危険な街
怪物は屋上から
学校の退屈さには慣れた。
周りのみんなの視界に僕はいない。
いないと言うより、ただその視界の中にいるだけ。
そんな環境も、もう慣れた。
入学当初から僕は周囲から浮いていた。
身長が低かったところがまず一つ。次第に勉強ができないのも露見して、運動ができないのもみんなに知られた。
僕は自分のそんな弱さを隠すつもりでいたわけでもなかったし、慰めてほしかった訳でもなかった。
それでも、最初はみんなから仲間外れされている感じが辛くなかったというのは嘘になるし、周りの視線が苦痛であったのも事実だ。
でもそれにも、既に慣れた。
慣れというのは怖いものでもあって心強いものでもあるのだと思う。
そんな、とうとう誰の目の中心にも映らなくなった日々にも慣れた頃、昨日の夕方、僕を視界の中心に置いて、僕を頼った男がいた。
僕に化け物を殺せと。
頼ってもらえて嬉しいとは感じなかった。
あまりにもこんな環境に慣れてしまったからであろうか。それとも、男の言うことにあまりにも現実味がなかったからなのかもしれない。
実際のところ、僕は男の言うことは信じてはいないかったが、男から貰った殺しの為の道具は、なぜかこうしめ学校にまで持ってきてしまった。
「つまりこの問題を解く為の公式は……」
普段は授業をちゃんと理解している訳ではいなかったが、この日はいつも以上に授業が頭に入ってこなかったように感じた。
「というわけだが、じゃあ……木野、この式の解き方はわかるか? ……木野? おい何ボケっとしてるんだ? 木野?」
「あ……はい、すいません」
先生が僕を指名したことにしばらく気がつかなかった。
たまにこうして指名されて問題を解かされることがあるが、毎回僕は問題を解くことはできなかった。今回も。
「はぁ、仕方ない、木野、もういいぞ席に着け」
「はい」
僕は若干の気まずさを覚えて席に着いたが、クラスのみんなは特に気にしてはいない様子で、先生もこうなることはわかっていたかのように授業が進行していった。
次の授業も、その次も淡々と進んで、いつの間にか終わる。
そして放課後。
「木野くんさー、あたし昼休みにちょっと屋上に忘れ物したからちょっと取ってきてくんない?」
みんなが教室を出て、そのまま家路についたり部活をしに行く中、教室に残って談笑する女子のグループの一人が僕の方を見ずにそう頼んだ。
「ごめん、僕電車の時間とかあるから」
断る理由もなかったが、そんな使い走りを引き受ける理由もなかった。だから断ったが。
「いーじゃん頼むよー、すぐ見つかるからさぁ。木野くんお願いっ!」
「でも……」
「おーねーがーいー」
普通なら怒るところなのかもしれなかったが、僕にそんなことはできるはずもなく、キリがなかったので、仕方なく使い走りを引き受けた。
電車の時間はまだあるが、手短に済ませようと思い、拳銃と11発の銃弾が入ったスクールバッグを持ったまま屋上へ向かう。これを誰かに見られるのは流石にまずいと思ったからだ。
他の学校とは違ってうちは屋上が常に開放されている。
自由な校風が売りの本校ならではと言ったところだろうか。
屋上への扉を開く。じめじめした風が通り抜けた。
ここの校舎は五階建てで、ここからの眺めはかなり良い。町全体を見渡せる。
屋上には誰もいないだろうと思っていたが、屋上の端に、一人の女子生徒がいた。
よく見ると、煙草を咥えながら双眼鏡を覗いていた。傍には彼女のものであろうスクールバッグが置いてある。
何をしているか気になった。
しかし、彼女の方も僕に気付いたようで、彼女が双眼鏡から目を離して僕を見た。
彼女と目が合った。
彼女は僕より十センチほど背が高く、肩にかかるくらいの黒い髪で、何よりとても綺麗な顔立ちをしていた。
そんな彼女だが、他の女子生徒がやっているようにスカートを短くしているようでもなかったし、こんな時に一人で煙草を咥えながら屋上にいるというのは明らかに他の女子生徒とは違う何かが彼女にはあるのかもしれないと思った。
目が合ったままお互い何も言葉を発しないまま数秒経った後。
「何してんの?」
彼女の方から声をかけてきた。
僕はその問いに、特に恰好つけたり、強がることなく自然に答える。
「忘れ物を取ってきてくれって頼まれて来たんだ」
「なんだパシリか」
ぶっきらぼうに彼女が言った。
そう言ってまた双眼鏡に目を戻す。
その物言いに特にムッとすることなく彼女に質問する。
「あの……君は何してるの?」
「別に。ちょっとした捜査みたいなもん」
「捜査って?」
「なんでもいいだろ」
僕に教える気は無いようだった。
その後、僕も彼女のことを気にすることなく屋上を少し散策して目的の物を見つけ、教室へと戻った。
「はい、これ」
「あ、どーもどーも」
僕に忘れ物を取ってくるように頼んだ女子生徒はちらっと僕を見て特に感謝を込めずに言った。
だが、その女子生徒の言葉は続いた。
