エゴイストの愛 1

 「まったくあのキザ野郎ふざけやがって」


 夏川さんがあからさまにイライラした様子で言った。


 「なんなんだよありゃあ。ナイフ向けられたら普通逃げるか応戦するかどっちかだろ、なあ?」


 あと「大声で助けを呼ぶ」も追加しておいてください。


 「そんな事、僕に言われても・・・・・・」


 僕がレプリカ狩りを決行しようとして、夏川さんが囮になってターゲットの陸上部員の男子生徒をレプリカ第二形態へと変身させる計画を立ててから四日という時間が過ぎた。


 「だけど『そんな危ない物、あなたみたいな美しい女性には不似合いですよ。ボクへのアプローチなら、こんな物騒な夜道ではなく、綺麗な海が代名詞の海浜公園などでお願いしますよ』は流石にないだろあの状況で! 昭和のアニメの王子様キャラかよあの変人は! ドン引き過ぎて何も言えなくなったくらいだぞ!」


 「ちょっ! 夏川さん落ち着いて! 他のお客さんに聞こえるって!」


 夏川さんは「あー思い出すだけですげームカつく」と言って、目の前の砂糖とシロップを四つづつ入れたカフェオレを一気に飲み干す事で怒りの熱を冷ました。

 甘すぎないのかな、と思ったが、夏川さんは平然としていた。

 少し口が悪くて考えが妙に野蛮で甘党だけどすごい美人。と、いったところが僕が純粋に思う彼女の大まかなイメージとなっていた。

 今、僕と夏川さんは学校の駅前の小さな喫茶店に来ている。

 今の夏川さんは半袖の白いTシャツに黒の長いジーンズというシンプルな出で立ちに迷彩柄のキャップを目深に被っている。

 単に二人で遊んでいる訳ではない。そもそも僕などでは夏川さんには到底つりあいそうもない。

 これもレプリカ狩りの一環なのだ。


 「それにしても本当に現れるのかな?」


 「その確率は百パーセントではないな」


 イラッとした声でそう言った。


 「沢木の彼女が昨日ここで九時半に沢木と待ち合わせするって事を小耳に挟んだだけだし、第一、彼女がいてあたしにあんなくさい台詞言ってくるような奴だぜ? 他の女と遊ぶ為に約束すっぽかしたりとか平気でできるタイプだろ、あれ」


 「沢木」とはあの陸上部員の名前だ。「沢木真司」という、三年の先輩で、彼の彼女が夏川さんと同じクラスの「宮島結衣」と、いう人だという事は一昨日知った事だ。

 ここには夏川さんが言った通り、沢木先輩が彼女との約束で待ち合わせしているという事を知って、彼の素性を暴く為に来ていた。

 四日前に夜道で夏川さんが先輩を襲撃した時も一応変装はしていたが、念のためという事でキャップを目深に被って顔を隠していた。実際美しい女性って言われてしまっているしな。


