奴らはそこにいる
「そろそろ来る頃だと思っていた」
昨日の黒ずくめの男が変わぬ出で立ちで抑揚のない声でそう言った。
この男は案外簡単に見つかった。
昨日、この男が降りた小さな駅の噴水の前に男はいた。
僕の記憶の中でこの男に関する情報はあの駅で降りたということしかなかったのだから。
「その様子……化け物に会ったな」
「はい」
「なら話は早い。立ち話で済ますには長くなる。着いてきなさい。折角だ、お茶でも奢ってやる」
僕は男に連れられるがままに近くのファミリーレストランに入った。知らない人について行ってはいけないという決まりを大胆に破っているな。なんてことを考えた。
「どうした?何か頼まないのか?」
「いえ、お冷だけで大丈夫ですので」
「いいや、若い内はしっかり食事は取っておくものだ。ましてや君のような食べ盛りの男の子はもっともだ。君の夕食はその貧相なコンビニ弁当なんだろう」
なんだか父さんを目の前にしているような気分であったし、怪しい外見からは想像できないような台詞とのギャップがどこか可笑しかった。
僕は男の言うことに従って、唐揚げ定食を注文した。男は「じゃあ私もそれにしよう」と言って会って間も無い高校生と黒ずくめの男がファミリーレストランで同じ物を食べて話をしている奇妙な構図がここにはあった。
「さて、それではまず自己紹介といこうか。木野裕太君」
「なぜ僕の名前を?まだ名乗ってはいないはずですが」
「君のことは既に色々と調べてあるんだ。まあ、話の過程でちゃんと話していくよ」
男はそう言って味噌汁を少し啜った。
つられて僕も味噌汁を啜る。
「私の名前は神田浩二という。昨日私が言った私が生み出してしまった化け物とは、他でもない君が私の元へ来る前に見たものがそうだろう」
「あの化け物は人間が自分を傷付けて変身?していました」
「そうだ。化け物共は普段は人間の姿をしていて、君の言う通り自身を傷付けることによって変身する訳だが……ああ、別に食べながら聞いてくれて構わない。いや、むしろ食べながら聞け。冷めた飯ほど味気ないものはないぞ」
「は、はぁ……」
神田さんが唐揚げを一つ頬張って続ける。
僕も箸を進める。
「ええと、君の言う通りに変身する訳だが、身体のどこを傷付けてもそうなる訳ではない。私が作り出してしまった薬を注射した部位に深い傷をつけることで変身が完了する。傷をつけるというよりは刺激を与えるといった感じか。まあ、それが結果的に深い傷をつけることで解決するのだが」
「神田さんが作り出した……薬?」
薬とは一体どういうことだろう。それに、この人は一体何者なのか。
「私はある研究所の研究員の一人だった」
昨日も見せた、悲しげな表情。
「奴らは私が湧き上がる研究欲に負けて作り出してしまったものだ。私は最初、人間を超えた人間……すなわち超人を作り上げようとした。そのために注目したのが生物兵器としての人間だ。私はゼロの状態から人間を超えた人間を作り上げた。もう十九年も前の事だが、今でもその時の事をよく覚えている。その超人の子供をある程度研究所で育てた後、そのような超人をもっと作ってみたくなった」
「その作ってみたくなった超人というのが、僕が見た化け物なんですか?」
「大体その通りだが少し違う。私が最初に作り上げた超人は完全な人間型だ。君が見たあの異形の化け物は最初に作り上げた超人をベースにした別物だよ」
ここで少し間があった。
「今思えば、そこで満足して研究をやめるべきだった。だがあの時の私にはそれができなかった。私は、二度と同じ超人を作り上げることができなかった。もう一度ゼロの状態から人間を作るというのは簡単な事ではなかった。私は仲間と何度も試行錯誤を繰り返し、何度も失敗して諦めかけた頃、仲間の一人がある提案を出した。『ゼロからではなくこの超人の子供をベースに作り上げたら新たな超人を生み出すことが出来るのではないか』と」
神田さんの箸が止まる。
僕はしばらく食べながら聞いていたが、やがて僕も箸を持つ手を止めた。今度は特に咎められることはなかった。
