を切られる前に本題に入ることにした。


 「結城先輩を使って何かした?」


 『……は?』


 「パチモノのこと」


 夏川さんはしばらく考えて欠伸をしながら言った。


 『あー……もしかして襲われた?』


 「襲われたわけじゃないよ。ニュースでデカデカとそれらしいのが報道されてた。早速誰を使ったの?」


 『んー……今じゃないとダメか? 眠いんだよ』


 「じゃあ、また学校でいいよ。とりあえず、自我を持てなかったパチモノを放置するのはやめてもらいたくてさ。それが言いたかった」


 『は? なんで?』


 「僕が襲われたら死ぬ」


 夏川さんはいちいちそんな話で電話をしてくるなと言わんばかりに言う。


 『勝手に死んどけ。キミがいなくてもレプリカは消せる』


 「……まあ、否定はしないよ」


 夏川さんは電話を切った。


 死ねと言われたことがないわけではないし、今もストレートに死ねと言われたわけでもなかったが、彼女の僕に対する認識が決していいものではないということを察した。

 しかし、僕の夏川さんに対する認識も決していいものではない。彼女は強い。ひょっとしたらボクシングのスーパーヘビー級チャンピオンとまともに渡り合うどころか圧勝してしまいそうだ。それ故に、彼女は自分の力を過信してしまっているのではないだろうか。レプリカを殺せる内に殺しておかないなんてどうかしている。結城先輩に弾丸を撃ち込めたのならそのまま射殺してしまえばいいものを……。

 だが、そういった夏川さんの行動のおかげで僕は安全に危険人物達を排除することができるわけでもある。求めるのは完全勝利だけだ。それも、できるだけ僕が関与しないようにレプリカと殺人鬼を排除することが理想だ。夏川さんと結城先輩がどんな方法で入間君の証拠を掴み、彼を抹殺するのかは知らないが、殺す順番を間違えてはいけないし、危険な橋はできるだけ避けて通るべきだ。


 「途中経過だけでも伝えておこうか」


 最も、今の僕がそんなルールを守れているか自信はあまりないけど。










 新聞部の部室に来るのがすごく久しぶりな気がする。今日までほとんど結城先輩の家で過ごしていたようなものだったから。


 今は放課後だから、アメ先輩はわからないが、シモちゃんなら多分いると思う。

 そう思って部室の扉を開けてみると、そこには予想通りシモちゃんが気怠そうに携帯電話を弄っていた。手の動きからして、やっているのはゲームだろう。


 「あ、お久しぶりぶりっす」


 彼女はこちらをチラッと確認してそう言い、そのまますぐ画面へと目を戻した。


 「アメ先輩は?」


 「取材です。今朝のニュースでやってたファミレスの暴力事件の例の女子高生、『三橋』っていううちの生徒だったらしいんで、ちょっと彼女のとこに行ってみるって言ってました。会えるわけないと思いますがね」


 「ちょっと待って! 三橋って……まさか、一年の三橋楓じゃあ」


 「あれ? 知ってたんですか? 話したことは全然なかった子だからこんなことするとは全然思えないなんて言えませんけど……先輩、関わりあったんすか?」


 耳を疑った。楓ちゃんが暴力事件だって? そんな馬鹿な。唐突すぎる。彼女に何が起きたらそんなことになるんだ。


 「知ってるも何も、私が今取材してる結城先輩のグループの一人よ。楓ちゃんがそんなことをするとは思えない」


 「そうは言ってもそういう事実ですからね。人間ちょっとの付き合いだけじゃその人の本質なんてわかりはしませんよ。アメ先輩はこういうスキャンダル的な記事を書くことが好きみたいですけど、学校側からは止められるでしょうね」


 シモちゃんはゲームを続けながらそう言った。


 「学校側から止められそうなのは私が今やってるのもそうだろうけどね」


 「じゃあ取材は打ち切って、無難な記事で今月はやり過ごしますか? 自分は徹夜コースになりさえしなければそれでいいですし」


 確かに、死人が出ている以上私がこれ以上この件に関与するのは危険だ。夏川にも同じことを言われた。だけど、興味があるのだ。危険であるとはいえ、私は事件の真相を暴いてみたい。