 「だろうけどさ……なにも夏川さんがそこまでカッカしなくても……」


 「嫌いなんだよ。ああいう奴」


 夏川さんは、チッ、と最後に舌打ちをした。


 そのまま若干気まずい時間が五分ほど過ぎた頃、まず沢木先輩の彼女が入店して、僕らが座っている席からちょうど見える上に話し声も聞こえる位置の席に座ってくれた。

 その様子を見て夏川さんは「ツイてるな」と、呟いた。

 宮島さんが入店した時間は九時二十五分。

 彼女は落ち着かない様子で、忙しなく腕時計を確認している。

それから更に三十分が経ち、夏川さんが三杯目の激甘カフェオレを飲み終えたところで、ようやく沢木先輩がやってきた。


 「やっと来た……遅いよ真司」


 宮島さんは時間に遅れて来た事に困ったようでもあり、ちゃんと来てくれた事に対して嬉しそうでもある様子でそう言った。


 「ありゃマジでおせーぞ。ふざけてる」


 夏川さんは腹の中にまた溜まった怒りを吐き出しているかのような物言いだ。


 「ごめんごめん。身支度に時間がかかっちゃってさ。随分と待たせちゃったね。結衣のような可愛い女の子には、カッコイイ男でないと隣には立っていられないからね」


 対する沢木先輩は特に悪びれる風もなく、笑顔で宮島さんの向かいに座った。


 「誠意の欠片もねえなあいつ……てかいつもあんなんなのかよ」


 「あの、夏川さん……とりあえず落ち着いて……」


 今にも二人のいる席に物でも投げそうな感じだ。


 「はぁ、まあいいよ。今日は真司にとことん楽しませてもらうんだからね!つまんない思いさせたら許さないから!」


 「ボクの方こそ結衣にはいっぱい楽しませてもらうんだから覚悟しとけよ!」


 「あはははは」と、楽しげに笑い合う二人を横目に夏川さんは「バカップルが……」と、煙たそうに呟いた。

 夏川さんにはこういう時に煙草があれば似合いそうなものだが、流石に未成年なので人目につく場所では吸えないらしい。

 ほどなくして二人は店から出て、僕らも後を追って店から出た。

 会計の際、僕は何も注文してはいなかったのに割り勘という事になったのは気にしないでおこう。


 「今日はどこ行くの?」


 「そうだねえ、結衣が決めてって言ったら怒るよね?」


 「当たり前だよぉ、ちゃーんと考えてきてくれるって約束でしょ」


 「あははは、ごめんごめん、冗談。プクッとふくれた顔も可愛いなあもう」


 「もう!からかわないでよ」


 「事実を言って何が悪いのかなー」


 「もう……真司のバカ」


 若干離れた距離からでもわかるような照れまくりな声で宮島さんが言った。


 「あたし帰りたくなってきた」


 「まだちょっとしか経ってないよ……夏川さん」


 まだ沢木先輩と宮島さんのデートは始まったばかりだが、夏川さんは疲れ切った表情をしている。


 「なんかの拷問かよ……」


 「わかるよ……僕もイラつくから」


 二人はのらりくらりと街を散策し、僕らもその後を追う。

 沢木先輩は特にこれといった妙な行動は取らず、キザな台詞をちょくちょく混ぜながらデートを楽しんでいた。

 バカップルを一日中付け回す事がこんなにもやってられないものかと思っていても、二人は周囲にお構いなしにイチャイチャと甘え合っている。

 「ちょっと煙吸ってくる。そのまま追い続けてくれ」と、夏川さんは耐え切れなくなったのか、近くにあった喫煙スペースへ行ってしまい、僕一人でしばらく尾行を続ける事になった。