「その超人の子供の細胞をベースに何体か試作品を作った。だが、出来た人間は皆不完全で知能が欠落していたり満足に身動きできないような子ばかりだった。本当に非人道的な実験だった。あの頃の私は完全に狂っていた。研究欲に完全に支配されていた。そして、私は思い付いた。超人の子供の細胞をベースにした薬品を作り、元々確実な知能を持つ我々自身に投与すればどうだろうと。そうした過程で生み出されてしまったのが君が見たような化け物だ。私はあの化け物のことを『レプリカ』と呼んでいる。最初のレプリカは我々の仲間の一人が実験台を進んで引き受けた。その時彼に投与した薬は超人の子供の細胞にできるだけ手を加えずに作り上げたものだった。実験は成功し、オリジナルの超人に及ばないまでも、そいつは人間を超えた力を確かに手に入れた『プロトタイプレプリカ』と我々は名付けた」
「でも、僕が見た化け物……レプリカは人間の形はしていませんでした。なんだか、昆虫と人間を混ぜたような、本当に気持ちの悪いフォルムをしていました」
僕の言葉を聞いて神田さんは目を見開いた。
この人がこんなにわかりやすく表情を変えたのは初めてで、とても珍しいものに見えた。
「まあ、とりあえず話は最後まで聞け。当時我々はその程度では飽き足らず、もっと強い人間を作り上げようとした。その結果、超人の子供の細胞とあらゆる生物の細胞を合成した薬品が完成したが、ここから先ははっきり言って悪夢でしかなかった。合成した薬を投与された私の仲間の一人は異形の姿となり元に戻ることが出来なくなった。そいつは力は手に入れたが、自身の姿を見て発狂し、その時の我々は彼を真っ先に隔離する事しか出来なかった。その事件の後、仲間の研究員達はこの超人を作り上げようとする企画から降りる者が増え、自分が犯した罪の重さに押し潰されて、自ら命を絶った者もいた。私達は隔離した彼への罪滅ぼしの為にも変身を解く薬を残った仲間達と開発しようとしたが、それは出来なかった。代わりに出来たものは精々化け物と化した彼を安楽死させる薬だけだった。だが、完成したそれを彼に投与してやろうとした時には既にそいつは死んでいた。そいつも自ら命を絶っていたんだ。悪い意味で手間が省けてしまった。本来ならここで本当に研究を止めるべきだったのだ。その時の私は彼を死なせたのは薬が不完全であったからだと思ってしまっていたのだ。その後、私と私に同調したさらに数少なくなった研究員と共に超人の子供をベースにした薬をさらに改良し、任意で変身と解除が可能となるタイプの薬を開発した。変身後の醜悪な外見までは結局変えられなかったがな。その薬を使って変身したのが君が見たレプリカ。もっと言うと君が見たのは昆虫型のレプリカ。私と残った研究員が作ったに十七個の薬の内の一つだ」
「十七個の薬……ですか?」
「ああ、その十七個の薬はどれも一度しか使えない物だが、一度人体に投与してしまえば、レプリカ第二形態。つまり化け物の状態になっていなくても、人間の力を超えた状態が永続する。第二形態に変身すれば力はさらに飛躍する。その十七個の全部を全部私が作った訳ではない。だから正直、今現在は後何体どんなレプリカがいるのかもよくわからない」
「神田さんが残りのレプリカがわからない状態で、何故昨日はたった十一発の銃弾しか僕に渡さなかったんです?」
「十七体の内十四体までは昨日君に渡した銃弾で倒す事が出来る。実際に私は君と出会う前に三体のレプリカを同じ銃弾で始末している。しかし、最後の三体は違う……あぁ、申し訳ないがこの続きは話を全て終えてから君の意思を確認してから話すよ」
言われた通り、僕はとりあえずその話は頭の片隅に置いておくことにした。
「ええと話を戻すが、十七個の薬のうちの最初の一つは仲間の一人に投与され、奴は安定した自我も保ちつつも、レプリカ第二形態への変身も可能とした。そのうち、奴はその有り余るレプリカの力に溺れた。ある日、そいつは研究所を破壊し尽くし、私を含めた研究員を皆殺しにした。そうして奴に残りの薬は奪われ、今も奴は薬を悪用しているというわけだ」
そこまで聞いて、僕は驚愕し、話の間に口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。その仲間の一人が研究所を襲った時の神田さんを含めた全員を皆殺しにしたということは……まさか」
「察しの通りだ」
神田さんは依然として変わらない口調で言った
「神田さんが電車で言ったことが本当だとしたら、レプリカに襲われた人間は同じレプリカに……」
