救いの先は

 「今日もパシリか?」


 放課後の屋上。

 昨夜、僕をバッタ型レプリカから一瞬で救い出して、そのレプリカを抹殺した彼女は今日も屋上の隅で煙草を吸いながら双眼鏡を覗いて町を眺めていて、また来たのかと言わんばかりにそう言った。


 「あの……今日は君に用があって」


 「あたしに用か、珍しいな。私の元にくるやつなんて大抵は煙草をやめろだの授業に出てこいなどガタガタ抜かしてくる糞教師共くらいなんだけどな」


 「あ、やっぱりその煙草注意されるんだ」


 というか、授業もサボってここにいるのか?


 「キミも一服していくかい?」


 「遠慮するよ」


 ストレートに僕は断る。


 「そうそう。危ない誘いはちゃんと断るのが正解だ。ま、もったいないからキミに吸わせるつもりはさらさらなかったけど」


 そんな会話をしている間も、彼女は双眼鏡から目を離す事はなかった。


 「で? 用って何? 告白ならキミはお断りだけど?」


 こちらを一瞥することもなく彼女は言い放つ。

 冗談のような口振りだが、冗談ではないだろう。


 「昨夜のことなんだけどさ」


 「そのことは忘れろっつったろ」


 二度も言わせるなと言わんばかりに気怠そうにそう言った。

 でも僕は続けた。

 レプリカのことをもっと知るために。

 その理由は神田さんの為だと言えばそれは嘘になる。


 「あの後、また化け物に襲われたんだ」


 そう言った途端、彼女の口から煙草がポロっと落ちた。

 双眼鏡から目を離し、ゆっくりとこちらに振り返る。


 「嘘だろ?」


 「マジです」


 僕がそう言ってからお互いに黙り合った。

 湿った風が通り抜ける音と、グラウンドで練習している野球部の活気のある声しか耳に入ってこなかった。


 「キミ、何かに取り憑かれたりしてないか?」


 「それは多分ないです」


 「一日に二回も化け物に遭遇しといてよく生きてたな。逃げてきたか?いや、そんなことより」


 彼女の目つきが変わった。

 昨夜と同じ質問を、昨夜と同じ神妙な表情をしながら僕に投げ掛けた。


 「傷はつけられていないよな?化け物に」


 彼女は決して僕の事を心配して言っている訳ではなかった。

 その口振りに、身の危険を感じた。


 「それよりまずさ、君はあの化け物が何なのかは知ってるの?」


 とりあえず話を僕のペースにしようとしたが、彼女はそれを許さない。


 「質問を質問で返すな。今に聞いてんのはあたしだろうが。あと、『君』はやめてくれ。なんか変な感じだ。あたしは『夏川真魚』。で? 傷は負ったのか? 負ってないのか? どっちだ?」


 恐らく、いや、きっと彼女……夏川さんはレプリカに襲われた人間がどうなるのかは知っている。

 実際、僕は背中にファミリーレストランでのレプリカに負わされた擦り傷がある。

 もし、素直に答えたら僕はどうなる? 『僕は抗体を持っているからレプリカのレプリカにはなりません』と答えて素直に納得してもらえるだろうか? レプリカの脳天に弾丸を正確に撃ち込むことが出来る彼女なら、有無を言わさずに僕を殺す可能性も決して考えられなくはない。

 冷や汗が頬を伝った。

 彼女の眼差しは氷のように冷たく、鋭い。


 「負った……と答えたら?」


 彼女は舌打ちをして言う。


 「二度も言わすな。今質問してんのはあたしだ。余計な事考えてないでさっさと答えろ」


 ネバっとした唾を飲み込む。

 彼女のどんな動きにも対応する心の準備だけはしながら、僕は意を決して僕は答える。


 「負ったよ」


 その瞬間、僕の視界から彼女が一瞬消えたように見えたのは錯覚だっただろうか。

 逃げ出す準備は出来ていたはずの僕の身体を動かす事を許さずに彼女は自分と僕との距離を一瞬で消した。


 「かはっ!!」


 「妙な真似はするなよパチモン」


 「……ぱ……ぱち……もん?」


 僕の首には彼女の左手の白く細長い指が巻かれ、その五本の指で女子の握力とは思えない強い力で締めつけられて、後ろにあった屋上に入って来た扉がある小さな建物の壁に、僕の軟弱な身体が叩きつけられた。

 今は彼女が言った『パチモン』という言葉について考える余裕すらなかった。


 「悪く思うなよ。パチモンとはいえキミはもう危険な存在だ。キミに自我があろうがなかろうがそんなことはどうだっていい。強い力を手にした奴はみんなその力に溺れていくのが世の常なんでな」


 僕の首にかかる力が強まっていく。

 レプリカと対した時より、ずっとリアルに『死』を意識した。


 「私に殺される理由は知らなくていい。昨日と今日しか会ってないが、キミとはこれでさよならだ」


 彼女が傍から折りたたみ式のナイフを取り出し、刃を展開した。


 「かっ……は…………あっ……ゔ……」


 死ぬ。

 このままでは夏川さんに誤解されたまま死んでしまう。

 必死の思いで身体をばたつかせる。

 途中、彼女は「じっとしてろ」と言ってさらに力を強めた。

 終わりだと思った。

 熱を持たないナイフが顎の下に触れて、脳に送られる血液の量が減ったことで意識が朦朧としかけた時、僕の制服のズボンのポケットから小さく細長い物体が屋上のコンクリートの床に落ちた。

 その瞬間、僕の首にかかっていた力は大きく弱まった。


 「っはぁ!はぁ……はぁ……はぁっ……」


 僕は後ろの壁に体重をかけ、彼女に首を掴まれたまま呼吸を整える。

 本当に死ぬかと思った。


 「キミ、これはどこで見つけたんだ?」


 コンクリートの床に散らばった物は二発の赤い銃弾だった。

 彼女の手は僕の首にかけられたままだが、苦しさはない。

 欲を言えばナイフも離してほしかった。


 「見つけたんじゃない……貰ったんだ」


 「貰った……?」


 彼女は眉をひそめてまた僕の首に力をかけた。


 「誰に?」


 「……神田……浩二っていう……四十代くらいの……」


 ギリッ


 「ぐっ……!」


 彼女がさらに首に力をかけ、ゆっくりと顔を近づけた。


 「本当だな?」


 「ほ……ほんと……う……です」


 それから数十秒間、黙って首を絞め続けられた僕はようやく解放されたが、ナイフは依然として突きつけられたままだった。


 「詳しく話せ」


 この時の夏川真魚という人間は人使いが荒いと言う程度の優しい言葉では言い表せず、戦争で捕虜となった兵士に対してこれから拷問でも始めるかのようなオーラを放っていた。

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