 「続けるよ。それなりに読み応えのある記事にしてみせる」


 「今週が最後ですよ。月が変わる前に、警察でさえ解決できてない事件の真相なんて暴けるんですか?」


 そのまま「あ、死んだ」と彼女は呟いた。


 「そ……それは」


 考えたけど……考え付くわけがない。

 彼女は舌打ちしてゲームを止めて携帯電話をポケットにしまった。今度はしっかりと私の目を見て切り出した。


 「アメ先輩は反対するかもしれませんけど、自分は手を引くことをお勧めします。先輩、下手したらガチで死ぬと思いますよ」


 「個人的に気になるのよ。とにかく、なんとかしてやり遂げてみたいの。楓ちゃんの件も含めて、私なりにやり遂げてみたい」


 シモちゃんは大きくため息を吐いた。「何を言っても無駄か」とでも言って諦めるように。

 しかし、彼女の口から発せられた言葉は予想だにしなかったものだった。


 「鹿島先輩が死に、三橋さんがおかしくなった。二人がそうなった理由に犯人が関係しているとして、尚且つまたグループの誰かが殺されたとしたら、犯人はグループの内部にいると考えていいんじゃないでしょうか」


 「犯人が……内部に?」


 そんなまさか……とは言い切れない。理にかなっている。私は結城先輩と夏川とニシマンさんの三人を除くメンバーに参加の動機を聞いたがあの場面に犯人がいたとしたなら、自分の動機について嘘を吐くことは簡単だ。どうにでもなる。

 夏川か結城先輩を犯人と仮定するなら、二人だけになった時点でどちらかは殺されるはず。


 「あくまで仮説ですけどね。現場を見たわけではない自分が言うのもアレですけど、身近な人間を注意して観察するのがいいと思います」


 となると問題はあの二人を除いたメンバーだろうか。ニシマンさんがあの日一人で犯人を捕まえに行くといって出て行ったが、夏川の件は誤解だった。鹿島君が殺された現場にもいなかった。


 「鹿島君の現場には……いなかった?」


 グループの中に犯人がいるとしたら、鹿島君を殺せる状況にあったのは楓ちゃんと入間君だけだ。

 楓ちゃんが殺したのか、入間君が殺したのか? 二人の態度からそれを察するのは現状では難しいが、楓ちゃんは今警察にいるはずだ。楓ちゃんを犯人と仮定するなら突然暴れ出したのは不可解すぎる行動だ。

 犯人を入間君と仮定するなら、辻褄は合う。彼の負傷が犯人の存在を紛らわすものだとしたら尚更……。


 「キリ先輩」


 「え? ああ、なに?」


 「ここで怖い顔して考えるより、もう少し確実な方法がありますよ」


 最初に見た気怠そうな表情とは打って変わって真面目な表情で彼女は言う。


 「ナギ先生なら何か知っているかもしれない。気は進みませんけどね」


 ナギ先生……アメ先輩にグループの存在を知らせた張本人だ。

 何故そんな人の名前がここで出てくるのか? 彼女曰く、ナギ先生は私にこれ以上事件に関与するのは危険だと忠告してくれていたらしい。望みは薄いが、一応聞いてみるだけの価値はありそうだということだ。

 私はナギ先生と話をすることに決め、シモちゃんも私と一緒に行くと言ってくれた。

 ナギ先生は確か生物準備室にいることが多いと聞いている。そこまで行ってみると、ナギ先生はおらず、隣の授業を行う方の生物室から「こっちだよ」とナギ先生の声が聞こえた。


 先生は長机に無表情で腰掛けていた。

 窓からさしかかっている夕日の光が先生の顔を二色に分けている。左側半分は真っ白な肌が照らされ、右半分は光が強いせいか、影になってよく見えない。


 「ぐーてんもるげん」


 ナギ先生が無表情のまま言った。

 ぐーてんもるげん? なんだっけ、聞いたことはある。


 「グーテンターク……と言いたいんですか?」


 シモちゃんが指摘した。そう、確かドイツ語でおはようという意味だった。


 「そうだった」


 先生は微かに微笑んで続けた。


 「霧村君だったね。来ないかと思っていたよ」


 「隣のシモちゃんが教えてくれました。私が事件に関与することが危険だと言ったみたいですね?」


 「ああ、まあね」


 「事件のことはどれだけ知っているんですか?」


 「霧村君と同じくらいさ。だから、先生は君にとって有益な情報を与えてあげられるわけじゃない」


 どうも嘘臭い。この人、何か隠しているようだ。


 「だけど、こんな先生にも霧村君にしてあげられることが一つある。一つだけ、普段は滅多にしない親切を君にしてあげようと思っていたんだ」


 「それが……手を引くようにという忠告ですか」


 シモちゃんが問いかける。


 「忠告をしたつもりはない」


 ナギ先生から微笑みが消えた。


 「警告さ」


 真っ黒と言うより、真っ暗な瞳がこちらに向いている。

 警告。

 間違いない、この人は私以上に事件のことを知っている。それを上手く聞き出せば、犯人に近付ける。


 「教えてください。私に警告を告げる理由を」


 恐らく、死人が出たから危険だなんて理由ではないはずだ。


 「君にとっての敵は犯人だけじゃない。これ以上犯人に近付いてしまえば、もう一つの敵に霧村君は殺されてしまうかもしれないからさ。それと、グループの中に味方はいないと思った方がいい」