「安心したまえ。私は確かにその時レプリカのレプリカとなってしまったが、力に溺れていたり、自我を失っていたりはしていない。殺された仲間達もレプリカのレプリカとして蘇ったが、蘇った瞬間にオリジナルのレプリカに頭を潰されて殺された。私はこの時初めてレプリカに襲われた人間はレプリカのレプリカとして蘇る事に気付き、あの薬の本当の恐ろしさを知った。蘇った仲間の中には自我が崩壊した者もいて見境なく暴れ回ったりした者が殆どで、私と同じ様に自我を保つ事が出来た仲間もほんの僅かだった。この時、さっき話した『プロトタイプレプリカ』であった仲間はそのレプリカと戦ったが、殺された。彼はそのレプリカと戦っている最中に、レプリカのレプリカとして蘇った私にこう言った。『逃げろ。あなたが全ての薬を破壊して、私達の犯した罪の償いをしてくれ』とな」
神田さんは自分が死んだという経歴を変わらぬ淡々とした抑揚のない口調で言った。
「『プロトタイプレプリカ』の人は、蘇ることは、なかったのですか?後、神田さん。あなたもレプリカのような化け物に変身出来るというわけですか?」
「ああ、彼は蘇らなかった。レプリカに殺されたレプリカは蘇ることはない。彼は塵となって消えてしまった。後、私は奴らのような姿に変身することは出来ないし、したくもないな。レプリカのレプリカというのは自身のオリジナルであるレプリカの十分の一程の力しか持っていないし変身することもできないが、オリジナルの『特技』は受け継いでいる」
「オリジナルの……『特技』?」
「例えば君が見た昆虫型のレプリカ……いや、昆虫型と言うよりはバッタ型だ。我々が過去に作り上げた薬の一つは昆虫型を作るためにバッタを採用したのだ。奴の特技はおそらく強靭な脚力にあっただろう。君がそいつを倒したと聞いた時は驚いたよ。バッタ型は作った薬の中ではかなり強い力を持った部類でな。最初に会ったレプリカがそいつで、君がそいつを無傷で倒したと言うのは想像していなかった」
この時、話すべきだと思った。彼女の事を。だが、彼女はあの時の事は決して口外しないように僕に釘を刺した。
とはいえ、既にここまで化け物について話していたら彼女のことも話さないでおくほうがかえっていけないことではないかと感じ、僕は彼女の言いつけを破った。
「あの、実はそのレプリカを倒したのは僕ではないんです」
神田さんの動きが止まった。
いや、元々動きながら話しをしていた訳ではいなかったが、この時、神田さんは瞬きを忘れ、呼吸をしているかさえも怪しい様子だった。
しばらくの間、その状態で僕と神田さんはお互いに何も言わなかった。
ようやく、神田さんがキョトンとした感じで聞いた。
「……なんだって?」
「バッタのレプリカを倒したのは僕と同じ学校の女子生徒で、名前は知らないんですけど、僕が襲われて殺されそうになっていたところを、彼女は僕の後ろから拳銃でレプリカの脳天を撃ちました」
「なんだと」
「彼女のことは知らないんですか?てっきり彼女も抗体とやらを持っているのかと思っていました。レプリカの排除も僕にしか頼めなかった訳ではなかったとも思っていたくらいです」
「確かにあの銃弾があれば誰にでもレプリカを倒す事は出来るが、抗体を持たないのでは、自我を持たないレプリカのレプリカとして蘇るリスクが非常に高い。そもそも、その抗体というのは、私が研究所が破壊された後、独自に研究を進め、様々な人物の献血で採取した血液を利用して抗体を作り上げようとしていた。何百人も試した後に、偶然君の血液を使った時、君の血液の中には既に抗体となるものが含まれていたのだよ。まさかと思って君と同年代の血液や君の血縁者の血液も調べてみたが、抗体を持っていたのは木野裕太君ただ一人だった」
「なら彼女は抗体を持っていたということになるんですか?」
「仮にそうだったとしても、銃弾の件は全く心当たりはない。木野君、疑うようで悪いが本当にそんな子はいたのか?」
「ええ、確かです」
「さっき置いておいた話を戻すが、まずこれを見て欲しい」
神田さんはテーブルの上に三つの青く塗られた銃弾を並べた。
「これは?」
「昨日君に敢えて渡さないでおいた銃弾だ。さっき、十一体は既に渡してある銃弾で倒す事が出来ると言ったが、最後の三体は特に強力でな。赤い銃弾よりレプリカに対して効果がある物が必要だと私は感じた訳だ。そうして作ったのがこの三つだ。これらは最初の生物と超人の細胞を合成した薬を投与した彼を安楽死させる為に作った薬を応用してつくった物だ。赤の銃弾でさえ作り上げるのにかなりの時間を要したが、青は赤の倍以上もの時間が必要だったため、二つとも最低限の数しか作る事が出来なかった」