 夏川さんはもし何か言われたら二十歳だと言い張るつもりらしい。 


 「これもレプリカ狩り。レプリカ狩り」


 声に出して改めて今回の目的を自分に言い聞かせる。

 沢木先輩とは四日間の間に一度顔を合わせたが、僕の事は知らないようだった。

 故に、レプリカに命を狙われているというのは流石に思い過ごしだったかとも思ったが、単に沢木先輩が僕の事を知らないだけの可能性も有り得た。

 レプリカが危険な存在である以上、警戒するに越した事はない。

 二人は当てもなく歩きながら談笑しているだけかと思っていたがそうではなく、この辺りでも特に有名な映画館へと向かっているらしかった。

 その事に気付いた僕はあわてて夏川さんに電話を掛けた。


 「もしもし? 夏川さん、今どこです?」


 『さっきの喫煙所だよ。何かわかったか?』


 「二人は映画館に行くみたい。夏川さんもそろそろ来てくださいよ」


 『やだ』


 「へ?」


 何の感情も込められていない夏川さんの声が電話越しに伝わった。


 『あたしこのまま帰るわ』


 「え!? いや、なんでそんな急に!?」


 『すまん、冗談だ。でも映画館は勘弁してくれ。あんな狭苦しい座席なんかで見る映画は嫌いでな。見るなら部屋で横になってだらーっとして見ていたい』


 「そんな勝手な……」


 『まあ、そうしょげるなよ。映画館自体には向うから、キミは映写室の中までずっとくっついていてくれ。何かあったらメールしろ。場合によっては助けてやるから』


 「ちょっ!」


 ブツッ


 電話を切られてしまった。

 しかし、二人は僕にうなだれる時間さえ与えない。

 二人はすたすたと映画館へ歩みを進めている。

 二人を見失ってしまっては今日やった事が全て無駄になってしまう。

 特に、二人がどの映画を観賞するのかわからないという事だけは避けなくてはならない。絶対に。


 「何を見るの?」


 「ボクらに合うのはやっぱりこういうジャンルだね。ま、映画の中の人物がいくら愛し合おうと、ボクらには及ばないけどね」


 二人が観賞する映画は案の定、恋愛モノで、僕にとってはとても眠くなる映画だった。

 そして僕は、眠気と戦いながら上映中は一言も言葉を発しない二人を映画そっちのけでポップコーンでも買っておけばよかったと思ってじっと監視し続けた。

 こんな時、夏川さんの愚痴でも聞いていたら退屈しないだろうな。と、若干失礼な事も考えていた。


 「お疲れ、眠かっただろ」


 上映が終わると、夏川さんが外で出迎えてくれた。


 「とっても」


 ありのままの事実だ。


 「それじゃ、眠気覚ましに早速あいつら追うか。ところで、あいつらから何か情報はあったか?」


 「なんにも」


 夏川さんは「だろうな」と、軽く笑って、二人とある程度の距離を保ちながら歩みを進め、僕もそれに付いていく。

 休憩していた為か、心なしか夏川さんは元気そうだった。


 それからしばらくの間、二人はデパートで買い物をしてから、その最上階にあるレストランで夕食をとる事にしたようで、僕らもそれに続いた。


 「疲れたわ」


 夏川さんは席に着いて注文を済ますとぐったりして言った。


 「……僕が映画館にいる時に蓄えたエネルギーはどうなったの?」


 「ああ? んなもんとっくに使い切ったよ」


 まあ、そうなるのもわからなくはなかった。

 相手は腐ってもレプリカであるかもしれないのだ。

 常に尾行がバレた時の警戒をしつつ、二人の会話に何か情報になりそうなものがないかどうかも常に集中している。

 ましてや、相手が夏川さんの嫌いなタイプともなると、彼女の疲労は僕よりも大きいのかもしれない。


 「まあ、もうすぐデートは終わるはずだから、もう少しの我慢だよ」


 いつの間にか、僕の目的が沢木先輩のレプリカとしての素性を暴くというものから、デートが終わるまでひたすら付き回るという単純で無意味なものになってしまっている事に気付き、慌てて思考を修正する。


 「もう撃っちまうか? 銃?」


 「相手がレプリカじゃなかったの時が危険すぎる。もしもだけど、本当に沢木先輩がレプリカじゃなかったらどうする?」


 ちょっとした好奇心で聞いてみた。


 「怖い事言うなよ木野くん。もしそうだったらショックでしばらく学校休むわ」


 ぐったりとテーブルに体を覆い被せたまま言った。


 「とはいえ、これもキミがあいつをブッ殺すまでの辛抱だ。あいつらのデートが終わってもあたしらのする事はまだまだ山積みな訳だからな。まずはキミがあのムカつくキザ野郎をブッ殺すのを楽しみにしてる」


 「レプリカと面と向かって戦って勝てるのかな?」


 「キミが面と向かってやり合う必要はない。ましてや、キミには一回殺されて、パチモンとして人間の力を超越するチャンスすらないんだ。あいつがレプリカだって確信できたら、不意打ちかもしくは前に言った通りあたしが囮になる」


 「夏川さんは大丈夫なの?そんな危険な役割」


 「心配すんな。あたしは強い」


 夏川さんはぶっきらぼうに答えた。

 確かに、レプリカを僕と会う前に二体狩っている以上、何かが夏川さんにはあるはずだと思ってはいるが彼女は僕にそれを教えようとはしない。

 僕と同じように抗体を持っているのかと聞いた事もあったが、「知らない」の一点張りだった。

 僕は二人の様子を観察し続ける。

 互いに笑顔で語り合ってはいるが、何かパッとしないと言うか、どことなくぎこちなさが二人の仲にはあるように思えた。恋愛をした事がない僕がこう思うのは二人に失礼かもしれないが、なんとなく「仲の良い恋人」を互いに演じているだけの様に見えた。