「屋上にさーなんか煙草咥えたなんとなく不良っぽい感じの人いたでしょー。あたしあの人苦手でさー最近よく放課後にあそこで煙草吸いながら双眼鏡覗いて一人で何してんだろうねー」
僕はその言葉に少し驚いた。
今日だけあんなことをやっていたわけではなかったのか。
「その人と何か話したりするの?」
「いや、あの人なんか話しかけづらいしなんか怖いもん。今年入ってきた転校生らしーけど、あんなんじゃあ友達いないんじゃないのー」
「いつ頃から放課後の屋上に?」
「あーどーだっけ? 二週間くらい前かなーごめん忘れたわ」
その女子生徒はどうでもよさそうに話した。
ほどなくして僕は学校を出た。
少し歩いて屋上を見てみる。彼女はまだそこにいた。
確か、捜査をしていると言っていたが、他に彼女のやっていることを知っている人はいるのだろうか。
昨日に続いて、今日も少し変わった人に会ったなと思った。
もう少し歩いて、もう一度だけ屋上を見てみた。
彼女はもういなかった。
もう帰ったかなと思い、気にせず駅へと向かった。
『ヴーッヴーッヴー』
駅に着く少し前に、マナーモードにしておいたままの携帯電話が鳴った。
相手は母さんからで、今夜は父さんと母さんが仕事で帰って来れそうにないから夕飯はお金は後でわたすから適当に済ませておいてくれといったものだった。
夕飯を買うために少し寄り道をして、いつもより暗くなり誰もいなくなった帰り道歩いた。
その間、言い知れぬ違和感が僕を襲った。
誰かに後をつけられている感覚。誰かが僕を監視しているような感覚だった。
徐々に足早になっていた。
ここからすぐに逃げ出したかった。
僕の足が早まるにつれて、その違和感も明らかに近付いてきていると思った。
「そんなに逃げるように歩かなくてもいいじゃないか」
振り返ると、そこには五十歳くらいのサラリーマンらしき男が立っていた。違和感の正体はこの人物らしい。
警戒しながら僕は言う
「僕に何か用ですか?」
男は不敵な笑みを浮かべて言う。
「いやはや、どうも病みつきになってしまったんだよ。酒や煙草と同じように、一度だけだと決めてはいたんだがやめられなくなってしまってね」
僕のヒトとしての生物の本能が告げている。
「逃げろ。殺される」と。
「君への用事はなんというかその……」
心底嬉しそうに話す。
そして、突然自分の左腕を胸ポケットのペンで傷をつけ、血を流した。
「サンドバッグになってもらえないかな!」
瞬間、僕はまた夢を見ているのかと思った。
目の前の人間が、この世のものとは思えない異形の姿へと変貌した。
血走った目をして、身体が一回り大きくなり、昆虫を思わせるような造形となった。
「キュゥゥゥゥ……キュェェアア!!」
「う……うあああああ!!」
その化け物は甲高い奇声を上げて襲い掛かってきた。
この時、僕は悟った。この化け物こそが、昨日の男が言っていたそのものだと。
しかし、バッグの中の拳銃を取り出すのにも、目の前の化け物が何なのかを認識するのも全て遅すぎた。
化け物の爪は、既に目の前に迫っていた。
バンッ!
「ギュッ!」
死を意識する準備ができたところで、耳に響くような音が聞こえたと同時に、化け物が仰向けに気色悪い色をした血を流して倒れていた。
「ビンゴ。やっぱこのオッサンだったか」
振り返ると、スクールバッグを肩に掛け、煙草を咥えた綺麗な顔立ちの少女が拳銃を右手に構えて立っていた。
「君は、屋上の……」
彼女はきょとんとした様子で僕を見た。
「あれ? 放課後のパシリくん。何してんの?」
「何してんの」とはこっちが聞きたいところだ。
「君こそ……それは一体」
「パシリくん」
僕の言葉を食い気味に言った。
「……はい」
僕は弱々しく返事をした。
「こいつに傷はつけられていないな?」
神妙な面持ちで声を低くして言った。
「う、うん」
「よし、なら今あったことは全部忘れな。ちょっとした変な夢を見たんだよ。キミは。このこと、絶対誰かに言うなよ」
彼女は僕が傷をつけられていないことがわかった途端に、まるで何事もなかったかのようにそう言った。
「じゃ、あたしは帰るから。夜道には気をつけろよパシリくん」
「あの……」
「ん?」
「僕の名前は木野裕太です。パシリくんて名前ではありません……」
彼女は「あー」と、一呼吸置いて答える。
「そいつは悪かった。何て呼んだらいいかわかんなくてさ。それじゃ木野くん。気をつけて帰んな。後、今日のことは絶対に口外禁止だからな。もし誰かに言ったらキミを殺す」
そう言って彼女は帰っていった。
この人なら本当にそうすると思った。
そういえば彼女の名前は聞いていなかったことにしばらくして気付いた。
後ろを振り返る。
そこに仰向けに倒れていた化け物の死骸は塵にとなって消えていた。
それを見て、今僕がすべきことは昨日の男に会うことが何より優先なのだと思い、男を捜すため、もしかしたらまたさっきの化け物に襲われるかもしれないという警戒心を抱きながら町を彷徨った。
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