「それで、もしも僕の身に何かあって銃弾を失う事があった時の保険のためにその三つは残しておいた訳ですね」
「君は鋭いな」
「それほどでもないです」
「君の言う通りだ。私が必要最低限の数の銃弾しか作れなかったのは事実。君の言う女子生徒の分の銃弾を作る余裕などなかった。まして、抗体を持っているかわからない人間の為に貴重な銃弾を預けたりはしない」
神田さんが嘘を言っている風には全く見えなかった。
しかし、彼女のあの『ビンゴ。やっぱりこのオッサンだった』といった物言いはレプリカのことを知っているようでもあった。レプリカを倒しているとはいえ、神田さんの敵であるかどうかもわからないし、そもそも彼女の目的もわからない。
「ともあれ、その女の子が青い銃弾と同じようなものを持っている可能性は低いとも高いとも言えない。もしあの三体に彼女が遭遇してしまったら最後だ。また我々が生み出してしまった化け物の犠牲者が増えてしまう」
神田さんが、僕に向かって頭を深く下げた。
「木野裕太君。今は君にしか頼める人物はいない。私と共にレプリカを排除してほしい。本当に勝手な頼みなのはわかっている。だが、私一人では全てのレプリカを排除することは恐らく無理だ」
淡々とした声で話すのは癖なのかはわからないが、神田さんの物言いには確かな必死さがあった。
「正直、僕は正義の味方ではないですし、たまたま抗体があってレプリカと戦うリスクが普通の人より低いというだけのひ弱な人間です。僕なんかじゃあ神田さんの足を引っ張るだけになると思います」
「私の言うとおりに行動してくれたら君の安全は保証する。主にレプリカと戦うのは私だ。君は隙を見計らって奴らの頭に銃弾を撃ち込んでくれたらそれでいい」
「だけど僕は…………!?」
「は……ぐっ…………」
神田さんの頼み事を断る理由を考えていた時、突如神田さんが呻き声を上げてテーブルに上体を伏した。
「か、神田さん!」
見ると首から多量の血を流していた。
これは一体、何が起きたんだ。
話しをしている間に時計は既に二十二時を過ぎて いて、周りの客は僕と神田さんだけしかいなかった。
「き……木野……く……ん」
「だ、大丈夫ですか!?すぐ救急車を!」
「やめろ……私……は…………ちり……に……なる」
「そんな!」
「レプ……リ……カだ……にげ……ろ……」
「誰だ!? 僕らの他に誰もいません! 店員も表にはいません!」
神田さんは、最後の力を振り絞って胸ポケットに入っていた神田さんと仲間の研究員の集合写真と思われるボロボロの一枚の写真を取り出し、その端に写っている一人の女性を指差した。
「これは、誰ですか?」
「さ……い…………しょ……の……ごふっ!」
首の傷口から大きな血飛沫が上がった。
僕の顔や既に冷めてしまった唐揚げ定食も赤く染まった。
「神田さん!!」
この時、後ろに何かの気配を感じて、それが何なのかを確信した。
僕の後ろにいるのは、神田さんを攻撃したレプリカだと。急いでテーブルの下のバッグの中にある銃を取ろうと身を屈める。
しかし、バッグは既に開いていて、銃はそこにはなかった。
「うぐっ!」
突然、背中に何か鋭利なものが掠った。
僕が身を屈めたことで、運良くレプリカの攻撃が僕に直撃することを避けられたようだ。
バンッ!
「ゲェッ!!」
店内に突如銃声が響いた。
神田さんが僕の銃を使って、僕の背後にいたレプリカを倒したようだ。
「れ……ぷり……か……を……たの……む」
次の瞬間、目の前の身長の高い痩せ型の体型をした神田さんの身体は一瞬で塵となった。辺りに散らばった血は、もうどこにも見当たらない。
そこには、神田さんが着ていた黒いコートとボロボロの写真だけが残っていた。
後ろにいたレプリカが塵となって消える瞬間が見えた。カメレオンを思わせる大きな特徴的な目をしているのがわかった。
一度辺りを見回す。一人の店員が銃声を聞きつけてか、厨房から出てきて、安全を確認したようだ。
だが、このレストランには僕一人と、二人分の食事と青い三つの銃弾が目の前のテーブルにあるだけだった。
僕は一万円札をレジに乱雑に置いて、席に残った神田さんのコートと写真と銃弾を持って足早にその場を立ち去った。
今日、この日。
僕の目の前で、人が死んだ。
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