 それから、食事を続けて四十分ほど経った頃、楽しそうな雰囲気の中、沢木先輩が重たそうに口を開いた。


 「結衣」


 「どうしたの? 急にそんな怖い顔しちゃって」


 宮島さんは恋人の急な変化に少し動揺した様子だ。


 「何だ? さんざんクサい台詞を言った最後にプロポーズか?」


 「そんなまさか……」


 高校生だしそんな事はないだろう。と、思ったが、沢木先輩なら本当にプロポーズするのではないかと思ってしまう。


 「結衣に言いたい事があるんだ……でも、ずっと言おうかどうか迷ってた」


 「え、何……それ?」


 「実は……」


 「くるぞ」


 「夏川さん、今はそういうのナシで」


 沢木先輩はとても言いづらそうに目を泳がせ、対する宮島さんは「何? どうしたのよ真司?」と、不安気だ。


 「ごめん。結衣」


 「な、何が?」


 「ボクと別れてほしい」


 「「は?」」


 僕と夏川さんの声が被った。

 何も言えずに夏川さんと顔を見合わせた。


 「うそ……だよね?」


 宮島さんも「信じられない」と、いった表情で言う。


 「そ、そんな事言って、どうせわたしをまたからかってるんでしょ! わかるもん!」


 宮島さんの無理に作った笑顔が彼女の動揺を顕著に表している。


 「さんざんあんなデートしといてそれはないだろ……」


 夏川さんは呆れていた。


 「ごめん、本当なんだ。他に好きな人が出来たみたいで、その人の事を忘れられそうにないんだ」


 「は、ははは……誰よ……それ」


 僕がさっき感じたぎこちなさは沢木先輩から来るものだったという訳か。


 「実はまだ名前もわからない。四日前にちょっと会っただけなんだ」


 「ん?」


 もしや、と思い夏川さんを見る。

 彼女は「また今日みたいな事をする事になるのかもな」と、言って笑ったが、コップを持つ手が震えていた。


 「何よそれって……ウソでしょ……それだけでわたしと別れるなんて言うの?」


 「ボクもひどい理由だと思っているよ……でも今回のデートを通じても、ボクのあの人への気持ちが揺らぐ事はなかった……完全に惚れてしまったらしい」


 こっそりと浮気はせずに、こうして面と向かって自分の気持ちを伝える様は素直に男らしいと思ってしまった。


 「ありえない……そんなのありえないよ……」


 宮島さんはこの世の終わりであるかのような声をしていた。


 「本当にごめん」


 「どこで……その人と会ったのよ」


 「部活の帰りに、その人は夜道で突然過激なアプローチをしてくれてさ……」


 「ぶふぉっ!」


 夏川さんが飲んでいたコップの水を吹きだしてしまった。


 「そのアプローチがすごく不器用で、それでもすごく健気さがあって、その時は断ったんだけど……後から好きになっちゃったみたいなんだ」


 「うそ…………だろ」


 夏川さんの声色には生気が失われていた。


 「だから……結衣には悪いんだけ」


 「どんな容姿をしているの? その人?」


 宮島さんが沢木先輩の言葉を遮って、泣きそうな声で言った。


 「女子にしては背が高くて……髪は肩にかかるくらいだった。後、とても綺麗な顔立ちだったな」


 最後の台詞だけ妙にうっとりした感じで沢木先輩は言った。

 どうしてこんなにも宮島さんの逆鱗に触れそうな言い方ばかりするのだろうか。沢木先輩は怒らせるような事を言っている自覚がないのかもしれない。

 きっと素直すぎる人なんだろう。


 「どこの学校の人なの?」


 「それはわからないけど……同い年か、一つ下くらい……」


 しばらくの間、沢木先輩と宮島さんの間に静寂が訪れた。

 そして、宮島さんが「はぁー」と、大きくため息を吐いて、その静寂を打ち破った。


 「そうなんだ……付き合えるといいね。その人と……いや、真司……沢木先輩ならきっと付き合えますよね。カッコイイし」


 てっきり怒り出すかと思っていたが、意外と引き際があっさりとしていた。

 宮島さんはバッグを持って席を立った。


 「結衣……その……今日は本当にごめん」


 「いいですよ、別に。薄々思ってましたし。わたしなんかじゃ先輩とつりあわないなって」


 宮島さんは沢木先輩の方を見ずに言ったが、僕らからは泣いている顔がはっきりと見えた。


 「会計はボクが済ませとくから」


 「そうですか……最後まですみません」


 淡々とした声でそう言って、彼女は店を後にした。

 二人がいた席には、一人俯く沢木先輩だけが残っていた。


 「なあ、あいつが惚れた相手って……あたしだよな?」


 うなだれた様子は変わらずに夏川さんは聞く。


 「十中八九その通りかと……」


 「だよなぁ……」  


 頭を抱えて更にがくりと首が傾いた。


 「だ、だけど、これはある意味先輩の素性を暴くチャンスだよ! 夏川さんと先輩が付き合えば……」


 「はあああぁぁぁ……冗談だろ……」


 僕らはしばらく黙り込んだ。

 目の前の食事は既に冷え切っていて、沢木先輩も席を立とうとしていたが、僕らはそれを追う事はしなかった。


 「木野」


 沈黙の後、夏川さんに初めて名前を呼び捨てで呼ばれた。


 「何?」


 うなだれた様子は見せず、僕の方をまっすぐ見て声を発し始めた。


 「あたしはあいつと付き合う。だが、一度だけだ。絶対に化けの皮ひん剥いてやるからその時は必ずあいつをキミが殺せ」


 「わかった」


 殺気、とでも言うべきか。

 今の彼女の声に乗せられた感情に名前を付けるとしたらそれくらいの物騒なものしか思い浮かばなかった。

 とはいえ、夏川さんが沢木先輩の事をどう考えようと、僕らの目的は当初から何も変わってはいないのだ。

 僕は自衛の為にレプリカを殺す。僕の思い過ごしでなければ、近いうちに夏川さんも狙われる事になるはずだ。


 「次で最後にしよう。絶対にレプリカは殺す」

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