 「先生は『グループの中に』と言いましたね? それはつまり、犯人はその中にいると考えていいわけですね? あと、もう一つの敵っていうのは一体なんです? 犯人は一人じゃないということですか?」


 「さあ、どうだろう?」


 「さあじゃないですよ。犯人とそのもう一つの敵っていうのを知ってるからそう言うんですよね? 何故教えないんです?」


 シモちゃんが語気を強めて言った。

 意味深なことだけを言って核心を教えようとしないナギ先生に対する怒りが込められていた。


 「面白いからだよ、君達が色々な思惑を胸に秘めながら戦う姿がね。霧村君は思った以上の活躍をしていると思うよ。君の頭の中で組み立てられているであろう推理は正解と言っても差し支えない。だけど、このまま君が犯人と接触してしまうともう一つの敵にあっさりやられちゃうと思ったのさ」


 「つまり、先輩があっさり殺されてしまったら見応えがないから警告したのですか? だったら事件から手を引けなんて、先生の眺めている舞台から降りてしまえば活躍も何もないんじゃ」


 「霧村君はやめないだろう?」


 シモちゃんの言葉を食うように問いかけられた。


 「霧村君はもう事件の虜だ。事件に魅せられている。警告したのは君の気を引く為だ。そうすれば話がしやすいだろう?」


 ナギ先生は長机から降りて、顔を夕日によって二色に分けられたまま私のもとへゆっくりと歩み寄りながらそう言った。私は意に反して後ずさる。

 不気味な人だと思った。

 この人の前だと全てを見透かされているような錯覚に陥る。


 私はこの場所から逃げたくなった。


 「キリ先輩……?」


 私は何に怯えているんだろう。

 身体が震えていたのがわかった。脂汗もかいている。

 真っ暗な二つの瞳が近付いてくる。


 「何か秘密を掴んだのなら、誰にもそれを話してはいけない。きっと、もう一つの敵の耳に入ることだからね。現に、お団子ボディの彼は半殺しにされたはずだ。犯人よりもそっちを警戒した方がいい」


 視界が真っ暗な瞳だけになった。

 その瞳が映しているのは私の顔なのだろうか? 私は一体どこまで見られているんだ。真っ暗な瞳は私の何を見ようとしているのだろうか。


 「君には期待している」


 目の前が明るくなった。

 気がつくと、シモちゃんが不安そうな表情で私の肩を揺すっていた。ナギ先生は生物準備室へ戻っていったそうだ。

 頭からさっきまでの光景が離れていってくれそうにない。目を閉じたら、またさっきの真っ暗な瞳が現れる。私はそんな幻影を振り払うように頭を振って、シモちゃんに向き直った。


 「急にぼーっとしちゃって大丈夫ですか?」


 「ああ、ごめん。大丈夫」


 事件から手は引かない。他に敵がいるなら、そいつらの正体も暴いてやる。


 「今日は帰った方がいいですよ。今日の先輩、ちょっと変ですし」


 シモちゃんが心配してそう言ってくれたが、今日は集会がある。まずはそこで入間君をじっくりと観察してみよう。犯人が外部犯である可能性も否めないが、手近な可能性から潰していくのがいい。


 「大丈夫。このまま集会があるし、そろそろ行くね」


 私がそう言った途端、シモちゃんの表情が曇った。

 彼女はどこか言いづらそうに切り出した。


 「ナギ先生が何かを隠していることは確かでした。だけど……なんとなくですけど、先輩に対してほとんど嘘は言っていなかったと思います。味方が一人もいない状況で何をしでかすかわからない相手を前にするのは危険すぎます。記事のことはもういいですから、先輩の安全を第一に……」


 「大丈夫」


 それでも、私は知りたい。ナギ先生に何と言われようが、降りる気はさらさらなかった。


 「死なないよ」


 私は精一杯の笑顔を作ってそう言ったが、彼女の表情は曇ったままだった。

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